三酔人経綸問答 (岩波文庫)

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レビュー : 58
  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003311011

作品紹介・あらすじ

一度酔えば、即ち政治を論じ哲学を論じて止まるところを知らぬ南海先生のもとに、ある日洋学紳士、豪傑君という二人の客が訪れた。次第に酔を発した三人は、談論風発、大いに天下の趨勢を論じる。日本における民主主義の可能性を追求した本書は、民権運動の現実に鍛え抜かれた強靱な思想の所産であり、兆民第一の傑作である。現代語訳と詳細な注を付す。

感想・レビュー・書評

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  •  明治20(1887)年に刊行された中江兆民の代表作。本書は、西洋近代思想を理想主義的に代表する洋学紳士、膨張主義的国憲主義を代表する豪傑君の二名が、理想を持ちながらも現実主義的な立場を取る南海先生を訪れ、酒を酌み交わしながら日本の針路を論じるものだ。

     洋学紳士は徹底した民主化と軍備の撤廃といった急進的改革を主張し、豪傑君は大陸侵攻とそれをてこにした国内改革という強硬策を求める。これらに対し、南海先生は、対外的には過剰な危機感を抑制して国際協調を大切にし、国内的には「恩賜的民権」を徐々に「恢復的民権」に近づけていく持続的な努力の必要を説く。

     南海先生によって示される、次の恩賜的民権と恢復的民権についての言及を、兆民は「此一段の文章は少く自慢なり」と述べる。
    「且つ世の所謂民権なる者は、自ら二種有り。英仏の民権は恢復的の民権なり。下より進みて之を取りし者なり。世又一種恩賜的の民権と称す可き者有り。上より恵みて之を与ふる者なり。……若し恩賜的の民権を得て、直に変じて恢復的の民権と為さんと欲するが如きは、豈事理の序ならん哉。嗚呼、国王宰相たる者威力を恃みて、敢て自由権を其民に還さず。是れ方に禍乱の基にして、英仏の民が其恢復的民権の業有りし所以なり。若し然らずして、君主宰相たる者、時を料り勢を察し、其民の意嚮に循ひ、其民の智識に適することを求め、自由権を恵与して、其分量宜を得るに於ては、官民上下の慶幸、何事か之に踰ゆる有らん。危難を犯し死亡を冒して千金の利を攫むは、坐らにして十金を受るに如かんや。且つ、縦令ひ恩賜的民権の量如何に寡少なるも、其本質は恢復的民権と少も異ならざるが故に、吾儕人民たる者、善く護持し、善く珍重し、道徳の元気と学術の滋液とを以て之を養ふときは、時勢益々進み、世運益々移るに及び、漸次に肥腯と成り、長大と成りて、彼の恢復的の民権と肩を並ぶるに至るは、正に進化の理なり。」(p.196-197)

     また、南海先生は次のように述べる。
    「然ば則ち進化神の悪む所は何ぞや。其時と其地とに於て必ず行ふことを得可らざる所を行はんと欲すること、即ち是れのみ。」(p.195)
    「政事の本旨とは何ぞや。国民の意嚮に循由し、国民の智識に適当し、其れをして安靖の楽を保ちて、福祉の利を獲せしむる、是なり。若し俄に国民の意嚮に循はず、智識に適せざる制度を用うるときは、安靖の楽と福祉の利とは、何に由て之を得可けん哉。試に今日、土耳其(トルコ)、白耳失亜(ペルシヤ)の諸国に於て民主の制を建設せんには、衆民駭愕し喧擾して、其末や禍乱を撥起して、国中血を流すに至ること、立て待つ可きなり。且つ紳士君の所謂進化の理に拠りて考ふるも、専制より出でゝ立憲に入り、立憲より出でゝ民主に入ること、是れ正に政治社会行旅の次序なり。専制より出でゝ一蹴して民主に入るが如きは、決て次序に非ざるなり。」(p.196)
    「亦唯立憲の制を設け、上は皇上の尊栄を張り、下は万民の福祉を増し、上下両議院を置き、上院議士は貴族を以て之に充てゝ世々相承けしめ、下院議士は選挙法を用ひて之を取る、是のみ。若夫れ詳細の規条は、欧米諸国現行の憲法に就て、其採る可きを取らんのみ。是は則ち一時談論の遽に言ひ尽す所に非ざるなり。外交の旨趣に至りては、務て好和を主とし、国体を毀損するに至らざるよりは、決て威を張り武を宣ぶることを為すこと無く、言論、出版、諸種の規条は、漸次に之を寛にし、教育の務、工商の業は、漸次に之を張る、等なり。」(p.205)

     こうして見てみると、南海先生が想定しているのは、イギリス流の立憲君主制なのではないだろうか。立憲君主制を前提としながら議会政治を確立し、国民の諸権利を保障する。そして、政治的な改革は、急進的にではなく漸進的に行うべきことが述べられている。
     しばしば、中江兆民は「東洋のルソー」と評され、フランス急進主義の流れを汲む代表的論客と位置付けられている。しかし、実際のところは、彼自身はフランスの共和政治ではなく、イギリス流の安定した君民共治の立憲君主制を模範としたのではないだろうか。

     他の著作において、兆民は次のようにも述べている。
    「いやしくも政権を以て全国人民の公有物となし一二有司に私せざるときは皆『レスピユブリカー』なり。皆な共和政治なり。君主の有無はその問はざる所なり。……即ち見今仏国の共和政治の如きもこれを英国立君政体に比するときは、共和の実果していづれにありとなさんか。これに由りてこれを観れば共和政治固よりいまだその名に眩惑すべからざるなり。固よりいまだ外面の形態に拘泥すべからざるなり。試に英国の政治を観よ。その名称その形態並に厳然たる立君政治にあらずや。しかれどもその実についてこれを考ふるときは毫も独裁専制の迹あることなく……」(「君民共治の説」)
    「英国杯は昔より王家の御姓が屡屡革まりたることにて我国と較ぶ可きには非ず。……我国の天子様は御位の尊きこと世界万民其例無き者なれば……」(『平民の目ざまし』)

     兆民は政治形態としてはイギリスの立憲君主制に範を求めたが、その基礎には尊皇を前提とした仁政の発想があったのではないだろうか。
     それにしても、本書では三名が自然な形で政治について語り合うものかと思っていたら、物語が始まるなり、洋学紳士が延々と自説を述べ続ける(約50ページ分)。全く現実的でないものも多く、これには少々うんざりした。

  • 訳文がなかなかの名調子。

  • 2019年夏現在のトランプ政権の経済エゴ丸出しのディール外交や、Brexitで綱引きするポピュリズム、きな臭いアジア地政学リスクなど、本書で議論されている登場国の役割が変わっているだけで、およそ何が議論の争点となりうるのかの本質は中江が捉えていたものとあまり変化がない。むしろまさに現在こそ、三酔人が問答していたことを外挿して再考出来るのではという気もしてきます。

  • 100年以上前の議論が、今でもそのまま通用するという凄さ。

  • 洋学紳士、豪傑君、南海先生。中江兆民ひとりの手によって描かれたこれら3人の議論が順に展開していくことによって、立憲主義もリアリズムも、現実路線も活き活きと語られる。

    これほど異なった視点から時局を見ることができることを、大局を捉える力というのではないかと思う。

    先に登場する洋学紳士、豪傑君の二人の論は極論のように思えるが、一つの考え方を突き詰めて考えることで、その論が持っているゲームチェンジャー的な可能性が見えてくることもある点が、面白い。

    本書の書き方が一問一答のような形ではなく、両者にある程度たっぷりと論じさせているからこそ、そこまで話が展開できたのだろう。

    南海先生が最後に指摘するように、現実は直線的ではなく紆余曲折しながら進んでいくが、ただ中庸を行くだけではなく、このようは広い視点から状況を捉えたうえで進んでいくべきだということを教えてくれる本だと感じた。

  • これほど多面的な解釈をできたということは、計り知れない能力を備えた人物であったことを意味している。未来を見据えた内容である。

  • この本の洒脱さを真に受けるべきかどうかは迷う。いまの人々にとって、内容的になんとなく常識として持っている部分があるから、当時にとってのこの本といまにとってのこの本はまた評価が違ってくる気がする。

    解説にもあるように、三者とも兆民の意識にあったと思うが、最も中庸的な考えを披露している南海先生を、手放しでこれが正しいと言わず、まずはその意見も相対化して見ておくことが大切なのだろう。

  • 中江兆民、歴史の教科書で学びますが、実際にその著書を読んだことはありませんでした。この本は、現代語訳と、ルビを付した原文が併載されています。この時代から、立憲制、民主制、恒久平和、死刑制度廃止が議論されていることに感銘を受けます。

  • 古典を読む楽しみはその時代に生きていた感覚を味わえることだと思う。明治時代、これが書かれた時代にはなるほど世界はこう見えていたのかと思わされる。

  • 2016/3/12
    南海先生の主張は明治日本の政治体制にまさに反映されている。
    ただ、専守防衛については隔たりがあった。
    ただ戦後日本は専守防衛を軸に政治を行ってきたので、何十年経た結果、実現をしたと考える。

    現実的に考えると南海先生の論が一番適しているが、洋楽紳士の論が叶うような国が理想的だ。

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