ドン・キホーテ 前篇1 (岩波文庫 赤 721-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (431ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003272114

感想・レビュー・書評

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  • 「ドン・キホーテ連続読書会」にて第1巻読了!
    思ったより読みやすく、子供の頃の簡易版で読んだ印象の容赦なさはあまり感じませんでした。
    連続読書会継続中のため第2巻の登録は数カ月後になります。興味ある方ぜひ一緒に!!

    ドン・キホーテの解説
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4121016726#comment
    ミュージカル ラ・マンチャの男
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4924609811#comment

    前編一 機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ
    献辞と序章
    この「ドン・キホーテ」は、アラビア人史家の書いた『ドン・キホーテ』原著をモーロ人が一度翻訳し、さらにセルバンテスがスペイン語に翻訳と編集して出版している、という体裁の書物です。
    早速冒頭でセルバンテスが読者にご挨拶するんだが…。
    「この本を読む暇な読者さん!自分はドン・キホーテの継父(セルバンテスはアラビア語原著を編集したという体裁のため)なんだけど、序文書けって言われたって、息子を褒めるようななんか偉い人の言葉とか訓辞とかそんなの集められないよって思ってたら、知り合いから『そんなのでっち上げればいいじゃ〜ん』って言われたからそうしまーす」…冒頭から言いたい放題(笑)
    それからソネットになり、本編に出てくるドン・キホーテや、名駄馬のロシナンテ、従士サンチョ・パンサたちが読者に向かってご挨拶します。

    第1章 P43
    ラ・マンチャ地方のケハーナという中年貧乏郷士が、騎士道の話を読み耽るうちにすっかり頭がおかしくなり自分は騎士だ!騎士となってこの世の正道を正さねば!と思い込む。
    古い甲冑を手作りで修繕し、自分の名前をドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと決め、愛馬をロシナンテと名付け、思い姫をドゥルシネーア姫と決めて(本当は農家の娘のアルドンサ)、さあ、これで立派な騎士だ!
    この一つ一つが真剣だ。甲冑を素人修理ししたために脱げなくなっちゃったんだとか、痩せ馬の名前を真剣に考えたりだとか。この馬のロシナンテという名前は「以前(アンテス)は駄馬(ロシン)だったけど、現在は逸物(アンテス)になった」という意味らしい。妄想とはいえ一応駄馬だと分かってたのか。
    準備万端で旅にでた!…けど荷物がなかったから一度戻った。
    このあたりは妄想なりに筋が通っている。そう、ファンタジーやSFやホラーで面白いのって、その世界なりの筋が通っていることは大切ですよね。「何でもあり」ではなくて、本当にそうだと思いこんでいる妄想だからこそ、通さなければいけない理論があります。

    さて、セルバンテスはドン・キホーテこと、ラ・マンチャの郷士であるアロンソ・キハーノのことをどのように書いているか?
    まず「マンチャ」というのは「汚れ、不名誉」という意味なんだそうだ、ふーん。
    そしてこの郷士は「もうすぐ50歳」…って、ええーー思ったより若かった!!60歳以上のおじいちゃん想像していたよ、挿絵だってそのくらいの老人ではないか!40代って。まあこの時代で40歳なら十分老人か、作者のセルバンテスだってこのとき50代後半ではないか、ドン・キホーテまだまだ老いてはいないよね。

    第2章 P55
    意気揚々と旅に出たドン・キホーテだが、正式な騎士になるためには騎士の叙任をしてもらわねばならない。
    彼の目にはこの世の全てが騎士道の世界に映っている。娼婦たちは貴婦人、貧しい宿屋は立派なお城。ということで、宿屋のご主人(妄想の中では城主)に騎士の叙任を願い出た。

    第3章 P69
    ドン・キホーテに出会った人々は「この頭のおかしいじいさん(まだ40代です)からかってやれ」だとか「こいつ頭おかしいから話を合わせて関わらないようにしよう」と接している。おかげで、ドン・キホーテの騎士の叙任も無事に済みましたとさ。

    いや、ドン・キホーテ本人にしてみれば、これはこれで幸せではないか?現代で言えばなりきりコスプレみたいなもんですよね。周りはしょーがないなって合わせてくれて、なりきってるそれとして扱ってくれる。命懸けではあるけれどもある意味おおらかな世界だ。

    第4章 P83
    騎士に叙任されて意気揚々と旅を続けるドン・キホーテだが、現実の人々にイチャモンつけたから酷くボコられてしまい…。

    私は子供の頃に児童用の「ドン・キホーテ」を読んだのですが、老人や子供への暴力シーンがかなりあって嫌だったんですよ。
    その嫌だった一つがこの4章で書かれる親方が羊を逃した小僧を酷く折檻している場面。
    通りすがったドン・キホーテが格好良く止めるんですが、親方は「この頭のおかしい爺いをやり過ごそう」とその場だけの詫びを入れます。小僧は分かっているからドン・キホーテに「行かないでくれよ!あんたが行っちまったら、おいらもっと殴られるよ」といいますが、ドン・キホーテは過ぎ去っていきます。そして小僧はもっと酷くぶん殴られ、追い出されてしまいます。
    この場面、大人になって読むと、読み慣れてしまったのかそこまで暴力が抜きん出ては感じられなかった。悲しいかな、私が奉公人が親方に暴力振るわれる話を読み慣れてしまっただろうか…。

    その後ドン・キホーテ自身がリンチ状態に合いますが、コスプレに付き合ってもらうならボコられるくらい平気じゃないか?と思えた。

    第5章〜第7章 P100
    4章でボコられたドン・キホーテは、農夫に助けられて一度お屋敷に戻る。
    私は子供の頃にドン・キホーテの児童版を読んで、登場人物が痛い目にあわされるのが続いてちょっと辟易したんですが、今回正式版読んだら案外たいした怪我でなかったり、怪我しててもこのくらいすぐ治るしと本人期にしていなかったり、みんな逞しい。

    さて、ドン・キホーテのお屋敷ではキハーノ(ドン・キホーテの本名)を待ち構える人々がいた。
    キハーノの親友で心配しに来た司祭と床屋、そしてお屋敷にいる姪と家政婦。
    みんなは「キハーノの頭をおかしくした騎士の物語は全部焼いてしまえ」と、本を検閲する。
    しかし検閲しながらも司祭と床屋が「この本は価値がある!」「イタリア語の本まであるではないか!」「ミゲル・デ・セルバンテス(作者)の本があるぞ!この著者は私の親友でこんな人物なんだ」など、司祭と床屋も騎士道物語オタクだし、著者が自分の批評をかいてるし、「焚書する」というショックなはずの場面なんだか楽しい場面だった。
    しかしこの検閲に免れた本たちも、家政婦にとっては良いも悪いも関係なくて家にあった本は全部焼かれてしまった。ここで作者が<無実の者にも時として罪人の累が及ぶことが証明された!>とか言っている。
    ※読書会で「郷士の友達として、神父と床屋が来たけれど、床屋って下位の医者も兼ねているとしたらそれなりに地位が会ったのかも?」という意見が出ました。セルバンテスの父親もあんまり腕の良くない医者だったようですね。

    そしてキハーノが本がなくなったことに気が付き騒ぐんだがみんなで「あ、さっき魔法使いが現れてみんな消しちゃったよ★」とノリノリで嘘を付く 笑
    本がなくなったことにより、ドン・キホーテの狂騒は一見静まって、大人しく家で過ごしていた。
    だがこっそりと気のいい家庭持ち農夫サンチョ・パンサを「島を治めさせてやる」とか言いくるめて従士にして、新たな旅に出るのであった。

    第8章 P141
    『ドン・キホーテ』といえばの「風車との戦い」が行われる!のだが割とあっさり終わる。有名エピソードだけどこんな序盤でこんなに少ない行数の出来事でした。
    まあ風車相手に突撃するなら勝手に怪我するだけだからいいんだけど、人間相手に同じことやるのか?って思っていたら、次はまさに人間相手に突撃する事件を起こす!
    町に入ったら、たまたま修道士二人と、馬車に乗った貴婦人ご一行が居たのをドン・キホーテは勝手に「悪人二人が姫を攫っている」と勘違いして戦いを挑む。修道士二人はドン・キホーテにぶん殴られて「こいつやべーー」と、ドン・キホーテの騎士話に話を合わせつつ距離を取る。
    しかし黙っていないのが貴婦人の従者だった。ここでドン・キホーテと従者との決闘が始まった!


    「だがこの決闘の詳細が書かれていない!」

    …と、語るのはセルバンテス。そう、この『ドン・キホーテ』は、アラビア人史家の原本を手に入れたセルバンテスがスペイン語訳している、という構造となっている。
    そしてこの決闘に関する詳細がないんだそうだ。

    第二部 第9章〜10章 P161
    第二部の始まりはセルバンテスの「書かれていない決闘の結末が書かれている書を一生懸命探した。そしたら見つかったんだ!だが自分はアラビア語が読めないので、近くに居たモーロ人にスペイン語に翻訳してもらったよ」という語りから始まる。
    この『ドン・キホーテ』は小説の構造としても面白い。自分の著作物を「原著を紹介します」という形式、小説内に作者が登場して裏話を語る、そして小説のなかでセルバンテス自身の書評をする。
    ドン・キホーテの冒険物語のなかにセルバンテスの語りまで入って話が飛ぶんだが、小説としてはかなり読みやすい。

    さて、セルバンテスは「貴婦人の従者との決闘」の結末を書き、ドン・キホーテとサンチョ・パンサは次の町に進むのであった。

    第11章
    野宿することになった主従凸凹コンビだが、たまたま行き合った山羊飼いたちに優しく迎えてもらった。

    ドン・キホーテに出会う人々は割と心が広いというか、珍妙な事を言っているがまあ自分に害はないし面白いから聞いておこうという態度だったり、危害を加えられたら「こいつ頭おかしい」と思って適度に話を合わせるかして、まあ結果的にドン・キホーテのなりきりコスプレは成功しているわけですね。

    また、サンチョ・パンサの人物像も面白い。騎士になりきって奇行を繰り返すドン・キホーテのことは旦那様として慕ったり敬意を払っているけれど「だんなさまー、それは巨人じゃなくて風車ですよー」と現実的ツッコミもする。だがドン・キホーテに「お前は魔法というものが分かっていない!」と言われて、島さえ貰えればいいからまあいいか、と話を合わせる、素直かつ、現実的な男である。
    さらにドン・キホーテの言葉を素直に受け取ったため、かえってドン・キホーテがちょっと慌てちゃたり(「そうですか〜騎士様は食事をなさらないんですね〜」「いや、食事はする!!」みたいな)、ドン・キホーテが崇高なことを言ってもあくまでも自分が心地よいやり方は崩さないという、妄想の人ドン・キホーテさえも動かしちゃう素直さももちわせている。


    第12章〜14章
    羊飼いが街の噂を仕入れてきた。神父の姪の絶世の美女マルセーラが、数多の求婚者を躱して羊飼い女たちと混じって山暮らしをしているという。すると絶世の美女に恋して彼女の後を追って若者たちが羊飼いになっている。しかしマルセーラはそんな求愛者たちを冷たくあしらう。なかでも熱心な求婚者だったグリソストモという若者が、マルセーラに袖にされて焦がれ死んでしまったという。
    ドン・キホーテは、羊飼いたちと、グリソストモの葬儀に出てみることにした。

    その道中で、同じくグリソストモの葬儀へ向かう二人の郷士と知り合う。郷士はドン・キホーテの珍妙な格好(手作り鎧兜)に興味を持ち彼に話を聞くと、ここぞとばかりに遍歴の騎士の気高さを語るドン・キホーテ。郷士と羊飼いたちは、ドン・キホーテは頭がおかしいおっさんだ〜!と分かるんだが、話している内容が案外興味深いので、ドン・キホーテに話を合わせてくれている。
    これは時代のおおらかさなのか、「あたまおかしいけど言ってることは筋が通っている。ちょっと話を聞いてみよう」で、ドン・キホーテは「狂気だ」とはっきり書かれているのだが、その狂気が世間一般の「正気」と違和感なく交じることができている。

    グリソストモの葬儀。
    彼の友人たちがグリソストモの真摯の想いを嘆き、マルセーラの冷たさを非難しながら葬儀が行われる。
    そこへ渦中のマルセーラが一人で現れる。
    いきり立つ男たち。
    しかしマルセーラは堂々としたものだった。
    「みなさんは私が求愛者達に冷たくしたからと私を責めますが、私は自然のままに生きることを選んだのです。私は誰も愛しませんが、その代わり人を憎むこともありません。それははっきり言っています。それを私が美しいからといって勝手に恋して勝手に死んで私を責めるのですか。私が美しいことが悪いのですか、私が美しいのですから私はそのまま羊飼いでいます」

    …いや、かっこいいw
    この時代、家柄もよく年頃の娘は必ず結婚したのだろう。それを叔父の神父は「本人がいいと言うまでは好きにしていいよ」と物わかりがよく、マルセーラ本人も周りがなんと言おうとも「私が美しくて何が悪いの!?そうよ私は美しいわよ。美しいまま好きに生きるわよ!」と堂々としている。
    ファム・ファタール物で、本人その気はなくて自由にしている美女と、周りの男が勝手にふらふらしちゃう男という話があるが、それの元祖だろうかと思った。

    第15章〜第17章
    羊飼いたちと別れたドン・キホーテ主従は次の冒険に向かう。
    ロシナンテが水飲み場の川で牝馬にちょっかい出したもんだから、その場に居た馬方との喧嘩になって、またもやドン・キホーテとサンチョ・パンサの主従はぼっこぼこにされる。「ドン・キホーテ」1巻にして何度目の「ぼっこぼこ」だw コミカルに書かれているので読者も慣れてきた。ドン・キホーテも「運命というものは、人をいかなる災難にあわせても、必ず一方の戸口を開けておいて、そこから救いの手をさしのべてくれるものよ」と前向きというか、次々によく回る頭と舌だなあ。
    ドン・キホーテとサンチョ・パンサの主従は町の宿屋へはいる。宿屋、つまりドン・キホーテにとっては「立派なお城」だった。
    ここではちょっと艶っぽいお話も書かれる。宿屋の女中兼娼婦であるせむしの醜女が、夜になって宿泊客の馬方を訪ねてゆくのをドン・キホーテは、麗しい姫君が自分を訪ねて来たと勘違いする。お話は、サンチョ・パンサやその馬方との間で喧嘩喧嘩になるんだが…
    ドン・キホーテは高貴な騎士道精神を語りつつも、艶っぽいことにしっかり反応しているーー。
    さらに翌朝、ドン・キホーテは宿屋を出立するときに、宿屋のご主人から宿代を請求されたドン・キホーテは一瞬「ここは宿屋じゃなくて城だったのか?」と正気に戻る…ようだったが、「遍歴の騎士の物語に宿場にお金を払う場面はない。だから免除されている」と自己解釈して旅立ってしまう。
    まあこのあとかわりにサンチョ・パンサが酷い目に合い、ドン・キホーテも戻ってくるんだが…。

    ドン・キホーテの正気と狂気の揺れがなんとも不思議ですね。ところどころでは「宿代なんて騎士道の本には書いていない」と拒否するが、別のところでは「騎士が食事する場面は書かれていないが、それは当たり前過ぎて書かなかっただけで当然食事はしている」とその都度その都度自己解釈する。
    頭や口がまわるというか、妄想を現実に当てはめるのが素早いというか。


    第18章 P314
    ドン・キホーテのエピソードの中でもそれなりに有名な「羊の群れを怪物だと思って突っ込む」場面が語られる。
    スペインという国は、海軍強化で植民地を広げたり、海の貿易をしたりと海を使った発展と、ドン・キホーテで語られる内陸で農畜産業の生活との違いを感じる。

    第19章 P337
    夜の山道で怪しい装束で怪しい荷物を守る一団を見かけたドン・キホーテは、泥棒妖怪集団だと思って襲いかかる。だがそれは、死んだ郷士を運ぶ得業士たちだった。
    いきなり襲われて死体を奪われそうになった修道士が「あなたはこの世の曲がったものを真っ直ぐに正す遍歴の騎士っていうけれど、私の真っ直ぐな足を折って曲げてしまったじゃないですか、やれやれ」と、被害の割には寛大というか諦めと言うか。
    この時代は突然の不運も、変な人も、神の御心として受けれいたのだろう。そしてどさくさに得業士たちの荷物やごちそうを奪って喜ぶサンチョ・パンサ。即物的なんだがしっかりしてるな。

    第20章 P354
    夜の山道をこれ以上進みたくないサンチョ・パンサは、ドン・キホーテの駄馬…じゃなくて名馬のロシナンテの足を縛って、不思議がるドン・キホーテを煙に巻くという知恵(?)を見せる 笑
    夜道に轟くオソロシイ音を突き止めてみたら毛織物を縮絨するための水力木槌だった!
    このあとサンチョ・パンサがドン・キホーテに「面白い話」を語るんだが、「三百頭の山羊を一頭ずつ船に乗せて運びます。はい一頭〜、次に一頭〜、また一頭〜、次の一頭〜、またまた一頭〜…」と延々数えて途中で「全部で何頭運びました?解んなくなったんですか?ではこれで終わり!」というもので、聞かされた側は「え?終わり!?続けてよ!」と思いました 笑

    第21章 P386
    伝説のマンブリーノの兜を手に入れたドン・キホーテ!だがそれは、医者兼床屋の金盥なんだよ。高そうだなあと冷静に判断するサンチョ・パンサ。そろそろ独自の格言も際立ってきます。
    サンチョ・パンサはドン・キホーテに、いくら遍歴の旅をしたって、それを世間に知ってもらってお金儲けしないと意味ないんじゃないっすかーと言ってみる。するとドン・キホーテが、長々長々と、遍歴の騎士とはこうあるべきだと話す話す。妄想にしてもすごい熱量。


    以上第1巻終了。
    思ったより読みやすく、思ったより容赦ないわけではなかった。
    読書会参加中のため、2巻読了は数カ月後になります。

  • ♪~「おお~ドゥルシネーア姫、この悲嘆にくれる心の支配者よ!~おお姫よ、御身の愛を求めて、かくも苦悶する恋のしもべ……(延々続く)」

    のっけからアブナイです(笑)。劇中の独白のようで、シェイクスピアも真っ青……。痩せこけた愛馬ロシナンテの背にまたがるドン・キホーテのお伴は、おなじみ驢馬に乗っかる農夫サンチョ・パンサ。2人の旅は可笑しな珍道中、その掛け合いは、口から生まれた漫才師よろしくまことに見事なものです♬

    この物語は、騎士道の冒険とはいっても、血生臭い場面はほぼありません。ドン・キホーテとサンチョ・パンサ主従を中心に、沢山の登場人物の饒舌なおしゃべりで占められています。その語りは雄弁で延々と続き、セルバンテスの創造とユーモアは、こんこんと湧き出す泉のよう。

    また、その小説手法は巧みの技。モーロ人のシデ・ハメーテという人物(第1作者)が書いたアラビア語原典を、セルバンテスが第2作者として翻訳・編纂するという、大胆な又聞きスタイルになっています。全巻とおしていろんな仕掛けがほどこされた、壮大なメタフィクションになっています。

    そのため、第2作者のセルバンテス(という設定)は、わりと叙事的な筆致で書いているのですが、ひょこっと、第1作者(シデ・ハメーテ)の悲劇のようなセリフが飛び込んできたり、第2作者のセルバンテスがMCよろしく読者に語りかけたり鼓舞したり……平板になりがちな長編に奥行きと遊びの力がみなぎります。

    前篇のドン・キホーテの目に映るものは、まさに妄想の世界。田舎の旅籠は城砦に映り、羊の群れは、血沸き肉躍る騎士団の行軍、はたまた農夫が頭に乗せている「金たらい」は、燦然と輝くマンブリーノの兜、極めつきは、ドン・キホーテの前に猛然と立ちはだかる邪悪な巨人! 愛馬ロシナンテとともに突撃したドン・キホーテは、巨人に思いきり槍を突き立てるのですが、あぁ~惨憺たる有様、憐れドン・キホーテ、まことに災難ロシナンテ……。

    『「やれやれ、なんてこった!」とサンチョ・パンサが言った。「ご自分のなさることにようく気をつけないさまし、あれはただの風車で巨人なんかじゃない、とおいらが旦那様に言わなかっただかね。頭のなかを風車がガラガラ回っているような人間でもねえかぎり、まちがいようのねえことだによ」』

    ということで、レビューは後半へ続きます。

  • 知ってるつもりでちゃんと読んだことのない名作長編シリーズ、淳水堂さんにもおすすめされたことだし、『ドン・キホーテ』に挑戦します!たぶん小中学生の頃に子供むけ版を読んだと思うのだけど、記憶はおぼろ。『ほら吹き男爵』と混同してる可能性もあり。読み始めて早速気づいた記憶違い、なんとロシナンテが馬だったこと!なぜか私、ロシナンテをロバだと勘違いしてました(笑)たぶん従者のサンチョ・パンサが乗ってるほうのロバとごっちゃになってたんだろうな。ドン・キホーテが乗っているのは貧相だけれど一応馬でした。

    さて、ドン・キホーテ、もともとはラ・マンチャ地方のいち郷士でしたが、騎士道小説が大好きなあまり妄想が爆発、狂気を発して自分を遍歴の騎士と思い込み、骨董品の甲冑やお手製の兜を身に着けて旅立ちます。前篇の出版は1605年で、当時すでに「騎士」というものは前世紀の遺物扱い。日本でいうなら幕末から100年以上経った現代に、チャンバラドラマが好きすぎてチョンマゲを結い、「拙者は侍でござる!武士道を極めるための旅に出るでござる!」と言い出すような感じかしら。

    さて、風車を巨人と思い込んで斬りかかる有名なエピソードは結構序盤で、あとで思うと相手が風車なら自分が怪我するだけで済むからまあ良いほう。その後のドン・キホーテは、ただの通りすがりの善良な人々に、妄想から勝手な言いがかりをつけ絡みまくる。基本的には、みなドン・キホーテのことを即座に「頭のおかしいおっさん」と察知し、さっさと回避する、話を合わせてやりすごす、ちょっとおもしろがるなどして大事には至らないのだけれど、この狂気を真に受けて反論したり、からかいすぎて怒らせたりすると決闘騒ぎになってしまう。

    絡んだドン・キホーテ自身がコテンパンにされる分にはまあご自由に、という感じなのだけれど、ごくまれにまぐれ勝ちしてしまい相手に怪我を負わせたりしているので、これは絡まれたほうはたまったもんじゃないなと(^_^;) そしてドン・キホーテも従者のサンチョも、本当にコテンパンにされてしまうので(あばらが折れたとか具体的な描写もあり)意外と暴力が過剰なことにビックリ。とはいえ、翌朝には二人ともピンピンしてるので、イメージとしては昭和のギャグマンガみたいな感じかな。どんなにボコボコにされてても、読者はあまり深刻に受け止めて心を痛めたりしないほうがいいのでしょう。

    従者のサンチョ・パンサは、一見愚かなようで、主人ドン・キホーテの奇矯な言動に冷静なツッコミを入れたり、格言を用いて主君を諭すような場面も多々あり、それでいてドン・キホーテの妄言のうち自分にとっても都合のよい部分(伯爵にしてやるとか島主にしてやるとか)は鵜呑みにする単純さもあり、利口なのかおバカなのかよくわからないとても面白いキャラクター。ドン・キホーテの妄想に困らされて気の毒な反面、主人のドン・キホーテにゲロを吐きかけたり、足にしがみついたまま脱糞したり、失敬な行動も多々あり(笑)しかし読者の視点としては一番共感しやすい人物は彼でしょう。主従の凸凹珍道中は、ちょっと弥次喜多味もあり。

    この1冊目で好きだったのはまず焚書の場面。ドン・キホーテが狂気を発したのは騎士道小説を読み耽りすぎたせいということで、ドン・キホーテの姪と家政婦、友人の司祭と床屋が集まり、ドン・キホーテの本を勝手に仕分けし処分するエピソード。これおそらくセルバンテス自身の蔵書を間接的に披露することになってるんじゃないかしら(笑)タイトルを読み上げ、その本に罪があるかないか司祭が判決をくだす。このくだりで紹介されたなかに『ティランテ・エル・ブランコ(ティラン・ロ・ブラン)』もあり。

    あと好きだったのは羊飼いの娘マルセーラちゃん。美女すぎて惚れる男が後を絶たず、しかし彼女自身は恋愛に興味なく誰にも靡かない。だが一方的に恋慕、思い詰めたあげく死んじゃう若者もいたりして、ドン・キホーテは偶々その青年の葬儀の場に同席することに。そこへ当のマルセーラが現れ一席ぶつのだけれど、その姿がとてもすがすがしくてかっこいい。自分は思わせぶりな態度なんかとったことないし、常に拒絶しかしてない、身持ちの良さをキープしてるのだから、勝手に外見だけで好きになってつきまとってくる手合いに文句言われる筋合いはない!と堂々宣言。拍手喝采したい気持ちになりました。

    • 淳水堂さん
      きゃあきゃあ(*´艸`*) yamaitsuさん来たーーー

      『なんとロシナンテが馬だった』
      はい、これは私も思いました!
      このイメ...
      きゃあきゃあ(*´艸`*) yamaitsuさん来たーーー

      『なんとロシナンテが馬だった』
      はい、これは私も思いました!
      このイメージって「進め電波少年 海外ヒッチハイク」でお笑い芸人の旅のお友達が「ドン・キホーテから命名した驢馬のロシナンテ」だったこともあるんじゃないかと思っています(yamaitsuさん同年代だと思うので、このネタわかりますよね!?)

      『読者はあまり深刻に受け止めて心を痛めたりしない』
      私は子供の頃に児童書で読んだ時は「老人や子供がボコボコにされて面白くない(☓。☓)」だったのですが、改めて読んでみると周りにご迷惑かけながらコスプレ旅が成り立っているんだから、大人が痛い目見る文には読者は気にしなくて良いんだろうなと思えました。…子供が折檻されるのはやっぱり嫌ですが…

      そして羊飼いの娘マルセーラちゃんは格好いいですよね!
      「そうよ私は美女よ、私は美女として自分らしく生きているのに勝手に私に恋して勝手に死んだからって私は知らないわよ。私はこれからも私らしく生きていくわ!」って喝采だわ。
      この時代にこれだけはっきりした女性を書けるセルバンテスもすごいなあと。
      2023/10/07
    • yamaitsuさん
      淳水堂さん、こんにちは!(^^)!
      ついに私もドン・キホーテに参戦です(笑)
      ロシナンテ!そうだ、電波少年!!!
      あれのせいだったんで...
      淳水堂さん、こんにちは!(^^)!
      ついに私もドン・キホーテに参戦です(笑)
      ロシナンテ!そうだ、電波少年!!!
      あれのせいだったんですね、ロシナンテ=ロバの刷り込み!
      ただの思い込みじゃなくて原因があったのだな、スッキリしました(笑)

      それにしてもほんと色んな人がボコボコにされすぎなことにビックリしました。シリアスな作品だったらこれ死んでますよね(^_^;) ギャグマンガだと思って読まないと、暴力沙汰多すぎて全然笑えないっす。とはいえやはり淳水堂さんもおっしゃるように、相手が子供となるとどうしても嫌悪感わいちゃいますよねー。

      今2冊目読んでますが、あの少年がちゃんとドン・キホーテに文句言いに来てくれてちょっとスッキリしましたが…。

      マルセーラちゃんにはスタンディングオベーション!あの時代の女性像としては革新的だったのではないでしょうか。ある意味ルッキズムへの批判(美女というだけで中身も知らないくせに!)みたいにも取れますし。
      2023/10/08
  • 2017年15冊目。

    読みすぎた騎士道物語に取り憑かれ、自らを騎士だと思い込み旅立ってしまった男。
    すべての災難を「これは遍歴の騎士だからこそ起こる試練だ」とむしろ幸いと捉え、
    自分の助けを待っている人がいるという勘違いから生まれる尋常じゃないタフさ。
    盲信の利点。その姿は、滑稽でありながら勇ましく、どこか羨ましくもある。
    勘違いも徹底すれば役に立つ。(やりすぎて被害を受けている人たちも大勢出てくるが)
    基本的に気楽に笑いながら読めるコミカルさの中だからこそ、時々現れる至言が際立つ。
    章ごとに短編のようにオチがきちんとある場合が多いから、毎日少しずつ読んでも十分楽しめる。
    古典だからといって気構える必要が全然ない素晴らしい作品だと思う。

  • 読みやすい。
    加えてユニークな内容と文章なので、読んでいてちょっとワクワクするし楽しい。
    金だらいの件は思わず笑ってしまった。
    サンチョが所々で、人間関係や世の中に対する大切な心得を語り、読み手に教えてくれるのも良い。
    二巻も楽しみ。

  • 少年の様な妄想を現実世界に押し広げる、現代の厨二病に似ているように感じた。物語として歴史がある作品で非常に続きが気になる

  • 全6巻のドン•キホーテ。まだ1巻読み終わったばかりだけどだんだん面白くなってきた。ドン•キホーテはただの狂人ではなくてユーモアあるし、このメタメタな重層の語りはモダンに過ぎる。アラビアの夜の種族とかは思いきりこれに影響受けてるなたぶん

  • 17世紀に書かれた、現代で言う「なりきりヒーロー」的になってしまった下級貴族のオッサンの話です。「主人公の自意識や人間的な成長などの「個」の視点を盛り込むなど、それまでの物語とは大きく異なる技法や視点が導入された~」新スタイルの小説だとか。

    キャラ別の個性がわかりやすく、展開も当時なりのギャグストーリーが展開されている。現代のギャグマンガにも共通点は多いと思った。
    また面白いのは、作者のセルバンテスが物語の語りにたまに登場したり、原作者じゃないように扱われたり、妙な遊び心まで含まれているとこ。現代の小説では見たことがない。

    全巻読破までは時間がかかりそうだけど、今のとこ一番好きなキャラ(が言えるのも、個性的なキャラが多いから。)は、従者のサンチョ・パンサ。だまされてついてきた上にドン・キホーテの奇行でひどい目に合わされ続けているのに、妙に面倒見がよかったり結局冒険を楽しんでるようだし・・何か微笑ましいキャラです。

  • 超有名な古典文学だが、読んでみると意外と軽く読めるものだった。
    正直読む前はうっすらとドン・キホーテという人物はさぞや立派な騎士なのだと勝手に思いこんでいたが、読んでみるとただの狂人の騎士ごっこだし周りに迷惑かけるしで笑える場面が多く意外だった。
    「ドン・キホーテ」以前の騎士道物語に対するセルバンテスの思いというか、同じような作品が乱立されていることに対するアンチテーゼ的な作品でもあるのかなと感じた。
    もっと重い作品だと思っていたので読破するのにそれなりの覚悟をしていたのだがこれならサクサク読めそうで続きが楽しみ。

  • 翻訳が良い。
    今、読むとポストモダン的に響く。深読みができる。
    サンチョの存在が面白い。
    夢多きドンキホーテに対して、彼は冷静な現実の声を発するのだ。地に足が着いている。そこが単なるポストモダンではない由来だ。

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