- Amazon.co.jp ・本 (592ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003279717
作品紹介・あらすじ
「ポエジーは認識、救済、力、放棄である。世界を変えうる作用としての詩的行為は、本質的に革命的なものであり、また、精神的運動なるがゆえに内的解放の一方法でもある。ポエジーはこの世界を啓示し、さらにもうひとつの世界を創造する。」メキシコのノーベル賞詩人パス(1914‐98)畢生の一大詩論。
感想・レビュー・書評
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民俗学の本かと思ったら詩論(著者も詩人)。
難しいので、途中から雰囲気だけ読む。愛と宗教と詩は飛躍とのこと。
いろいろ出てきて、詩も読んでみようかと思わせる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ポエジーについて、エッセイ集。
散文と韻文。
ドイツロマン主義、シュールリアリズム。
分析的、科学的、論理的。
魔術的、情的、自然的。
都市と田舎。
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私には難しすぎる詩論。最初の部分と、巻末の解説等を読むにとどまる。「孤独は人間の条件の根本である。人間は自分が独りぼっちであることを感じつつ、他者を探し求める唯一の存在である。その本性は、…他者のうちに自己を実現したいと希求するところにある。人間とはノスタルジーであり、連帯の探求である」。「詩は人間の存在を解釈するのではなく、その在りようを照らし出す。人間の原初的状態、つまり、自分自身でありながら、同時に<他者>でもあるといった人間の本源的啓示である。そしてパスの場合、この詩的啓示は、<イメージ>、<愛>、そして<聖なるもの>の体験を通してもたらされる」。
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登録番号:8
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しばし時間を置いた後に、再読する。
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詩論であるから、いかにも論理的に書きましたという部分はとても退屈で所詮他人事だからどうでもいい。ところが、詩人がかわいいのは、ほとんど論理的というよりは感覚的な飛躍をしてしまいそうになるのを「いやまて、これは詩論なんだ」とおさえようおさえようとするような全体。全体的に、最初は退屈にお硬く始まるのだが(「どうだ、これは難しい詩論だぞ」)、だんだんおさえきれなくなって、たとえば、真の孤独とは「自らの存在から離れていること、二つになっていることである」[p224]などというに及んで、釣り上げられて陸でのたうちまわる魚のようになる。それに比べれば、山口昌男の巻末の解説がご立派で(退屈、マニアック)、非作家と作家の違いがよくわかる。
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ヘラクレイトスが語ったという「人間を聖化し、かくして彼を宇宙に位置づける竪琴、そして人間を彼自身の外に向けて発射する弓」のイメージを出発点として、詩的行為の意味を探ろうとするパスの詩学の集成。この詩学を貫くのは、愛と宗教を、あるいは誕生と死を結びつけようとする合一ないし綜合への意志であり、パスは本書でそれを詩作において実現する可能性を探究している。そして彼によると、詩的な体験において人間は、それらの瞬間的な和合──例えば、「死を生きる」こと──に達するのだ。ただし、その「和合」において対立しあうものたちのあいだの緊張が失われることはない。本書の原点にある「弓と竪琴」の双方で張りつめている弦は、その象徴であるが、そこにある緊張はまず、人間そのものにおいて貫かれている。パスによると、人間はそれ自身、自分では捉えがたい他者でもあるのだ。そのような人間の存在の深奥を、生きたイメージにおいて啓示するのが詩であり、そこでは自己と他者の対立が乗り越えられているという。自己超越としての詩作によって、人間は自分自身を発見し、創造するのだ。パスの詩学において詩とはまさに、自己超越と自己自身への回帰が一つになる場なのである。その表現が共有される可能性──パスは言葉が共有物であることと、詩が参加によって成り立つことを強調する──について、今日の視点からすれば楽観的に過ぎると思われるところがあるとはいえ、詩の歴史と科学の限界を踏まえながら、本書が「本質的に革命的」な詩の未来を、そして詩とともにある、いや詩そのものですらある人間の未来を力強く指し示しているのは間違いない。
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新着図書コーナー展示は、2週間です。
通常の配架場所は、1階文庫本コーナー 請求記号901.1/P29 -
山口昌男さんが著書で言及していたオクタビオ・パスの詩論。かつてちくま学芸文庫で出ていたが絶版になった。読めないのかなと思っていたら、岩波文庫から出た。
理論的というより詩的な語り口で、詩論を繰り広げているが、もとより博識で、言語学や哲学に基づいた深みがある。
「ポエジー」に関しては、確かにこれは音楽においても中心的な要素である。しかしいかにも語りにくい主題だ。パスは「ポエジーは認識、救済、力、放棄である」などと言葉を連打していってこの主題に迫ろうとするが、このへん、もうちょっと「学的」に、意味論的に解析するアプローチもできないものか。
今回なんとなくざっと読み流してしまったが、含蓄のある本なので、いつか気合いを入れて再読したいと思う。 -
やっと再販され迷わず購入
ちくまの方は、ベッド脇に。国書のほうは、蔵書行き