学問のすゝめ (岩波文庫)

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  • 岩波書店
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レビュー : 129
  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003310236

作品紹介・あらすじ

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」。著名なこの一文で始まる本書は、近代日本最大の啓蒙家である福沢諭吉(1835‐1901)が、生来平等な人間に差異をもたらす学問の意義を、平易な文章で説いた17の小篇からなる。西洋実学の批判的摂取をすすめ、明治の人心を啓発したその言は、今日も清新である。

感想・レビュー・書評

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  • 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」から始まる『学問のすすめ』。この言葉は、人の平等について述べたものではあるが、その主旨は、機会の平等であり、現実にある不平等は学問のありなしによるものであることを強調するためのものである。機会はすべてのものに平等に与えられるべきものであるが、学び続けなければその機会を捉えることはできないというものである。「人と人との釣り合いを問えばこれを同等と言わざるを得ず。ただしその同等とは有様の等しきを言うにあらず、権利道義の等しきを言うなり」と明言している。

    福澤諭吉は、欧米列強が世界に進出する中で世界の情勢をよく知っていたであろう。場合によっては植民地化される危機も現にあったであろう明治初期において、福澤の持つ危機感は、今から想像することも難しいものであったかもしれない。その思いは、「独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず」と書くときに、国の「独立」が持つ意味は今とは全く違ったであろうことを意識するべきである。福澤諭吉が「国内のことなればともかくなれども、いったん外国と戦争などのことあらばその不都合なること思い見るべし」というときには、その切実さに思いを至らせるべきだろう。「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛ものなり」というくだりについては、今の時代においても心しておかなければならないところである。

    また、「これをもって世の人心ますますその風に靡き、官を慕い官を頼み、官を恐れ官に諂い、毫も独立の丹心を発露する者なくして、その醜体見るに忍びざることなり」という言葉は、メディアにも当てはまることではあるが、自分も含めて多くの人に無関係なことではない。官よりも民というものは『学問のすすめ』の中ですでに徹底されているし、私学を創設したその行動にも表れている。また外国がやっていることをそのまま信じるべきではないというところは、他社がやっていることや海外のメーカーから言われたことをそのままやるようなことはするべきではなく、きちんと自分の頭で考えよということにも通じるであろう。そのために常に学ぶ姿勢と、独立の気力が必要となるのである。

    『学問のすすめ』の中でも「電信・上記・百般の器械、したがって出ずればしたがって面目を改め、日に月に新規ならざるはなし」と言われている。現代は当時と比べるとさらに秒進分歩くらいのスピードで世の中が変わっていることは間違いない。その変化が自らの有利に働くようにするためには、常に学び続けることが必要だろう。

    「学問の道を首肯して天下の人心を導き、推してこれを高尚の域に進ましむるには、とくに今の時をもって高機会とし、この機会に逢う者はすなわち今の学者なれば、学者世のために勉強せざるべからず」と言う。「学問の要は活用にあるのみ。活用なき学問は無学に等し」とするところは実用・現場に適用してこその知識という点でも重要である。

    最後には、立ち振る舞いや容姿、スピーチ能力についても言及をしており、非常にプラグマティックである。

    以下が、『学問のすすめ』の章立てである。女性の教育などについてもリベラルで先進的である。
    それにしても明治の知識人の範囲は広い。


    初編: 端書「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」~
    二編: 端書 人は同等なること
    三編: 国は同等なること 一身独立して一国独立すること
    四編: 学者の職分を論ず 付録
    五編: 明治七年一月一日の詞
    六篇: 国法の貴きを論ず
    七編: 国民の職分を論ず
    八篇: わが心をもって他人の身を制すべからず
    九編: 学問の旨を二様に記して 中津の旧友に贈る分
    十篇: 全編のつづき、中津の旧友に贈る
    十一編: 名分をもって偽君子を生ずるの論
    十二編: 演説の法を勧むるの説 人の品行は高尚ならざるべからざる野論
    十三編: 怨望の人間に害あるを論ず
    十四編: 心事の棚卸し 世話の字の義
    十五編: 事物を疑いて取捨を断ずること
    十六篇: 手近く独立を守ること 心事と働きと相当すべきの論
    十七編: 人望論

  • 予想外のおもしろさでした。例の「天は人の上に~」で始まる有名な本書ですが、月並みな良い方では、現代でも全然古くないように思います。

    ただ、文章は文語なのですこし難しいかもしれません。ただ、明治時代に書かれたものなので、平安時代に書かれた「古文」と比べれば、はるかに現代語に近いので、あまりそこは気にしなくてよいと思います。

    唯一、現代ではあまり使われない二重否定の表現さえ気をつければ、変な誤解は防げると思います。「せざるべからず」みたいなのね。こういう部分は気をつけて「しないべきではない」だから、「するべきだ」という風に読んでいくとよいと思います。

    さて、「学問のすすめ」というタイトルですが、その目的は「独立」ということなのだと思います。この「独立」ということも、ただ単に生計を成り立たせるということではなく、明治新時代にふさわしい、近代国家にふさわしいというような意味です。これも本書に詳しく書いてあります。つまり、「独立」を成し遂げるためには、学問をしないといけませんよ、とそういうことなのだと思います。

    また、福沢は、日本の「独立」についても、とても気にしています。当時の緊迫した国際状況がひしひしと伝わってくる部分です。実際に海外を見て回った経験のある福沢だからこそ、危機感も強かったのだと思います。

    本書の最大の魅力は、福沢の舌鋒というか筆鋒の鋭さだと思います。特に儒者への批判はなかなか痛快で、たとえば孟子が(親)不孝には3つあるが後継ぎがいないことが最も不孝であるとしたことに対して、「天理にもとることを唱うる者なれば、孟子にても孔子にても遠慮に及ばず」といって「罪人と言って可なり」とまで言ってこきおろします。こういう歯に衣着せぬ物言いも楽しいところです。

    私はまだ福沢に追いついてないと思います。学問を進めなければなりませんね。

  • 学問に対する心構え・とらえ方に一石を投じる本。

    「天は人の上に人を作らず。人の下に人を作らず」という有名な出だしから始まる本。
    人は生まれながらにして根源的には同じであるが、結果的に差がつくのは学問の量というわけ。

    いわゆる「社会的地位」の「高い」といわれる仕事、これは「高貴」だからつけるのではなく、学問の積み重ねによるもの。
    つまり医者・学者・政治家・官僚・大企業の経営者・弁護士…確かに勉強してるわな。

    そしてここでいう「学問」とは、人生に彩りを添える文学のようなものだけではない。
    当時「学問とは教養、もっといっちゃえば机上の空論」とみなされていたのだが、
    (田舎じゃ「百姓が字なんか覚えなくていい」って言われてたみたいだしねw)
    諭吉いわく「実生活で役立たなければ学問にあらず」と。
    だから当然、百姓であれ商人であれ、学問は必要であると。
    ここでもう、学問とは何かという今までのとらえかたに変化を加えたねー。


    面白いのは政治に対するとらえ方。
    文明を進めるにあたり、政府が政策を打ち出しているが、
    国民1人1人の意識が変わらなければ、文明開化などしないのではないかということ。
    (「タコツボ理論」:友成真一「問題はタコつぼではなくタコだった!?」参照 と、まんま言っていることが同じ…)
    そして物事を成し遂げるには、政治家だけに任せてはいけない、国民1人1人が国のために何かをしなければ。と。
    なぜなら職業は違うけれど、みな日本に住む人間なのだから…と。


    あと「独立」についても随分書かれているけれど、ぐさっときたのは
    「衣食住を自分でまかなっても、独立とはいえない」ということ。
    自分の餌をとってこない動物なんていない。
    だから自分の食いぶちを稼いでいるだけで満足しているうちは、別に悪くはないけれど、蟻と一緒である・・・と。
    したがって、人間であるからには、世に何かを残すくらいでなければ「独立」といえない、と。

    はー、これ脳天打ち砕かれたねー。
    自分の食いぶちを稼ぐのは蟻と一緒って(笑)
    生きている証を時代に打ちつけたいよね・・・・


    また男女平等について、これが書かれた時代を考えると、諭吉はやはりとても合理的な人だと思う。
    根源的には同じ人間なのに…と女七大学を批判。
    力の強い者が弱いものを屈伏させるのはおかしいよね!!


    まだまだ書きたいけど、続きはぜひ本物を読んでください!笑

  • 教科書に載っていて(特に冒頭の一文を)誰もが知っている、この一万円札の人の名著、初めて全編読んだ。私のようにあまり古文が得意でなくても十分理解できる文章。
    人は生まれながらにして貴賤、貧富の別なし、と断定するこの思考は、古日本的な、共同体や世間=世界=社会と分離し得ないものとして規定された主体の未分化状態から、「独立」したものとして「人間」を取り出そうとしているように見える。このような、西欧式の「人間」の発明は、それまでの日本には全く無かったというわけでもなかろうが、明治初期=近代の曙において言説が出版され、極めて広範な層に渡って読まれたという事実は、やはり歴史上非常に重大なできごとであったろう。
    福澤諭吉は何よりも「国の独立」を案じていた。それは時代の空気であったに違いない。
    日本は幸運だったのか、国土に誰も魅力を感じなかったのか、古来占領されたことはなくもともと「独立」していたものだったが、鎖国が解かれ凄まじい勢いで「西洋文化」が流入し、突如大洋の中に投じられた者のように「日本」が認識された当時の状況が、こうした言説を生んだものと思われる。
    国が「独立」しなければならない、という焦燥感が、ただちに「個人」が独立しなければならない、という説諭に転じる。
    おもしろいのは、人を裁くのは政府の領分であり、仇討ちなどのような「私裁」は非難されるべきである、忠臣蔵などもってのほかである。そのように「個人」のテリトリーと「政府」のテリトリーは区別されるべきであって、それが「国民と政府との約束」だ、という考え方。
    近代法治国家の原思想みたいなものだが、このようにして国民(個人)は保護され・制限されつつ、学問を身につけることで独立し、ひいては国家の独立をまっとうすべし、というのが福澤の思想である。
    この本に鼓舞されたような形で、つまり西洋的に「人間の独立」がその後進んだのかというと、現在の日本を見てもどうやら怪しい。「日本的体質」はやはりそういう方向には激変しなかった。
    「個人の自立」は、現在はただ消費社会・情報過多社会によって「みんなバラバラ」「価値観が多様な無縁社会」「病んだ個人の急増」というかたちとなって、皮肉にも実現しているにすぎない。
    病んでいない面においては、会社もお役所も政治も、どこか「個人の独立」とはちがう空気をはらんでいる。
    たとえば以前、たまたま見た「ショムニ」という変なTVドラマの最終回でOL(江角さん)が「会社は社員のためにあるのよ!」という不条理で奇怪な、反-資本主義的な決めぜりふを発したとき、私はかなりの衝撃を受けたのだが、このように社員=個人がいつまでも会社=共同体に依存し続けているというところが、あまりにも日本的な世界観なのだ。
    そういうわけで、福澤諭吉が論じた「独立」論はついに完徹されなかった。だから、今読んでみても古びていないのだとも言えるだろう。

  • 諭吉自伝を読んだ勢いで諭吉著書も再読。明治5年~9年にかけて不定期に発行された小冊子にして当時のベストセラーを1冊にまとめたもの。ざっくりいうと「民主主義の啓蒙書」というところかしら。初読の時の若かりし自分は随分感銘をうけたようであっちこっちにラインが引いてあってビビる(苦笑)

    内容的には特に「学問」を「すすめ」ているわけではない。というか本を読んで頭に詰め込む類の学問を推奨してはいない。勉強だけ出来ても米の相場を知らなければ商売はできないしそんなもんは役に立たないと、むしろ頭でっかちを戒め、実用、応用、収入源として活用できなければ意味がないから本だけ読めばいいってもんじゃないという趣旨の話が多い。いわく「学問の要は活用に在るのみ。活用なき学問は無学に等し」

    あとは政府と国民の関係、法治国家の意義、なぜ学問が必要かをわかりやすく説いていて、まだ江戸の封建制度の名残りもある明治時代、国民全体がもっと賢くならなくては、という切羽詰まった背景があるからこそだろうけど、現代の惰性に堕ちた国民、個人の金儲けにしか興味のない政治家など、今こそ初心に帰ってこの本を読む意味がある気がした。

    時代が変わっても現代人にとっても為になる部分がたくさんある。男尊女卑とか男女平等という言葉は諭吉は使っていないが「男も人なり女も人なり」と男女が人として対等であることを言い、江戸時代の女性の教科書とされた『女大学』の内容の女性に対するあまりの理不尽さに「男子のためには大いに便利なり。あまり片落ちなる教えならずや」と批判している。明治前半ではこの意見は珍しかったんじゃなかろうか。

    あと現代風に言うならコミュニケーションの重要さについても説いており「人類多しと雖も鬼にも非ず蛇にも非ず~(中略)恐れ憚るところなく、心事を丸出にして颯々と応接すべし」「人にして人を毛嫌いするなかれ」というあたり、むしろ現代人こそ参考にすべきという気がする。

  • マイブーム「読書とはなんぞや」を知るための読書、第八弾。

    読書も学問の一手段でしょ?
    ということで、古本屋で買って来た。

    「学問とは、ただむつかしき字を知り、解し難き子分を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。(中略)さらば今かかる実なき学問は先ず次にし、専ら勤むべき人間普通日用に近き実学なり。」

    福沢諭吉は、実学の例として、読み書き算盤、地理学、究理学、歴史、経済学といったものを挙げている。
    文学を否定しているわけではないが、実学の方が大事だよと。

    私自身は、8割賛成。
    確かに、実学の方が役にたつ。
    体系化された、根拠のあるデータの力は絶大だ。
    しかし、想像力を養うためには、実学よりも、文学かなと。
    要は、バランスなのかなと、落とし所を見つけた。

  • 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。」

    非常に有名な一文であるが、これは決して天の下の平等だけを意味するのではない。

    福沢諭吉はこう続ける。
    「されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。」

    人は万人平等のはずが、現実として雲と泥との相違を分けるのは何か。
    それが学問なのである。


    面白かったのは、学問の利点を2つに分けて議論していたことである。学問をするのは、机上の空論ではどうしようもない。実業に生きてこそ、学問の価値がある。また、実業で生計が立つからといってそれで終えてしまってもいけない。国家の独立を保つ、文明の進歩に寄与するために、学問を進め、より大きく成功していかなければならないと問いた。

    それと似たことで、16編では、人の心事と働きを分けて議論していた。実際に知っているだけで、やったことがない・できないならばそれはダメだし、例えできたとしても、良く知っていないとうまくいかないというわけである。

    これら2つの議論を受けて、現在学生として自分で働かず、学問だけをする身を振り返る。今、この学問のすすめのような古典を読むこともあれば、法学部生として法律や政治を学ぶことがあるが、それらは自分が金を稼いで飯を食う上で直接的には役に立ってはいない。また、本や議論を批評するばかりで、自分で本を書くこともなければたいしたこともしていない。これこそまさに、机上の空論ばかりで、心事のみ活発であり働きのない状態ではなかろうかと考えてしまった。

  • 2013/9/15読了。古い「福澤撰集」にて。
    恥ずかしながら初読。先見の明、というより人間社会に対する洞察の塊のような本だ。ニートやナマポ、それをネットで叩く人たちのことまでお見通しのようで笑った。福澤先生すごい。
    この本をネタとしてパクって、言葉や実例を今風にして内容を薄めて大きい活字で組めば、今も通用する自己啓発書を20冊ぐらい作って意識高い(笑)系の人たちに売ってお金を儲けることができそうだ。学問だけではダメで、プレゼンが上手な明るいリア充として人との交際を大事にしなければならないなんて、いかにもそれ系の人たちが喜びそうな内容ではないか。いや実際にそうやって何百何千という自己啓発書が作られて売られてきたのだろうから、もう儲けることは無理かもしれない。
    本書の内容にある種の陳腐さが感じられるとしたら原因はそこだろう。洞察が鋭く、文明開化と敗戦ぐらいでは容易に拭い去り得ないことが書かれているので、21世紀になっても劣化コピーのネタ本として使えるのだ。ネット起業家やコンサルタントがオリジナルを書いたつもりでも本書の劣化コピーのような内容になるのだ。
    むしろいま読んで陳腐なこと、それが明治5年という状況で書かれたこと、これこそが本書のようなエッセイの場合は優れた古典としての凄さではないだろうか。

  • 士農工商はじめ、そのような身分制度を批判し、明治日本に民主主義的な概念をもたらした書。
    その中で特に、独立自尊やサイアンス、人間交際などの意義が唱えられる。
    藤原正彦先生によると「文明論之概略」に比べ、特にサイアンスの要素が強いらしい。(「活用なき学問は無学に等し」と書いてあるように。)
    また、今川義元とナポレオンなどの歴史的な対比・比喩も豊富。

    「賢人と愚人の別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。」
    「むつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。...すべて心を用い心配する仕事はむつかしくて、手足用いる力役はやすし。」

    「元来文明とは、人の智徳を進め人々身窮(みみず)からその身を支配して世間相交わり、相害することもなく害せらるることもなく、各々その権義を達して一般の安全繁昌を致すを言うなり。」

    勉強頑張ります。

  • 子供が学校で初編を読んで(読まされて)いたので,私も読んでみた.

    明治維新を経て新しい仕組みの世の中が始まる一方で,その新しい制度に戸惑う多くの人たちに向けて,学問とは何か,国とは何か,法とは何かを説くのが前半.思い切って卑近な例を持ち出し,悪いことと良いことをばっさりと切り分けるやり方はとてもわかりやすくて(その好悪は別れるだろうが),まさに啓蒙思想家福沢諭吉の面目躍如といった観がある.旧い体制のままに暮らしてきた人たちには読んで腹が立つことがたくさんあったに違いない.後半は自己啓発書風な主題が多い.

    明治5年という時代を考えれば,この本がとても新鮮で多くの人を感動させ,ベストセラーになったのもうなずける.さて,現代の我々が読んでどうかといえば,あまりに当然になってしまったこともあるし,時代の移り変わりとともに通用しなくなってしまったことなどがやはり多いのではないか.その中で福沢諭吉独特の強い主張がキラリと光る部分がまだいくらか私たちに訴える力が残っているという感じだろうか.

    この文庫の巻末の小泉信三による解題は一読の価値あり.福沢諭吉が好んで読んだ洋書とこの本の関係とか,福沢諭吉の文章の特質の分析とか非常に明晰で分かりやすい.

    文語文はなれてくると,それほど苦ではなくなった.もちろんすっと内容が頭に入ってくるわけではないし,忘れていた助動詞の活用を含めて辞書はひく必要は何度もあった.

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