新訂 福翁自伝 (岩波文庫 青 102-2)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003310229

感想・レビュー・書評

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  • 福沢諭吉先生の自伝。若い頃はまあ血気盛んな、どこにでもいるような若者でも在り、意外といたずらっ子だったのだなーとびっくりした…明治維新のという激動の時代の中でも、かなりマイペースで、しかししっかりとした信念を持って慶應義塾を建てられたことを知った。実は学問のすすめをまだ読んでいないので、なる早で読んでみたいと思う。福沢先生の意外な一面がたくさん描かれていてとても面白い!

  • 幕末から明治を生きた福沢諭吉の人間性が見えてくる。

  • ”『学問のすすめ』からは想像できぬような、人間っぽい福沢諭吉の姿が垣間みえる。

    <抜き書き>
    ・喜怒色に顕さず(p.29)
     「これはドウモ金言だ」と思い、始終忘れぬようにして独りこの教えを守り、ソコデ誰が何と言って褒めてくれても、ただ表面(うわべ)に程よく受けて心の中には決して喜ばぬ。また何と軽蔑されても決して怒らない。
     ※その後に出てくるいたずら好き、議論ふっかけ好きの姿からは想像がつかないが…(笑)

    ・学問勉強ということになっては、当時世の中に緒方塾の右に出る者はなかろうと思われる(略)これまで倉屋敷に一年ばかり居たが、ついぞ枕をしたことがない、というのは、時は何時でも構わぬ、殆ど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わず、頻りに書を読んでいる。(p.96-97)
     ※んー、やはり凄みがある!!


    <きっかけ>
    2年ほど前(2012年?)に購入したが、読みかけのままだった。
    2014年 人間塾 読書会の課題図書となったため、再読することに。”

  • 差別発言や蔑視があり残念だ。

    明治時代はこんな発言する人が教育者、啓蒙思想家だったのか、牽引してきたのか、、、と。

    今でもこの本が慶応では配られてるんだとか…

    福沢諭吉は大変人気が高い。
    今も著述家が引用し、
    紙幣にもなる人である。

    明治の社会を知る資料として読み
    丁寧に顕彰するにふさわしい。


  • 福沢諭吉の生涯を通してその人となりや考え方等を知ることが出来た。想像していたのと違い、意外とおとなしめな印象を受けた。

    新政府よりの人物と思っていたが、全くそうでは無かった。榎本武明の助命にも一役買っていたとは。。

    読みにくそうと思い敬遠していたが、割と読みやすかったが少し時間がかかった。

  • 目下再読中の大作『大菩薩峠』の中で維新時の最大の巨人的評価を受けているのを読んで本作をほんと久方ぶりに手に取る。
    正直まぁそんなに面白い本ではありませんな、解題にも書かれてますがちょっと清廉過ぎるし。まぁ相当な酒好きとかおっと思わせる箇所は多々あるものの、この手の本に期待する無茶苦茶感がほとんどないからねぇ。
    唯この本の重要性は、これまた後記にも書かれてますが、これほどの人物であっても世に蔓延る偏見・時代の制約からは逃れられないという深い現実。こういうのを読むとアリの凄さが際立つんだよなぁ、、、

  • 小林秀雄大先生が、『学問のすすめ』などからは決してこぼれてこない福沢諭吉というひとを知るために挙げていたような気がする。
    あまりに見慣れて、あまりにそのことばが使いまわされていて、正直、この福沢諭吉というひとをどこか敬遠していた。だが実際手に取り彼の淀みない流れるような口授に、改めて、このような先人のことばに触れられる喜びを感じた。自伝と銘打っているが、この作品は福沢諭吉というひとの精神が自ら自身を語ったものと言っていい。池田某のことばと同じ匂いがする。エッセーのような、物語のような。
    ほんとうに福沢諭吉というひとは、正直に善く生きるということをやってのけた大人物であると思う。等身大で生き続けられたというそのことが、驚くべき事実だ。いわゆる日本という国が大きくその価値転換を示されたときに、自分のしたいことだけをして、静かに、だが確実にその種を蒔きつつも、うまくやり過ごす。小林秀雄に言わせれば、「変人」ということばが最もふさわしい。
    まるでこのひと平等主義者のように扱われているが、平等主義などといえば笑って「そんな大層なものではござりません」と言っただろう。男女平等、何をそんなこと今さら。もし今に生きていたら、平等平等と法律などに躍起になるひとをけらけらと笑って酒でも飲んでたでしょう。
    平等なんてものは最初からそうなっているのだ。すべてはことばだ。善いものは善いし、悪いものは悪い。ただこれだけだ。善いと悪いの区別がつくという時点で平等ではない。だが、この自分という存在からすべてが始まっている。これ以上当たり前なことはどこにもない。そして、これはすべてのひとにあてはまる。自分でなく生きているひとなどいない。これが平等だ。金のためにも国のためにも、子供のためにも、家族のためにも生きられる人間なんぞいない。だが、どういうわけか自分というものが生まれて、自分というものを生きるより他ない。これが独立だ。だから自分が嫌だと思うことはしない。なぜ自分が金をひとからくすねたりごまかしたりしてまで生きねばならないのか。そうまでして金をためる必要はない。要るときはその他で使わなければいい。
    彼が鎖国や門閥制を毛嫌いしたのは、理にかなっていないからだ。善いということは生まれた家や将軍や天皇のことではない。そういうものとは関係なく在るものだから。そうであるなら、なぜ、善いものをひとは求めないのか。生れた家で決まるのか。これが彼にとっては我慢ならないことだったから彼は飛び出したのである。彼にとっては王政維新とかどうでもいいのである。そんなものでひとの本質の何が変わるというのだ。だから政府に関与しないのである。
    国がなんだ。俺は自分ができることだけをする。俺のしたいことは誰にの邪魔にならないはずだ。俺は静かに考えるだけだから。俺から学びたいならいつだって来るがいい。俺はそんなこと惜しまない。だが、考えるのは学びに来る君だ。
    彼はひとは社会の虫でその習慣の粘り強さを良く知っている。その習慣を変えるのは容易なことではないのも自身でよく体験した。その習慣を改めるには社会の大きな変化が必要だと彼は言った。独立心を説く彼が、社会というものに習慣を依存させてしまっているように思える。だが、これは違う。社会のせいなどには彼は決してしていない。彼にとっての社会とは、この自分自身という存在に他ならない。自分が習慣を改めようと思わなければまるで意味がないと彼は知っている。ではなぜ習慣を改めようと思わないか。ひとつにその習慣が善いものだと思っているから。もうひとつがそれが習慣であるということにさえ気づいていないから。そのため、彼は有形において数と理を求めたのである。そして、その数と理を学ぶためにはことばとしての英語が必須であったのだ。英語が主流であることは実際事実なので、そこで彼はしょうがなくオランダ語を捨てて英語を学んだのだ。英語が大事なのではない。英語はただの手段でしかない。日本語や中国語で同じことができれば、おそらく英語をわざわざやる必要なしと彼なら言っただろう。
    彼のことを考えていると、この福沢諭吉というひととソクラテスというひとを無性に対談させてみたくなる。

    ソクラテス まったく君はずいぶんうまいこと生きたもんだね。見上げたもんだよ。
    福沢 それを言ったらあなたの方がよっぽど話題の尽きない人生だったでしょうに。
    ソクラテス 僕の方は裁判なんて厄介な制度が習慣としてあったからね。
    福沢 習慣ってのはほんと、恐ろしいものですね。
    ソクラテス まったくだ。あれほど恐ろしく不思議なものはない。
    福沢 僕なんてもう面倒くさくてどうにでもなれ! って投げ出しましたもん。
    ソクラテス 君の自伝でもあったね。学校つくれとか、官僚になれとか、いろいろ。
    福沢 あんなもので人間ころって変わったらそれこそ、あなたに申し訳ないですよ。
    ソクラテス どうも人間そう変わっていないようだね。世界というのは自分のこと以外のなんだというのだ。
    福沢 独立というのが何よりも必要だというのに。有形、実践、世に役立つ、なんていうものがいかに浅薄なことか。
    ソクラテス あれが僕にはわからない。一体何が何に役立つことなのか。何を何に実践するのか。
    福沢 そんなに知りたきゃちゃんと学問でもしてみろ!って言ってやりましたよ。
    ソクラテス 君のそういうところが役得なところだねぇ

    ふたりで酒を飲みながらそんなこと言っているような気がしてならない。
    体調の問題か、彼が自伝で終わりの章はかなり足早に書かれている。書ききらなかった日清日露戦争、大正昭和聞いてみたかった。

  •  読書に草臥れ眠くなって来れば、机の上に突っ臥して眠るか、あるいは床の間側を枕にして眠るか、ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない。その時に初めて自分で気が付いて「なるほど枕はない筈だ、これまで枕をして寝たことがなかったから」と初めて気が付きました。(p.97)

     今日の書生にしても余り学問を勉強すると同時に始終我身の行く先ばかり考えているようでは、修業は出来なかろうと思う。さればといって、ただ迂闊に本ばかり見ているのは最も宜しくない。(中略)如何したらば立身が出来るだろうか、如何したらば金が手に這入るだろうか、立派な家に住むことが出来るだろうか、如何すれば旨い物を食い好い着物を着られるだろうか、というようなことにばかり心を引かれて、齷齪勉強するということでは、決して真の勉強は出来ないだろうと思う。就学勉強中はおのずから静かにして居らなければならぬ、という理屈がここに出て来ようと思う。(pp.113-4)

     私は横浜に見物に行った。その時の横浜というものは、外国人がチラホラ来ているだけで、掘立小屋みたような家が諸方にチョイチョイ出来て、外国人が其処に住まって店を出している。其処へ行ってみたところが、一寸とも言葉が通じない。此方の言うこともわからなければ、彼方の言うことも勿論わからない。店の看板も読めなければ、ビンの貼紙もわからぬ。何を見ても私の知っている文字というものはない。英語だか仏語だか一向わからない。(p.120)

     とかく世間の人の喜んでいるようなことは、私には楽しみにならぬ、誠に損な性分です。ダカラ近来は芝居を見物したり、または宅に芸人など呼ぶこともあるが、これとて無上の快楽事とも思われず、マアマア児孫を集めて共に戯れ、色々な芸をさせたり嗜きな者を馳走したりして、一家内の長少睦じく互いに打ち解けて語り笑うその談笑の声を一種の音楽として、老余の楽しみにしています。(p.346)

     両人出発の節堅く申し付けて「留学中手紙は毎便必ず必ず出せ、用がなければないと言ってよこせ、また学問を勉強して半死半生の色の青い大学者になって帰って来るより、筋骨逞しき無学文盲なものになって帰って来い、その方が余程喜ばしい。仮初にも無法なことをして勉強し過ぎるな。倹約はどこまでも倹約しろ、けれども健康に係わるというほどの病気か何かのことに付き、金次第で如何にもなるということならば、思い切って金を使え、少しも構わぬから」とこういうのが私の命令で、ソンナことで六年の間学んで二人とも無事に帰って来ました。(pp.354-5)

     人々の進退はその人の自由自在なれども、全国の人がただ政府の一方を目的にして外に立身の道なしと思い込んでいるのは、畢竟漢学教育の余弊で、いわゆる宿昔青雲の志ということが先祖以来の遺伝に存している一種の迷いである。(中略)一国の独立はこくみんの独立心から湧いて出てることだ、国中を挙げて古風の奴隷根性では迚も国が持てない、出来ることか出来ないことかソンナことに躊躇せず、自分がその手本になってみようと思い付き、人間万事無頓着と覚悟をきめて、ただ独立独歩と安心決定したから、政府に依りすがる気もない、役人たちに頼む気もない。(p.366)

  • 田島俊郎先生(総合科学部国際文化コース)ご推薦

    教育者の自伝なんてオモシロくなさそう。道徳や自慢話を聞かされそうで、遠ざけておいたほうが良さそうだ。でも、そうでもないんです。緒方洪庵塾での修行時代は、酒を飲んで騒いだり、塾中に一冊しかない辞書で徹夜で予習したり、遊びと勉強にいっぱいで、道徳臭さはない。
    咸臨丸で行ったアメリカやヨーロッパで戸惑う様子はさらに面白い。もっとも、ただ戸惑ったと言っても、ちゃんと予習はしていた。でも予習してもわからないことは多い。「原書を読んでわからぬところは字引を引いて調べさえすればわからぬことはないが、外国の人に一番わかり易いことでほとんど字引にも載せないというようなことが一番難しい。」そう、わかっている人には、何がわからないかもわからないから説明もできない。わからない方だって何がわからないかわかった上でないと、説明を求めることもできない。
    大概のことはネットで調べられそうな現代だが、何がわからないかは、ネットは教えてくれない。自分で体験して驚いて何がわからないかを確認することが大事だというのは、今も諭吉の時代と変わらぬ真理だろう。

  • 福沢諭吉も、若い書生時代には中々DQNなことをやっていたようで。
    反封建主義の姿勢には共感を覚える。

    「私は毎度このことを思い出し、封建の門閥制度を憤ると共に、亡父の心事を察して独り泣くことがあります。私のために門閥制度は親の敵で御座る。」(14頁)

    「日本の不文不明の奴らが殻威張りして攘夷論が盛んになればなるほど、日本の国力は段々弱くなるだけの話で、しまいには如何いうようになり果てるだろうかと思って、実に情けなくなりました。」(134頁)

    慶応は寄付金が多いらしいが、これは当初からの塾の校風を受け継ぐものなんだろうな。214頁参照。

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著者プロフィール

1935~1901年。豊前中津藩(現・大分県中津市)下級藩士の次男として生れる。19歳の時、長崎に蘭学修行におもむく。その後、大阪で適塾(蘭方医、緒方洪庵の塾)に入塾。1858年、江戸で蘭学塾(のちの慶應義塾)を開く。その後、幕府の使節団の一員として、3度にわたって欧米を視察。維新後は、民間人の立場で、教育と民衆啓蒙の著述に従事し、人々に大きな影響を与えた。特に『学問のすすめ』は、17冊の小冊子で、各編約20万部、合計で340万部も売れた大ベストセラー。その他の著書に『西洋事情』『文明論之概略』『福翁自伝』など。

「2010年 『独立のすすめ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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