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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784003275030
みんなの感想まとめ
人間関係の複雑さや過去の影響をテーマにしたこの戯曲は、特に家族間の因縁とそれに伴う選択の難しさを描いています。登場人物たちは、それぞれの正義感や価値観に基づいて行動し、特に主役のヤルマールは、過去に縛...
感想・レビュー・書評
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『野鴨』は、ノルウェー出身のイプセンによる1884年作の戯曲。『人形の家』では女性の自立について、未来に光がさす終わり方でしたが、本作は衝撃的な結末を迎える悲劇でした。
「僕が考えているのはね、ヤルマール・エクダルの目を開けてやることなんです」そう喝破するのは、豪商ヴェルレの息子グレーゲルス。彼はその行き過ぎた正義感ゆえに、昔のある事件で父の同僚のエクダル老人が凋落するのと反対に、父の方では人生を謳歌しているのが我慢ならなかった。そして、その正義感の矛先は、エクダル老人の息子で友人でもあるヤルマールに向けられます。それは、15年も安泰に暮らしてきたヤルマール一家にとって、とても耐え難い真実でした……。
グレーゲルスの言動は、ヤルマールに真実を知ってもらい、あらゆる虚偽から解放された幸せを得て欲しいという、まさにレリング医師のいう”正義病”です。こういう相手の立場で考えられない正義を振りかざす、余計なお世話を焼きたがる人は、まったく悪びれていないのが怖いですね。ただ、この戯曲の肝心なところは、その匙が投げられたヤルマール自身が、どう気持ちに折り合いをつけるかというところです。
過去にこだわって全てを放擲するか、家族の絆を深めながら、お金も貰える未来に目を向けるか。とは言え、未来志向なんて、なかなか難しいですけどね。そんなわけで、イプセンもこのような結末を選んだのでしょう。ちょっと、舞台を見てみたいと思わせるストーリー運びでしたね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ある二家族を中心に、その間のとある因縁を巡って繰り広げられる人間模様を描いた戯曲。
時分にまつわる消せない過去をどのように受け止めるのかに関して、登場人物の対照的ともいえる反応が興味深い。これは男だから、女だからと片付けられる問題なのだろうか。 -
「人形の家」に続いてイプセン2作目。舞台という限定された空間において、数人の登場人物が演じる者だからこそ、人間心理が浮き彫りにされる。登場人物の会話といくらかの動作のみで話が進む。それが私の内面のいろいろな創造のピースを拾い上げる。しばらくは戯曲にはまりそう。
「野鴨」の舞台は貧しく、思慮深さの足りないヤルマール・エクダルの家庭である。資産家のヴェルレ家で家政婦をしていた妻と娘、そして父との4人暮らしである。決して豊かな暮らしではなかったが、娘のヘドウィグは明るく、また父をこよなく慕い、その雰囲気の中で幸せを感じながら生活をしている。しかしそこに妻の過去が暴露される事件が起こる。ヤルマールの友人である、ヴェルレ家の息子であるグレーゲルスが、正義の名のもとに、自身の父とヤルマールの妻であるギーナが不適切な関係にあり、その事実を隠すためにヤルマールと結婚させたことをヤルマール本人に伝えるのである。「真実」を知らされたヤルマールの心は千地に乱れる。グレーゲルスは真実が人間を解放する、偽りの結婚から真実の結びつきへと変わると信じていたが、思慮の足りないヤルマールは自身の結婚を偽りの結婚と決めつけ、妻に対して、ヴァルレに対して恨みを爆発させる。そしてもっとも愛していたヘドウィグさえも不倫の子ではないかと疑うことになる。
家を出て行くと心かたく決めているヤルマールを止めるには自身のもっとも大切なものをささげて、父への愛を示す必要があるとグレーゲルスにそそのかされたヘドウィグは一番大切にしていたノガモを撃とうとピストルを持って納屋に入る。まさかヘドウィグ本人がピストルを持って行ったとは思わないグレーゲルスは、ヤルマールにそんなヘドウィグの献身的な愛を伝え、ヤルマールのヘドウィグに対する愛が取り戻されたと思った矢先、ピストルの音が納屋から聞こえる。納屋には誤って自身を撃ってしまったヘドウィグが倒れていた。悲しみに暮れるエクダル一家と、真実が人間を幸福に導くと信じてやまなかったグレーゲルスの失念で幕を閉じる。
平均的な人間から虚偽を奪うと幸福も奪われてしまう、というイプセンの持論を実験的に戯曲化させたもの。しかしそんな一面的な正義で幸福が訪れるとは、現代誰も思っていないだろう。グレーゲルスは思想にかぶれた少年のようである。エクダル夫婦には愛があったのかもしれないけれど、それは慰め以上の愛ではなかったようだ。低いとか高いとか言ってもしょうがないが、夫婦がもっと信頼し合うことができていたなら、過去が知れても動揺はなかったであろうに。尊い命が奪われることもなかっただろうに。
個性の追求、尊重だけでは幸福は訪れない。これがテーマではないけど、レビューを書いていたらこんな結論に行き着てしまった。反面教師的な力作である。
J.S.バッハ「ロ短調ミサ曲」を聞きながら
14.5.29 -
不条理劇
なぜそこまで女は耐えられるのか。
情けない男を支え続けることができるのか。
私にはわからない。 -
古典戯曲ということもあり、あらすじは知っていて読み始める。ロシア戯曲の流れでいくとこうなるだろうなというように進む。
ドリアン・グレイ思い出す。 -
某Aesthetics Bitesで言及されていたので古本で買ってみた。芸術と道徳の関係というようなポッドキャストだったが、芸術は真理の正しさではなく真理の重さを理解させてくれる、というような話をしていた。イプセンの野鴨はカント的な嘘は絶対によくないという人物がある家族のもとに訪れることによって、大きな不幸が生じるという、真実と幸福の関係を描いている。このように書くとまさに「真理の重さ」は伝わらないだとう思うが。
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素晴らしい読後感であった。20世紀ではなく19世紀に書かれてたとは、ショックである。現代にも通じる家族とその交友関係が精緻に描かれている。ギリシア悲劇、シェークスピアの悲劇も想起した。宿命が鮮やかに感じた。
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あたし、イプセン好きらしい。面白い。はっきり言って、「人形の家」よりずっと面白い。
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2008/01/14
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2006夏の重版で買ったよ〜
著者プロフィール
ヘンリック・イプセンの作品
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