遊戯の終わり (岩波文庫)

著者 : コルタサル
制作 : 木村 榮一 
  • 岩波書店 (2012年6月16日発売)
3.80
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  • レビュー :33
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003279021

作品紹介

肘掛け椅子に座って小説を読んでいる男が、ナイフを手にした小説中のもう一人の男に背後を襲われる「続いている公園」、意識だけが山椒魚に乗り移ってしまった男の変身譚「山椒魚」など、崩壊する日常世界を、意識下に潜む狂気と正気、夢と覚醒の不気味な緊張のうちに描きだす傑作短篇小説集。短篇の名手コルタサルの、夢と狂気の幻想譚。

遊戯の終わり (岩波文庫)の感想・レビュー・書評

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  • ★★★
    たった3ページの短編だが、最後の文で現実と異世界とが交わる。
     最初はラストが近づくと「あと数行で終わっちゃうけどどうしたいの?」と思ったら、見事に繋がった。
     / 「続いている公園」

    セーターを着ようとしたんだよ。ところが片手が出ない、しょうがないから反対の手を出したらバケモノの手になってるじゃないか!慌てて頭を通したら出ないんだよ。どこをどう絡まったんだ、どうすればいいんだ?
     セーターを着ようとしたら絡まった、でホラー短編ができる作家精神が素晴らしい。かなりコワい話のはずなんだがどことなくユーモラス。異世界はすぐそこにある。
     / 「誰も悪くない」

    喧嘩すると君は"セーヌ河に飛び込んでやる!"と言ったね。
    でも戻ってきて隣で寝ている。シーツの中の君を抱きしめる。まるで溺れるようにもがいている君を。
     / 「河」

    裏庭の蟻退治の殺虫剤散布と、少年の心の動きを書いた短編。
    / 「殺虫剤」

    ホテルの箪笥の裏に隠された開かないドア。夜な夜な聞こえるいるはずのない赤ん坊の泣き声。
     初めは気味の悪かった異世界が馴染んでみると心地よかった、とはまさにコルタサルの小説を読んでいる私なんだが(笑)
     しかし隣室の女性の言い分も聞いてあげたくなる(笑)。
    / 「いまいましいドア」

    そりゃあマエストロには感謝しているよ。この町に音楽と聴衆を作ってくれた。聴衆だって彼には熱狂している。でも今日の騒ぎはちょっと行きすぎでないか…?
    / 「バッカスの巫女たち」

    友人の考古学者は、掘り当てた彫像に取りつかれて…
    / 「キクラデス諸島の偶像」

    私たちは死なない運命なのですよ。それを知ったのは、私たちとは反対に死ぬ運命にある男にあったからですよ。
     こういう不死のテーマは、ボルヘスお気に入りの作家の誰かが書いていそうだ。
    / 「黄色い花」

    丁重かつ親密な夕食会の招待の手紙の微妙なズレ。そしてある事件を通した友情の終わり…
    / 「夕食会」

    映画を見るためにコンサートホールに入った男の目の前で演じられたのは素人集団の酷い楽想。終わってみれば笑い話なんだが、でもほんとうに起きたことなのか…?
    / 「楽団」

    チンピラ時代の友達が、殺す側と殺される側に回る。
     ここからの三作品は南米の”男らしさ”(マチスモというべきか)を競う男たちの物語。ボルヘスもこのような作風はお得意ですね。
    / 「旧友」

    ヤクザ仲間が殺され、復讐のために犯人を捜し出す男たちだが…
    / 「動機」

    老ボクサーの独白。
    / 「牡牛」


    男は自分の水死体の夢を見る。
    月の光を受け、あおむけになったまま流されていく僕の水死体を砂州や葦原がみるはずだ。
    / 「水底譚」

    あのこを散歩に連れて行けと言われたんだ。
    / 「昼食のあと」

    ぼくは人間だった。水槽の外から山椒魚を眺めていた。でも今は山椒魚だ。水槽の中からぼくを見ている。
     いきなり「今では、そのぼくが山椒魚になっている」と言われたら「え??…ああ、わかりました」としか言えない(笑)。”ぼく”というのが人間としての一人称だったり山椒魚としての一人称だったりうまく入り交っている。
    / 「山椒魚」

    交通事故にあった男が、入院中の病室で夜な夜な見る悪夢。
     これは嫌だ、本当に嫌だ、絶対嫌だ。現実が異世界に侵食される短編の中でも一番嫌だ~と感じる。ネットリした空気感、ジャングルの匂い、身を潜める男の息遣いまで感じる、追いつめられる焦燥感がたまらない。
    / 「夜あおむけにされて」

    三人の少女のお楽しみ。それは家の裏を通る列車の時間に合わせて彫刻ごっこをすること。ある日男子生徒から手紙が投げられたことが、彼女たちの少女時代の終わりのきっかけだった。
     これは心に残る短編。自分の障害さえ笑いに変えていた少女たちの青春が終わり大人になる数日間。冒頭の無邪気な大騒ぎは映像が目に浮かぶし、それが何かを得て何かを失っていく心理描写がなんとも心に残る。
    / 「遊戯の終わり」
    ★★★

    後書きで描かれている言葉。
    自分は悪夢を見ると、とりつかれたようになってどうしても頭から振り払えなくなる、それを払いのけるために短編を書いている、つまり、ぼくにとって短編を書くというのは一種の≪悪魔祓いの儀式≫なのです。

    悪夢を払うのはもっと強烈な悪夢なのか。似たようなことはガルシア・マルケスやイザベル・アジェンデも言っていました。

    本を読んでいると「この作品は作者に憑りついている物を祓う行為だろうな」と思うことってありますよね。

  • 「山椒魚」と「夜、あおむけにされて」は、いずれも「悪魔の涎」と同じく、主人公の視点が最後で転換(どんでん返しとはちょっと違う)してしまい、主体(見る側)と客体(見られる側)が一瞬にして入れ替わってしまう感覚が衝撃的でした。生きながら自分の生まれ変わりに出会う「黄色い花」、読んでいた小説と現実がメビウスリングのように繋がってしまう「続いている公園」、セーターを着ようとしただけなのに不条理な事態に陥るカフカ的な「誰も悪くない」、悪夢的な「水底譚」や「河」、偶然発掘した偶像に魅せられて狂気に伝染していく「キクラデス諸島の偶像」や、音楽に感動した聴衆の狂騒が恐ろしい「バッカスの巫女たち」、どれも日常と非日常の境界がふと曖昧になって、あちら側へすべりこんでしまう瞬間を捉えていて、独特の余韻が残ります。

  • 学生の頃に国書刊行会版を読んで以来だから、15年ぶりぐらいに読んだけど、破壊力がより増している感じがする。
    こんなに面白かったっけ?

    なにより「山椒魚」が白眉。
    描写することが対象に没入することと同義であり、ついには語り手がその対象自体に「変身」してしまうという徹底ぶり。論理的かつ官能的。語り手たるもの、すべからくこうでなければいけない。

  •  18編の短編を収めた短編集。
     やはりコルタサルの短編はずば抜けて面白い。
     日常の中に出現する非日常を描いたり、繊細な幼少時代の移ろいゆく心情を描いたり(「殺虫剤」は出色の出来だと思う)、後期ボルヘスのように、酒場にたむろしているようなチンピラを描いたり、結構色とりどりの内容になっている。
    「南部高速道路」に似た感じの「バッカスの巫女たち」(もちろん、状況も話も全然違うが、漂ってくる香りがそっくり)や話自体はベタなんだけど、書き方が秀逸で何度読んでも感心させられる「夜、あおむけにされて」、視点の移動の微妙さが「秘密の武器」を思いださせる「山椒魚」。
     しょっぱなに収められている「続いている公園」は「悪魔の涎」と兄弟関係にあるような作品だし、「誰も悪くはない」などは、ひとつ間違えればドリフのコントのようになってしまいそうな、それでも心底恐ろしい話になっている。
     ちなみに「山椒魚」となっているけれど、作品を読む限り「ウーパールーパー」みたいな両生類を思いだす。
     18編というヴォリュームなので、個人的に少し物足りない作品があったのも事実だが、やはりこの人の短編集は極上です。

  • 正直、「なんじゃこりゃ」って思うものと「おお、スゴイ」ってものが入り混じっていた。「スゴイ」の方は本当に面白かったんだけど、それ以外は読むのが苦痛になるものもあり…こういう作家の短編集にはそれも仕方なしかなと。
    以下面白かったもの。
    『続いている公園』『誰も悪くない』『いまいましいドア』『キクラデス諸島の偶像』『夕食会』『昼食のあと』『夜、あおむけにされて』『遊戯の終わり』
    とくに『続いている公園』はスゴイ。メビウスの輪を思い出させる不思議な小説(わずか3ページ弱なのに!)

  • 「続いている公園」…うわぁ…メビウスの輪だ…!
    「誰も悪くはない」…最後何?どうしてそうなった!?
    「河」…この短編集怖い話しか入ってないのかな…。
    「殺虫剤」…前三作の流れからして、絶対に殺虫剤で子供が死ぬ展開だと思った。
    「いまいましいドア」…これはあまり怖くなかった。夜眠れない話けっこう好きなんだな。
    「バッカスの巫女たち」…とんでもない狂乱。ビートルズ来日公演で失神した女の子たちもこんな風に酔っていたのだろうか。
    「キクラデス諸島の偶像」…これテレーズとソモーサはデキてた?
    「黄色い花」…最後の「ぼくは勘定を払った。」がいい。
    「夕食会」…政治の話はよく分からない。
    「楽団」…現実がまやかしだと気づき、脱サラして外遊に出る青年。冒頭の「似たような出来事がもとで亡くなった」というのが気になる。
    「旧友」、「動機」…犯罪が日常である空気を感じる。
    「牡牛」…相撲や柔道は好きなんだが、ボクシングやプロレスは嫌いなんだな…。どうも馴染めない。
    「水底譚」…こわい。
    「昼食のあと」…これと「殺虫剤」、「遊戯の終わり」のように子ども視点の話が一番安心して読めた。
    「山椒魚」…人間以外に限らずとも、自分以外の生き物の目に世界がどう見えているのかは常に興味のある事柄である。
    「夜、あおむけにされて」…やっぱり眠りや夢のモチーフが出てくる作品が好きなんだな。これも怖いけど、この短編集の中で一番よくわかるし好きだ。怖い夢から覚めたくて目を閉じるのだけど覚めなかったり、せっかく覚めたのに寝始めたらまた夢の続きだったり。
    「遊戯の終わり」…アリエル…なんで?程度の低い一目ぼれに過ぎなかったのか?

  • 子供の風景、ならず者やボクサーの独白、世界が悪夢に反転する幻想譚など、毛色の違う短編群で構成された短編集。「あちら側」と「こちら側」を滑らかにつなぐ話がコルタサルらしく際立っており、緊張感のある硬質な文章がとてもよく合っている。

    「河」「山椒魚」「夜、あおむけにされて」が特に好きだが、「山椒魚」の、世界が反転した後にも向こう側に自分がいるという構造が、ほかの作品の「入れ替わる」「反復する」悪夢にもうひとひねり加わっている感じでひときわ面白い。

    「誰も悪くはない」「バッカスの巫女たち」の嫌だけどくすっとしてしまう展開も、筒井康隆っぽくて楽しかった。

  • 奇妙でグラグラと揺れる現実と虚構。読みやすくさらりとした文章ながら不思議な手触りでうまく掴めない。そこもまた、味で醍醐味ではあるのだけれど。

  • 1 (続いている公園;誰も悪くはない;河;殺虫剤;いまいましいドア;バッカスの巫女たち)
    2 (キクラデス諸島の偶像;黄色い花;夕食会;楽団;旧友;動機;牡牛)
    3 (水底譚;昼食のあと;山椒魚;夜、あおむけにされて;遊戯の終わり)

  • 独特な不気味さで迫り来る短篇18篇。

    恐ろしげな「殺虫剤」と熱狂からカオスに包まれる「バッカスの巫女」、グレゴールザムザもびっくり「山椒魚」、青春の哀しさあふれる「遊戯の終わり」が好み。

    独裁的な大佐とかでてこないけれど、これもラテンアメリカ文学、これがコルタサルかあ。

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