武士道 (岩波文庫 青118-1)

著者 :
制作 : 矢内原忠雄訳  矢内原 忠雄 
  • 岩波書店
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レビュー : 265
  • Amazon.co.jp ・本 (159ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003311813

作品紹介・あらすじ

「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」-こう説きおこした新渡戸(1862‐1933)は以下、武士道の淵源・特質、民衆への感化を考察し、武士道がいかにして日本の精神的土壌に開花結実したかを説き明かす。「太平洋の懸橋」たらんと志した人にふさわしく、その論議は常に世界的コンテクストの中で展開される。

感想・レビュー・書評

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  • ずいぶん若い頃に三島かぶれの延長で読んだのか、幕末おたくの延長で読んだのかすっかり忘れましたが、新渡戸稲造がお札になるずっと前に読んだきりの「武士道」を久々に再読。

    文久2年の幕末生まれで昭和8年まで生きた新渡戸稲造は、明治期のインテリに多いキリスト者だけど(この本も元々は英語で書かれたものを日本語に翻訳しなおした逆輸入)西洋人にわかりやすくするために引用する以外は武士道と宗教に一線を引いており、日本人の精神文化にキリスト教が与えた影響は(その時点では)ない、と断言してるのが頼もしい。(※当時、明治維新について、宣教師の手柄にしたがる輩が結構いたらしく、それに反論する形)

    稲造の説く武士道は『葉隠』のいう「死ぬ事と見つけたり」とは少し違う、儒教的な義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義などの側面から解説していてとてもわかりやすいです。そして切腹と敵討というある意味制度化された儀式についても、自殺を悪とするキリスト者にもわかるように解説。

    日本における儒教は宗教ではなく「道徳」であり学問。そこから一種の美学にまで昇華された武士道は、現代人にも学ぶべき部分が多いし、日本人の美徳として失ってはいけない部分のような気がします。

  • 学生のころより幾度か読んできたが、あらためて通読。
    武士道の内容をなす「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」は、いずれも重要かつ普遍的な徳であり、現代でも軽んじられるべきものではない。むしろ、大義がなくなり、確信をもって生きることが難しくなった現代において、武士道は、強く生きてゆくためのよき道標となってくれる。価値観が多様化し、社会状況が複雑化した現代に必ずしもそぐわない点もあるが、100年以上前の作品であればそれも詮なきこと。そもそも本作品が発表された明治32年の時点ですら武士道の衰微が危惧されていたのであるから(本作品第17章「武士道の将来」)。肝要なのは、自分なりに消化した上で、いかに現実の生活に応用してゆくことだろう。

  • 武士道の倫理観の素晴らしさが書かれている本。
    内容はとても良かったですが、今の世の中を思うと残念で仕方ないです。
    まずは自分から良い生き方をしていこうと思いました!

  • 日本人が英語で書いた本を日本語で読んでみました。知ってる日本語が英語より少ないので、単語の意味を度々辞書で引かないと前へ進めず、小著ながら時間を費やしました。。また、知らない西洋史の引用も多くて。。。勉強が足りないなと反省するばかりです。

    心の中に残る多々ある「武士道」の一節をここに残しておきます。本書は17章から成り立っていて、著者のいう四つの目的にわけると、1-2が武士道の淵源、3-14が武士道の特性および教訓、15が民衆に及ぼしたる感化、そして16-17がその感化の継続性、というふうになると思います。

    ”野蛮と小児らしさのこの原始的なる感覚のうちに、甚だ豊かなる道徳の萌芽が存している。これはあらゆる文武の徳の根本ではないか?「小さい子をいじめず、大きな子に背を向けなかった者、という名を後に残したい。」”

    (仏教、神道、儒教、知行合一論)

    ”我々の祖先たる武人の健全素朴なる性質は、古代思想の大路小路より抜き集めたる平凡かつ断片的なる教訓の穂束から彼らの精神の十分なる糧を引き出し、かつ時代の要求の刺激のもとに、これらの穂束から新しくかつ比類なき型の男性道を形成したのである。”

    (義、勇・敢為自若、仁、礼、誠、名誉、忠義)

    "...我々の行為、たとえば親に対する行為において、唯一の動機は愛であるべきであるが、それの欠けたる場合、孝を命ずるためには何か他の権威がなければなるぬ。そこで人々はこの権威を義理において構成したのである。。。義理は道徳における第二義的の力であり、動機としてはキリスト教の愛の教えに甚だしく劣る。愛は「律法」である。私の見るところによれば、義理は偶然的なる生まれや実力に値せざる依怙ひいきが階級的差別を作り出し、その社会的単位は家族であり、年長は才能の優越以上に貴ばれ、自然の情愛はしばしば恣意的人工的なる習慣に屈服しなければならなかったような、人為的社会の諸条件から生れでたものである。”

    ”「義しき道理」より以上もしくは以下に持ちゆかれる時、義理は驚くべき言葉の濫用となる。それはその翼のもとにあらゆる種類の詭弁と偽善とを宿した。もし鋭敏にして正しき勇気感、敢為堅忍の精神が武士道になかったならば、義理はたやすく卑怯者の巣と化したであろう。”

    ”勇気は、義のために行われるのでなければ、徳の中に数えられるにほとんど値しない。”

    ”死に値せざる事のために死するは、「犬死」と賤しめられた。。。水戸の義公も、「戦場に駆け入りて討死するはいとやすき業にていかなる無下の者にてもなしえらるべし。生きべき時は生き死すべき時にのみ死するを真の勇とはいうなり」と言っている。”

    ”真に勇敢なる人は常に沈着である。。。危険もしくは死の脅威に面しても沈着を失わざる者、例えば差し迫る危険のもとに詩を誦み、死に直面して歌を吟ずる者。。。その筆跡もしくは声音従容としてなんら平生と異なるところなきは、心の大なることの何よりの証拠である――吾人はこれを「余裕」と呼ぶ。それは屈託せず、混雑せず、さらに多くをいるる余地ある心である。”

    ”ニイチェが「汝の敵を誇りとすべし、しからば敵の成功はまた汝の成功なり」と言えるは、よく武士の心情を語れるものである。”

    "「王位は神の恩恵により、かつ神のみに対する重き義務と巨大なる責任を伴う。いかなる人も、大臣も、議会も、国王からこれを免除しえないのである。」"

    "武士の仁愛が他の人間の仁愛と種別的に異なるわけではない。しかし武士の場合のありては愛は盲目的の衝動ではなく、正義に対して適当なる顧慮を払える愛であり、また単に或る心の状態としてのみではなく、生殺与奪の権力を背後に有する愛だからである。"

    "戦闘の恐怖の真唯中において哀憐の情を喚起することを、ヨーロッパではキリスト教がなした。それを日本では、音楽ならびに文学の嗜好が果たしたのである。優雅の感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。しかして他人の感情を尊敬することから生ずる謙譲・慇懃の心は礼の根本をなす。"

    "。。。最も著名なる礼法の流派たる小笠原流宗家〔小笠原清務〕の述べたる言葉によれば、「礼道の要は心を練るにあり。礼をもって端座すれば兇人剣を取りて向うとも害を加うること能わず」と言うにある。換言すれば、絶えず正しき作法を修むることにより、人の身体のすべての部分及び機能の完全なる秩序を生じ、身体と環境とが完く調和して肉体に対する精神の支配を表現するに至る、と言うのである。"

    "礼儀はたとい挙動に優美を与えるに過ぎずとしても、大いに裨益するところがある。しかるにその機能はこれに止まらない。礼儀は仁愛と謙遜の動機より発し、他人の感じに対するやさしき感情によって動くものであるから、常に同情の優美なる表現である。"

    "真実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。"

    "モンテスキューは、貴族を商業より遠ざくることは権力者の手への富の集積を予防するものとして、賞讃すべき社会政策たることを明らかにした。権力と富との分離は、富の分配を均等に近からしめる。"

    "「人を泥棒と呼べば、彼は盗むであろう」。ある職業に汚名を付すれば、これに従事する者はその道徳をこれに準ぜしめる。"

    "「正直は最善の政策なり。」— 正直は引き合うというのである。しからば、徳それ自身がこの徳の報酬ではないのか。"

    "名誉の感覚は人格の尊厳ならびに価値の明白なる自覚を含む。したがってかの生まれながらにして自己の身分に伴う義務と特権とを重んずるを知り、かつその教育を受けたる武士を、特色つけずしては措かなかった。"

    "善き名 ―― 人の名声、「人自身の不死の部分、これなくんば人は禽獣である」―― は、その潔白に対するいかなる侵害をも恥辱と感ずることを当然のこととなした。"

    "「笑われるぞ」「体面を汚すぞ」「恥ずかしくないか」等は、非を犯せる少年に対して正しき行動を促すための最後の訴えであった。少年の名誉心に訴うることは、あたかも彼が母胎の中から名誉をもって養われていたかのごとく、彼の心情の最も敏感なる点に触れたのである。けだし名誉は強き家族的自覚と密接に結ばれているが故に、真に出生以前の感化である。"

    "人類のあらゆる裁縫技術も、吾人の羞恥感を有効に蔽うに足るエプロンを縫うにいまだ成功しないのである。"

    "繊細なる名誉の掟の陥りやすき病的なる行き過ぎは、寛大および忍耐の教えによって強く相殺された。。。偉大なる家康の遺訓の中に次のごとき言葉がある、―― 「人の一生は重荷を負うて強き道を行くがごとし。急ぐべからず……堪忍は無事長久の基……己れを責めて人を責むるな」。"

    "主君の気紛れの意志、もしくは妄念邪想のために自己の良心を犠牲する者に対しては、武士道は低き評価を与えた。"

    "臣が君と意見をつくして君の非を正すにあった。容れられざる時は、主君をして欲するがままに我を処置せしめよ。かかる場合において、自己の血を濺いで言の誠実を表し、これによって主君の明智と良心に対し最後の訴えをなすは、武士の常としたるところであった。"

    。。。教育、自殺、復仇、刀、女性についても写しておきたい言葉が多々ありますが、時間があるときに写そう。。。

  • 武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。

    内容的には、綺麗に整理されており、順々に体系的に説明されている。西洋社会が自分のみを正しいとし、日本を文化も宗教もないと判じることに堂々と反論を唱える一冊である。切腹するが、無駄死をよしとせず。入浴の習慣はあるが貞操が武士の夫人の徳であり懐剣を持ち歩くなど、いちいち誤解を招きがちな点を言明してくれている。しかし、期待したほどに、武士のかっこよさは伝わらなかったのが少し残念である。

    私の家は、上級士族の家系である。
    この本の項目に「武士の教育」という項目と克己という項目があり、「金銭を卑しいものとする」と「感情を表情に出すことは男らしくない」といった内容があるが、まさに大正元年生まれの祖母がそう躾られたと聞いていたので、我が家系ながら少し驚いた。

    また、彼は1862年の江戸時代末期の生まれで、8歳の時に廃藩置県、13歳の時に廃刀令が出たことに注目したい。なぜかというと、途中にある婦人の教育と地位の項目においては歯切れが悪い。お茶くみを嫌に思い前職を辞した私の様な現代に生きる女子が読むと若干腹立たしい内容である。
    私は江戸時代が最も武士の妻の地位が下げられた時代だと思っているので、その影響下に生を受けたためだと思う。

    最後の武士道の今後を論じる章は、少し寂しい。5千円札からはなぜか消えてしまったが、彼が本著を記したことで、武士道が消えなかった功績は大きいと思う。
    なお、武士道については、桜のごとく体系としては散ってしまっても香りは残るであろうとしめくくってある。

    観念的でやはり難しい点も多く、いずれまた読み直してみたいと思う一冊であった。なお、外人による緒言は読む気が失せる読みにくさで、読まないことを勧める。また五輪書と違い、「the soul of japan」の英語の原文タイトルも素晴らしい。

  • とても綺麗な本でした。新渡戸稲造が日本には宗教がない。どうやって道徳を学ぶのだ。と言われ、外国人向けに英語で書いた本。
    綺麗と言うのは文章と、ここに書かれる武士道と言う生き方の事です。
    それに、飛び回る様に方々からの知識歴史を引用、比較する事で、鮮やかに描かれています。


    心に残った事 メモ

    封建制度によって生まれた武士道と言う精神は、仏教から「運命に任すと言う平静なる感覚、不可避に対する静かなる服従、危険災禍に直面してのストイックなる沈着、生を賤しみ死を親しむる心」を寄与される。

    剣道の柳生但馬守は、門弟に「これ以上の事は指南の及ぶ所ではなく、
    禅の教えに譲らねばならない」と言ったそうだけれど、とても内省的な物である。
    モムゼン曰く、ギリシャは礼拝の時目を天に上げるが、ローマは頭を物で覆う。前者は凝視、後者は内省で、本質的には後者に入る。

    孔子、孟子の影響も大きい。(本書では元々あった物を、これらの教えで確認したに過ぎないといっている)
    ただ、これらを知る事より、知識を学ぶ者の心に同化し、その品性に現れる時にのみ、真に知識となると考えられていて、「論語読みの論語知らず」「学問は臭き菜の様なり、よくよく臭みをとらざれば用い難し。」など、知識は手段として求められた。

    ・義
    義理とは、元来「正義の道理」であった。例えば、親に対する行為に、愛が必要であるが、それの欠けたる場合、義理によって孝を実現する。
    勇気は、義の為に行わなければならない。義をみてせざるは勇なきなり。
    また、勇とは義しき事をなすことである。

    ・仁
    敵に塩を送るなど、勇が仁に繋がる。義が厳格なる正義であれば、仁は慈愛と柔和と説得性を持つ。
    伊達正宗「義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる。」
    「最も剛毅なるものは最も柔和なる者であり、愛あるものは勇敢なる者でる。」
    また、それらの心を涵養する為、詩歌が奨励された。

    ・礼
    それらの優雅な感情は礼を生む。真の礼は他人の感情に対する思いやりの外に現れたる物である。それらの精神修養として、茶道の芸術がある。

    例として、アメリカ人は贈り物の際、品物を称賛して渡す。それは良い物意外を相手に送るのは侮辱と考えるからであるが、日本人は品物を蔑んで渡す。それは、相手の精神を最上の物として、如何なる善い物もあなたには及ばないと言う論理である。

    ・誠
    また、礼を真実とする為、誠も重要視された。それは商業の発達を妨げ、開港場では多くの高潔な武士が、駆け引きを知らず失敗した。貧困を誇り、富を口にするは悪趣味と考えられ、各種貨幣の価値を知らざるは善き教育のしるしとされていた事もある。

    ・名誉
    誠で無い事は弱さであり、不名誉とされた。その為、名誉は至高善とされ、青年達は如何なる精神的、肉体的苦痛にも堪え、名誉の為には命も廉価と考えられた。

    ・忠
    そして、忠義が、これら封建の諸道徳を結んだ。
    刀は名誉と忠義の象徴で、名前を付け、床の間に飾られ、礼拝の対象となった。

    読んだだけで、背筋が伸びる。

  • 読んだつもりになっていましたが、「武士道と云うは死ぬことと見付けたり」の『葉隠』と勘違いしていたようです。
    ルーズベルト米大統領がこの本に大変感銘を受け、日本の要請を受けて日露戦争講和に乗り出したと知ってから、内容を知りたいと思っていました。

    国内よりも海外で名が知られている新渡戸稲造氏。
    病気の療養中、妻の質問に答えたものをまとめたとのことで、妻は外国人なのだろうと考えます。
    (調べてみたらアメリカ人でした)

    つまり日本に関する知識がほとんどない外国人たちに、日本の精神を伝えようとしている本。
    現在の私たち日本人にとっても非常にいいテクストとなっています。

    武士道をChivalry(シヴァリー)と訳しているのが、なんとも洋風。
    西洋の騎士道(ホースマンシップ)とは似て非なるものだとの定義付けが続きますが、ノーブレス・オブリージェ(身分に伴う義務)の点では共通すると明解に解説しています。

    武士道は仏教と神道、そして禅や仁の教えの影響を受けていると、逐一言及しています。
    仏教からは慈悲思想、運命に任すという平静な感覚、神道からは主君への忠誠、禅からは瞑想、仁思想からは道徳的教義。
    さまざまな思想が土壌にあり、独自性を帯びて発展していったことに、納得がいきました。

    また、神道の神学には「原罪」の教義がないと、キリスト教との根本の違いも指摘しています。

    謙信が敵の信玄に塩を送った逸話や、須磨の浦の戦での敦盛と直実のエピソードも織り交ぜて語られます。
    菅原道真が失墜した時、一族を根絶やしにしようとするライバルにより、彼の子供も殺されかけたところを、年格好がそっくりの少年が身代わりになり、命を落としたという話は知りませんでした。

    日本の愛する桜と欧米人が愛するバラは、華麗さ、香りの強さが対照的で、正反対の花だとしています。
    控えめにはかなく散っていく桜に自己を投影する日本人像を、外国の読者はどのようにとらえたのでしょうか。

    著者によると、騎士道はアンリ二世が殺された1559年で廃止され、武士道は1870年の廃藩置県で終了したとのこと。
    もはやどちらも、過去の美学となってしまいましたが、形を失った今でもなお、その香りは残っているという表現で、文章は締められています。

    古めかしく、多少読みにくさはありますが、格調高い美麗文。
    著者は英語でしたためたとのことで、原語もさぞかし美しいのだろうと思います。

    日本の中で、日本人に囲まれて暮らしていると、当たり前にしか思わない考え方でも、海外の異文化に身を置いて日本を鑑みる著者のような国際人にとっては、その思想や感覚は客観的に独特であり、文章にして広く世に伝えるべきものと思えたのでしょう。
    今はもう失われた武士道精神だけに、私たちにとっても過去の武家社会の思想を知るよすがとなる、貴重な資料となっています。

  • “流れ”。
    僕が最近よく考えるものです。
    「人は無意識に、過去からの流れに乗って、言を発しているのではないか?」という疑問を抱き
    日本の過去からの流れを読み解くには、『武士道』だ。
    っというわけで読み始めました。
    過去の日本の常識は、“滅私奉公”だったと伺えます。これは男子であれ、女子であれ。
    だから日本に“個”という意識は、新しい日本人意識なのだと思います。
    昨今いろんなところでズレが生じているのは、このためだろう。
    新渡戸氏は日本には、経済的利の観念が日本にはないというけど、僕は違うと思います。
    滅私奉公も、当時からみれば利だったから、大方の人はその利を選び、滅私したといえないでしょうか?

    日本の風土・文化などから生じる、無意識から発するものは何か?という答え探しの旅は、まだまだ続きそうです。

  • 本書は日本人が失いつつある、しかし日本人の意識の根底に今でもある武士道について、新渡戸稲造博士が英語で叙述したものを矢内原忠雄氏が邦訳したものである。「武士道」はしたがって元の著作は英語であり複数の邦訳が存在する。けれども、おそらくこの岩波文庫版が最も読まれているものだとおもう。
    「武士道」は欧米の知識人に向かって書かれたから、その内容も自ずと格式高い。しかし、博士は古今東西の偉人哲人の著作を巧みに引用しつつ我が国の精神思想の特異さを際だたせることに成功している。キリスト教のような万人が信仰する宗教がない我が国の高い精神性はどのようにして産まれたのか、またどのようにして発展していき高められたのか、この小著は雄渾な叙述で解き明かす。
    読んだその日から自分の生き方に凛としたものが纏うだろうこと疑いない。読んでみて後悔のない一冊だろう。

  • 国際連盟事務次長を勤めた、新渡戸稲造が日本の精神とは何なのかということを世界に知らせるために文化や歴史的背景を読み解いた一冊。

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プロフィール

1862年南部藩士の子として生まれる。札幌農学校(現在の北海道大学)に学び、その後、アメリカ、ドイツで農政学等を研究。1899年、アメリカで静養中に本書を執筆。帰国後、第一高等学校校長などを歴任。1920年から26年まで国際連盟事務局次長を務め、国際平和に尽力した。辞任後は貴族院議員などを務め、33年逝去。

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