ドン・キホーテ 前篇3 (岩波文庫 赤 721-3)

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  • / ISBN・EAN: 9784003272138

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  • ドン・キホーテ前編Ⅲ
    二巻はこちら
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4003272129#comment

    ドン・キホーテ、サンチョ・パンサ、カルデニオ、ドロアーテ、司祭、床屋が留まっている宿屋から話が始まる。
    二巻以降ドン・キホーテの冒険の本筋から外れて他の人のエピソードが次々語られていくので、エピソードごとに記載していく。
    物語の中に物語が何重にも入れ込んでいて、それぞれが関わったり関わらなかったり。そしてとにかくみんな饒舌だ。

    ❐「騎士道小説」の続き。
    『騎士ロターリオは、自分がどんなに恵まれているかを確認するために、親友の騎士アンセルモに、自分の妻の美女カミーラを口説いてくれるように頼む。
    最初は断っていたアンセルモだが、ロターリオにお膳立てされてるうちに、本当にカミーラと愛人関係になってしまう。
    しかしいつまでも隠し通すことはできず、三人は破滅へと向かうのだった』
    …この「小説」を挿入してきたのはなぜだろう。ドン・キホーテは騎士道物語を耽溺しているが、この小説の騎士たちはちょっとアホすぎるというか、世俗的すぎる。
    「ドン・キホーテ」本編は、なんだかんだ言ってうまくことが運ぶので、作者がちょっと違った悲劇というか当時の風俗を書きたかったのかな。

    ❐カルデニオとルシンダ、ドン・フェルナンドとドロテーア
    宿屋に、顔を隠した四人の男が取り囲むようにして一人の女を連れてくる。
    その声を聞いて驚くカルデニオ。
    そう、その女は修道院に隠れていたルシンダで、男たちは彼女を強奪してきたドン・フェルナンドとその友人たちだったのだ!
    カルデニオとルシンダは互いの姿を認めてしっかりと抱き合う。
    怒るドン・フェルナンドに対してドロアーテが諭す。「あなたは私を妻にすると真実の心だと言った。その言葉を反故にして、愛し合うこのお二人を引き離すならあなたの魂は恥ずべきものとなります」
    …現代読者としては、ドン・フェルナンドのような遊び人と結婚したって苦労するだけだろうと考えてしまうのだが、ここはクリスチャンとしての魂の問題で解決するんですね。つまりドン・フェルナンドは自分を大いに反省し、カルデニオとルシンダを祝福し、自分の魂を堕落から助けてくれたドロアーテに感謝し、そしてドン・キホーテの狂気回復への手助けも申し出る。

    ❐ドン・キホーテの教養
    一同が揃っての夕食の場で、ドン・キホーテは騎士道探求の精神を語る。
    それを興味深く聞く一同。ドン・キホーテは騎士道物語となると狂気そのものになる。だが合間に見せる教養の深さにとても興味を惹かれたのだ。
    <よしんばこのような人物を虚構の中で考え出そう、でっちげようとしたところで、これほど首尾よく作り出せるような、機知に富んだ才子が存在するものかどうか、ちょっとわかりませんねP264>
    …ドン・キホーテの人物像はたしかに興味深い。狂気でありながら筋が通っていて周りの人たちが話を合わせてしまったり、なんだかんだとうまくいく。

    ❐キリスト教の騎士とモーロ人の女
    宿屋に、曰く有りげなスペイン人(キリスト教徒)騎士とモーロ人の女が現れる。
    ドン・キホーテたちにせがまれて騎士はこれまでの道のりを話す。
    騎士の名前はルイ・ペレス・デ・ピエドマ。父が亡くなる時に三人の息子を呼び「わしの遺産で、一人は学問、一人は公益、一人は兵士として王に仕えてほしい」と遺言する。そこで長男のルイは軍人になり、トルコとの戦争に参戦するが、トルコ軍の捕虜になってしまった。
    収容所に入れられていたが、近所の深窓のご令嬢ソライダから「自分はイスラム教徒(モーロ教徒)だが、キリスト教徒の召使いに教育を受けた。自分をキリスト教の国に連れ出してほしい」と頼まれる。
    そこで収容所の仲間たちとともにトルコを脱出してきた。
    だが海が荒れたりフランスの海賊に襲われたりして、ほとんど身一つ(とはいっても高価な宝石をたくさんたくさん付けた身だが)でこおまでたどりついた。まずは自分の故郷に還ってみて、そこで弟たちの消息を確認し、ソライダにはキリスト教の洗礼を受けさせたい。

    ❐学士の父と、その娘と、娘を慕うお坊ちゃんの恋模様
    ここでまたまた次の宿泊客である父親と娘がやってきた。
    そしてこの「父親」は、捕虜騎士ルイの末弟で、学問で身を立てたペレスだったのだーーー!!
    20年ぶりの再会を手を取り合い喜ぶ兄弟。
    すると宿屋の外から見事な恋の歌が聞こえてくる。
    それは、ペレスの娘のクラーラに恋する身分の高い家柄の少年ドン・ルイス。彼は恋しいクラーラを追って家を出ていた。しかしクラーラは身分違いだとこの恋を諦めるつもりでいる。

    話を聞いたお姉さまがた、ドロアーテとルシンダは「私達に任せておいて!」と俄然張り切る。
    この二人、諦めていた恋が叶って幸せの絶頂になったら現代的な姦しい娘さんぶりを示したり、仲は良いんだが実は密かに自分のほうが美人だわ★と思っている節もあり、なかなか面白い 笑

    ❐ドン・キホーテが女に色気を出して失敗するお話
    影の薄くなりつつあるドン・キホーテだが、その夜いつもの妄想で「姫が助けを求めている」と思い込んで女中たちのいたずらに引っかかって一晩中宿屋の塀に吊り下げられてしまいましたとさ。
    …この宿屋でドン・キホーテが現実的な色気を出すのは二回目。妄想に囚われていても現実の欲はあるし、結局はそれに捉えられてしまう。
    欲といえばサンチョ・パンサはもっとわかりやすく欲まみれ。他の関係者がドン・キホーテを正気に戻そうとか、いくつかの恋模様を助けようとかしているところに「そんなことになったら、おいらが約束してもらったご褒美がもらえないじゃないか!」と個人の欲で動き回る。

    ❐宿屋の大混乱大喧嘩大騒動
    そんな絡み合う人間関係が翌日に爆発した。
    この宿屋に、ドン・ルイス少年を追いかけてきた屋敷の使用人たち、二巻で囚人を逃したドン・キホーテを逮捕しに来た捕史たち、二巻でドン・キホーテに金盥を「伝説のマンブリーノの兜じゃ!」と奪われた床屋が大集結!さらに宿屋の他の客が無賃逃亡しようとしたしたのだ!
    あっちでは床屋とサンチョ・パンサが揉め、こっちでは無賃逃亡客が宿屋の主人を殴り付け、そっちでは捕史がドン・キホーテを取り囲み、なだめようとする司祭と床屋とピエドマ兄弟、悲鳴を上げる女性たちと守ろうとする婚約者たち。

    まあ色々ありまして、この大混乱はなんとか収束する。
    司祭と床屋は捕史を説得し、ドン・キホーテを故郷に連れ帰ることを納得させた。
    ドン・キホーテは「騎士殿を運ぶ輿」と偽り木の檻に入れて故郷に向かう。

    この宿屋騒動では、ドン・フェルナンドがすっかり気のいいヤツになり、カルデニオと共に、司祭と床屋に今後の文通と、ドン・キホーテの様子を知らせてください、と交流を結ぶのだった。

    ❐少年再登場
    一巻で、親方に痛めつけられているところをドン・キホーテの余計な親切心のおかげでもっと酷い目に合った少年が再登場する。そしてドン・キホーテを指さして笑いながら「旦那!次においらが痛めつけられているのを見ても助けないでくれよ!あんたに助けられたらもっとひでえ目に合うぜ!」と言い捨てて去っていく。ドン・キホーテは流石に恥じ入ったのでありました。
    この少年は一巻では「これから酷い目に合うよ」という場面で終わっていたのでちょっと気になっていた。そして酷い目に合った…んだが、さすたにこの時代を生きる腕白坊主、強かに懲りずにこの厳しい世の中を渡っていてちょっと安堵もした。

    ❐司教座聖堂参事会員による騎士道小説論
    道中、司教座聖堂参事会員の一行と行き合い、騎士道物語論が繰り広げられる。
    この参事会員がいうには「騎士道物語は軽薄で淫らで薄っぺらいものばかりではないか。有り得ない偶然が重なり、若輩者が有り得ない強さを身につけ、有り得ない地図や風習ばっかりではないか。
    物語というものは、虚像なら虚像としての均整を持っていなければいけない。読者の理性が物語の虚像と和合してこその感動だろう」
    終盤にしてセルバンテスの物語へ思いを語った!
    そしてここで語られている「薄っぺらい物語」は現在でもそのまま言われている内容でございますね。

    ❐サンチョ・パンサによる魔法と現実の見分け方。
    さすがに主人公が檻に入れられたままでは格好がつかない。ここで世俗的な欲まみれのサンチョ・パンサがドン・キホーテに物申す。「旦那様、これでも魔法だって言うんですかい?そんなら魔法か現実か確実な見分け方法をお教えしますよ。旦那様はそこに入れられて体から小さい水か大きい水を出したくありませんかね?」
    そう、お腹が空いたり、排泄したいのであれば、これはまごうことなき現実、ドン・キホーテは豪華な輿ではなく檻に閉じ込められているのだーー!

    …そしてまたまた騒動が勃発したり、昔関わった少年が再登場したりするんだが、そろそろ割愛。

    それでもドン・キホーテとサンチョ・パンサは家に帰り着いたのでした。

    物語の終わりで「ドン・キホーテはこの後に三度目の度に出るのだが(一巻で最初の旅に出て戻っているので、次で三度目)、資料が残ってないからわからないんだよね」で閉じている。
    現実としては、名が売れた「ドン・キホーテ」には「三度目の旅」の贋作が出回って、仕方なくセルバンテスが続きを書くことになったわけなのだが…
    一旦「ドン・キホーテの旅」こちらで終わり。

    三巻読み終わって。
    思ったよりも読みやすかった!
    起きていることも、考え方も、とても現代感覚でも分かることも多い。中世キリスト教のヨーロッパ価値観の物語を現代日本人が「分かるー!」となるのも、人間の絶対的な価値観とは変わらないんだなあと思う。
    しかしもちろん現代の私たちとは違う価値観や道徳のもとに生きていると感じることも当然ある。小説で、その時代のその国の人が書くものはごく当たり前の当時の様相や価値観が自然に現れるのだ。読者としては、説明されなくても感じられる「その国の、その時代の、その人」の感覚が読み取れることは読書の楽しみなんである。

  • 前巻から続いている作中小説『愚かな物好きの話』が完結。結局三人とも不幸になってバッドエンド。いったいどういう教訓があったのか謎すぎる。なにもかも上手くいっていたのに、「愚かな物好き」がつまらない余計なことを思いついたばっかりに全部破綻する=現状に満足してる場合はそれ以上を求めるな、ということなのかしら。とはいえ、それがドン・キホーテ本編とどう繋がるのかはやっぱりわからん(笑)

    さて現実に戻り、くだんの旅籠に新たな客が登場。悲しげに嘆いてばかりいる女性と、彼女を取り囲んで連行中の男たち。なんと彼らの正体は、修道院に逃げたルシンダと、彼女を無理やり奪還してきたドン・フェルナンドの一行だった。旅籠にはすでに、ルシンダの本来の婚約者カルデニオと、ドン・フェルナンドにもてあそばれるも彼との結婚を切望しているドロテーアがいるわけで、ようやくこの四角関係に決着がつきます。カルデニオとルシンダは元サヤに、ドン・フェルナンドもドロテーアの説得により改心、ここにめでたく二組のカップル成立!正直ドン・フェルナンドはろくな男じゃないと思うのだけど、まあお金持ちだし、改心したからいいのかな?

    ここでさらに旅籠に新しい客が到着。モーロ人の国で捕虜になっていたキリスト教徒=≪捕虜≫と呼ばれる男と、キリスト教徒になりたくて捕虜と一緒に逃げてきたモーロ人の娘ソライダの二人連れ。男の生い立ち、二人の出会いとこれまでの経緯が語られる。

    またまたここに新しい客が到着(どんだけ客来るねん)今度は立派な判事の父親と、15歳のその娘クラーラ。この判事、実は上述の捕虜の実の弟であることが発覚、数十年ぶりの兄弟の涙の再会。クラーラは、三人の美女お姉さまたち(ルシンダ、ドロテーア、ソライダ)と同じ部屋で寝ることになるが、宿屋の外から騾馬引きの少年の歌が聞こえてくる。実はこの少年はクラーラの家の向かいに住む貴族の少年ドン・ルイス。クラーラに恋していた彼はクラーラの後を追って家出してきたのだった。

    しかし翌朝、このルイス坊ちゃまを追ってきた召使たちが到着。さらにドン・キホーテに金盥を奪われた男や、ドン・キホーテが逃がした囚人たちの捕り手らがドン・キホーテを追ってきて、旅籠は大パニック。もはや吉本新喜劇ばりのドタバタ大乱闘が起こるも、最終的にはまあ全方向丸く収まる。こういうときは役に立つお金持ちのドン・フェルナンド(笑)結果、カルデニオ&ルシンダ、ドン・フェルナンド&ドロテーア、捕虜&ソライダ、ドン・ルイス&クラーラの4組のカップル成立。司祭と床屋は、ドン・キホーテを連れ帰るため、彼を騙して檻に入れ牛車に引かせていくことに。

    道中で聖堂参事会員一行と道ずれになり、司祭が意気投合、演劇論や小説論を繰り広げる。さらに参事会員はドン・キホーテとは騎士道小説論について語り合い、このへんはセルバンテス自身の意見の代弁かなという印象。ストーリー自体は動かない。

    さらに、なぜか通りすがりの山羊飼いの語る挿話も入る。みんなが射止めようと必死になっていた美少女が、ペテン師の伊達男にまんまとひっかかり駆け落ちしたあげく捨てられ修道院に…という話で、これまた何の教訓があるのか全くわからない(笑)『ドン・キホーテ』の構造自体は、いわゆる枠物語ではないけれど、ドン・キホーテの本筋とは別の、ゆきずりの人物の語りや小説が幾つもちりばめられており、それはそれで面白いのたけれど、2巻以降、実は肝心のドン・キホーテはあまり冒険していない気がする(苦笑)

    この3巻でもドン・キホーテの出番はほぼなく、4組のカップルがすったもんだしてる間、ドン・キホーテは宿の娘&召使のいたずらに引っかかったりしてるだけだし、1巻でドン・キホーテが助けた(つもりで実はそうではなかった)少年が再登場して捨て台詞を吐いてったりして報われない。そして終盤、マリア像を運ぶ苦行僧たちを、貴婦人を誘拐してきた悪人集団と思い込み、斬りかかるお馴染みのパターンを最後に、ドン・キホーテとサンチョ・パンサは故郷に戻り、ひとまず冒険は終了。

  • 冒険の本筋よりも作中作や登場人物が語るエピソードが多めですが、それらが抜群に面白いです。特に恋愛が絡む話は、やはり時代を超えた普遍性がある気がします。

    出会った人々がドンキホーテの様子を見て驚く→人柄を説明されて納得→茶化して楽しむ、という流れが定番化されていくのが可笑しいです。

    相変わらずのサンチョですが、やけに的確で現実的な指摘を主人にしたかと思うと、やはり根本のところでは妄想に憑かれていて、なんとも憎めないウザ可愛さがあります。

    後編も非常に楽しみです。

  • 旅の途上でいろんな人とのつながりができていく様はRPGのようですが、全然ファンタジーではなくだいたい主人公が突っ込んでいって叩きのめされます。
    ドン・キホーテの無謀な行動や言動がとても可笑しいんだけど、本人は大真面目で真っ直ぐだからなんか尊敬の念も湧いてきたりもする。
    登場人物がなんだかんだみんないい人でどこか可愛げがあっていいですね。

  • 2021/3/22

    大冒険に出かけるかと思いきや、前篇の約1200pで描かれる出来事はただのお出かけ。またサンチョはドン・キホーテと8ヶ月の旅をしていると豪語するが、ある研究によると僅か18日だそう。場所的、時間的な虚実の差も面白い〜

  • 第五十章の「人はその本性が寛容であろうとも、貧しくてはその美徳を、つまり雅量を他人に対して示すことができぬし、また、感謝の念も、ただ心の中で思っておるだけのものであれば、それは実践のない信仰と同じで死物に過ぎぬからでござる。」というドンキホーテのセリフが心に残りました。

  • セルバンテス 「 ドンキホーテ 」 前篇終了


    ドンキホーテは、騎士道物語のパロディとしては 痛々しくて笑えない。英雄叙事詩的なキリスト教説話として読んだ。何度袋叩きにあっても めげない姿は英雄だと思う。


    妄想と現実を 英雄として生きようとするドンキホーテの悲喜劇的な人物像を キリスト教の倫理観と対比させ、スペインの中世史とリンクさせたところにドンキホーテの深さがあるように思う。


    再読なので、ドンキホーテが何を象徴しているのか意識しながら読んだ〜キリスト教異端者、修道騎士団、スペインそのもの、キリストそのもの、宗教の狂信性 に とどまったが、他のドンキホーテ論を読んで 別の解釈が知りたい


    羊飼い、司祭、床屋などの仕事にキリスト教的な意味があるかもしれない。後篇は キリスト教文化やスペイン史をもう少し整理してから読む。


    ワーグナーの騎士文学観
    *空想と現実の分裂を和解させるための文学
    *現実の生活が淫猥で破廉恥なものとなった〜はじめから生の喜びを拒否したキリスト教をたよりにしていたから
    *騎士文学=狂信の偽善であり、ヒロイズムの気違い沙汰

  • 最後の解説を読むと、ドン・キホーテの面白さがさらに分かる。

  • 前扁(1)がドン・キホーテ ビギニング、前扁 (2)がスピンアウト作 サンチョ・パンサである とすれば、本書はドン・キホーテを出自村から追随 してきた牧師と床屋(何か職業において象徴的だ) アラウンド・ドン・キホーテの物語ということに なる。

    彼らの手によって捕縛されたドン・キホーテは出自 村に連れ帰られることとなり、ドン・キホーテの物 語は一旦終わる(著者セルバンデスが出兵→傷痍→ 徴税官に就職→横領→懲役といった著作活動以外の 場で忙しかったため)。

    後扁が始まるまでの間、アベジャネーダが著した贋 作ドン・キホーテが生まれたのも、このドン・キ ホーテ帰村を当時の読者がひどく嘆いたことに寄る ところは大きい。

  • 後篇全3巻、読み終わったー。

    前篇は自分を遍歴の騎士と妄想したドン・キホーテとその残念な従士サンチョ・パンサが行く先々で騒動を引き起こす快活な物語だった。批評性を持ち合わせているものの基本は愉快な話であった。
    ところが後篇に入ると状況はがらりと変わる。二人がふたたび旅に出て、騒動に出会うことに同じ。しかし、前篇において騒動の震源であった彼らは、この後篇では哀れな被害者となる。後篇に登場する人々は皆、「ドン・キホーテ前篇」を読み、ドン・キホーテの妄想癖とサンチョ・パンサの調子の良さを知っている。だから二人の非常識な行動を楽しもうと、人々は策を弄し罠を仕掛け二人を騙し陥れる。二人は周囲の人々の好きなように弄られ翻弄される。もちろんドン・キホーテもサンチョ・パンサも自らが騙されていることには気づきもしない。
    ここまでくると、善良な魂を持つのはドン・キホーテとサンチョ・パンサの方ではないかとすら思えてくる。前篇でも狂気と正常との境界はごく曖昧であったが、後篇に至っては狂気と正常とは逆転してしまう。
    そして終盤、一騎討ちに敗れたドン・キホーテは失意のまま病の床につく。そこで突然彼は正気に戻り、自らの遍歴が妄想の賜物であったことに気づく。やがて自らの狂気を強く悔いながら死ぬ。あまりに哀れなドン・キホーテの最後。

    前篇後篇あわせて2500ページの長大な作品だが、読むだけの価値はある掛け値なしの傑作。日本語訳もこなれていながら格調高いし(訳の精度はわからないけど)、ドレの挿絵もいい。ほんと面白かった。

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