ペドロ・パラモ (岩波文庫 赤791-1)

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  • 岩波書店 (1992年10月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (223ページ) / ISBN・EAN: 9784003279113

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

死者と生者が交錯する幻想的な町を舞台に、主人公が冷酷な父・ペドロ・パラモを探す物語が描かれています。過去と現在が交わり、町の風景や人々の姿が詩的に表現され、メキシコ社会の深い悲しみや暴力が浮き彫りにさ...

感想・レビュー・書評

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  • 顔も知らない父親、ペドロ・パラモを探しに来たファン・プレシアドがたどり着いたのは生者と死者の交わる町だった。町をさ迷ううちにファン・プレシアドも息絶え、墓の中で死者たちは囁き続ける。
    ペドロは冷酷な地主だった。町は発展するが、ペドロが唯一欲したのは、幼馴染のスサナだけだった。30年ぶりに再会したスサナは精神に異常をきたし、父親とは近親相姦にあった。スサナを手に入れたペドロだが、二人はまともに言葉を交わすことも出来ない。スサナの死後ペドロは町を荒むに任せる。数年後、ペドロの私生児の一人がペドロを殺す。ペドロは乾いた石の様に大地に倒れ、その数年後、ファン・プレシアドがペドロを探しに町へやってくる…
    ===

    文学の凄さが伝わってくる傑作です。過去と現在が交わり死者と生者が語らう幻想的な筆運びの中にメキシコ社会が見えてくる作品。作者のルルフォはメキシコ革命の混乱で土地と家族を焼かれ、生涯2冊の本しか残していませんが、その2冊をして史上最高の作家。

  • ラテンアメリカ文学に興味を持ち、手に取る。
    父のいた街を訪れた主人公が、死者と会話していく物語。

    難解で、一読しただけでは正直理解できなかった。
    巻末の解説を読み、話の筋をやっと理解できる状況。
    それでも文字を追っているだけでも心地よい感覚はある。
    自分にとっては、何度も読み直さないと、味わえない作品だった。
    少し時間をおいてまた開きたい。

  • 雨が降った後の湿った土の匂いのする小説だった。その土の下にみんな眠っているのだけど、わりと自由に?出歩いているようで…。
    人口密集地に住んでいるとちょっと想像しにくいのだが、日本でも過疎地で暮らしたことがある人にはわかる感覚じゃないかなと思う。以前は人々の生活の音が響いていた集落からだんだんと人が離れて行き、かつての気配だけが残っている。過疎の山里でたくさんのかかしを作っている人がいるけれど、その人もやはり気配の残響を追っているのだと思う。
    メキシコの死者のお祭りってすごく明るいイメージがあるのだが、この小説の死者はなんだかみんな辛かった現世に囚われて死んだ後も成仏できてない感がひしひしと…。「生きるってことだけで、もういいかげん苦しいんだから、死んだら別の世界に行けると思うからこそ、足を動かす力も湧いてくるってもんだろう。」しかし死んでも別の世界には行けないんだな…。そして亡者の街が出来上がっている。
    雰囲気としては「アブサロム!アブサロム!」×「ペドロ・パラモ」≒「百年の孤独」+「予告された殺人の記録」という感じかな?降り続く雨や、口に土を含む、不眠症、近親相姦などなど、共通のモチーフがたくさん見つかって面白かった。
    完結しない堂々巡りのマゾ文学。人は永遠に苦しみ続けるのか。

  • 亡き母との約束を守るため、顔も知らない生き別れの父を探す青年が辿り着いたのは、ひとけのないゴーストタウンだった。女たちのささめきに導かれがらんどうの町をさまよう青年の父探しと、父ペドロ・パラモが町を支配していたころの記憶が交錯し、地上の煉獄のように死者が留まり続ける円環的な世界を描いたメキシコの名作。


    マリアーナ・エンリケスやベンハミン・ラバトゥッツを通して南米面白い!となっていたところに、ネトフリで本書の実写版映画(2024)を発見してそちらを先に見た。眩い太陽の下でゴーストタウンと化した20世紀のメキシコの町が美しく、女性たちの演技も印象的で、これは原作も好きな気がする、とすぐに注文した。
    これが本当に素晴らしく私の好みにバッチリで、なんで今まで出会えなかったのか不思議になってくるくらい。スペイン語圏の作家・批評家のあいだでは『百年の孤独』と並び評され、名作として名高いのだそうだ。
    母の語りだけを頼りにやってきた青年フアンの足取りと彼の父だったペドロの記憶が混じり合いながら断片的に語られていくのだが、次第に彼らだけではなく、エドゥビヘス、ダミアナ、ドロテアら女たちの声、フルゴルやレンテリア神父のようなペドロに反発しながら屈服した男たちの声が重なり合い、こだまし合って、コマラという町に封じ込められた時が迷宮のように立ち現れてくる。小説家には目がいい人や空間把握が優れている人などがいるが、ルルフォは耳のいい人だったんだと思う。死者のささめきだけがこだまする町で再演され続ける在りし日々の記憶。それはレンテリア神父の矛盾と苦悩が象徴するように、カトリシズムとメキシコの風土との混淆のうちに捏ね上げられた白日の下の煉獄のようだ。
    そしてコマラとメディア・ルナというペドロの領地から離れた女たちの声が、その煉獄にまた異なる彩りを添える。前半はフアンに語りかける生前の母・ドロレスの声。後半はペドロによってコマラに呼び戻されながら、夫との幸福な日々の夢想に浸りきるスサナの声。フアンを妊娠中にペドロと離別したドロレスは死に際にコマラの美しさを語り聞かせる一方、スサナは父母の記憶を除いてコマラの外で過ごした記憶に生き、コマラに閉じ込められた肉体のほうの生活はもはや顧みない。スサナとの思い出を抱えてコマラを牛耳り、彼女との再会を夢みて生きてきたペドロとの対比が残酷に描きだされる。
    タイトルは『ペドロ・パラモ』だが、むしろ彼の強権的な力に踏みにじられながら生き延びてきた者たちの視点で書かれている。地上の経済と天界の崇高との板挟みで苦しんでいるレンテリア神父が残酷に切り離し、見捨てた者たちのことも。フアンに水や食べ物を与えてくれる女が近親相姦をしているというエピソードは強烈に印象付けられるが、彼らの姿から直接描かれることのないスサナと父の関係をも窺い知れるし、スサナがレンテリア神父に最期まで心を開かなかった意味も察することができる。誰のための祈りなのか、何のための告解なのか。かつて神父に拒絶され、フアンと同じ墓を分け合うことになったドロテアはこう語る。
    「生きるってことだけで、もういいかげん苦しいんだから、死んだら別の世界へ行けると思うからこそ、足を動かす力も湧いてくるってもんだろう。天国から門前払いを食わされちゃあ、あとは地獄の門をくぐるしかない。それじゃあ生まれてこなけりゃよかったってことになる……。なあ、フアン・プレシアド、わしにとっての天国はここさ。わしが今いるここだよ」。
    語り手すらも既に死者となった世界で円環的に閉じた土地の記憶が語られるという構造は、かつて読んだフリオ・リャマサーレスの『黄色い雨』を思いださせる。きっとリャマサーレスもスペイン語圏作家としてルルフォの影響を受けているのだろう。『黄色い雨』はタイトルが示す通り腐食を象徴する黄色と緑の視覚的イメージが強烈だったが、この『ペドロ・パラモ』に満ちるのはひたすらに声、声、声。生者としては発せられることのなかった、魂のこだまとしての声ばかりである。

  • 初読は高校の課題図書。

    メキシコの片田舎、父を探して主人公がたどり着いたのは死者の町だった・・・といった話なのだがストーリーは当時全く意味不明。ただ、砂ぼこり舞う真っ白な道、陽炎に揺れる怪しげな街、という描写は異様に頭に刷り込まれている。
    「燃える平原」にひっくり返り再読。

    2017年12月14日付The Economistによると、魔術的リアリズムの元祖でもあるルルフォは、実はフォークナーの影響を受けているらしい。あれだけ土俗的なラテン・アメリカ文学が北米の作家の系譜に連なるのも意外と言えば意外。

    “The reader gradually realises that all the novel’s characters are dead. It is modern because it frames a reality rather than merely describing it, and because time in it is simultaneous, not sequential, as Carlos Fuentes, a later Mexican writer, noted.”(記事より引用)。

    物語の中で時間は順を追っては流れない、同時に生起する。まさに最も”modern”なことをこの作家はやっていたということだ。

  • 埃と雨の匂いに満ちた長い詩のような小説。ひとつひとつのエピソードが閉じ込められた、いくつもの透明なガラス板を透かし見て浮かび上がってくる映像から、コマラの町とひとびとの面影を知るような読書体験だった。世界は悲しみと暴力にあふれていて、だからこそ物理的につなぎ合わされてしまっているかのようなつよい思いを人を持たずにはいられないのに、その気持ちのたどり着く場所がどこにもない。ただそこに置き放しになって、乾いて崩れていってしまうさまが痛ましくてうつくしい。

  •  1955年発表。メキシコの小説家、フアン・ルルフォ著。父ペドロ・パラモを探しに母の故郷コマラを訪れた主人公は、死者達のささめきに呑まれていく。七十の断片で構成され、時系列が激しく前後し、死者の会話が入り乱れる。
     不思議な小説だった。まずストーリーは、はっきり言って一回読んだだけではよく分からない。解説と照らし合わせながらもう一度読み返してみると大体の内容は掴める。しかしむしろ、この小説はストーリーではない部分に核がある気がする。淡々とした断片の配置が生み出す浮遊感、まるで当然のことのように交わされる死者との会話、簡潔で不可思議な詩的表現などから醸される雰囲気。円環的なストーリーのせいでもあるのだろう。たどたどしくて不安定というか、切ないというより寂しげというか、まさに幽霊的な感じがする。
     ラテンアメリカの小説・架空の町という設定・前衛的手法という点でガルシア=マルケスの「百年の孤独」と比較されることもあるようだが、コマラが死者の町ということだけあって、「ペドロ・パラモ」はだいぶ静的で淡々としている印象受ける。

  • 面白かった!!読み終わってすぐに、もう1回最初から読み直してしまいました。全貌を知ってから読み直すと、なるほどこの人物が言っていたのはそういうことか、とわかるところがたくさんあります。

    母親が死ぬ間際に言い残した父親の名前(ペドロ・パラモ)だけを頼りに母の故郷へ父に会いに出かけた青年フアン・プレシアド。しかし彼が出会う人、出会う人、常に次にあった人物から「○○はとうに死んでるよ」と聞かされ(怖すぎる!)、どうやら彼の訪れた父の街は亡霊ばかりが住む死者の街と化してるらしい。馬の亡霊まで走り回ってるし、誰が生きてて誰が死んでるのかわからずちょっとノイローゼ気味になってきちゃったフアンくん、ついにうっかり自分自身も死んでしまい、気づいたときには土の中というびっくり展開。それでも一緒に埋められたドロテア婆さんとおしゃべりしたり、他の死者たちの独り言を聞いたりしながら、少しづつ父親ペドロ・パラモについて知っていきます。

    このフアンの旅を主軸にしつつも、ペドロ・パラモ自身の回想や、別の人物のエピソード(時間軸ばらばら)がランダムに挿入されるので、いっそう世界はシュールなことに。だんだんわかってくる稀代の悪党ペドロ・パラモのさまざまな悪行と、フアンの母との結婚の経緯や、別の女性に産ませた息子の死、そして、そんな悪党のペドロがただ一人愛した初恋の女性スサナとの報われない一方通行の恋。そしてペドロを殺したのは・・・

    この独特の死生観、なんともラテンアメリカらしく独特だなあと思います。ばらばらの断片から全体を組み立てる面白さもあり、それぞれのキャラクター(死者たち)の言い分も共感できたり滑稽だったりとんでもなかったりで悪党も憎めない。作者は寡作だったようですが、これ1作でガルシア=マルケスと並び称される理由も納得。何度でも読み返したい傑作でした。

  • 1955年に刊行されたメキシコ文学。ある街の、そしてペドロ・パラモという男の盛衰を描いた物語。現在と過去、そして生と死の境を虚ろなものとして、断片を読み進めることで読者の中に物語の「像」を浮かび上がらせる。ふわふわゆらゆら、白昼夢のような本。

    適当ででたらめに見えて、精緻に構成された小説であり、一度読んで全てを汲み取るのは難しかった。どこかのんびりとした語り口も特徴的で、読む前に持っていた「死者の町」というジメッとしたイメージを乾いた手触りに変えている。

    ややネタバレになるが、これは「始まったときすでに終わっている物語」であり、時間が一方通行に進むのではなく、"断片として在る"というこの書き方・感覚は『あなたの人生の物語』に近いと感じた。

  • 岩波文庫のカバーに書かれた「ラテンアメリカ文学ブームの先駆け」というコピーのせいで、ブームが去って久しい今更読んでもなぁ、、、という感じがしてずっと積読状態だったのをようやく読んでみました。
    そういうの抜きにしてすごいやつでした。
    とりあえずは、”父親を探してコマラにたどり着いた「おれ」は・・・”、みたいにある意味普通にはじまったかと思うと、時間がきれぎれの無数の断片に散らばってしまう。最初はなんだこれ???と一枚一枚拾って読んでたら、ぼんやりと関係とか因果とかおぼろげに見えてくる。ふむふむおもしろいぞこれ、と思いながら終わりまでたどり着いて、ん?そういやなんか色々見覚えあるぞ、と思って最初に戻ると、完璧な円環構造にあることに気がついて、そのまま2周目突入。
    2周目になるとさらにあれはこれだったんだ!!という発見がありますます面白い。しかも文庫本で200ページ程度、という2周繰り返すのにちょうどよい長さ。
    でも技巧とか手法が前衛的で面白い、とかそういうことじゃなくて、誰もかれもが死んでいる神話的な世界においてはこう語られることに特段違和感を感じない。欲望と暴力に彩られながらも同時に詩情に満たされるというなんとも不思議な世界観にひたれます。
    なんかひさしぶりにガツンとくるやつでした。
    あと最初は絶対ネタバレなしで読んだ方がいい。”おれ”が実は・・、ていうびっくりは味わうべき。

  • 奥深い、底知れぬ物語。
    死んだ男をめぐる噂話が、死んだ人間たちの間で語られ、死んだペドロ・パラモの人物像がうすぼんやりと形作られていく。伝え聞きの集合体として物語が建設されており、それらを細胞に、町の盛衰が語られる。鮮やかな小説。
    ガルシア=マルケスに「百年の孤独」を書かせた小説という、ある意味で究極の評価を得ているようだが、そういう文学史的注釈を抜きにして面白い。

  • 渇望の書をやっと読めた。ばらばらのパズルのピースを戸惑い弄びながら埋めていくと突然ハッと視界が開ける瞬間が訪れる。濃密に生と死が混濁し、時空は歪められ、終わりのない物語の渦の中に閉じ込められる。遠心力の外壁に囚われた閉塞だ。土地に縛られ幾筋もの血を大地に染み込ませ、死者たちがささめきとなって甦る。幽玄な死者の世界に荒くれどもの闊達で活き活きとした会話が谺する。この瑞々しい生気と崩れ腐りゆく肉体とのアンバランスなコントラストが眩く美しい。再読してもっともっと奥行きを探りたい。

  • 何度読んでも心が震える。この物語が終わってしまうのがもったいなくて、ゆーっくり、ゆーっくり読む。訳も素晴らしいと思います。映画化されているそうですが、この世界をどのように映像化しているのかという興味はあるものの、こわくて観られません(恐怖ではなく)。

  • 小池博史ブックフェア選書より
    「ペドロ・パラモ」
    フアン・ルルフォとガルシア・マルケス、強烈に影響を受けたふたりである。ペドロ・パラモは土の中の死者の言葉による小説なのだが、その視点が現実を穿ち、なんとも不思議な宇宙に投げ出されたような感覚になる。この殺伐とした死者の呟きに大きな渇きを覚える。ルルフォの「燃える平原」も必読の書である。(小池博史)

  • すらすら読める本ではない。読み始めは当然のようにストーリーを追おうとしていたけど、早い時点で諦めた。なんせ、語り手がころころ変わるし、時間も脈絡なく切り替わるのだから。でも、それぞれの語り手の語りに身を委ねていたら、なんだか心地よくなってきてしまった。巻末の解説を読んで、なるほどねーと思い、もう一度読んでみたい気もするけど、ちょっと今は気力が出ない。再読リストに入れておこう。

  • 文体と物語、過去と未来、生と死、全てが渾然一体となっている。独特の読み味に病みつきになって、いつまでもコマラから出たくなってしまう恐れがあるので注意。

  • うなされるようなモノクローム万華鏡体験。ラテンプレイボーイズの音楽が聴こえてくる。

  • もう少し経験値を積んでから再読する

  • 驚きどころ、ツッコミどころ満載だった。
    「え、死んでるの?」
    「え、語り手も死ぬの?」
    「え、これって政治小説なの?」
    「え、あなたは生きてるの、死んでるの?」

  • 「読んだ本」に登録したものの、読めてない部分が多いように感じる。集中できるときにもう1度読もう。

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