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Amazon.co.jp ・本 (340ページ) / ISBN・EAN: 9784003310212
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テーマは、明治時代の日本における歴史、文化、そして国民の精神性についての深い考察です。著者は、当時の日本が直面していた問題や西洋との関係を鋭く捉え、国民の自立と教育の重要性を強調しています。特に、実学...
感想・レビュー・書評
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当時としては飛び抜けて開明的だったと思うが、今も読むべき古典なのかどうかは疑問だ。
ただ、明治の初め(出版は明治8年)に、日本のこれまでの歴史とその本質はまだしも、西欧の歴史と科学・技術の本質をこれだけ深く捉えていたかと思うと驚きを禁じ得ない。
内容よりも、その姿勢を学ぶべきだろう。クリティカルライティング(orシンキング)の見本だ。
・P224:日本の宗旨には、古今、その宗教はあれども自立の宗政なるものあるを聞かず。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2013/9/26読了。
岩波文庫『福澤撰集』と本書を読んだだけだが、福澤諭吉ってすごい人だなと感服した。
本書は平易な言葉を用いて噛んで含めるように念入りに説明し、さらに具体的な比喩や例え話を繰り返し引いて、一行として文意の不明なところがない。まさに啓蒙書の鑑のような文章だった。この文体を味わうだけでも一読の価値がある。
本書や『學問のすゝめ』『痩我慢の説』『帝室論』『女大學評論』『新女大學』『丁丑公論』辺りをひと通り読んでみて思ったのは、これはきちんと読まないと、読者の立場や知的レベルによって今なお誤解を受けたり悪用されたりするだろうなあ、ということだ。福澤研究のことや現代語訳本のAmazonレビューなどはまったく知らないが、リベラルな精神の精華とされることもあれば似非ナショナリストが自己の主張の補強に都合良く引いてくることもあり、権利平等の思想家と思う人があれば上流階級による愚民統治の指導者と思う人もあり、勤王思想や武士道が抜けていないと言う歴史家があれば勤王の皮を被った不敬の輩と怒る右翼があり、嫌韓嫌中の人々が喜べばそうした人々の読みの浅さをカウンターが嗤い、女尊男卑と怒る男あればまだ足りないと批判するフェミニストあり、これは名著だと持ち上げる人あれば最近読んだ自己啓発書と同じことしか書いてないので☆1つですと言う人あり、新しい時代を開いたと評価する人あれば現代の閉塞は彼の呪縛のせいだと恨む人あり、見習いたいと目を輝かす意識高い(笑)系の人あれば真似できないと引きこもるコミュ障あり、とかなんとかカオスな状況が想像できる。実際どうなんだろう?
そうした状況が容易に想像できてしまうことこそが凄いところだと思う。だってそれって福澤諭吉自身が21世紀の様々な分野の社会議論に現役で参加しているってことだ。僕自身、自分が生きている今の時代の周囲の状況に照らしながら本書を読んだ。
でもそうした読み方は本当は正しくない。「福澤諭吉がこう言っている」というのはまったくもって福澤諭吉が楠木正成を例に引いて否定している歴史上の人物の扱い方であって、正しくは「明治7年の福澤諭吉はこう言っていた」と読むべきなのだ。もっと正確に言うと「福澤諭吉が21世紀に生きていたらどう言うだろう」と読むべきなのだ。そういう読み方ができる人はそんなに多くない。福澤諭吉の守護霊と交信できてしまう教祖やその言うことを信じてしまう人は論外。まさに学問がすすめられる所以だ。
それから本書にはこんなことも書いてある。「本書の目的である一国の独立などは文明の進歩の中では些事でしかないが、明治7年時点の最大の課題なので述べるだけ、もっと高遠なことは後の時代の学者に任せる(超訳)」。文明開化の過渡期の意見のつもりで言ったことが百年経っても有り難がられたり批判されたりしていること自体、福澤先生にとっては嘆かわしいことなんじゃないだろうか。君たち百年何してたの、と。 -
文明の法則
知恵と道徳
欧米賛美で追いつかねばならないと
ルールは家族と親友を除き適用されるもの。
民度を上げろ出来ない話?
セラミックファンヒーター
仏教も儒教も芯がない。
欧米諸国には市民意識があるが、日本は国に従うだけ。
学校も国や藩が作ったもの、なので私学が必要だ。
日本は支配者と被支配者に分かれている。
国家という文字、家は支配者の家族あるいは家名
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本書は、日本が西洋に対して後進国であるという当時漠然と共有されていた認識に対して、文明という概念を提出し、問題の所在を剔抉して見せた。黒船が強力なのは明らかであるが、しかしそれだけをもってして黒船を持たない日本が遅れているというのも何か違和感が伴う。そこで、文明という尺度によって、何が西洋をして黒船を生み出したのかを図式化してみせたのである。それはとりもなおさず、外圧に苦しむ日本がとるべき道を示すことに違いない。ここで著者が誠実で用意周到であったのは、西洋を到達点とするような尺度として文明を示さなかったことにある。黒船のような優れた技術を生み出した西洋の文明は確かに日本よりは進んでいるが、日本はそれに追いつくにとどまらず、追い越してさらに先へ進むことも可能なのである。つまり、著者は本書を著した時点で既に西洋目標としていない。西洋の体現している比較的進んだ文明の本質を解明することで、西洋のその先の文明を目指していたのである。
西洋文明の限界を知っている我々としては、後知恵として、著者の目指した世界を著者と同じ路線で突き進むことの危険性を指摘することはできる。しかし、その本質を見出すという作業は、今日の行き詰まりの原因をより具体的に見いだし、問題の解決策を模索するためには、われわれにとっても必要な準備作業である。本書は今日なおその価値を失っていないといえる。
一方で、本書は漢学者や国学者に向けての西洋学案内という側面もあったようである。著者の議論は、政治学から初めて倫理学、史学に進み、最後には簡略ながら具体的な政策提言を行っている。西洋学の初学者を想定して書かれているだけあって丁寧な議論が展開され、具体例をふんだんに示しながら東洋学との比較が詳細に行われている。とはいえ、本書冒頭から、それも傍論として、国民国家の概念や国家の正統性についてかなり突っ込んだ議論を紹介しており、これだけでも当時の人々、それも西洋学の素養のない読者がどれだけ本書を理解できたのかかなり怪しいところである。さらに続けて、統計に基づいた社会科学、計測可能な体系的教育論、宗教と倫理の峻別、西洋的な近代化の歴史理論など、懇切丁寧に解説しているとは言え、読者の理解をはるかに上回るであろう議論が展開される。当時どれだけこの書が正しく理解されたかは別として、今日の視点からは、著者が文明というものを表層的な最新技術や洗練された生活様式ではなく、そうしたものを可能にする経済基盤や国民に根付いた思考様式であると理解していたことがよくわかる。
当時の知的水準からすると、はるかに高い水準で議論を展開している本書ではあるが、これだけ痛烈に東洋学をやっつけておきながら、東洋学者を西洋学振興の味方に付けようという意図があったというのであるから笑ってしまう。批判される側としては、こみ上げる怒りを抑えるだけでもやっとのことであったのではなかろうか。とはいえ、誠実な読者はこれだけ広範にわたる最新学説を展開されて舌を巻いたであろうことは想像に難くない(実際のところその議論のほとんどはギゾーに追っているようだがその当否は今後の課題としたい)。
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「文明論之概略を読む」と一緒に読むことをお薦めします。
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日本に足りないのは実学。数理学や近代科学。人は生まれながらの貴賎の差はないが、実学を学べば地位の高い人・裕福な人になる。実学を学ばなければ、地位の低い人・貧しい人になる▼国を守る。国のために命を捨てる。自由独立を守る。国民のわずかがこうした気概を持っているだけでは独立は守れない。国民ひとりひとりが独立自尊の精神を持たねばならない。「日本人は日本国をもってわが本国と思い、その本国の土地は他人の土地にあらず、わが国人の土地なれば、本国のためを思うことわが家を思うがごとし。国のためには財を失うのみならず、一命をも抛(なげう)ちて惜しむに足らず。これすなわち報国の大義なり」『学問のすすめ』1872
日本では被治者は治者の奴隷だという発想がある。政府に任せきり、国の事に関与しない態度。日本には政府はあるが、国民(ネーション)がまだない。まず精神的な態度を身に着けるべき▼儒教は徳による統治ばかりで、体制の維持に利用されてきた。停滞の原因だ。違う意見を持つ多くの人が、さまざまな事柄に関して議論する自由の気風を制限してきた。また、儒教は能力のある者を抑圧する身分制度を正当化してきた▼明治維新が起こったのは人民に、知恵の力が育ってきていたからだ。ペリー来航はきっかけに過ぎない。中国と違い、武士が天皇から権力を奪ったことも、自由の気風が生まれる遠因になった。『文明論之概略』1875
祭祀(まつり)と政治(まつりごと)を明確に分けるべき。政治は損得勘定にかかわるものであり政党がすべきこと。天皇は自ら政治に当たるべきではなく、民心融和の中心にならねばならぬ。天皇は党派によらない権威であるからこそ、危機に際して国民の一体化を容易にする。天皇は国民統合、歴史伝統の象徴であり、直接に政治権力を行使しないことにこそ意味がある。『帝室論』1882
(以前から支援していた金玉均による朝鮮近代化が西太后に潰された甲申政変1884の翌年) 中国や朝鮮は儒教思想に染まったままだ。日本はこれらの地域と共にアジアを興そうと考えることなく、西洋文明国と行動を共にすべきだ。『脱亜論』1885
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※大坂(堂島)生まれ。適塾(現大阪大学, 緒方洪庵)に学ぶ。 -
全編を通じて、権力の偏重と行政の無責任さ、学者の見識外れ、民衆の政治的関心の低さなどを嘆じる義憤が、通奏低音のように流れている。やむにやまれぬ思いで、一気に書かれたものであろうと推察する。
今から1世紀半近くの昔に書かれたものであるが、その訴えるところはいささかも古びてはいない。つまりは、この国の基本的なところは、明治の初め頃と何も変わってはいないということなのである。 -
文明を進めて独立を得る。文明とは、社会を人為的に操作する度合い?そのためには、規則や制度を整えるだけではなく、人民1人1人の独立の気風が必要。
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解説によると「福沢の生涯最高の傑作」との事。福沢が日本近現代最高の思想家であるとするならば、本書は日本近現代最高の思想書という事になるのかもしれない。福沢の思考方法には今読んでも唸らされる点が多々あるし、現代人でもコレに匹敵するモノを書ける人間はいないだろう。約150年前にコレを書いたというのは凄いとしかいいようがない。が、この時代・このタイミングだからこそ書けたのかもしれないとも言える。ただし、本書は出版当時はあまり読まれず、読まれるようになったのは1930年代と1950年代以降のようであるが。
文語体で少々読みにくく、内容をしっかり理解できているのか覚束ないのが難点ではあるが、その辺は注釈書や現代語訳で補いながら原文を読む事により、著者の息遣いを感じる事が有益に思える。 -
福沢の言葉は100年後も死んでいない。
利害得失を論ずるは易しといえども、軽重是非を明にするは甚だ難し。一身の利害を以て天下のことを是非すべからず、一年の便不便を論じて百歳の謀を誤るべからず。多く古今の論説を聞き、博く世界の事情を知り、虚心平気、以て至善の止まるところを明にし、千百の妨碍を犯して、世論に束縛せらるることなく、高尚の地位を占めて前代を顧み、活眼を開きて後世を先見せざるべからず。p24-25 -
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再読。明治八年の出版。「文明」とは何か、日本の文明、西洋との比較など多角的に分析した一冊。諭吉いわく、西郷隆盛も読んで、少年子弟におすすめしてくれたらしい(笑)
ざっくり要点だけまとめると、
「文明とは結局、人の智徳の進歩というて可なり」
では「智徳」とは何かというと、
「智とは智恵ということにて、西洋の語にてインテレクトという。事物を考え、事物を解し、事物を合点する働なり」
「徳とは徳義ということにて、西洋の語にてモラルという。モラルとは心の行儀ということなり」
そんな智と徳を磨いて西洋に負けず良いとこだけは見習いつつ、日本の「独立」を目指しましょうと。「モラル=心の行儀」ってすごくわかりやすい!基本的には『学問のすゝめ』と同じく、国民を啓蒙する内容だけれど、こっちのほうがちょっと難しい感じ。若者ではなくある程度の年配層、すでにある程度の学識のある読者を想定していたのかも。 -
幕末から明治にかけて世界の中の日本の置かれた状況を冷徹に分析し、日本の植民地化を防ぎ国の独立を守るためにこそ西洋の文明を取り入れる必要があることを、論理的、体系的に、かつ相当の危機感をもって書かれた警醒の書。福沢は、内に憂国の思いを持ちながらも決して原理主義、絶対主義に堕することなく、全ての物事を相対的に比較衡量して、常に目的のための最適な手段を考えるリアリストである。単なる西洋かぶれの思想家ではないことがよく分かった。
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現代語ではないので
読み辛いといえばそうなのだけど
著者に出来る限り近い言葉に触れた方が
真意が伝わり易いと感じる。 -
福沢諭吉の主著。ギゾー、バックルなどの文明史論を取り入れつつ、西洋文明と日本文明を対照させ、西洋文明に学ぶ必要を説く。明治8(1875)年刊。
本書の主張は明白である。西洋文明を目的とすべし、というのがそれだ。はたして今日の日本は、様々な点で西洋化された国となった。では、福沢の願いは叶ったといえるか。否であろう。本書刊行の70年後に日本は独立を失うことになったし、また現在の日本にしたって、福沢が指摘した問題点をどれほど克服したといえるだろうか。そもそも福沢が西洋に学ぶべしとしたその第一は精神(気風)である。が、現実の西洋化はもっぱら文物・技術・制度の面で行われてきた。今日、日本が直面している様々な問題に分け入っていくと、「結局、日本の文化が…」「日本人ってのは○○だから…」みたいな話になって終わることが多い。つまりは日本人の精神、気質や気風が問題となっているのであり、福沢が出した宿題がそのままになっているといえる。
また、本書は日本が西洋近代というものに直面して間もないころに書かれたものである。福沢は西洋と対面するその最前線にいた人物であるから、本書の記述からも福沢が抱いていた危機意識・緊張感といったものを垣間見ることができる。昨今の政治的議論の弛緩ぶりを想うとき、思考のスタイルといった点でも、本書から学べることは多そうである。
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『文明論之概略』は古い本なので、21世紀人たる私たちが読むにはいくらか障害がある(文体とか)。そこでお勧めしたいのが丸山眞男『「文明論之概略」を読む(上・中・下)』(岩波新書)との併読である。まさに「精読」といった感じの解説本であり、福沢の思想のより深い理解へと私たちを導いてくれるだろう。ただ、このプランは文庫1冊プラス新書3冊で、読み通すのが少々大変ではある。そこでより簡便なルートとして斎藤孝による現代語訳がちくま文庫から出ている。未読なので訳の出来不出来等のコメントはできないが、近代の古典の現代語訳という試みは評価したい。古典は多くの人に対して開かれてあるべきだ。 -
日本経済新聞社
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リーダーの本棚最善選択する知的強靱さ
慶応義塾長 清家篤氏
2015/6/7付日本経済新聞 朝刊
「知的な強靱(きょうじん)さ」を感じさせる著書に引き付けられる。
座右の書は福沢諭吉の『文明論之概略』だと言うと、立場上そう言うのだと思われるかもしれません。しかしこの本は大学院生のときに、日本の計量経済学の先駆者の一人である小尾恵一郎教授(当時)から勧められて読んで以来、本当に座右に置いています。最初は「説教くさい本ならすぐに閉じよう」とやや消極的に読み始めましたが、読み出したらやめられず一気に読了しました。
自分の価値観と合致していた本なのでしょう。あらゆる事柄を相対的にとらえるべきだという福沢の考えが、冒頭の「軽重、長短、善悪、是非等の字は相対したる考えより生じたるものなり」によく表れています。何か一つのことを絶対視する思想とは全く異なる立場です。この本の核心は、徳(モラル)と智(ち)(インテレクト)をさらに私のそれと公のそれとで私徳(律儀(りちぎ)などを意味する言葉)、私智(事物を理解し工夫する力)、公徳(公平などを意味)、そして公智(物事の軽重大小を判断する力)の4つに分け、最も大切なのは公智であると説くところです。相対的な価値の中から、その時々で最善のものを選択するということで、知的強靭さを必要とします。絶対的な価値を唱え続けるよりずっと難しいことです。
知的強靭さを感じる本を読むと、自分も少し強くなれそうな気になります。感銘を受けた猪木武徳著『戦後世界経済史』に「可能性と蓋然性は異なる」との一文があります。何でも起こりうる「可能性」と、実際に起きる見込みである「蓋然性」の違いをデータと論理によって判別すべきだと指摘しています。
研究活動の合間を縫い、余暇に読む本は実在の人物を題材にした作品が多い。
一つの価値を絶対視する考え方が苦手なのは父の影響もあるかもしれません。建築家だった父は大学卒業と同時に海軍に入隊しました。どう見ても軍隊には不向きで、実際、軍隊はこりごりだったようですが、一方で妙に海軍びいきでもありました。それが不思議でしたが、大学生のときに阿川弘之の『暗い波濤(はとう)』を読んで少し理解できました。戦争や旧日本軍の愚かしさを知りつつも、自分の任務をなんとか果たそうとする学徒兵の姿が描かれています。いかにも軍人風の説教をする参謀に「私ら、軍人が商売とちがうんです。偉い人に勲章もらわすために死にに行くんやないですよ」と学徒兵がたんかを切る場面が象徴的です。その後、しばらく阿川作品にはまり、山本五十六、米内光政、井上成美の3部作も読みました。やはり惹(ひ)かれたのは、あまりすっきりしないようにも見える『米内光政』です。
厳しい状況の下で、物事の軽重大小を判断し、相対的に少しでもマシな選択をするのは決してすっきりしたものとはなりません。米内が日米開戦直前に参内し、このままではジリ貧だから開戦すべしという論に対し、「ジリ貧を避けようとしてドカ貧になりませんように」と言上したあたりに、公智を感じます。実は陸軍軍人の中にも、保阪正康の『破綻―陸軍省軍務局と日米開戦』の描く石井秋穂のように最後まで開戦を避けようと努力した人もいました。懸命に戦争回避策を考えた「理性派」「寡黙な人たち」が、大言壮語して開戦を主張する「感情派」「放言癖」の人たちに悩まされる姿を保阪はビビッドに描いています。
誠実な生き方を記した書にも共感する。
仕事ぶりにとどまらず、人生の歩みとしても、誠実で淡々とした生き方を描いた本に引かれます。吉村昭の綿密な取材調査に基づいた一連の小説は愛読書ですが、その仕事や生活ぶりが彷彿(ほうふつ)されるようなエッセー『わたしの流儀』、『私の好きな悪い癖』なども好きです。マルクス・アウレーリウスの『自省録』はローマ皇帝の生き方を記した本です。彼が父について書いた「彼にたいする喝采やあらゆる追従をさしとめたこと。(略)大衆にこびようともせず、あらゆることにおいてまじめで着実で、決して卑俗に堕さず、新奇をてらいもしなかったこと。(略)人生を快適なものにするすべてのもの(略)がある時にはなんら技巧を弄することもなくたのしみ、無い時には、別に欲しいとも思わなかったこと」は今日でもリーダーの生き方の模範だと思います。
(聞き手は編集委員 前田裕之)
【私の読書遍歴】
《座右の書》
『文明論之概略』(福沢諭吉著、岩波文庫ほか)
《その他愛読書など》
(1)『戦後世界経済史』(猪木武徳著、中公新書)。「市場化」をキーワードに世界経済の半世紀にわたる変化を検証。
(2)『暗い波濤』(上・下、阿川弘之著、新潮社)
(3)『米内光政』(阿川弘之著、新潮文庫)。米内をよく知る人たちの証言を調べ上げ、様々な資料を活用して「内面がわかりにくい人物」とされた米内の実像に迫っている。
(4)『破綻―陸軍省軍務局と日米開戦』(保阪正康著、講談社)
(5)『わたしの流儀』(吉村昭著、新潮社)。日常生活での様々な発見や小説の題名のつけ方など著者の人間性があふれる随筆集。
(6)『私の好きな悪い癖』(吉村昭著、講談社)
(7)『自省録』(マルクス・アウレーリウス著、神谷美恵子訳、岩波文庫)。皇帝の公務の傍らで、折に触れて浮かぶ感慨や思想などを断片的に書き留めた書。
せいけ・あつし 1978年慶応義塾大学経済学部卒業。92年同大学商学部教授。2009年5月から現職。専門は労働経済学。『雇用再生』など著書多数。 -
p78 71中
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(2013.06.05読了)(2007.11.12購入)
「「文明論之概略」を読む」丸山真男著、全三巻を読んだので、原文にも目を通しておこうと読み始めたのですが、とても読んだという情況ではなく、一通り目を通した、というところです。通常1時間に40頁ぐらい読めるのですが、この本は、1時間に20頁というペースで、なかなか大変でした。これから読もうという方は、現代語訳も出ているようなので、そちらを読むことをお勧めいたします。
解題で、津田左右吉さんが各章の内容を要約しているので、拝借しておきます。
第一章は、ものごとの利害得失を考えるには、その本位(規準または基本というほどの意義であろう)を定めることが必要であることを述べたものである。
第二章では、今の西洋は文明の域に進んでいるが、日本はまだそこまでいっていないから、西洋の文明を学ぶべきだと言っている。
第三章は文明の本質を考えたものであって、まづ文明は人の生活のあらゆることがらに関するものであることを説き、次に文明の根本は智徳の進歩であるといっている。
第四章から第七章までは智徳についての考察であって、文明は国民一般の知徳の働きの総合せられたもの、すなわち人民全体の気風の現れ、であるので、それが文明の精神である、したがって智徳の与かるところの治乱興廃も、この気風によって生ずるので、一二の英雄などの力ではないという。
第八章は西洋の文明の由来を論じ、第九章はこれに対して日本の文明の由来を考えて、西洋ではいろいろの思想が並存しているのに、日本ではなにごとも政治的権力に支配せられているので、それがために文明が進歩しなかった、と言っている。
第十章に於いて、強い調子で日本の独立を論じている。外国との交際を盛んにすることによって独立の気象を練磨すると共に、日本を文明の域に進めることの外には無い。
【目次】
凡例
緒言
巻之一
第一章「議論の本意を定る事」
第二章「西洋の文明を目的とする事」
第三章「文明の本旨を論ず」
巻之二
第四章「一国人民の智徳を論ず」
第五章「前論の続」
巻之三
第六章「智徳の弁」
巻之四
第七章「智徳の行はる可き時代と場所とを論ず」
第八章「西洋文明の由来」
巻之五
第九章「日本文明の由来」
巻之六
第十章「自国の独立を論ず」
解題 津田左右吉
後記 富田正文
諭吉を理解するために 遠山茂樹
●お互いを知ることが大事(20頁)
交際は、或は商売にても又は学問にても、甚しきは遊芸酒宴或は公事訴訟喧嘩戦争にても、唯人と人と相接して其心に思うところを言行に発露するの機会となる者あれば、大いに双方の人情を和らげ、所謂両眼を開いて他の所長を見るを得べし。人民の会議、社友の演説、道路の便利、出版の自由等、都て此類のことに就いて識者の眼を着する由縁も、この人民の交際を助るがために殊に之を重んずるものなり。
●異端妄説(22頁)
古来文明の進歩、其初は皆所謂異端妄説に起らざるものなし。「アダム・スミス」が始て経済の論を説きしときは世人皆これを妄説として駁したるに非ずや。「ガリレヲ」が地道の論を唱えしときは異端と称して罪せたるに非ずや。異説争論年又年を重ね、世間通常の群民は恰も智者の鞭撻を受て知らず識らず其範囲に入り、今日の文明に至ては学校の童子と雖ども経済地道の論を怪しむ者なし。
●西洋文明(24頁)
今世界の文明を論ずるに、欧羅巴諸国並に亜米利加の合衆国を以て最上の文明国と為し、土耳古、支那、日本等、亜細亜の諸国を以て半開の国と称し、阿弗利加及び墺太利亜等を目して野蛮の国と云い、この名称を以て世界の通論となし
●太平安楽(26頁)
今後数千百年にして世界人民の知徳大に進み太平安楽の極度に至ることあらば、今の西洋諸国の有様を見て愍然たる野蛮の歎を為すこともある可し。是に由てこれを観れば文明には限りなきものにて、今の西洋諸国を以て満足可きに非ざるなり。
●順序(31頁)
欧羅巴の文明を求るには難を先にして易を後にし、先ず人心を改革して次で政令に及ぼし、終に有形の物に至る可し。
●統計学(74頁)
広く実際に就て詮索するの法を、西洋の語にて「スタチスチク」と名く。
●時勢(84頁)
政権の王室を去るは他より是を奪うたるに非ず、積年の勢に由て王室自らその権柄を捨て他をして之を拾わしめたるなり。
●改革の乱(96頁)
改革の乱を好む者は智力ありて銭なき人なり。古今の歴史を見てこれを知る可し。
●国と国(238頁)
国と国との交際に至ては唯二箇条あるのみ。云く、平時は物を売買して互いに利を争い、事あれば武器を持って相殺すなり。
●サンドイッチ島(253頁)
「サンドウィッチ」島は千七百七十八年英の「カピタン・コック」の発見せし所にて、その開化は近傍の諸島に比して最も速やかなるものと称せり。しかるに発見のとき人口三、四十万なりしもの、千八百二十三年に至て僅に十四万口を残したりと云う。
●国の独立を(258頁)
目的を定めて文明に進むの一事あるのみ。其目的とは何ぞや。内外の区別を明にして我本国の独立を保つことなり。
☆関連図書(既読)
「福澤諭吉」西部邁著、文芸春秋、1999.12.10
「「文明論之概略」を読む(上)」丸山真男著、岩波新書、1986.01.20
「「文明論之概略」を読む(中)」丸山真男著、岩波新書、1986.03.27
「「文明論之概略」を読む(下)」丸山真男著、岩波新書、1986.11.20
「福沢諭吉「学問のすすめ」」福沢諭吉著・佐藤きむ訳、角川ソフィア文庫、2006.02.25
「福沢諭吉『学問のすゝめ』」齋藤孝著、NHK出版、2011.07.01
(2013年6月6日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
国の独立は目的なり、今の我が文明はこの目的に達するの術なり。西洋心酔と保守主義の相確執する明治初期、文明の本質を論じ、文明は文明自らに意味があるとした上で、今、最も優先すべき課題は日本国の独立であり、西洋文明を学ぶのもそのためであると説く。『学問のすゝめ』と共に、時代の展開に大きな影響を与えた福沢(1835‐1901)の代表的著作。
著者プロフィール
福沢諭吉の作品
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