余は如何にして基督信徒となりし乎 (岩波文庫 青 119-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003311929

感想・レビュー・書評

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  • (01)
    生真面目な書として読むか、なんだか痛い人の話として読むか、重層的な書かれ方をしているため、多様な読みを誘う本である。
    重層的であるというのは、日本語で書かれた日記がネタ帳としてあり、数年後にこの日記のセルフな解題を英文で書き送り、欧米各国に訳出され、和文として逆輸入されているプロセスを指す。
    そこに著者の、気質や体質としての、つまりは信仰としての、自虐(*02)が入る余地があり、自己批判のみならず、未来的で神のすぐ下あたりにある見地からの比較宗教論を立てることができる余裕がある。

    (02)
    自虐ネタは、渡米時の飢餓体験で感極まっている。飢えに耐え切れずに現地での保護者に金銭を乞うており、その自分がどのようにゆるされるかを宗教的に説明(*03)するだけでは言い訳めいてしまうが、保護者とその国の宗教の寛容にも言及を余儀なくされている。
    また、異教である神社の前を通る際に祈らずにはおれなかった少年期についての告白や、青年期の、ともすれば中二的な病ともとられかねない、洗礼名やあだ名で通じ合う仲間との秘儀的なサークル活動への自己言及は、生真面目な本書にあって、ほとんどネタ化していて笑わせてくれるエピソード(*04)でもある。

    (03)
    異教の国である日本において、基督教を信仰する意義がところどころで強調されている。むしろもともと異教徒であったからこそ、基督教の方法が可能であるという論調でもある。そこに時勢の影響もあるのか、ややナショナルな感情もスパイスとして効いているのも興味深い。
    日本で信仰される基督教は、他の先行的な国家で信仰される基督教以上である、というように。本書が最初に出版されたのが西欧で、ヨーロッパに関心をもたれて広がったという経過にも、なにやらオリエンタル趣味が嗅ぎつけられなくもない。

    (04)
    苦しくも楽しかった学生時代を経て、宗教面では教会の創設と経営にまず乗り出す著者がいる。牧師路線、神学路線を避けつつもあった、このパートでの人間関係や金銭関係も興味深い。プロテスタンティズムと資本主義という文脈がそこに読めることはいうまでもない。
    また、この部分で生物の進化論についても言い及んでいることは見逃すべきではないだろう。

  • (02.13.2017)

    久しぶりに読みたくなり再読。素晴らしいの一言。昔読んだ時にはなかった新しい発見が多くあり、今の自分にとって為になった一冊。百年以上も前に海を渡り留学生活を経験した内村鑑三。今留学中の私にとって共感できることばかりで、時代が変わっても人の心は変わらないことに少し嬉しくなった。主のために一生を捧げた内村鑑三の生涯は決して華々しいものではなかったし、多くの困難があった。それでも彼の死後百年以上たった今でも彼の著作は多くの人に読まれ、彼らの心を動かし続けている。これこそが内村鑑三が祈り求めていたことなのではないだろうか。神の働きや祝福は生きている間に限られるものではない。過去、現在、未来そして永遠に続く大いなるものである。

  • (15.06.XX読了)
    基督教の理解はなし。どう読んだものか、難しい一冊だった。
    宮部をはじめとした札幌農学校時代の友人らとの交流の日記は非常に青春らしく面白い。
    自伝形式ながら、内村本人の人となりを知ることができる一冊ではないと思う。他の著作と合わせて改めて発見がある。

  • 2014.11.12. 読了。
    日記をときどき引用しながら、札幌農学校入学〜受洗〜渡欧〜白痴院での奉仕〜アマーストカレッジ入学〜神学校退学までの日々+帰朝後の感懐を綴る。
    農学校卒業から独立教会設立まではとくにおもしろく読みました。札幌農学校二期生だった内村は、新渡戸稲造、宮部金吾とともにいわゆる「札幌バンド」を結成し、生涯「2つのJ(Jesus, Japan)」に仕えることを決心します。

    彼らの貧しい教会運営、そして郷里の父親の回心させる場面などは印象的でした。
    渡米後はキリスト教国の現実にたびたび失望したものの、キリスト教が道徳におよぼす好影響を評価するという立場に立ったようです。

    内村は父親の元で東洋的道徳に基づいて育てられ、自らが「異教徒」であることを強く意識しました。
    そうした点では特殊と言えますが、明治の学生にキリスト教が与えた影響を知る上で貴重な記録です。
    新訳が出るといいですね。

  • キリスト教を受け入れて改宗するまでの話は思ったより短かかっま。むしろ改宗してからの、「思っていたのと違う」をどう自分の中で乗り越えて行ったかが書かれている。
    キリスト教になぜ宗派があるのか、既存の宗派は認められても新たに作られることはなぜ認められないのか。どうして、キリスト信徒はアジア人を差別するのか。貧しい国に布教しに行って、自分達だけは、贅沢な暮らしを続けるのか。説教にお金を取るのは何故か。改宗したアジア人を犀のように見世物にするのか。

    その中で出会った何人かの善い宗教者との出逢いを経て自分なりの信仰を得るに至る。その姿は、何故かキリスト信徒というよりも、美しい日本人という印象を受けた。

  • 書店でなんとなく立ち読みして、冒頭の家族のことを語った部分に惹かれてお買い上げ。

    はじめは入信を拒絶していた内村鑑三が、学校の上級生に強制的に『基督を信ずる者の契約』に署名させられ、洗礼を受け、自分たちの「教会」を造り、聖書を学び、アメリカに留学して帰国するまでの信仰の遍歴を綴る。

    キリスト教を自分なりに解釈し、留学中も当時のアメリカのキリスト教社会に染まることなく、独自の信仰を貫きとおした内村の姿には、キリスト教徒でなくても勇気付けられる。

  • (2002.12.31読了)(2002.02.15購入)
    内容紹介 amazon
    本書はキリスト教文学としてひとり日本における古典的代表作たるにとどまらず、あまねく欧米にまでその名声を博した世界的名著。懐疑と感謝、絶望と希望、悲哀と歓喜、――主人公である「余」の「回心してゆく姿」は、著者独特の力強い文章をもって発展的に記述され、読者をしてその魂を揺さぶらしめる何ものかを蔵している。

    ☆関連図書(既読)
    「基督信徒のなぐさめ」内村鑑三著、岩波文庫、1939.09.15
    「後世への最大遺物・デンマルク国の話」内村鑑三著、岩波文庫、1946.10.10
    「代表的日本人」内村鑑三著・鈴木範久訳、岩波文庫、1995.07.17
    「内村鑑三」森有正著、講談社学術文庫、1976.09.10

  •   内村鑑三「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」を読む。
      札幌農学校でかのクラーク博士の薫陶を受けた上級生からなかば強制的に「イエスを信ずる者の契約」に署名させられ、これが信仰のきっかけになったという内村鑑三。神の国アメリカに憧れて渡米、大きな挫折を経ながらも、信仰に救われるという体験。想像を絶するキリスト教への信心、しかもそれが徐々に深まってゆき、我こそが神の子という強い自覚に至る・・・。
      こうして読んでみて、改めて信仰とはいったい何なのか、キリストの神への帰依とはいったいどういうことなのか、自分には想像すらできない、理解できないというのが正直なところだ。確かに時折り眼にする聖書の言葉に心を打たれることはあるし、何か救われるような気持ちになることもある。かの曽野綾子さんの言葉には信仰に裏づけされた強い信念が感じられるし、また見聞きする信者の人たちの奉仕の精神にはいつも頭が下がると云っていいだろう。個々の人たちを見る限りでは、悪い人は決していないし、むしろ崇高な心の持ち主だといえるのかも知れない。
      しかし、個々には崇高な心があるにもかかわらず、集団として組織としてのキリスト者が巻き起こす弊害、それは時として唯一絶対神とする故の他者の排斥として現れるわけだが、これが実は恐ろしい。キリスト教とイスラム教、これらの一神教の存在が世界をつねに争いの場・戦いの場にしているからだ。町田宗鳳さんの云うように、一神教こそが人類の敵というのは、まさに然りということなのだ。
      この本はもともと英語で、さらにドイツ語、フランス語、フィンランド語、デンマーク語などにも翻訳されているのだという。キリスト者のために書かれたもののようで、自分のような人間が読むのはやはり違和感をもたずにはいられない。むしろ狂信的な雰囲気、嫌悪に近い感じさえ持ってしまう。宇宙や森羅万象を支配する何か大きな存在は思うにしても、唯一絶対の存在としてもともと人間の一人であったキリストを神として崇め見るということは生理的に馴染めないような気がする。やはり日本の風土や日本人の心底に流れる信仰に対する考え方が自分にも脈々と息づいているということなのだろうか。ザビエルのときもそして明治の後も、内村鑑三が期待したようなキリスト教の広がりが日本に起きなかったのは、けだし当然と云えるのかも知れない。キリスト教が行き渡った韓国とは大きな精神構造の違いがあるということだろう。
      しはしば軽い国民性と思うことはあるものの、キリストも認め、イスラムも否定するわけでなく、仏も日本の八百万の神々も受け入れる日本と日本人の心根、これこそがやはり人類を救えるのかも知れないような気がしてくるのだが・・・・。

  • 当時の新興宗教であった「一神教」である基督教に内村が回心した告白の日記。

    「なぜ」ではなく「如何に」が自伝的に語られています。

    日本の伝統宗教である仏教、儒教、神道をかなり否定しています。

    当時の日本における宗教事情や思想のあり方を学ぶには重要な資料となることはもちろんですが、
    キリスト教徒でなくとも我々の立っているところの日本の宗教性を問う機会になるのではないかと思います。
    キリスト教国であるからといって素晴らしいということはないというのが渡米しての感想だそうです。

    原著は日本語ではなく英語であり、多くの国にて翻訳されている。

    アメリカはやはり当時から金の支配する国だったようです。

  • キリスト教に入信した鑑三は本当のキリスト教を求めて、アメリカにまで出かけて行く。真っ直ぐな、そして不器用な鑑三は、そうであればこそ、紆余曲折を経て、とうとう本当の日本人として、本当のキリスト者として生きるべく、日本に帰ってくることになる。
    帰国する鑑三が校長として赴任する予定の一基督教カレッジとは、新潟の北越学館のことである。敬和学園とは不思議に、ここで縁がつながる。
    http://www.keiwa-c.ac.jp/libnews/2013/01/16/13469.html

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著者プロフィール

1861年生まれ、1930年没。思想家。父は高崎藩士。札幌農学校卒業後、農商務省等を経て米国へ留学。帰国後の明治23年(1890)第一高等中学校嘱託教員となる。24年教育勅語奉戴式で拝礼を拒んだ行為が不敬事件として非難され退職。以後著述を中心に活動した。33年『聖書之研究』を創刊し、聖書研究を柱に既存の教派によらない無教会主義を唱える。日露戦争時には非戦論を主張した。主な著作は『代表的日本人』、『余は如何にして基督信徒となりし乎』など。
佐藤優
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。現在は、執筆活動に取り組む。著書に『国家の罠』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。おもな著書に『国家論』(NHKブックス)、『私のマルクス』(文藝春秋)、『世界史の極意』『大国の掟』『国語ゼミ』(NHK出版新書)など。『十五の夏』(幻冬舎)で梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。ほかにも著書多数。

「2021年 『人生、何を成したかよりどう生きるか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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