秘密の武器 (岩波文庫)

  • 岩波書店 (2012年7月18日発売)
3.67
  • (6)
  • (14)
  • (14)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 257
感想 : 19
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784003279038

みんなの感想まとめ

テーマは、内面の葛藤や人間関係に潜む不安と恐怖を描いた短編集で、特に「憑依」や「強迫観念」といった要素が作品全体に漂っています。舞台はパリで、作者の長い生活が反映された独特の雰囲気が魅力です。物語は、...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 20世紀アルゼンチンの作家コルタサル(1914-1984)の第三短篇集。1959年。

    コルタサルとともにラテンアメリカ文学ブームを担ったアルゼンチンの作家ボルヘスは、夢、無意識、狂気を人間の外部にあるヨリ大きな何か(《永遠客体》)へ通じる秘密の抜け穴のようなものとして捉えて、人間を、人間のスケールを超えて時間的にも空間的にも遠くに高まっていく「高度」においてついに解消させてしまうようなところがある。逆にコルタサルは、夢、無意識、狂気から出発して人間の内部に沈潜していき、その内奥において見出される何かを通して、日常とは異なる、世界の別の姿を現出させることを企てているように感じられる。その意味では、コルタサルはボルヘスよりもフロイトに近い。

    「十八世紀の哲学的、科学的楽観主義によれば、この世界はさまざまな法則、原理、原因と結果の関係、きわめて明確な心理学、きちんと作成された地勢図といったものの体系によって、多少とも調和のとれた形で支配されているとのことだが、一切がそうした世界の中で記述し、説明することができると思い込んでいるのが、僕のいうまやかしのリアリズムである。僕自身は、それよりももっと秘めやかで伝え難い秩序があるのではないかと考えている。また、アルフレッド・ジャリは真に現実を研究しようとすれば、法則ではなく、それから外れた例外に目を向けなければならないと言っているが、この発見は真に実り多いものである。僕はあまりにも無邪気なすべてのリアリズムからかけ離れたところで文学を追求してきたが、その僕を導いてくれたのが先に述べた別の秩序であり、アルフレッド・ジャリの発見だったのである。」(『コルタサル短篇集 悪魔の涎・追い求める男 他八篇』岩波文庫p294-295)

    コルタサルは、「まやかしのリアリズム」「あまりにも無邪気なリアリズム」とは別の世界の姿を言語で構築するために、どのような手段に打って出るのか。

    そもそも理性にとって秩序とは、事象が区別され、序列づけられ、順序に従って排列されていることである。近代的な「リアリズム」の秩序を根底で支えている観念は、時間の連続性(順序が保たれているということ)と意識の連続性(同一性が保たれているということ)だろう。つまり、ニュートン力学的世界観とデカルト以降の自己意識の哲学だ。ここでの連続性とは、変化が順を追って起こり、かつ変化の程度が漸進的であることをいう。時間と意識の連続性は、互いに相即的だ。近代的な「リアリズム」の世界像を揺るがせたいのなら、この連続性を撹乱してしまえばいい。

    そこで言語が役割を果たす。言語それ自体は、線形に排列されるが、言語によって構築される世界の像は、いくらでも不連続なものになりうる。収録されている作品の中でコルタサルがさまざまな試みをしているとおり、言語によって構築される世界において、時間の流れは複線化し、多方向になり、逆行し、屈折し、折り重なり、断線し、飛躍し、意識は同一律を逃れ、誰かのもとへ乗り移り、誰かのものが乗り入れてきて、もはや「誰か」の意識であるとは名指しできない渾然とした何者かになってしまう。

    言語は、一見すると厳密な論理に従って事象を整序しているようでいて、実は極めて信用ならない代物であるといえる。ここに、コルタサルのような実験的な(「あまりにも無邪気なすべてのリアリズムからかけ離れた」)文学の可能性が開かれることになる。

    「うまく言えないが、音楽はおれを時間の外へ連れ出してくれたんだ。いや、むしろ音楽が、おれを時間の中に引きずり込んだと言ったほうがいいかもしれない。だが、おれのいう時間ってのは、つまり……言ってみれば、おれたちとは何の関係もない時間なんだ」(「追い求める男」p149)

    「なあ、ブルーノ、地下鉄に乗っている時だとか、演奏している時に時間が変化するんだが、あんな感じでずっと生きていけないだろうか? 一分半の間に何が起こるかも分かるだろうし……その時、おれはひとりの人間であって、しかも同時にあいつやきみや若い連中でもあるんだ。誰だってその気になれば、何百年も生きられるはずだ。その方法さえ分かれば、今の何千倍もの人生を生きることができるはずだ。ただ、時計や、何分だとあさってだとか、そういったことにこだわるものだから、生きる意味を見失ってしまって……」(同上p161)

  • アルゼンチンの作家コルタサルの第三短編集、
    全5編で、作品の舞台は作者が長く暮らしたパリ。
    解説によれば、
    収録作はいずれもコルタサル本人の内面の問題
    ――心を占拠し、振り払おうとしてもこびりついて
    落ちない何かを言語化し、
    自身から切り離そうと試みて得られた生成物、らしい。

    以下、個人的にグッと惹きつけられた2編について。
    いずれもある種の「憑依(posession)」
    もしくは「強迫観念(obsession)」を描出している。

    「母の手紙」
     不器用な兄ニーコと、
     その想い人ラウラの間に割り込んで
     彼女を奪った弟ルイス。
     ルイスとラウラは結婚してブエノスアイレスを離れ、
     パリで暮らしていたが、
     ルイスの母からの便りに苦しめられる……。
     母は単に日常の些細な出来事を伝えていただけだが、
     無意識下の悪意の発露か、はたまた、
     読む側の罪悪感のためか、
     手紙の中のちょっとした書き間違いによって
     「死者が蘇ってしまう」恐怖。

    「秘密の武器」
     23歳のピエールは同い年のミシェルと交際している。
     仲睦まじい彼らだが、
     ピエールは関係がなかなか発展しないことに焦れている。
     手を握ったりキスしたりしながら、
     一線を越える決心がつかないらしいミシェル……
     という具合に、
     表層はくすぐったいような微笑ましい流れに見えるが、
     二人の友人の言葉を拾ってみると、
     不穏な影が浮かび上がる。
     ミシェルはかつて自分を苦しめた者の残像が
     時折ピエールの面影や言動と二重写しになるため、
     彼を恐れているのだった。
     ピエールの人格が分裂しているのか、
     それとも何かが彼に憑りついているのか?
     ボルヘスが「本来別個のものであるはずの二者の合一」
     を描くと、「不死の人」のように
     清潔なエロティシズムを孕んだ物語になったが、
     こちらは現実に起こり得そうな
     不気味(unheimlich)な事件。

  • ずっと田舎から出たことのない人間(自分)が、都会から来た洒落た人間(作者)の醸し出す粋な雰囲気に驚嘆し羨望しうまく消化できずに、いぶしたまま焦がれている。びっくらするほど主要人物の身のこなし会話考えが洗練されている。はあはあ。チャーリーパーカーの自伝以外は彼の持ち味である、現実か幻想かあいまいな世界で溺れる、他者を必要としてないこじらせであり、物語はくっきりしてないので、彼の提供する魔力にとりつかれない限りは、もて余す類の本だと思う。真夏にアブラゼミの大合唱の中にいると気が狂いそうになる。そういう感じ。

  •  たぶん初・ラテンアメリカ文学! ひゃっふー!
     全体的によう分からんところが多かったが、不思議とつまらないものを読んだ気がしなかった。
     あと書き出しがイケてる。

    ■母の手紙
    「仮釈放とはちょうどこういう状態を言うのだろう。」
     母が手紙で死んだ兄貴がパリにやってくると書いてて、そしたら兄貴に似てるっぽい人に嫁(※兄貴の元恋人)が会いに行ったっぽいけど、似てたかといえばそうでもないっぽい、そんな話っぽい。
     どこまでも「っぽい」話だった。
     徐々に徐々に明らかになっていく夫婦の事情がそこはかとなく不気味。

    ■女中勤め
     上流階級の人間が下流の人間の頬を札束でひっぱたくような話。フランシネ夫人の心の底からの悲しみは踏みにじられている。
     なんとなく、モーパッサンの『脂肪のかたまり』や芥川龍之介の『芋粥』を思い出した。

    ■悪魔の涎
     世にも奇妙な物語チックな、この中ではかなり分かりやすい部類のお話だったかな。

    ■追い求める男
     訳者いわく「時間の外の世界」を求めて格闘する天才サックスプレイヤー(ただし重度の麻薬中毒者である)なジョニーと、そんな彼に密かな劣等感を抱く評論家のブルーノ。
     ジョニーはてんで滅茶苦茶だが、彼の言っていることを理解できない自分もブルーノと同じような気分になる。麻薬中毒者の戯事と聞き流せない不思議。
     文章家は音楽家に対して少なからずこんな気持ちを抱くんじゃないだろうか。文章で書いた音楽は、どうがんばっても欠落する。生の音楽を、デジタルが完全に再現できないように。
     ジョニーが死んで、ブルーノが得た平穏は後ろ暗い。

    ■秘密の武器
    「ベッドを整えるというのが単にベッドを整えることでしかなく、握手をするというのがつねに相手の手を握ることであり、鰯のかん詰を開けるというのが同じ鰯のかん詰を無限に開け続けることである、一般にはそう信じられているようだが、考えてみればおかしなことだ。」
     これも、世にも奇妙な物語っぽい話。昔彼女を虐待した男の霊っぽい何かに取り付かれた男の話っていうか……解説を読んでも、他に解釈のしようがあるんじゃないかと疑ってしまうわ。

    原題:LAS ARMAS SECRETAS

  • 形而上学的な深みと内省的な遊戯

    フリオ・コルタサルの『秘密の武器』は、読者になにが起きたのかを自ら解き明かさせる、謎に満ちた5篇の短篇集。全体を通して、過去の影が絶えず忍び寄り、不確実性を孕んだ内省的な遊戯が展開される。

    表題作「秘密の武器」
    性的虐待と性格劇という、二つの重いテーマを巡る物語では、繰り返されるフレーズや場面、そして妄想的な描写が、読者に不安と緊張感をもたらす。過去が常に潜在的に存在するという結末は、まさに現実の曖昧さと人間の内面の複雑さを象徴している。

    「母の手紙」
    母親からの一連の不可解な手紙が、複雑な家族関係を浮かび上がらせる。そこでは、死者が象徴的に生き返り、運命を左右する行動へと導かれるという、後悔と希望が交錯する物語が展開される。

    「女中勤め」
    パリのブルジョワ社会における虚偽と、その裏に隠された真実——嘘がどのように表現され、言外に示される真実がどのように迫るのか。虚飾に満ちた社会の表層を剥ぎ取り、見えざる真実を浮かび上がらせる。

    「悪魔の涎」
    想像力豊かな写真家の証言と、カメラレンズの冷たく厳しい描写が交錯する物語。語り手の推測と、写真に捉えられたイメージの境界が曖昧になり、さまざまな解釈を生み出す。その曖昧さこそが、コルタサルならではの魅力。

    「追い求める男」
    ジャズ・サックス奏者の伝記に尽力する作家の内省的な物語。語り手の親密なストーリーテリングを通じて、読者は二人の意識に触れることができるのだが、奏者が追い求める超越的な現実——直感に従う即興の世界へは、決して完全に足を踏み入れることはできない。チャーリー・パーカーの伝記から着想を得たこの物語は、無分別な人生の悲劇的な終焉をも暗示している。

    すべての物語は、なにが起きたのか明確に語られることなく、読者自身がその結び目を解くよう求められる。コルタサルの独創性は、内省的な遊戯を通して不確実性を生み出し、読者に深い余韻と考察の余地を残す。

    鮮やかな手並みに虜となりました。コルタサル、恐るべし!

  • 2012-9-3

  •  五つの短編を集めた短編集。
     うち「悪魔の涎」と「追い求める男」は別の短編集ですでに読んでいたので、再読となる。
    「悪魔の涎」は内容をすでに知っている状態で読むと、やはり面白みは減少する。
     ちなみに映画「欲望」の元になったのがこの「悪魔の涎」。
     この映画、観てはいるのだが、ジェフ・ベックとジミー・ペイジのツイン・リード・ギタリストを配したヤード・バーズの演奏シーンのみを目当てとして観たため、筋は殆ど覚えていない(汗)。
    「追い求める男」は何度読んでも面白い。
     まさに時間を忘れて読みふけってしまう。
     この「追い求める男」はチャーリー・パーカーの伝記を史実になぞって書かれているとのこと。
    「追い求める男」以上に面白く読めたのが「秘密の武器」。
     最初は何が起こっているのか曖昧模糊としているが、決して楽観視できない、不安で、不穏で、どことなく嫌な空気が充満した状況で話が進む。
     そして最後になって、この不可解な状況が明白になると「そういうことだったのか!」と謎が明かされ、目の前が急に開ける。
     ただし、その開かれた世界も決して楽しいものではない。
     内容としては、割と既視感を覚えるものなのだが、こういう書き方、こういう手法で作品を構築していたのか! という驚きは隠しきれなかった。
     僕以上に本を読んでいる方も多くいるだろうし、そういう方からみれば「こんな手法だってありふれているよ」と言われそうだが、僕にとってはまさに「目からうろこ」だった。
     もし、これから読まれる方がいらっしゃるとしたら「作品内の語り手の視点に注意して読むと面白いかも」とアドヴァイスできると思う。
     作中人物本人なのか、本人に寄り添っているもう一人の本人(あるいは別人)なのか、「ぼく」として語られているのか、あるいは「ぼくたち」として語られているのか……。
     残りの二編「母の手紙」「女中勤め」も面白かったのだが、他の三篇と比べると僕にとっては少し弱かった。
     よって星は四つ。

  • 「母の手紙」
    会話に現れないことが対話の中心を占めているというのは、よくあること。
    デリケートな遣り取りを通じて、主人公は最終的に帰れない地点に来ている。
    空恐ろしい。

    「女中勤め」
    これは正直にいえばよくわからず。

    「悪魔の涎」
    既読。

    「追い求める男」
    既読。

    「秘密の武器」
    主人公の精神の揺らぎが、はじめは何なのかわからず。
    未来視なのか過去の亡霊なのか、と。もちろん終盤に明かされる。
    こういう語りの技術が生き生きする作品のほうが好きだ。
    不穏な雰囲気を文章でどうやって出せるのだろう。

  • 『遊戯の終わり』のレビューでも同じことを書いた。ベストセレクションと言える『悪魔の涎・追い求める男〜コルタサル短編集』と比較すると(「悪魔の涎」と「追い求める男」がかぶっているため、そのほかの収録作品で比較すると)、やや落ちるか…。
    本書の中で私の気に入りは「女中勤め」。文句なく一番面白い。次に「秘密の武器」だけれども、読了直後あまり好印象のなかった「母の手紙」は、このレビューを書くために思い出してみるとじつは結構薄気味悪いと気づく。
    スルメちゃん。

  • 不思議な短編五編からなる短編集。

    反復される内省的な記述や地の文への主観の混ぜ込み方が、
    自分にはややわざとらしく感じられ、
    大はまりするには至りませんでしたが、
    それでも、作家のポテンシャルを感じさせるに十分な内容でした。
    括弧書きを多用するより、安部公房風の表現にしたら合いそう。

    アルゼンチンの作家らしいのですが、
    舞台のほとんどが欧米ということもあり、
    あまりそういう印象はなかったですね。
    むしろ表現のすっきりしたポーとか、そんな感じの作風です。

    まぁ、でもこの一冊だけだと、
    ポテンシャルは高そうとしか思えなかったので、
    いずれもう一冊読んでみたいですね.

  • よくわからない不安や怖れがあとに残る短編集だが、嫌な感じではない。
    「追い求める男」が一番好き。「秘密の武器」や「悪魔の涎」も良かった。コルタサル他のも読もう。

  • 新着図書コーナー展示は、2週間です。
    通常の配架場所は、1階文庫本コーナー 請求記号:963//C88

  • 2012/10/7購入

  • 表題作の「秘密の武器」は、なんとも表現しがたい不気味なサスペンス。個人的には「悪魔の涎」が面白かった。主人公の視点が最後で転換(どんでん返しとはちょっと違う)してしまい、主体(見る側)と客体(見られる側)が一瞬にして入れ替わってしまう感覚が衝撃的。不勉強につき、この作品がアントニオーニの映画「欲望(ブロウアップ)」の元ネタだったとは知りませんでした。

  • 銀座の教文館で買いました。
    (2012年7月24日)

    新大阪から品川に向かう新幹線の中で読み始めました。
    (2014年5月3日)

    新大阪から品川に向かう新幹線の中で読み終えました。
    (2014年8月10日)

  • 近頃、南米の名作がどんどん文庫化されて嬉しい!

    岩波書店のPR
    「悪夢、幻想、狂気――本書は言語化されたコルタサル自身のオブセッションであり、読む者をその妖しい魔力で呪縛して読後に烈しい恐怖と戦慄をもたらす、不気味で完璧なオニリスムの結晶である。幻想小説の至高点を求め続けた短篇の名手コルタサルの、その転換期の傑作「追い求める男」ほかに、息詰まるような緊張感をはらんで展開する四短篇を収録。 」

全16件中 1 - 16件を表示

フリオ・コルタサルの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×