アウラ,純な魂 他4篇: フエンテス短篇集 (岩波文庫 赤 794-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003279410

作品紹介・あらすじ

「…月四千ペソ」。新聞広告にひかれてドンセーレス街を訪ねた青年フェリーペが、永遠に現在を生きるコンスエロ夫人のなかに迷い込む、幽冥界神話「アウラ」。ヨーロッパ文明との遍歴からメキシコへの逃れようのない回帰を兄妹の愛に重ねて描く「純な魂」。メキシコの代表的作家フエンテス(1928‐)が、不気味で幻想的な世界を作りあげる。

感想・レビュー・書評

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  • メキシコの作家。父親の仕事で世界を転々と育ったため、内外から祖国を眺めた視点を持つ。これはねっとりした悪夢と現実の混じった不気味さの漂う短編集ですが、文章がかなり良いので癖になりそうな感じもします。
    長編小説はさらに難解です。ある作品を読んだフエンテスの父親が「こんなのちっとも分からないじゃないか!」と壁に本を放り投げたというので、実の父親に分からんものが、日本人の私に理解できなくてもしょーーがあるまい。

    ===
    神像が肉体を得え人間に成り代わる話
     /「チャック・モール」


    「私は今空港に向かうバスの中であなたのことを考えているの、ファン・ルイス」
    「ゲートから飛行機のタラップまで行く間に何とかその手紙を引き裂き、冷たい風の中に撒き散らす。きっと細かく引き裂かれたその手紙は霧に運ばれて、あなたが幻影を求めて水の中に飛び込んだ湖のほうへ飛んでいくと思うわ、ファン・ルイス」
    半身のような兄妹、兄はメキシコからヨーロッパへの魂の遍歴に出る。妹は兄がヨーロッパで真の居場所を見つけたときに…。自殺した兄を引き取りに行く妹の独白から浮かぶ愛の残酷
     /「純な魂」


    腐った花と壊れた玩具の中に横たわる女王人形
     /「女王人形」


    闇に閉ざされた屋敷で不気味な老婆の作り出した永遠の女。’不気味で完璧’と評された
     /「アウラ」

    ===
    「女王人形」と「アウラ」は不気味さにおいて確かに完璧。そして「純な魂」は残酷な純粋さにおいて完璧な作品です。「純な魂」は文体も素晴らしく、朗読劇で読んだらさぞかし心地よいだろうなと思われる。

  • 特に「アウラ」がよい。屋内のどろりと暗い感じ、化け物化した女のイメージが、水木しげるの妖怪本を思い出させた。水木しげるが絵をつけたら結構いい感じになりそう。

    ほかの短編にも言えるのだが、生き生きとした死が手で触れられそうに感じられるところが、メキシコっぽい。

    • 花鳥風月さん
      なつめさんこんにちは

      いつもレビュー楽しみに拝見しています。また、先日もお気に入り登録をしていただきありがとうございました。

      フエンテス...
      なつめさんこんにちは

      いつもレビュー楽しみに拝見しています。また、先日もお気に入り登録をしていただきありがとうございました。

      フエンテスが亡くなったと今日知りました。そういえばなつめさんは好んで読んでおられたのではないかと思い出しまして…
      この『アウラ・純な魂』私も昔読みました。中でも「チャック・モール」が好きでした。また読んでみたいです。

      あまり節操のない本読みではありますが、今後もお付き合いいただければ嬉しいです。
      2012/05/19
    • なつめさん
      花鳥風月さん、

      こんにちは。フエンテス好きを思い出していただけるなんて、なんだかうれしいです。

      フエンテスはわたしにとってラテンアメリカ...
      花鳥風月さん、

      こんにちは。フエンテス好きを思い出していただけるなんて、なんだかうれしいです。

      フエンテスはわたしにとってラテンアメリカ文学への扉になった作家だったので、今は心に小さい穴が空いてしまったような気持ちでいます。未翻訳の作品がたくさんあるので、その翻訳を待ちながら穴の修復を待とうかなと。これからの暑い季節にラテアメ本はぴったりな気がします。

      それでは花鳥風月さんの多彩なレビュー(『モモちゃんとアカネちゃん』など!)、これからも楽しみにしています。
      2012/05/20
  • 幻想的で不気味な短篇集。であると同時に、メキシコ探究の書。

    彼の最も有名といってもいい短編「チャック・モール」を読むのはこれで3度目。
    しかし、この「チャック・モール」こそこの短編集を読み解く鍵だったため、全く無駄にはならなかった。
    そう考えると、この短編集の冒頭に「チャック・モール」を配置した訳者の配慮は流石といったところ。

    各作品とも、テーマなどを考えずに単純に物語を楽しんでも十分読むに耐えうる逸品ぞろいであるのは確かだが、それだけでは勿体ない。
    一つの共通するテーマを探究するのに、これだけ多様な角度から、多様な物語を用いて表現できるってのは、ちょっと信じがたいほど。

    それにしても木村榮一氏の解説は素晴らしい。
    深い読みにも拘わらず、衒学的なところはなく、自分のような文学の素人でも理解できる論旨の展開は勿論、何より著者の作品をもっと読みたいと思わせる文章の上手さは何ともいえない。

  • 自ら誰かのよき理解者を任じている人が居るとしたら、それは傲慢かもしれない。
    理解とはそばに置き、可愛がることではない。
    自分善がりの思い上がりは、時に破滅を導く起爆剤になりかねない。
    いつか、己の罪の重みに自ら滅せられたときに全てが判るだろう。 
    理解とは生半可な覚悟で語れるものではないのだ。

    特に、異文化の相互理解については。

    対象のものが今まで自分の身を置いてきた思考様式、文化や価値観の全てと異なるとするならば、自分の世界すら一度失わなければ、新たなものは受け入れることすらできないものなのかもしれない。お互いはけして同化できないものだからだ。

    ただ異文化の絵画や彫刻を収集し愛でることは理解ではない。
    歴史全く異なる異文化を本当の意味で理解するということは、自分の生きてきた文化的基盤そのものを犠牲にしなければならないこともある。
    部分を見て全体を見ていると錯覚しているだけだとしたら、
    そして愛を囁いているとしたら、

    それはただの自己満足。
    瞳に映るは真実とは遙かにかけ離れた自分の中に棲まう幻想。


    「チャックモール」カルロス・フェンテス著

     平凡なメキシコ人のフェリベルトは、自ら異文化のインディオのよき理解者を任し文化物を収集しているが、これが真の理解者でないことはいうまでもない。
     しかもメキシコ内の圧倒的な人数がカトリックという宗教観念、思想を抱いている中でインディオ的な文化というものはけして相容れないものである。
     メキシコのアイデンティティを考えたとき、対立するインディオの文化は避けて通れないものであるが、それを理解するということは時に自らの文化基盤を失わせるという意味で死を覚悟しなければならない。それほど異文化の相互理解というものは生半可なものではない。

     そうして、彼の理解者という傲慢さは結果、 インディオの神チャックモールに罰せられてしまう。

  •  ラテン・アメリカ≒マジックリアリズム、なんて言うけれど、フェンテスの場合は、どうだろう、西洋ゴシックホラーの影響をかなり受けているらしく、最初の「チャック・モール」からそれは前面に押し出されている。怪異は描かれるが、それはあくまで怪異のままで、怪異として描かれるから、マジックリアリズムを感じることはなく、それだけある意味では普通に読めた。ただ、彼の場合は、おそらく他のラテンアメリカ作家以上に、ヨーロッパ・祖国メキシコという自らの出自の対立を意識していて、メキシコを語りながら、あるいはヨーロッパを語りながら、かなり明確な形で、もう片方が対置されている、そこが面白かった。
     時間の解体によるゴシックホラーの演出が何よりすばらしく、「人形女王」と「アウラ」は大傑作だと思う。意味が虫食いになって、欠落して、論理的に不整合になったとき、それは起こりえないこととして、「怪異」の様相を帯びるわけですが、その欠落した意味を埋めていこうとする本能的な働きが、再びその像を可能な限り修復して提示したとき、意味の断片が悲劇的な結びつきを見せる、そういうことはあるもので、この両作品では、その空洞が本当に素敵だった。時間の解体は、あらゆる過去の再来を期待させるし、あらゆる未来の抹消も保証するから、われわれは、埋め合わせのあり方を、より自由なものとして、つまりあらゆる埋め合わせを、より可能なものとして捉えられるようになるのだけど、そうであるからこそ、結びついてはいけないものを結びつけ、線形な時間の上で安定を保っていた美しさを壊してしまうこともあり、「アウラ」はそのような話として読んだ。もしそうであるならば、悲劇の源泉は何よりもヨーロッパ的な世界観に求められるものということになり、その辺がフェンテスのメキシコ人たるアイデンティティの主張だったのかな、と、思う。

     良い小説集でした。ゴシックホラー風味が、ちょっと、小川洋子にも通じるところがあるかも。あまりラテンアメリカラテンアメリカしてないから、ラテンアメリカ苦手な人にも、オススメできそうです。

  • メキシコの作家、フエンテスの短編集。
    えも言われぬ怪奇趣味は、部分的にはサキを彷彿とさせる。が、あっと驚くオチにヤラレル、というよりは「何なんだ?読み間違いか?」という違和感を絶え間なく感じさせられるような読後感。

    土産物屋で買ってきた古代アステカ文明のちょっとした石像。苔をすっかり洗い落とすと徐々に生気を帯び始める・・・(「チャック・モール」)。ちょっとした偶然から二度と会うはずのなかった幼馴染の少女を十数年ぶりに訪ねると・・・(「女王人形」)。・・・

    読んでいるときに襲ってくるいわば「解消しない不安定感」はまさしく時間軸の不安定さに由来する。我々は根拠がありそうでない「現実認識」「時間感覚」の中で生きている。しかし、「自分は自分である」というゆるぎない(しかし浅薄な)自信は、何かをきっかけにあっけなく損なわれるかもしれない。

    しかしメキシコっていったいなんなのだ。なぜここまで濃厚に「死の匂い」を纏っているのだ。ラテンアメリカ文学、と一口に言っても、どうも南米大陸のそれとは何かが違う気がする。

    最表題作の「アウラ」は「雨月物語」の強い影響下にある作品だという。村上春樹も雨月物語の夢幻性に強い関心を寄せている。両者の世界観はおそらく通底している。
    うーん、ラテンアメリカ文学、興味深い。

  •  メキシコの作家、カルロス・フエンテス 著。死んだ友人の手記の登場するマヤ文明の雨の神「チャック・モール」、監獄から脱走する兵士達「生命線」、美しい海岸における老人の「最後の恋」、幼い頃に出会った女の子の家を訪ねる「女王人形」、ヨーロッパとメキシコの間で引きちぎれていく兄妹の愛「純な魂」、仕事募集の記事にひかれて老女の住む不気味な屋敷に迷い込んでいく「アウラ」、の六篇収録。
     味わい深い短編集だった。
     特に「チャック・モール」「女王人形」「アウラ」がよかった。いわゆるゴシック小説の部類なのだが、そこにメキシコ特有の神や死生観が絡んできて、何か原初的な恐怖を感じる。こういう話は、「死」がもはや生活と分離してしまった現代日本ではリアリティーをもって語れない気がする。
     「生命線」と「最後の恋」は巧くできてはいるもののさほどオリジナリティーを感じなかったが(そもそもこれは長編の抜粋らしく、私としてはちゃんと長編として読みたかった)、「純な魂」に関しては解説を読むと著者自身の事情が影響していることがわかり、大分深みが増す。本編とは関係ないのだが、この解説の詳しさも、この本の魅力だろう。

  • FMシアターのラジオドラマを繰り返し聞いて、「アウラ」だけは読んでいたが、このたび通読。

    ゴシック・ホラー・オカルトの系譜、
    「アウラ」
    「女王人形」
    「チャック・モール」

    ミステリーとも怖ろしい女ものともいえる、(慈しみ食らいつくす大地母神)
    「純な魂」

    極限の、あるいは人生後期の心理もの、
    「生命線」
    「最後の恋」

    に分けられるか。多様な作風だが、やはり幻想ものが抜群に恐ろしく美しい。

  • 良質のゴシック・ロマン。地下室や人形などの装置はポーを、「美しい魂」に描かれた強い情念はホーソーンを、などと19世紀アメリカの小説を想起した。非-単線的な時間や魔術的リアリズムなどラテン・アメリカ成分(?)は少なめか、とも思うものの、「訳者解説」でフエンテスのここにおさめられた個々の作品の基底部には、ラテン・アメリカの歴史やインディオの古代文化が伏流している(“メキシコの骨”=オクタビオ・パス)ことを知らされた。また、表題作「アウラ」の幽玄な美と作品の醸す怪異な雰囲気は卓越している。
    メダル0 +

  • 最後の訳者解説がすばらしい。全体を通して一番強烈だったのは「アウラ」か。時間の概念が古代メキシコの神への畏怖とともに狂ってくる傑作

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著者プロフィール

外交官の息子としてパナマに生まれた後、キト、モンテビデオ、リオ・デ・ジャネイロ、ワシントンDC、サンティアゴ(チリ)、ブエノス・アイレスなど、アメリカ大陸の諸都市を転々としながら幼少時代を過ごし、文学的素養とコスモポリタン的視点を培う。1952年にメキシコに落ち着いて以来、『オイ』、『メディオ・シグロ』、『ウニベルシダッド・デ・メヒコ』といった文学雑誌に協力しながら創作を始め、1955年短編集『仮面の日々』で文壇にデビュー。『澄みわたる大地』(1958)と『アルテミオ・クルスの死』(1962)の世界的成功で「ラテンアメリカ文学のブーム」の先頭に立ち、1963年にフリオ・コルタサルとマリオ・バルガス・ジョサ、1964年にガブリエル・ガルシア・マルケスと相次いで知り合うと、彼らとともに精力的にメキシコ・ラテンアメリカ小説を世界に広めた。1975年発表の『テラ・ノストラ』でハビエル・ビジャウルティア文学賞とロムロ・ガジェゴス賞、1988年にはセルバンテス賞を受賞。創作のかたわら、英米の諸大学で教鞭を取るのみならず、様々な外交職からメキシコ外交を支えた。フィデル・カストロ、ジャック・シラク、ビル・クリントンなど、多くの政治家と個人的親交がある。旺盛な創作意欲は現在まで衰えを知らず、長編小説『クリストバル・ノナト』(1987)、『ラウラ・ディアスとの年月』(1999)、『意志と運』(2008)、短編集『オレンジの木』(1994)、『ガラスの国境』(1995)、評論集『新しいイスパノアメリカの小説』(1969)、『セルバンテス、または読みの批判』(1976)、『勇敢な新世界』(1990)、『これを信じる』(2002)など、膨大な数の作品を残している。

「2012年 『澄みわたる大地』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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