ダイヤモンド広場 (岩波文庫)

  • 岩波書店 (2019年8月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (290ページ) / ISBN・EAN: 9784003273913

作品紹介・あらすじ

三十以上の言語に翻訳されている、世界的によく知られた名作。現代カタルーニャ文学の至宝と言われる。スペイン内戦の混乱に翻弄されるように生きたひとりの女性の愛のゆくえを、散文詩のような美しい文体で綴る。「この作品は、私の意見では、内戦後にスペインで出版された最も美しい小説である」(G.ガルシア=マルケス)。

みんなの感想まとめ

一人の女性がスペイン内戦の混乱の中で生き抜く姿を描いた作品は、冷静かつ理知的な筆致で展開され、深い感動を呼び起こします。著者自身の亡命経験が色濃く反映されており、故郷カタルーニャへの思いが作品全体に息...

感想・レビュー・書評

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  • カタルーニャ語で書かれた小説。

    ❐カタルーニャ語(検索した)
    スペイン語(カスティーリャ語)や、フランス語と同じくラテン語を元とする言語。スペインでは、全土の公用語がスペイン語(カタルーニャ語)だが、それ以外のスペイン言語も各自治州の条例に従って州内での公用語となっている。バレンシア語、バスク語、ガリシア語 、カタルーニャ語など。

    ❐小説の背景であるスペインの情勢
    ・1923年〜1930年:プリモ・デ・リベラ独裁政権
    ・1931年:アルフォンソ十三世国外亡命。第二次共和制が始まる。
    ・1936年フランコ将軍のクーデターにより、共和国軍とフランコ軍によるスペイン内戦勃発。小説の「アラゴン戦線」が激しくなるのは1937年。
    共和国側も意見を異にして、共産党(ソ連を後ろ盾に戦争勝利を最優先)、アナキスト(革命遂行が第一)、反スターリンのマルクス主義者でさらに争っていた。最終的に主導権を握った共和党が他勢力を弾圧した。

    ===
    ナタリアはダイヤモンド広場でキメットに声をかけられる。彼はナタリアを「小鳩ちゃん」というような意味の「クルメタ」と呼び、二人は踊る。
    そして一年後、二人は結婚した。

    語り口は、ナタリア(クルメタ)のつぶやきのように流れます。
    <お母さんは何年も前に死んじゃって、わたしに何も教えてくれないし、お父さんは他の人と結婚している。お父さんは他の人と結婚しちゃってて、わたしのころばかり気にかけてくれていたお母さんはいない。お父さんは結婚しちゃってて、年端もいかないわたしはひとりぽっちでダイヤモンド広場、コーヒーポットのくじ引きを待っている。(P11)>
    <私は市場の臭いの中に入っていく。私は市場の叫び声の中に入っていく。
    (中略)
    ムール貝屋のおばさんがすくっては何杯も何杯も袋に入れていくムール貝やそのほかの貝は、真水でなんども洗ってあるのに、まだ抜けきらない海の香を当たりに振りまいている。臓物屋さんが並んでいるところからは、味気ない死の臭いがしていた。
    (中略)
    子ヤギの脚、ガラス玉みたいな目がついた子ヤギの頭、固まった血がこびりついた空の血管が通っている二つ割りの心臓、それに黒い血の塊… 内側から血が滲みでているレバーや、濡れた腸、茹でた頭なんかが鈎からぶら下がっている、臓物屋のおかみさんたちは決まって白い顔をしている。蝋みたいな。それはこういう味のない食べ物の側にあまり長くいすぎたり、動物のバラ色の肺に息を吹き込んだりしすぎているから。それがまるで罪深いことでもあるみたいに、人々に背中を向けている。
    (P88抜粋)>
    こんな感じで同じことを繰り返しつつ、つらつらスラスラと引っかかること無く語り続ける。羅列…ともちょっと違うこの瞬間瞬間の切り取りが良いリズムです。

    ナタリアはこんな身の上のためか、他人に対しても荒立てずに人生を送っていく感じ。夫になるキメットは家事職人で独り立ちしているけれども、自分が中心でナタリアを手中に入れておきたがり、女は男に従うものなんだでも家賃は折半だ、っていう男。読者としては「多分別れるか男が帰ってこないか死ぬかするだろうけど、小説だからまあ読んでいきましょうか」って思いながら読み勧めます。ナタリアは心配だけど口調は読みやすいんだよね。

    ナタリアとキメットの間には息子アントニと娘リタが生まれていた。キメットはマンションの屋上に鳩小屋を作っていた。始まりは迷い込んだ伝書鳩で、彼は鳩を飼育し売る計画を建てたのだ。鳩は次第に増えた。
    スペインは前述した通り、第二次共和制から、フランコ将軍クーデターによる内戦時代に入る。キメットの仕事が不安定になったのでナタリアは午前中だけお屋敷女中として働く。キメットは志願兵として戦場に行く(後書きによると、共和国軍の中のアナキストグループで、最終的には弾圧される側)。

    戦地にいかないナタリアたちも内戦により生活が苦しくなる。水が止まり、食糧難になり、バルセロナの爆撃、聖職者処刑、資産家の財産没収、労働者による工場管理。ナタリアを雇っていたお屋敷からも解雇され、なんとか掃除婦の仕事と、たまに戦地から帰るキメットが置いていく食料を頼るしかなかった。キメットには友達シンテットとマテオがいて、結婚してからも家族のように家に出入りして、彼らが戦争に行ってからは彼らが入れ替わり休暇でナタリアのもとを訪ねてはまた戦地に戻りという繋がりが続く。

    <私は疲れていた。死ぬほど働いているのに、なんにも前に進まないどころかじりじりと後退するばかりだった。私は人の手伝いをするばかりで、私だって少しは手伝ってほしいのに、キメットにはそれがわかっていない。誰も私のことなんて気にしてくれないし、みんなが、まるで私が人間じゃないみたいに次々と用事を言いつけてくる。(P138)>
    この言葉って愚痴で恨み事のはずなのに、呼んでいて嫌になる恨みがましさがないというのが文章としてすごいなあ。文章を読んで「大変なのは分かったけど恨み言が強すぎて読めません」という文章はあるが、こちらはそのような陰がない。

    屋上の鳩も次第に少なくなる。鳩小屋を作ったあとは次第に増えて行った。ナタリアがお屋敷女中に行っていた頃は幼い二人の子供たちが鳩を懐かせリビングに入れてまた屋上に戻すことを教えていた事もあった。そのころはナタリアは鳩の匂いから逃れられず生活のすべてが鳩・鳩・鳩に支配されていた。この頃のナタリアの抵抗は、鳩の卵を振って生まれなくすることだけ。だが内戦が激しくなり、鳩の餌はなくなり、鳩たちは死ぬか逃げた。

    ナタリアたちも食料がなくなり、仕事もなく、ついにキメットや仲間たちも死んだと聞かされる。
    ナタリアは仕方なくアントニを困窮児童保護施設に置いてくる。幼い頃は癇癪が強く妹に嫉妬をぶつけていたアントニだが、可愛らしい風貌になり、両親の留守には仲の良い兄妹となっていた。当面飢え死にすることは避けられたが、アントニも、家にいるリタも、そしてナタリアも肉体的・精神的限界が近かった。

    フランコ政権が樹立され、少しずつ街に人が戻ってきた。ナタリアもアントニを迎えに行った。だが政治姿勢の違いによる人々の心の壁は険しく一家の困窮は続いていた。ついにナタリアは無理心中を決意する。
    <私は登って行く、上へ、上へ、上へ。クルメタ、飛べ、クルメタ…喪服の飢えに白い染みみたいな顔を乗せて…上へ、うるめた、お前は後ろにこの世のすべての悲しみを引きずっている。この世の全ての悲しみとお別れするんだ、クルメタ。速く走れ。もっと速く走れ。血の小さな玉がお前の足を止めないように。捕まるな。上へ舞いあがれ。階段を上がれ、お前の屋上に向かって、お魔への鳩小屋を目指して…飛べ、クルメタ。飛べ、飛べ、丸い小さな目と、小さな鼻孔が開いたくちばしを突き出して…私は家に向かって走っていった。みんな、死んでいた。すでに死んでしまった人たちは死んでいる。生き残った人たちも死んだようなものだ。まるで殺されたかのように振る舞っている。私は階段を駆け上がった。こめかみの血管が破れそうだった。私はドアを開けた。(P200)>

    彼女を救ったのは、毒を買いに行った食料品屋の老主人だった。ナタリアのただならぬ様子に「うちで働いてほしい」と持ちかけたのだ。
    <アパートに着くと、私はそれまでめったに泣くことなんてなかったんだけど、それが当たり前のように大泣きした。(P206)>
    <立ち直るのは簡単ではなかった。でも死の穴の中から少しずつ普通の生活に戻りつつあった。子供たちはもう骨と皮ばかりでなかった。血管の色も正常な皮膚の下に隠れて薄くなっていた。稼いだお金ではなく、節約したお金で支払いが遅れた家賃を払っていった。(P210)>

    やがてそうなるかもしれないと思ったとおりに、食料品屋の老主人がナタリアに結婚を申し込む。それは「家族がほしい」という切なる願いだった。ナタリアと子供たちは食料品屋に引っ越した。

    年月が経ち、子供たちは学び、それぞれの成長を遂げていく。「幼い頃に施設にいたから家から離れたくない」というアントニ、キメットに似た気質となったリタ。
    その二人も独立した。今はご主人とナタリア二人の生活が始まる。

    この頃バルセロナは復興しつつあり新しい社会ができつつある。ナタリアは公園に言って行きあった女性に「むかし鳩を飼っていたけれどみんな逃げて行ったの」と語る。すると「気の毒な鳩オバサン」扱いされて面倒になったナタリアはもう公園を避けるようになる。なんか鳩時代は終わったんだなと思った。

    <アンリケタおばさんは、私たちにはたくさんの人生があるんだ、って言っていた。それがお互いに絡み合っているんだけど、死や結婚が時には、必ずでなくて、ほぐしてしまうことがあって、そのときこそ本当の人生は絡みつくあらゆる種類の小さな人生の糸から解き放たれて、生きることができるんだって(P260)>

    ナタリアはその早朝そっと家を抜けて昔住んでいたアパートを見に行く。崩れかけた空き家に、キメットと結婚するために入って、食料品屋のご主人と結婚するために出た住処。キメットが作った家具、鳩たちのいた場所。キメットが、その友だちが目に浮かぶ。幼いアントニやリタがいるかのようだ。そして自分が死んだあとのもっと成長した二人が。ナタリアは扉に「クルメタ」と彫り家に帰る。心配する今の主人が待つ家に。

    <一つ一つの水たまりの中に、それがどんなに小さくても空があって…小鳥がときどきその空をかき乱す…喉が乾いた小鳥がそうとは知らずにくちばしで乱してしまう水の空…木の葉っぱから稲妻のように降りてきてピーピーとうるさく鳴く小鳥たち。水たまりの中に入って、羽を逆立てて水浴びをしている。くちばしと羽で空を泥とをまぜこぜにして。嬉しそうに…(P269)>

  • 世間で「言語化」が良いことになったのは、いつごろからだったろうか。言葉にできなければ、よく考えることも伝えることもできない、だから自分の語彙で精確に言葉にするべき、という意識。そういうものから遠い人の一人称の語りはこういうものだろうか、と思いながら読んだ。自分だったらテキストで記憶する状況を、見たものの描写を積み重ねて憶えておくのだろうか、とか。

    読後感はしみじみするもので、手放しでめでたしでもないがまずはよかった、という気持ち。しかしかなりにこじんまりとした話なので、「現代カタルーニャ文学の至宝」とまで言われるのはシンプルになぜなのだろうと不思議に思った。ナタリアのような人が読んだのか、ナタリアのような女性に付き従われたい人が読んだのか。

  • なんなんだこれは最高だ。カタルーニャ版、女の一生。

  • 幼いうちに母を亡くし父と後妻からは放置されて育ったナタリアは無邪気で世間知らずな少女。ある日ダイヤモンド広場でキネットという若者と一緒に踊り、以来強引なキメットに押されるがまま婚約者ペラと別れて彼と付き合うようになる。キメットはナタリアにクルメタ(小鳩ちゃん)というあだ名をつけ、最初のうちこそ優しかったが、つきあってるうちにモラハラ言動をするように。

    おせっかいおばちゃん読者としては、そんな男とは早く別れたほうがいいよー!と思うわけですが、ナタリアはずるずる交際し結婚、意外とモラハラも悪化せず、無事子供も生まれ、しばらくはそれなりの平穏な日常が続く。しかしお金持ちの家の女中としてパート仕事をしながら子供の世話をするナタリアの疲弊も知らず、家具職人のキメットは本職がうまくいかず家で鳩の飼育を始め、さらに1936年スペイン内戦が勃発、キメットは人民軍に加わり・・・。

    舞台はスペイン、カタルーニャ地方(バルセロナ)なので、キメットのお父さんがガウディが電車に轢かれたとき現場にいたとか、デートはグエイ公園だったりとか、登場人物たちの行動範囲がわりとメジャーな観光地界隈なので風景を思い浮かべやすかった。地図もついていて親切。

    戦争、食糧難、そして愛する人たちとの死別、ナタリアはどん底を味わうが、描写が淡々としているので、比較的距離を置いて冷静に読むことができた。ただただ生きることに精いっぱいで、ナタリア自身はあまり自分の内面を人に打ち明けたりはしない。というか、自分が自分がという主張をせず、起こることをただ受け入れて引き受けていくタイプの生き方をしていく女性という印象。性格は全然違うけれどなぜか『この世界の片隅に』(ちょっと前にテレビでアニメ映画を見た、良かった)のすずさんと重なった。

    ナタリアは、若くして恋愛結婚をし(婚約者を振ってキメットを選んだわけだし)、しかし夫の友人に実は密かに心惹かれていたり、戦争で夫を失い、子供をかかえて飢餓に苦しみ、しかし年配の優しい男性と再婚、美しく成長した娘の結婚式まで見届ける。現代人の私からみたら十分に波乱万丈だけれど、ある意味この時代の女性としては万国共通の「普通」だったかもしれない。

    つまりある意味、とても平凡な女性の話ともいえるのだけど、ナタリアの感受性がとても繊細で、度々ハッとするような美しい描写がある。巻貝のくだりとか好きだったなあ。最終的にはアントニがとっても良い人で、ナタリアがちゃんと彼を愛していることに気付けて安心した。ある意味、朝ドラにできそうな普遍的な「女の半生」ものなのだけど、それをナタリアの、というか作者の感性で独特の描き方をされていて、たまに幻想味を帯びてくるのが良かった。

  • 故郷カタルーニャを追われ国外に暮らすこと40年。

    そういう半生を背負った著者が、母国カタルーニャ語で書いた小説。自身が亡命生活を送ることになった「内戦」を舞台に書いた小説でありながら、書かれ方はいたって冷静、理知的である。そのことが、言い知れぬ迫力を齎していると感じる。

    丁寧で、緻密で、ほどよく謎めいている部分も配しており、”文芸”としてそうそう巡り合うことはない水準の一冊だと思う。

    ひとりの女性の生涯を、生々しく、滋味深く描くことにおいて、こちらも滅多にはお目にかかれないレベルで、そりゃあ三十以上の言語に翻訳されるでしょう。

  • 頭を彼の背中にくっつけて、死んじゃ嫌だって思った。彼に私の考えていることを全部言いたかった。私はことばにするよりもたくさんのことを考えているんだって。ことばにすることができないことも。でも何も言わなかった。私の足が温かくなってきた。そのまま二人で寝てしまった。眠りに落ちる前、お腹を撫でているときに、おへそに出くわしたので、私は中に指をつっこんで蓋をした。彼の全部がそこから外に出てしまわないように……

  • 静かで暗い、どこか他人事かのような女性の独白
    気付かないうちにどんどん引き込まれていった

  •  訳者の「カタルーニャ語小さなことば僕の人生」からの流れ読みだ。
     なんだろう、フランコ将軍の独裁にう向かうスペインの内戦時の物語ではあるが、物語の中核をなすのはバルセロナの女性の生活、政治色はいっさい排除され、それだけに主人公の独白のなかで自ずと物語が浮かび上がってくる。
     では、その物語とは何なのだろう。それは銃後で、ひたすら戦いのイデオロギーを排したところの無垢な生活だ。著者はおそらくその「無垢」を、「鳩」として描くことで、主人公とともに、無垢な世界観を描き上げているのなだと思う。
     なるほど、確かにきれいな小説に仕上がっている。

  • カタルーニャ地方(スペイン本国から絶対独立したい)で書かれているとのことですが、特に文化的な発見はよくわからず。ある女性の一代記かな?呑気と言うかな?この街の感じ、植物の感じ、机の感じが好きだわと瑞々しく生きてる中、周囲に翻弄?される。最初の旦那は情熱的だが、釣った魚に餌は要らないタイプに感じられ、この女性でなかったら逃げ出すと思う。主人公は大人しい人柄だが、やはり全体的に民族的に血の成分が濃いなあと思う。あと、人間って物を信じてる気がした。昔の日本もそうかな?今がおかしいんだよね?

  •  いい小説だった。生きるとはこういうことなのだろう、と思わせてくれる。
     人は誰しもが自分の意思を超えた巡り合わせを持っている。環境が平穏であるかないかにかかわらず、基本的にどの一瞬においても生と死は隣り合わせであり、また、生の中にも選び取られた道と選び取られなかった道が隣り合わせにある。私たちはその隣り合わせの両方を常に持っている。そういう日々を過ごしていくのが生きるということ。そして主人公のクルメタは、生きている。ロジックとかそういうものを超えて、生きている。ルドゥレダがクルメタのことをボヴァリー夫人やアンナ・カレーニナに劣らぬくらい賢いといったのは、こういう意味だったのではないかと思う。

  • スペインの内戦が舞台となっているようですが、それは物語の背景として(重要ですが)影響されるものです。一人の女性が、結婚し、子供を産み、生活を営み、その背景に内戦という悲惨があり、それによって壊れた生活をなんとか軌道修正を行いというドラマティックな物語が、主人公の視点によって描かれています。辛いことに耐え、理不尽に疑問を感じるも、夫や子供のために耐え、何とか生活し、その中でも案じてくれる幾人かに助けられ、時に感情が崩壊し、状況に翻弄されといった、濃厚で凝縮された人生がここに描かれています。戦争というものが、生活に悲惨さをもたらすことがリアルに感じられる一方、その中でも小さい楽しみや幸せを感じること、人間らしさを失わないこと、惑いながらも人を信じてみることなど、いろいろと思い知らされました。人は前が見えない不安の中でも、不安のまま決断しなければいけないし、決断しなくても前には進むし、それを受け入れていかなければならないものであること、今の時代に生きるために読んでおくべきものなのかと感じました。

  • 何の知識も持っていないスペイン内線時代が舞台、初めて読むカタルーニャ文学だったが、儚げなのにたくましい主人公と先が気になる展開、流麗な文章ですいすい読めた。

  • 確かに、美しい小説だった。
    鳩が印象的。

  • ・ガイブンキョウクの課題になってて、仕事で行けなかったけど期日までに読み終えたー。

    ・ガルシア・マルケスが戦後でスペインで出版された最も美しい小説だと。

    ・鳩がたくさん増えた。初めて迷い込んできた雄鳩にはコーヒーと名前をつけ奥さんはマリンがと呼んでた。マリンがはブラジルのコーヒーの産地。鳩がそれからあんなに増えて、それからいなくなるなんて。家の中にまで鳩の通る道を作ってしまうなんてを鳩に乗っ取られた!鳩に嫌がらせをしてたときは頭が脳みそがどうかしてたと思う。夫のキメットはこのことを知らない。

    ・スペインの市場のいろんな臭いと叫びが印象的。こやぎの頭に濡れた腸、茹でた頭なんか。

    ・半地下のお屋敷はケチ臭く薄汚れてた。子供たちを部屋に閉じ込めておいてお屋敷にお皿を洗いにいくときにははらはらした。

    ・戦争がはじまってガスがこなくなって牛乳がこなくなって、殺されそうになって。じょじょに民兵がやってきたり銃を突きつけられたりした。

    ・とうとう横にいるリタとアントに、自分の子供をどうやったらいいのかわからないけどころしてしまおうと。塩酸を流し込もうと探し回る。なんだか悲惨。ここで教会にたどり着くとは。そして缶詰に。大泣きしたけどよかった。よくないか。

    ・繋がったはなし。クメルタの子供から大人になった話だけど途切れ途切れで白中夢のよう。

    ・最後、小鳥。喉が渇いた小鳥がそうとは知らずにくちばしで乱してしまう水の空でものがたりは締めくくられる。鳥たちはなにを表していたんだろうか。

  • 「この作品は、私の意見では、内戦後にスペインで出版された最も美しい小説である」(G.ガルシア=マルケス)

    所蔵情報
    https://keiai-media.opac.jp/opac/Holding_list/detail?rgtn=B19361

  • 原書名:LA PLAÇA DEL DIAMANT

    著者:マルセー・ルドゥレダ(Rodoreda, Mercè, 1908-1983、スペイン、小説家)
    訳者:田澤耕(1953-、横浜市、カタルーニャ語)

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