- Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003279014
感想・レビュー・書評
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その経歴と幻想的な作風からボルヘスとの比較は避けられないが、ボルヘスの作品では虚構が現実を侵食していくのに対して、コルタサルは現実と虚構が並列して存在し、代替可能な様に描かれているのが印象的であった。そこから生じるのは不確かさ故の不安感や寄る辺の無さであり、だからこそ「追い求める男」が求めるものは決して手に届かず、「南部高速道路」で生まれた共同体は形成された途端に瓦解する。そうした作風の原因を、南米出身でありながら半生をフランスで過ごした著者の引き裂かれたアイデンティティに求めてしまうのは蛇足だろうか。
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コルタサルの短篇では「遠い女」のように、幻想が現実を侵食していくもの、いつの間にか視点が移り変わっていくものなど、ちょっとぞわっとさせられるところが好き。
本短篇集では、「夜、あおむけにされて」「悪魔の涎」「正午の島」あたりが好み。
「続いている公園」
どこかで似たような話を読んだなと思ったら、エリック・マコーマックの「フーガ」(『隠し部屋を査察して』)だった。コルタサルのこちらが本家。
「パリにいる若い女性に宛てた手紙」
読んでいるこちらの喉までムズムズしてきそう。
「悪魔の涎」
傍観者として、街角で見かけたドラマチックな光景を写真に収めた男。
壁に飾ったその写真、一瞬を切り取ったはずの写真が独自の時間を刻みだす。写真が窓のよう。観る者から見られるものへ。
「南部高速道路」
とてつもなくヘンな話なのに、最後に味わう寂しさったら。
「正午の島」
一瞬の間に見た幸福な幻影、なのだと思う。 -
「南部高速道路」はカッコイイな。どの短編もキュッと切なくなる瞬間があって息が苦しくなる。それが癖になる。「すべての火は火」はカッコよすぎてしみじみする隙がないくらいアクロバティック。
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現実と非現実の境界線が曖昧な、独特の世界観。
読後感がふわっとしているところはボルヘスと似ているなあと思うのだが、こちらの方が後に残る感じがする。
何となく、ボルヘスは広い世界とか運命とかを描き、コルタサルは人間の内的世界を描いているような気がする。
と、感想までが曖昧模糊となってしまった。
ジョン・ハウエルへの指示が印象に残っている。
冒頭のインパクト勝ちって感じ。 -
ラテンアメリカ文学独特の難解さがあり、何だかよくわからない短編も多かったが、「南部高速道路」の奇妙な物語っぽさが面白かった。映像化したら良さそう。ジャズミュージシャンを舞台とした表題作「追い求める男」はただの架空の伝記のように感じられていまいちだった。
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幻想と現実がないまぜになった短編集。その手法と絡繰りは様々で、毎回こう来たか、となる。全編を通じて私(作者)の恐れというものを感じる。予感、恐れ、その実現。
解説によると、コルタサルにとって科学や法則に則って記述する世界はまやかしのリアリズムである。また、悪夢やなにかに取り憑かれたとき、短編を書くことで祓えるようなものだと。
作中の恐れはコルタサルにとってのリアルなのだろう。いずれもゾクゾクする物語だった。 -
①文体★★★☆☆
②読後余韻★★★★★