失われた足跡 (岩波文庫)

制作 : 牛島 信明 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 91
レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003279816

作品紹介・あらすじ

大都会で虚しい日々を過ごしている音楽家が、幻の原始楽器を探しに南米の大河を遡行する。むせ返るほど濃密な南米の"驚異的な現実"を遡る空間の旅は、現代から旧石器時代へと時間を遡る旅でもあった-。現代ラテンアメリカ文学最高傑作の一つ。一九五三年刊。

感想・レビュー・書評

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  • 実際に車を走らせるときは、カーナビに頼ってばかりいるくせに、海外小説を読んでいて気になる地名が出てくると、わざわざ地図を開いて確かめたくなる。作中の地名は架空のものだが、手記の最後にカラカスと記されているからには、ベネズエラ。オリノコ河を遡った密林や茫漠たるパンパのなかに繰り広げられる秘境小説である。

    時は1950年代初頭、ニュー・ヨークと思しき都市に住む音楽家の「わたし」は、本来の自分と今在る自分に引き裂かれていた。純粋に音楽を極めることを要求するもう一人の私が、映画音楽の仕事で日銭を稼ぐ私を責めるのだ。女優業に忙しい妻とはずっとすれちがいの生活で、満たされぬ気持を酒と女で紛らわす毎日だった。

    そんなある日、「わたし」は偶然街で旧師である器官学博物館長と出会う。館長は、原始的な楽器の蒐集を目的とする旅に「わたし」を誘う。一度は断った「わたし」だったが、愛人のムーシュの甘言に惑わされ、南米の都市に向かう。ホテルに滞在中の二人を襲ったのは、突然始まった革命騒ぎだった。はじめは旅行気分だった二人は偶然に追い込まれるようにして本来の目的であった古楽器探索のためオリノコ河上流への旅に出る。

    大都会からインディオたちが暮らす始原の村への旅は、現在時から太古への時間の遡行の旅でもあった。移住者の子であった「わたし」は、母語であったスペイン語に接し、宗主国の風習を色濃く残す植民地の風俗や自然に触れ、現代的な都市生活で見失っていたかつての自分を取り戻してゆく。病を得たムーシュを途中の町に残し、旅中知り合った現地女性ロサリオ、ギリシア人ヤヌスや「先行者」と呼ばれる金採掘人と一緒に上流にある部落にたどり着いた「わたし」は、ロサリオとともにこの地に留まる決意をするが、そんなとき、突然啓示を受けたように曲想がひらめくのだった。

    何もない土地で見つけた「裸」の自分のなかに湧き上がる音楽を書き留めるためには文明の象徴ともいえる紙が必要だった。始原の土地でエピファニーを得ながら、それを形あるものにすることができない皮肉。発表する手段も機会もないのに、ノートに草稿を書き続ける「わたし」を不思議そうに傍らで見つめるロサリオ。作曲に必要な紙欲しさの一心で、突然現われた捜索ヘリに乗り一時帰国をする「わたし」だったが、帰国した音楽家を待っていたのは意外な顛末だった。

    木村榮一の近著『謎とき ガルシア= マルケス』によれば、コロンブスのアメリカ探検の本当の目的は、大河を遡航した果てにあるはずの失われた「楽園」への入り口を見つけたいというものであったという。カルペンティエルの描こうとしたのも一つの「失楽園」探索行である。河を遡行するごとに時代が古くなっていき、最後にたどり着いたのは、「先行者」が創建した「市」(まち)である。そこは、まだ原罪を知らないアダムとイヴの住むべき土地。「わたし」は、新しきアダムたらんとするが、もう一人の自分のなかには、芸術家が生きていた。

    都会で生きる自分を人間でなく「蜂=非人間」ととらえている「わたし」にとって、たどり着いた地、サンタ・モニカ・デ・ロス・ベナードスこそ人間の住まうべき土地である。しかし、楽園には当然ながら時間は流れない。過去の遺産をもとに新しい物を創りだすのが芸術家の仕事である。楽園には時間の産物である芸術は存在しない、というディレンマがそこにある。キューバ生まれではあるが、フランス人の父と白系ロシア人の母を持ち、亡命先のパリにおいてシュルレアリスムを体験したカルペンティエル。彼もまた、旧世界である西欧的な文化と新世界であるアメリカ大陸の二つの文化の間で引き裂かれたアイデンティティを持つ。ラテン・アメリカ文学界の重要な一人ではあるが、もともとは「旅人」である。そのアンビヴァレンツな心理が揺曳した『失われた足跡』は、すぐれた秘境小説の持つ魅力に溢れている。つまり、それは見たこともないような景観やありえないほど苛酷な状況、文明に侵されていない素朴かつ純粋な人種といったものに魅かれる現代人の心性を肯定しつつ、やはりそこには暮らせないという二面性をあえて主題化しているところだろう。

    文明化された都市からさほど離れていない土地に、誰にも知られない隠された市(まち)があり、そこへ行くには樹幹に刻まれた秘密の目印を頼りにカヌーで何日もかけて河を遡行してゆかねばならない。旅人の目の前に次々と現われては消える珍奇な動植物、嵐や雷雨、真昼でも夜のように暗くなるほど空を埋め尽くす蝶の渡りのような自然現象、「驚異的現実」を描くカルペンティルの筆は冴え渡り、秘境小説ファンを充分満足させる。その挙句、約八ヶ月にわたる旅の最後にはアイロニカルな幕切れが待っている。

    「魔術的リアリズム」の創始者の一人とされるアレホ・カルペンティエルだが、ガルシア= マルケスの『百年の孤独』が見せるような目くるめくような時空間、ラテン・アメリカ特有の土着的な匂い、土俗的な語り口を期待すると裏切られる。そこにあるのは、あくまでも異邦人の、旅人の目で見られた新大陸アメリカの異国情緒溢れる風物である。それらが話者の主観的な時間の遡行により、ロマンティックな、或は中世的な、果ては創世神話的な光景に変貌を遂げる様を、詩的な文章で描き出した巧緻な工芸品のような作品である。

  • 主人公は作曲家。舞台女優の妻ルースは多忙で、不仲とまではいかないけれどすれ違いがち。作りたい曲は作れず、仕事として映画やCMの音楽をこなすだけの日々に辟易していた彼は、ある日博物館の館長から、未開の部族の幻の楽器を探す依頼を受け、占星術師(?)の愛人ムーシュを連れてジャングルへ旅立つ。

    旅の過程で、愛人の似非インテリっぷりや俗物っぷりに愛想をつかした主人公は、自然とともに生きているインディオの娘ロサリオのおおらかな強さに惹かれ、彼女を新しい恋人に。マラリヤ熱に冒された愛人は文明世界へ引き返し、主人公は新しい恋人と、鉱山探しのギリシャ人や宣教師、<先行者>と呼ばれる男らとオリノコ河を遡る旅を続ける。

    辿り着いたのは<先行者>が密かに作っていた隠れ里のような小さな集落。そこは一種の理想郷で、人々は自然とともに生きている。恋人は尽くしてくれるし、文明社会から離れた原始的な生活がすっかり気に入った主人公は、すっかり本来の自分を取り戻した気分になり、スランプ気味だった作曲のアイデアもぐんぐん湧き出てくる、こんな素敵な毎日が送れるなら妻とは離婚して一生ここで生きていこうとか勝手な夢を描いているのだけれど、悲しいかな、しょせん文明人の彼は、作った曲を書き留めるための紙が足りなくて困る羽目に。

    結局、彼を行方不明と案じた妻が大々的に捜索依頼をしたために、迎えに来た飛行機で彼は元の世界へ戻ることにする。さまざまなトラブルに見舞われながら苦労して河を遡った旅も、帰りは飛行機で3時間。竜宮城で夢のような時間を過ごし現実に戻ってきた彼はちょっとした浦島太郎状態。

    さっさと妻と離婚して、新しい恋人のもとへ戻ろうとか身勝手なことを考えていてもそうは問屋が卸さない。そもそも愛人連れで旅に出ていたことが妻にバレ、女優ゆえにメディアを味方につけた彼女と離婚訴訟裁判の日々。ようやくジャングルへ戻ろうとしたときには、かつての恋人はとっくに別の男と結婚していた、というオチ。

    主人公の気持ち自体はとてもよくわかる。未開の部族の祈祷に音楽の誕生を発見したり、ありのままの自然の美しさに気づくような感動体験はそりゃ素晴らしいし、テレビやラジオがなくても、まっぱで水浴びしてウフフアハハな毎日が続くなら、それは幸せでしょう。でもそういのも結局、現代人の安っぽいロハスだのスローライフだのへの憧れの延長線上で、「紙」のために結局は文明社会に戻らざるをえない主人公の、浅はかさ、薄っぺらさは同情と共に滑稽でもある。

    本筋とは関係ないところで、女性関係のだらしなさもいただけない。愛人連れで旅に出た時点ですでに微妙だけれど、一度は愛想を尽かして捨てた彼女と、帰国してからまた性懲りもなく寝てるし(しかも妻との離婚訴訟中に)、それでジャングルの恋人が待っててくれるとかどんだけ自己中?と女性からはつっこみどころ満載。

    小説としてはとてもよくできているし、細部のエピソードや描写はとても面白かったけれど、主人公を好きになれなくて困りました。

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    「大都会で虚しい日々を過ごしている音楽家が、恩師からインディオの幻の原始楽器を探しに行くよう依頼され、オリノコ川上流へと旅立つ。大河を舟で遡る空間の旅は、20世紀の都会から中世風の町へ、さらには旧石器時代にも等しい集落へと時間を遡る旅でもあった。《魔術的リアリズム》の創始者の一人カルペンティエル(1904―1980)の代表作。 」

  • だめだ。途中で挫折。

  • 読むのを途中でやめなくてよかった。
    最初、やたら装飾的な文章にうんざりして本閉じようと思ったのだけれど、読み進むにつれて、それが不思議な味わいになっていき、やめられなくなった。
    そうした華美な文体がジャングルを描写し始めたとき、そうした文体そのものが西洋文化の空疎さを体現していたことに気づく。けれども同時に、凝った文体はジャングルの迫力、美しさを伝えてくれる。動物たちの発する声の描写など、ほんとうに音が聞こえてくるようだった。
    ヨーロッパを離れ、近代文明を離れ、時間をさかのぼり、そちらからは野蛮とされる未開の文化にたどり着いたとき、語り手の言語はどう変容するのか。あるいはしないのか。

  • ジャングルの生活に魅了されたインテリが、結局なじめず、かといって現代社会にすっきりと戻ることもできなくなる。
    語り手のエクスキューズや言い訳が連発し、それが物々しい箴言めいた口調で語られるので、情けないやら馬鹿らしいやら。
    つまり、あちらがわから見たこちらがわの振り返りも説得力がない、すなわち、文明批判としては失敗している。
    それ以前に、ジャングルがユートピアだなんて、なんて単線的な理解。(もちろん生活の苦しさについては書いているが)
    語り手が愛人ムーシュに手厳しい以上に、作者が語り的に厳しいともいえるが。

    ただし、現代社会にも未開社会にもどちらにも馴染めない悲哀、自業自得だが、にはやや同情。
    未開にあこがれる文明人というジレンマが続く。
    そして地理的移動が時間的移動とシンクロしていく作りは成程。

    ただし、そういう話を「いま読む価値」があるのかと問うてみると、あまり感じられない、やもしれぬ。
    ラテアメブームの火付けとしてはいいのかもしれないが。
    異国情緒、エキゾチズムを超えるには、むしろ前衛的手法が必要で、僕がラテアメに惹かれるのはそこなのだが。

    音楽の誕生の場面の凄みは買いたい。

  • 作曲家の主人公は現代文明から隔絶されインディオが生きる旧石器時代のジャングルのなかに永遠の楽園を見つけたようだ。しかしながら、そこで何らかの啓示を受けて作曲を構想するのだが、それを譜面に落とすその譜面にする紙が無いためにまた現代文明に戻ることになる。再び訪れようとしても目印となる楽園への入口は水没して分からない。結局、主人公はまた元の生活に戻るのだ。西洋人は旧石器時代まで遡行しないと自然と一体となった生活を感じられないのだろうか。日本人は石牟礼道子の描く世界にそれを感じることができるのだが。

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