悪魔の涎/追い求める男: 他八篇 (岩波文庫 赤 790-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003279014

感想・レビュー・書評

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  • 「続いている公園」切れ味の鋭いショートショート。
    「パリにいる若い女性に宛てた手紙」○ 本当は君のアパートに越したくなかったんだ、という私信から始まる驚愕の兎小説。金井美恵子の「兎」を何となく連想(あっちの方が強烈だが)。
    「占拠された屋敷」○ つつましく暮らす独身の兄妹に忍び寄る危機。定かに描かれない危機の正体は現代生活の不安のメタファーだろうか。
    「夜、あおむけにされて」 事故で負傷し病院に運ばれた男が朦朧とした中で見たのはアステカ族から密林に逃げ込むという悪夢だった。題材こそラテンアメリカ的だが、あくまでも素材で西欧文学でもよく見られるパターンに思える。
    「悪魔の涎」○ 写真家が公園で見かけた少年と年上の女。解説によるとコルタサルは出来のいい短篇を見事な写真になぞらえていたらしく、この小説などはまさにその一瞬を活写し想像力を喚起させてくれる。
    「追い求める男」○ 類稀な才能を持つサックスプレイヤーと友人の音楽評論家を主人公とするジャズ小説。天才だけが感じることが出来る他人と共有することの出来ない世界の表現が巧みで、その孤独感と共に鮮やかに切り取られている。また一つ音楽小説の傑作を発見した。
    「南部高速道路」○ 長く続く渋滞が起こす騒動。これも現代社会を戯画化しているように思われる。
    「正午の島」 飛行機内の勤務中に見かける小さな島に取りつかれ、行ってみることにした主人公。オチは少々意外。
    「ジョン・ハウエルへの指示」 ふと訪れた劇場のつまらない芝居に失望していたが、ひょんなことから次の幕から舞台に上がることになってしまった。これも良かった。
    「すべての火は火」 古の剣闘士と電話で会話する現代人の話が並行して語られる実験的な作品で収束していくエンディングまでの手つきがお見事。

     短篇作家ということでどの作品も完成されていて非常に質の高い短篇集。どちらかというと都会的で非常に洗練された作風。ベルギー生まれでフランスの詩人やシュルレアリスムに強く影響を受けていたためか、あまりラテンアメリカ文学っぽさは感じられず、反対に日本のあるいはよく読まれている英語圏の短篇小説作家が好きな人にも手に取りやすいのではないか。
     

  • その経歴と幻想的な作風からボルヘスとの比較は避けられないが、ボルヘスの作品では虚構が現実を侵食していくのに対して、コルタサルは現実と虚構が並列して存在し、代替可能な様に描かれているのが印象的であった。そこから生じるのは不確かさ故の不安感や寄る辺の無さであり、だからこそ「追い求める男」が求めるものは決して手に届かず、「南部高速道路」で生まれた共同体は形成された途端に瓦解する。そうした作風の原因を、南米出身でありながら半生をフランスで過ごした著者の引き裂かれたアイデンティティに求めてしまうのは蛇足だろうか。

  • コルタサルの短篇では「遠い女」のように、幻想が現実を侵食していくもの、いつの間にか視点が移り変わっていくものなど、ちょっとぞわっとさせられるところが好き。
    本短篇集では、「夜、あおむけにされて」「悪魔の涎」「正午の島」あたりが好み。

    「続いている公園」
    どこかで似たような話を読んだなと思ったら、エリック・マコーマックの「フーガ」(『隠し部屋を査察して』)だった。コルタサルのこちらが本家。

    「パリにいる若い女性に宛てた手紙」
    読んでいるこちらの喉までムズムズしてきそう。

    「悪魔の涎」
    傍観者として、街角で見かけたドラマチックな光景を写真に収めた男。
    壁に飾ったその写真、一瞬を切り取ったはずの写真が独自の時間を刻みだす。写真が窓のよう。観る者から見られるものへ。

    「南部高速道路」
    とてつもなくヘンな話なのに、最後に味わう寂しさったら。

    「正午の島」
    一瞬の間に見た幸福な幻影、なのだと思う。

  • 南部高速道路を一読したくて購入。南部高速道路では、高速道路の陥没による大渋滞という状況から、極限状態に陥った時の人間の儚さや醜さ、一方で、お互いに助け合うことで危機的状況を乗り切るという人の素晴らしさなどが描かれている。その他、タイトルとなっている、悪魔の涎、追い求める男など、全10篇が収録されている。

  • 「南部高速道路」はカッコイイな。どの短編もキュッと切なくなる瞬間があって息が苦しくなる。それが癖になる。「すべての火は火」はカッコよすぎてしみじみする隙がないくらいアクロバティック。

  • 現実と非現実の境界線が曖昧な、独特の世界観。
    読後感がふわっとしているところはボルヘスと似ているなあと思うのだが、こちらの方が後に残る感じがする。
    何となく、ボルヘスは広い世界とか運命とかを描き、コルタサルは人間の内的世界を描いているような気がする。
    と、感想までが曖昧模糊となってしまった。

    ジョン・ハウエルへの指示が印象に残っている。
    冒頭のインパクト勝ちって感じ。

  • ラテンアメリカ文学独特の難解さがあり、何だかよくわからない短編も多かったが、「南部高速道路」の奇妙な物語っぽさが面白かった。映像化したら良さそう。ジャズミュージシャンを舞台とした表題作「追い求める男」はただの架空の伝記のように感じられていまいちだった。

  •  フリオ・コルタサルの短篇10篇を収録。現実と虚構、人間の内外の境界が曖昧になり渾然となっていくこれらの作品は幻想的だが、その中であがく人間の本性や真実を描き出さんとしている点は間違いなく文学(いわゆる純文学)だと思う。
     表題作2篇の他は以下のとおり。

      「続いている公園」
      「パリにいる若い女性に宛てた手紙」
      「占拠された屋敷」
      「夜、あおむけにされて」
      「南部高速道路」
      「正午の島」
      「ジョン・ハウエルへの指示」
      「すべての火は火」

     収録作でのお気に入りは「占拠された屋敷」・「南部高速道路」・「正午の島」。

  • 幻想と現実がないまぜになった短編集。その手法と絡繰りは様々で、毎回こう来たか、となる。全編を通じて私(作者)の恐れというものを感じる。予感、恐れ、その実現。
    解説によると、コルタサルにとって科学や法則に則って記述する世界はまやかしのリアリズムである。また、悪夢やなにかに取り憑かれたとき、短編を書くことで祓えるようなものだと。
    作中の恐れはコルタサルにとってのリアルなのだろう。いずれもゾクゾクする物語だった。

  • ①文体★★★☆☆
    ②読後余韻★★★★★

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