巫女 (岩波文庫 赤 757-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003275726

作品紹介・あらすじ

山のあばら家から老いた目でデルフォイを見下ろす一人の巫女。苛酷な運命に弄ばれ、さすらいながら神を問いただす男にむかって巫女が物語る数奇な身の上、神殿の謎、狂気の群衆、息子の正体-神とはなにか、人間とはなにか。ノーベル文学賞『バラバ』に次ぐスウェーデン文学の巨匠の、悪と崇高と愛にささげた傑作小説。

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  • 神に呪われて不死身となり、神への憎悪と絶望の中、旅を続ける男。盲目の乞食に教えられ行き着いたのは、かつて神に仕える巫女であり、神に愛されながらやがて神の怒りを買い、呪われ町を追われて山に暮らす老婆。彼女は白痴の息子と暮らしていた。

    半分以上を占める老婆の独白が、昼ドラ真っ青のドラマチックな内容だが、本筋は神の存在とは人間にとって何なのか、ということなのだろう。そのために、神が人間に与える不幸と幸福が極端な形で書かれ、それでも神は人間の運命と結びついていて、人間の心をその存在で一杯にしてしまうものである...大雑把な表現だが、そんなことを考えました。老婆の独白が終わってから起こる出来事、そして最後の男と老婆のやり取りには、何か清々しいものを感じた。

    出だしから引き込まれて、一気読みだった。男のその後を書いた「アハスヴェルスの死」という話があるらしいので、そちらも読んでみたい。

  • 神の妻になる
    悲惨さ

  • うまくは言えないけど、すごい。ただ、どうしても自分からは遠い。

  • 「神の子」から永遠の呪いを受けた男が、デルフォイの神殿を見下ろす山に住む老女を訪ねる。老女は、かつて最も神に愛された巫女だった。巫女は青年と恋に落ち平安を得るが、神は裏切りを許さず青年の命を奪う。追放された巫女は神の子を産み、白痴の息子は神秘の山から昇天する。老女は全てを眺め、男は自分の運命を理解し旅に出る。

    ペール・ラーゲルクヴィスト(Pär Fabian Lagerkvist 1891-1974)は、スウェーデンの作家・詩人。『バラバ』でノーベル文学賞を受賞。

    男が呪いを受ける相手としてキリストが登場するが、キリストに焦点を当てるわけでなく、巫女の苛烈な生を通して神とはなにかを訴えかける作品。
    「デルフォイを見下ろす山腹に建つ小さな家に、ひとりの老婆が白痴の息子と住んでいた。」という魅力的な序文から始まり、一気に読んでしまった。主人公達と何の共通点もないにも関わらず、大いに感興がわき、心を抉られた作品。出会えてよかった!

    ここで描かれる神は愛や慈悲や平安を与えてくれず、無情で残忍で悪意に満ちていることにまず衝撃を受ける。神は激しい恍惚と苦痛を与え、人間としての喜びをすべて奪い尽くす。人間は超越的な存在を愛することも憎むことも叶わないが、神の祝福からも呪いからも逃れることはできない。
    自問自答であったり、神への問いであったり、全篇を通じて主人公たちは問いかける。「人間なら、人の子にすぎぬ者ならこの安心感を許されたっていいじゃないか」と問う巫女、「いつも神は正しいんですか?」と問う男に自分も共感し、ただ「理不尽」という感覚が胸に湧き上がった。しかし、決して神から答えが与えられることはない。
    神の一面である愛と優しさを信じる平安な信仰もあるが、神が与えた運命を引き受け徹底的にその意味を問う人間は、身をもって神体験をしているのだろう。

  • デルフォイを見下ろす山の中腹の小さなあばら家に老婆と白髪まじりの白痴の息子が住んでいた。
    かつて老婆は、デルフォイの神殿の巫女であった。
    ひっそりと暮らすふたりの元へ、この土地の者ではない大柄な男が尋ねてくる。
    老婆に助言を乞いたいと言う。
    男の喋った身の上話というのは、親子3人平凡だが幸せに暮らしていたある日、処刑の丘に向かう十字架を背負った見知らぬ男が、自分の家に凭り掛かった。
    死刑囚が自分の家の壁に凭り掛るとは不吉とその男に「立ち去れ」と言うと、その死刑囚は、
    「お前がこのことを私に拒んだからには、私より重大な罪を受けるであろう決してお前は死ぬことはない。永遠にお前はこの世を彷徨い歩き、決して安らぎを見つけぬであろうよ」と言い、また十字架を背負い直して行ってしまった。
    このことがあって以来、妻子ともうまくいかなくなり、出て行かれ、自分はどうすればいいのかどうなるのか運命を訪ね歩いているが、デルフォイでは門前払いをくらい、あなたの噂を聞いて尋ねてきたと話した。
    この十字架を背負った死刑囚というのは、イエスのことをいっているのだろうが、イエスがそのようなことを言ったという想定には読者は驚愕してしまう。ともあれ、その呪縛のような言葉によって、男は妻子を失い、彷迷っているにはちがいないのである。
    男に促されて老婆は自分の人生を語り始める。
    両親と貧しいながらも平和に暮らしていた自分が、なぜか突然、巫女に選ばれ、デルフォイの神殿で暮らし始めることになった。
    巫女は地下の岩室のようなところで神に満たされ、神の御言葉を伝えるのが仕事だった。
    老婆はたちまち評判の巫女になり、長く神殿に留まることになる。
    神殿での仕事を恙無くこなしていた巫女に母親が危篤という報が入り、彼女は生家に戻り、母を見取ったあと、暫く父親の世話のためにふるさとに滞在する。
    家の近くの谷間にある聖なる泉で、巫女は片腕の男に出会い恋に落ちてしまう。
    神に身を捧げてるはずの女とそれを知らずに女を愛した男との恋は激しく燃え上がり、やがて、自分が愛した女の正体がデルフォイの現役の巫女であることに至るとふたりの愛に終焉が見え始める。
    ふたりの愛の軌跡をラーゲルクヴィストは見事に描きあげる。
    神の花嫁の巫女が人間の男と契り、それをしあわせと感じることへの神への畏怖がじわじわと男女を侵食していく。
    男との決別を決めて、デルフォイ神殿に戻った巫女のからだに異変があらわれる。彼女は妊娠したのである。
    妊娠のことも相手の男のことも人々に知られてしまい、大罪を犯したと石を投げながら神殿を追われた身重の巫女は、山羊の群がる洞穴で男の子を産み落とすが、その子はへらへらとした笑みを常にたたえる痴人だった。
    年老いてきて白髪の混じるようになった白痴の息子との日々を餘所の者の男に語っているとき、巫女のひとり息子が消えた。
    息子は果たして誰の子だったのか、そして、神とは誰なのか?終盤に近づくにつれラーゲルクヴィストの筆はますます冴えわたる。
    遠いギリシアのデルフォイのアポローン神殿や見知らぬその上架空の数奇な人生を生きた巫女であった老婆や白痴の息子の浮かべる笑みがまなうらに浮かんでは消え、老婆の横で話を聞いているのは、あたかも自分であるような錯覚に戸惑う。
    元巫女の老婆は言う。
    「ああ、そりゃあ、そうかもしれんのう。神樣に会うってことは危ないものよのう」
    すばらしい。
    ラーゲルクヴィストに触れたのは、『バラバ』がはじめてで、『バラバ』を読むきっかけになったのも、日本では馴染みの薄い北欧のノーベル賞作家に興味を持ったわけではない。
    キリストの身代わりに釈放された極悪人の死刑囚のバラバのその後を描いている作品があると知ったからだ。
    『バラバ』を読むことで、ラーゲルクヴィストという作家がバラバ以上に気になり始めた。
    スウェーデンのノーベル賞作家のラーゲルクヴィストは、83歳で死去したが、戯曲、詩も含めて作品は四十数篇しか公にしていない。
    『バラバ』は絶版又はそれに近くという現状のようなので、手に入りにくく、他の作品も文学全集類にちらほら収められてるだけのようだ。
    『巫女』は岩波文庫から2002年の末に出版されているので比較的容易に手に入るラーゲルクヴィストの唯一の本かもしれない。

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