蹇蹇録: 日清戦争外交秘録 (岩波文庫 青 114-1)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003311417

作品紹介・あらすじ

日清戦争(1894‐95)の時の日本外交の全容を述べた、当時の外務大臣=陸奥宗光(1844‐97)の回想録。新たに草稿をはじめ推敲の過程で刊行された諸刊本との異同を綿密に校訂、校注と解説で本書の成立経緯を初めて明らかにした。表題は、「蹇蹇匪躬」(心身を労し、全力を尽して君主に仕える意)という『易経』の言葉による。

感想・レビュー・書評

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  • 言葉の1つ1つは意外と読みやかったですが、日本史をすっかり忘れた私には関係性を読み解くのが非常に難しく理解ができなかったです‥。
    学生の時、歴史を暗記科目として「点」で覚えていたので、各国の思惑や出来事の繋がりを「線や面」で読み解いていたらと良かったと後悔。
    日清戦争→下関講和条約→露独仏三国干渉(遼東半島の返還要求)の繋がりがわかる内容でした。

    ------------------------
    本書の表題は、『易経』にある蹇卦の「蹇蹇匪躬」(けんけんひきゅう)から採られた。「王臣蹇蹇、躬 (み) の故に匪 (あら) ず」と読み下し、意味は、君主に忠誠を尽くすこと。

  • 日清戦争の直前から戦後の三国干渉の期間(1894-1895)の外交政策について、当時の外務大臣であった陸奥宗光自身が記したもの。本書の題名の蹇蹇録の蹇蹇とは、易経の表現で君主に忠義を尽くす意味らしい。

    筆者が冒頭書いているように、電報等の外交記録は無味乾燥なもののなので、当事者としてその行間を補ったということで、表現の難しさは否めないが、当時の外交記録(各国首都の公使らとのやりとり)も踏まえつつ、陸奥宗光の構想や政府内部の議論(特に伊藤博文総理大臣)を余すところなく記して、当時の日本政府の考え方がよくわかる。

    やはり一読して気付くのは、力の論理を正確に理解し、勃興中とはいえ限界のある日本の国力を意識し、西欧列強との関係に腐心しつつ、伊藤も陸奥も大局的に政務を動かしていること。これは、軍事能力だけを過信してしまった大東亜戦争前の政府では完全に劣化してしまった国家経営の能力であるし、逆に軍事的観点を忘却してしまった戦後の政府(少なくとも第二次安倍政権以前の政府)にもこのバランス感は存在しない。世界情勢が厳しくなる中で徐々に取り戻しつつあるとは思うが、日本にもこれだけの視野を持った外政家が国家運営をしていた時代が短期間なりとも存在したということがよく分かる。

    力の論理ということに関しては、日清戦争は清国が受け入れない朝鮮改革案をぶつけるところから始まるので、明確に日本から軍事力を用いて解決する意図がある。しかし、丁寧な外交に努め、虎視眈々の西欧列強につけ込まれる瑕疵を与えていないところは流石である。

    下関条約の過程も面白く、いち早く国際法に基づく外交交渉に慣熟した日本が、伝統的な中華外交のプロセスを織り交ぜる清国を手続面で圧迫し、有利に進めようとしたら暴漢に李鴻章が撃たれてしまう。そこに救援品が大挙して届く当時の武士道的日本人の心性も興味深い。そして、李鴻章が浪花節で条件緩和を望むのを一つ一つ論破していくのもプロの外交妙技が光る。

    しかし、批准を、前にして三国干渉が発生。陸奥宗光は少しうっちゃって状況を見ようとしたが、伊藤総理は、日本の軍事能力、陸海軍が大陸側に展開して疲弊していること、英は中立、米も好意的中立、イタリアだけが何故か日本助ける気満々なるも、露仏独には到底抗しきれないことから遼東半島還付を即断して一月もかからずに下関条約の批准と譲歩をなしてしまう早業も凄い。

    そして光っているのが、何故三国干渉を行った三国の背景の分析について、日本の外交官や米英伊からの外交情報も駆使しておそらく正確な推測を組み立ている。

    そもそも、日清交渉前に列国に日本の条件を伝えていないので、干渉の可能性は織り込み済みだったが、それにしても事前に日本外務省から各国に雰囲気を仄めかしていた時点ではどこからも厳しい反応はなかったのに、忽然として三国干渉が起きる。その理由を次のように分析する。ロシアは自分の南下・勢力発展の邪魔になるものの、日本の遼東半島領有は仕方ないと諦めかけていたが、独の支援で急に元気に抗議してきた。フランスは露仏同盟に基づき、ある種付き合いで不承不承やっている。では、ドイツは何なのか。これは、独墺伊三国同盟で独の内情に詳しいイタリア外務大臣の内話が決め手となるが、1891年成立の露仏同盟が親密化するのが気に食わずに露仏の間に食い込んで露に恩を売りつつ冷却化を図る意図の由。そして、在英国行使に在英ドイツ公使から、遼東半島の一時領有なら良い、一時でも半永久化できると言った変な助言もなされる。また、戦争中も禁制品をドイツは清国に送りまくっていた。要するにこうしたドイツの自国利益を図るための外交的マニューバーに原因を見出している。ダメ押しのように、1878年の露土戦争後のサンステファノ条約でロシアの肩を持つ発言をしたのにベルリン会議でロシアに一杯食わせたビスマルクにも言及している。

    ドイツに気を付けろということか。確かに、その後の第一次大戦に至る火遊びのようなドイツ外交、日中戦争相手の蒋介石への支援、突然の独ソ不可侵条約、今も中国への投資や配慮は西欧随一、といったことを考えると、陸奥宗光の慧眼は、後世でも妥当している。強国に囲まれたドイツの地政学的事情は同情すべきだが、であるからこそこういう信のおけない外交になるのかもしれない。

    最後に、終章の陸奥宗光の次の言葉は、現在の日本人こそ胸に刻むべきだろう(特に重要と思う部分を【】で示した)。

    『利害互いに相出入し、そのいわゆる戦争なるものも、終局の決心は単に砲火、剣戟のみに由らず、外交の掛引き敏活ならざれば、交戦者往々意外の危険に瀕することありといえども、【要するに兵力の後援なき外交は如何なる正理に根拠するも、その終極に至りて失敗を免れざることあり。】そもそも今回三国干渉の突起せんとするころ、我が外交の背後に如何なる強援恃むべきものありしかを思え(無かったという話が続く)』

  •  日清戦争期の外務大臣、陸奥宗光の著。日清戦争、という国運を賭けた戦争とその戦後処理の責にあたった陸奥自らが、終戦後、当時の状況の推移や意思決定の過程を子細に書いた異例の書である。故に発刊後の三十三年間は、外交機密書として世に公刊されていない。

     陸奥の明晰な思考は、当時近代化したばかりであった明治日本においてはまさに一流のものであった。国際法の遵守により正統性を自ら備え、徳義上の論争を自国に優位に運ぶ。一方で欧米各国と絶えず交信し、彼らの利害の範囲を侵さぬよう細心の注意を払い、かつ清に対しては日本の主張を曲げず、講和条約の実効性まで考えた交渉を行う。
     一つ一つの局面、それだけ見れば些細な出来事において陸奥の配慮を尽くした外交の姿勢が見える。真のリアリズム外交の、最上の教科書としても読むに堪える。
     陸奥の緻密な記憶、論理を尽くした文筆力には驚きを禁じ得ない。また同時に一国の外交政策を担うものたる気概と誇りとがひしひしと感じられる。いずれを見ても比類なき一流の外交官であり、政治家であり、文筆家であった陸奥の、永遠に残る著作である。

     近代日本外交の金字塔ここにあり、と言えよう。

  • ビスマルク。大国は自分たちに利益があれば国際法を守るが、自分たちに不利であれば軍事力にものを言わせて国際法を守ることはない。公法を気にするより、富国強兵を行い、独立を全うすることを考えるべきだ。さもなくば植民地化の波に飲み込まれる。久米邦武『米欧回覧実記』1878

    *****************
    日清戦争のさ中、伊藤博文総理が私(陸奥宗光・外務大臣)にひそかに言った。講和の時期は熟していない。清が戦争を終わらせる誠意があるのか未だはっきりしない。よく注意しなければ、私たちの講和の目的は達成できない。清がいう「全権」というのも一般的に国際法で定義されるものではないp.236。下関条約。伊藤博文と陸奥宗光が全権。李鴻章。1895年4月17日締結。

    下関条約に干渉する動きがあると在露と在独の大使から電報が届いた。伊藤総理に露による干渉の動きがあることを伝えた。4月23日、露独仏の公使が東京の外務省を訪問、「遼東半島の所有を放棄しろ」と言ってきた。私(陸奥宗光)としては、露仏独の要求を一旦拒絶し、彼らがどう出るか、彼らの腹の内を深くさぐった上で、外交上の策を講じるべきだと考えるp.304。それに対して伊藤総理は言う「三大強国の勧告を拒絶するのは無謀だ。露は海軍を極東に集結させており、露の腹の内はさぐらずとも明白(ロシアによる満州・朝鮮の支配)。日本軍は日清戦争で疲弊している。今、こちらから挑発し、相手に対日本開戦の口実を与えるのは危険が大きい」p.308。

    露の干渉には譲歩せざるを得ないとの結論に至るが、できる限りの駆け引きをする。在英の加藤高明公使に「英に対し、露は極東進出の野望があること、英の利害は他の欧州各国と一致しないことを伝え、英から助力をどれほど得られるか、その可能性を探れ」と伝えるp.311。同様に米から助力を得られないか探らせる。

    露は遼東半島を日本に取られると、露の極東進出に支障が出るから干渉した。仏は露仏同盟から。しかし独が(昔からの恨みがある)仏と組んでまで干渉してきたのはなぜか。独は露仏に左右から挟撃される場所にある。独にとって嫌なのはそれら露仏の同盟がさらに深まり、自国を脅かすこと。なので日本への干渉で結束している露仏の間に割って入り、上手く立ち回って露仏の関係を冷却させようとしたp.354。

    陸奥宗光『蹇蹇録けんけんろく』1929

    ※和歌山出身。神戸の海軍塾で勝海舟に師事。

  • 一級の日清戦争史料。陸奥宗光の胸中がわかる貴重な一冊。東学党の乱から三国干渉までの外交交渉の詳細が記されている。現代にも通じる外交のエッセンスが詰まっているようでいつか再読したい。

    意外に思ったこととしては、朝鮮における日本人の国際法遵守の動きが条約改正に大きな役割を果たしたこと。日本政府は文明国として国際条約に敏感で、逆に国際法に基づいて居れば欧米にもかなり強気な態度をとっているなという印象を持った。例えば、アメリカ船拿捕や東郷平八郎の高陛号(?)はかなり刺激的だが、国際法に基づいている。なぜその国際法を遵守する優等生の日本が昭和期に入って強引な運営に変わったのか不思議である。
    また陸奥の清・朝鮮への見方が面白い。最初の方で袁世凱等の清国人が議会制民主主義を理解できていないことが示唆されていた。今の中国も民主主義や三権分立が定着しているのかは(特に一般レベルでは)疑問である。李鴻章には辛辣な評価を下しているが、自分としては李鴻章も東洋的政治家としては傑出しており、清国の立場であれば見苦しいながらも本文中のような行為を取らざるを得ないだろうと思った。日本が英露の勧告も聞かずあくまでも清国に和平案の具体的提示を求めていたのは、冷酷に思えるが合理的行動だったといえる。
    また、朝鮮の事大主義への侮蔑も多かった(知的な陸奥ではあるのであからさまない表現はなかったが)。朝鮮改革を目指す日本を清国を使って追い出そうとしたり、文書が曖昧であったりと、陰険さが目立った。小国としては仕方ないだろうが、文明国として自立した明治日本とは比較できないように感じた。
    ロシアの三国干渉については、外交担当者の豹変が興味深かった。欧州情勢の中でドイツがけしかけたこととはいえ、日本が朝鮮情勢に欧州の干渉を恐れていたことが興味深かった。米中冷戦終了後、アジアの新秩序を築いていく上で問われることである。
    2022夏

  • 東学党の乱から下関条約への三国干渉に至るまで、日清戦争へ当事者(外務大臣)として携わった陸奥宗光の外交手腕が看守できる一冊。

  • 「日本近代史を学ぶための文語文入門」に読みやすい近代文語文の本として紹介されていたので読んでみる.
    日清戦争当時,外務大臣だった陸奥宗光の外交秘録.蹇々とは「悩み苦しむさま」.赤裸々な外交的駆け引きが当事者の声で語られなかなか面白い.しかしなにせ私の興味の対象からあまりに遠いので,12章まで読んだところでやめることにした.
    辞書を引かなければならない言葉はたくさんあるものの,文語文自体は難しくない.興味のある方はぜひ読んで見られると良い.

  • 陸奥宗光自身の編によって、日清戦争の端緒から三国干渉への対処までを記した本で、おそらく、近代史を多少勉強した人間なら目新しい事実はないと思う。ただ、当事者ならではの感想なども記してあり、それなりの価値はあると言えるだろう。

  • 世界の中で日本を支えてきた外交官たちにお疲れ様と言いたい。

  • 下関条約により日本の不平等条約を撤廃させた陸奥宗光による回顧録。
    東学党の乱により朝鮮国内が混乱し、清国との争いが起き日清戦争の発生、下関条約の締結、三国干渉までが綴られている。
    当時の日本の機密文章であり、当時の日本全権主任であった陸奥宗光の回顧録の歴史的価値は非常に高い。

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