マイケル・K (岩波文庫)

制作 : くぼた のぞみ 
  • 岩波書店
4.16
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本棚登録 : 111
レビュー : 10
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003280317

作品紹介・あらすじ

土のように優しくなりさえすればいい-内戦の続く南アフリカ、マイケルは手押し車に病気の母親を乗せて、騒乱のケープタウンから内陸の農場をめざす。ひそかに大地を耕し、カボチャを育てて隠れ住み、収容されたキャンプからも逃亡。国家の運命に翻弄されながら、どこまでも自由に生きようとする個人のすがたを描く、ノーベル賞作家の代表傑作。

感想・レビュー・書評

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  • アフリカ出身の作家による小説を読む機会は少ないかもしれません。遠い国の話で背景が良く分からず、感情移入がしづらいこともあるでしょう。

    だからこの本を読む前に、作家が南アフリカ出身で、1983年に発表されたこと。その頃は、まだアパルトヘイト制度が確固としたものであった、というような背景を把握してから臨んだ方が良い、という考え方もあるでしょう。

    しかし、遠い国の文学作品が読まれるのは、主題に普遍性があるからだと思います。この作品を手にとって感じるいくつかの突起のようなものには、自由の希求、母親、生まれた土地への思い、といったものが含まれています。

    自由については、こんなセリフが印象に残りました。
    「きみがたったいま目指している畑(ガーデン)はどこにもない場所・・・・君が属するたったひとつの場所の別名なんだろ・・・・そこへ至る道は君だけが知っているんだ」

    あとがきで知りましたが、クッツエーも自宅で段々畑を作っていたようです。

  •  これがクッツェー初読みで、南アフリカの作家ってチュツオーラみたいな感じかね、と思ったら全く違った。正統派の端正な文学。
     主人公のマイケルは、いろんなものから支配を受ける。耐えられなくなると、何もかも放り出して原野に逃げていく。第三者視点で見ると、もっと上手くやれるだろう・他に逃げ方があるだろうと思う。しかし、彼に愚行を犯す権利はないのか。一方的に冷静な正しさを押し付けることは、まるで西洋国家が植民地に対して押し付けた様々な政治制度を想起させる。支配する側は自分にとって都合の良い秩序を押し付けているだけなのかも。そんなことを思った。

  • 針の穴を通るような、自由への希求。

    軽度の知的障害と口唇裂を持つ主人公のマイケル・Kは、足の不自由な母親を故郷に帰そうと乳母車を組み立て、旅をし、そのうちに母が死に、ひとり戦争中の町に取り残される。戦争中とはいっても戦火の真っ只中ではなく、収容所やキャンプが陣地のように張り巡らされた銃後の世界だ。Kはその数多のキャンプのわずかな隙間に本当の居場所を見出す。隠れながら畑を耕し、種を撒き……しかし警察も福祉も彼を放ってはおかない。そういう仕組みになっている。

    第1章では、彼の視点からすべてが描かれるため、何度も何度も自分の試みが権力によって頓挫させられ、フェンスの中のキャンプに押し込められ、とカフカ的な不条理に満ちている。しかし、それだけでは終わらせない。Kの姿に哲学的な光を当てねば気が済まないという執念が垣間見える第2章の存在が、この小説を際立たせている。2章ではインテリである医師の視点から、病院に収容されたKの姿が語られる。Kは病院で与えられたものに口をつけない。しかしそれはハンストではなくて、ただ「自分の食べ物ではない」からという。ここで医師が悩みに悩み抜き、彼はそこからKの生き方に答のようなものを見出す。病院を脱走したKに、ついていけばよかったとさえ思う。ここが読んでいて実に頭に閃光が走るところで、K視点のぼやけた世界の不条理が、一気に明るみに出る。

    短い第3章は、またぼんやりしたK視点の世界に戻る。1、2章の陰鬱な重さから解放されたように、多少きわどいところがあるが、明るさがある。砂浜の情景は印象的だ。重要なのは、病院食を受け付けなかったKが、行きずりの男からの食事を受けとって食べている点だ。Kはただ弱って死んでいくわけではなくて、その先があるのだという希望が示される。

    3つの章を通して描かれるのは、Kが無意識に、しかし切実に追いすがる自由への希求だ。Kが口にするものとしないものとの差。Kが言葉を発するときと黙り込んでしまうときの違い。その僅かな隙間、戦争中の町を埋めつくすキャンプとキャンプの間にある僅かな間隙のような場所に、彼の自由が確かに存在する。

  • 古本

  • 文学

  • 身体的にも、家庭的にも、生きている地域としても恵まれてはいない主人公が、ごくあたりまえに自由な生活を目指す。難民キャンプでは毎日労働に出ていくのが当たり前とされているが、自分は働きたい時だけ働く、と。脱走。主人公の頭の中は特段変人とは思えず共感できるのだが、自由に暮らすために孤独を極めていく。

  • 図書館で。
    都市部で戦闘が起ころうがどこかで食料を作り、供給する人が居なくてはおかしい、というマイケルの考え方は非常に正しい。正しいけれども戦時下においてはきっと正しいと思われないんだろうな…

    彼は色々と悲惨な目に合うけれどもその時々に彼を何とか助けようとする人にも出会う。ただ、彼にとっては彼を捕まえた人も助けようとする人も実は同じようなものなのかもしれない、なんて考えてしまいました。でもだったら山の中で野垂れ死にできるかと言えば町に戻ってくる辺り、人間ってのは業が深い生き物だなぁなんて思いました。

  • まったく個人的な考えだけれど、本作のマイケル・Kが最後に辿りついたところは、すごく仏教的。
    即身仏になる一歩手前といったところ。
    けれどもあえて本作に別のタイトルを付けるとすれば、「不死身」だろう。

  • 本書が書かれた80年代の南アといえば、アパルトヘイト政策に対する非難による国際的な孤立と内戦という、国民にとっては大変厳しい時代だったのだろうと想像する。本書にも随所に戦争が色濃く表現されているけれども、主人公が直接戦争に関わっているという訳ではない。主人公は兵士でなく通常の市民だが、そこに描かれているのは主人公の闘いであり、主人公が求めているのはごく普通の自由なのだ。しかしどうしても自由を得ることができない主人公は衰弱していく。それでも、死ぬ自由さえ得ることができないのだ。このような主人公の姿が気高く、美しく感じられるのは何故なのだろうか。

  • アパルトヘイト下の南アフリカが舞台だが、近未来ディストピア小説のような印象で読んだ。検閲が厳しいため抽象化して書いたそうで、主人公が「カラード」であることも、後書きで指摘されないとわからない。
    マイケル・Kは、檻に入れると死んでしまう野生動物のようだ。「大地の子」でありひたすら自由を求め、周囲の戦争、暴力、権威、保護さえも拒否する。それもあからさまな抵抗ではなく受動的な拒否で、自由という条件の下でないとものを食べられずにやせ細る。自らの手で育てたカボチャを食べるシーンの美味しそうなこと。
    死んだ母の影だけを背負う孤独なマイケルが一途に自由に生きられる場所を探す様は一種の聖人のように見える。というのも、キャンプに囚われ入院したマイケルに興味を持つ医師の語りに、読者のマイケルに対する想いが上書きされるのだ。この構造が小説としての広がりと深みをもたらしている。

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