善の研究 (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003312414

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  • 西洋人の形成力は、理論一つにしても、まるでそれぞれのものに実体があるかのような精巧さがある一方、多面性に欠ける。一面的な効用を主張するあまり、本質の性質に欠落が生じる。やがて見落としてきたものたちが問題となって噴出する。

    我々は意思に従うよりも原理・法則に則る方がより大きな自由を得られる。

    この世にはある一つの統一意志が働いており、万物はその意志の発現による産物である。そして、事象の発現に伴い、必ず二つのものが生まれる。例えば無から有が発現する場合、何もなかったはずのところに有の発現と同時に無という概念も発現する。これはすなわち、有と無は独立した別の働きがあるのではなく、有を生むという統一意志が働いた結果、同時に相反する無も露わになる。

    一つの統合に向けた作用は分化発展を繰り返す。西洋はこの発展の一面、言わば「有」ばかりを見て主張する。この見方では個の事象が隔離され孤立させられる。これはすなわち個の事象を限定するという事。だから一見発展しているようでも実態は同じ次元を延々とめぐる事になる。

    今の風潮はあたかも自然は独立した客観的存在、まるで機械のようなものであり、人間の技術が主観的なものであるという考え方をしているが、自然と精神は同一のものであり、万物とは程度の差による違いが発露したものたちにすぎない。

    我々がモノを知るという事は、自己とモノが同一となる事。

    優れた創造物にはモノの本性が矛盾なく表出されている。

    我々が意志だと思っているものは、実は身の回りの環境、自然の作用である。

    精神とは自他を区別し、自己を自覚する意志活動の事であり、人間はそうした自然の意志・精神を自らに取り込む事で自己を形成する。我々がいわゆる人格と呼ぶものも、自己と自然との遭遇、純粋経験の積み重ねによって作られる。

    道徳観の共通点は、義務で自己の要求や活動を制限してしまう事。だが、このような自己の抑圧をしない事こそが真の「善」である。

    自己が世界と不可分な状態にある時、自己は世界の秩序に取り込まれ、そこに自立した意志が働く必要はなくなる。我々が我々である為には、常に自己と外界との衝突がつきもの。各人が完璧に整った環境に生まれ発展しても何の個性もない。各々ユニークな環境下において、絶えず自己の分化発展を続ける事。

    個人は自主独立している。有を離れた無は真なる無ではないように、一切を離れた一もまた真なる一ではない。個人が個人によった働きをするからこそ世界は豊富深遠となる。

    万物は神の発現であるならば、宗教による個人の目的は神との合一にある。ただ個人の欲求のままにあるのではなく、世界との合一をはかる事。自己の統一と発展が不可分なく行われる事が、真に生きた宗教である。現代の宗教は自己の安心や小欲無憂が最上であると誤認されている。

    本来、世の全ては善である。仮に悪が存在しようが悪には悪の役割があり、因果がある。

    キリスト教の信条は「愛」。相手との共有や同化を求める情動。仏教の信条は「知覚」。知とは主観を限りなく客観へ向ける為、無我が求められる。この二つは、自己を限りなく外に向ける点では、まったく同じ性質を秘めている。

    日常の全てが自己の統一活動の場。

    我々は、宇宙こそが唯一の実在だと考えているが、自己とは宇宙精神の実験のように思える。

  • 金沢に越してきたので読んでみた。純粋経験の概念は興味深い。門外漢としては非常に新鮮だった。最終章の愛と知についての話もわりと好きだった。

  • 難しい。
    とにかく難しいです。
    前半の内容が特に理解不能で、純粋経験なるものを解説していますが一知半解…。主観と客観の超越とか言われても今一つピンときません(笑)
    本書後半からがタイトル通り『善の研究』について述べています。こちらの方が分かりやすい。ただ、これといった知識を得られないまま読み終えてしまい(これは僕の理解力不足にある)、また歳を重ねてから読むといいのかなと感じました。
    上記引用を見れば分かる通り、本質の本質を掘り下げようとする姿勢には感服です。『なぜ地球が自転しているのか』『なぜ私が私であるのか』『なぜ殺人を犯してはならないのか』『インセストタブーの普遍性』…例えを挙げればきりがありません。しかしこの根本的な質に、明快で説得力のある答えは未だかつて出されたことはありません。

    人格の実現が善ならば、突出した、つまり何かに秀でたものがある人が良い、と。個々人の突出したものが総体として民主主義につながっていく、あるいはそれらが互いに刺激し合って多様な社会・文化を育んでいく…。

    読後感としては『すごい』の一言に尽きます。日本にはこれほどの哲学者がいるのかと、驚愕しました。
    純粋経験(主客合一)の視座を築き、さらに実在論や神についての考察はまさに圧巻です。

    本書の最後、

    主観は自力である、客観は他力である。我々が物を知り物を愛すというのは自力をすてて他力の信心に入る謂いである。人間一生の仕事が知と愛との外にないものとすれば、我々は日々に他力信心の上に働いているのである。学問も道徳も皆仏陀の光明であり、宗教という者はこの作用の極致である。学問や道徳は個々の差別的現象の上にこの他力の光明に浴するのであるが、宗教は宇宙全体の上において絶対無限の仏陀その者に接するのである。
    (―中略)
    而してこの絶対無限の仏もしくは神を知るのはただこれを愛するに因りて能くするのである、これを愛するが即ちこれを知るのである。印度のヴェーダ教や新プラトー学派や仏教の聖道門はこれを知るといい、基督教や浄土宗はこれを愛すといいまたはこれに依るという。各自その特色はないではないがその本質においては同一である。神は分析や推論に由りて知り得べき者でない。実在の本質が人格的の者であるとすれば、神は最人格的なる者である。我々が神を知るのはただ愛または信の直覚に由りて知り得るのである。故に我は神を知らず我ただ神を愛すまたはこれを信ずるという者は、最も能く神を知りおる者である。


    上記引用は秀逸。鋭い洞察力と言えます。『知を愛する』という単語(フィロソフィア=哲学)があるのを知ってか知らずか、それを神と結び付ける技、巧みな論考には驚きです。

    と、素晴らしい本だと褒め称えたいのですが、恐らく本書の半分も理解していないだろう僕の頭では、『面白いけどもっとわかりやすく解説して!』と心の中で叫んでいるので(笑)評価をA―にします。

  • カント並みに理解しにくい哲学書でした。
    文語が混じる分、より頭に入って来づらいです。

    純粋経験も知覚もすべて、「他社との比較」の中で決まると説いています。
    赤いものは、赤くないものがあるから赤い。
    男性は女性がいるから男性たり得る。
    そんな感じです。

    善とは何か?が大きなテーマ。
    それを「個性の発揮」に求めています。
    確かに愛他精神も正しい。
    しかし、人への施しも「良く思われる・感謝される」という自己満足ゆえに自らの欲望に帰結するという。

    「絶対の善」はなく、己が善であるとの結論。

    最後は「神」についてちょっと入れ込み過ぎだったので(キリスト論者)、
    好きになれませんでした。
    自分に善を見出しながら、たった一人の神様を絶対とする点に違和感。

  • 東洋思想と西洋思想をより根本的な地点から融合させようとして、
    それを「絶対矛盾的自己同一論」と発展させた彼の思想は面白いなぁ。

    行動と思想は分けて考えることができない。

  • 前半部分の言葉の定義はいまいち興味をそそられなかったけど、
    後半以降の、具体的な『善』『徳』に関する記述は見事としか言いようがない。
    自分が人格的に完成するための作業を好むものであるならば、つまり命を最大限まっとうしようとする善者であるならば、
    他人のなにかの弊害になるような真似はしなくなるし、
    逆に誰かの役に立つことで、生きがいを実感することがわかるようになる
    人間には根幹部分に他愛の精神がある。
    こう考えると、やっぱり仕事ってのは人間にとって大きなものであると同時に、命を全うするためには欠かせない手段であるということが言えると思う。

  • 「価値判断」というのは、時代背景やおかれた環境によって変化する。昔は「良い」と思われていたことが今の時代では通用しない、とか。あの国では「良い」と判断されることが、他の国ではダメだとか。「善悪の判断」についてもそうだ。それは「価値観」ほど個人的なものではないが、決して絶対的・普遍的なものではない。では、唯一絶対普遍的な「善」は存在しないのか。自分の行動の拠り所とすべき、絶対的な「善」は存在しないのか。
    その探求に果敢に取り組んだのが、日本で始めて哲学体系を構築したといわれる西田幾多郎教授である。ただし超難解なので、内容を十分に消化するのは、初読では不可能に近い。

  • この人の本は大学にいるうちに読んでおきたかった。キーワードは「主客合一」。この観点から、認識論、実在論、倫理(善とは何か)、そして神について語っていく。もっとも、あまり初心者向けではない。 内容の解説は他の人にお任せするとして、個人的に気に入ったのは、論理の流れが非常に把握しやすいところ。各章がA→A1→A2→B→B1……という風に順序立てて構成されており、話がすっと頭に入ってくる。もっとも、それを理解できるか否かはまた別の問題ではあるのだが……

  • 西田幾多郎『善の研究』(1911年)を20年ぶりに読みかえした。

    この本のポイントは、たぶん、「われ思うゆえにわれあり」の「われ」ってどこからでてきたんだ?それって妄想なんじゃねーのというところだろう。で、「われ」じゃなくちゃーなんだとなるが、もちろん、ほかの誰かさんとか、梵天さんの夢とか、そんなもんでもない。

     大ざっぱにいうと、「われ」というのは、一種の「まとまりかた」(統一)としかいいようのないもんだということになる。物もそのような「まとまり」で、空間とか時間とか因果とかは「まとまり」である「自己」が「物」を整頓をする形式なんである。で、この「まとまり」をだんだん大きくしていって、「自然」やら「神」やらが説明されていく。こういうのは活動する全体集合といったようなもんである。「西田は高等数学がわからんと理解できない」などといわれるけど、高等数学というのは、集合論とか射影みたいなもんじゃないかと思う。

     『善の研究』はメガネの外し方としては面白いし、ひざをうつところも多い。しかし、あんまり便利な言葉や、すべてを説明しようとする理論なんてのを考えるのは、それこそ「哲理を考えるべく罰せられた」(ヘーゲル)ところの呪われた行為なのかもしれんなーと思う。「語り得ぬものについては沈黙せねばならない」というのも、なんだか禅が以心伝心を宗としたのを思いだしてしまう。悟りをふりまわす人も多いからじゃないかと思う。方以智にいわせれば、「機鋒を争う者が群起する」といったところかなー。

     神=自然とやるのは、まあいいとしても、人=神の部分集合とやると、その通りではあるけれど、悪用する部分集合がでてきて、「小さい自己を脱して大きな自己に生きろ」とほかの部分集合に言いはなち、くだらん戦争で突撃をするための飾りになってしまう。ほんらいなら、戦争なんかやめて家にかえって、部分集合としての自分をありがたく生きれば、それでいいんじゃないかと思う。西田さんもそう思っていたんじゃないかと思う。

     西田さんはきちんと座禅をした人なんだが、明末あたりの中国思想じゃ、禅は異端だったり、過激思想で「アカ」扱いだったりする。王陽明も若いころ禅にころんだらしいが、結局、「現実の起伏に即した」(荒木見悟)把握をめざすことになる。儒家にいわせると、禅師なんてのは、世の中の経営の苦労をバカにして、思わせぶりで、悟りを鼻にかけて、まったく気にくわない人たちじゃなかったのかなと思う。禅宗の内部でもインスピレーションだけじゃだめだよということで、祖師をきちんと学ぼうという動きがあって、『宗鏡録』をよめといってみたり、戦乱下の民衆の救済を考える社会派の禅僧(覚浪道盛)なんて人もでてくる。

     だけど、儒家がやっている君臣だの、親子の関係のあるべき姿だのが、禅にくらべて、せせこましくみえるのは否定できない。だけど、こういうせせこましいところに、みんなが通る道があって、現実に即して考えることもいっぱいあって、あんがい奥深いんだぜというところが理解してもらえなかったりする。そこがつらいところなのかもね。

     『善の研究』をほんとうに生かせば、こういう儒家の立場もはいってくると思うし、ほんとうに面白い本である。「我々の神とは天地これに由りて位し万物これに由りて育する宇宙の内面的統一力でなければならぬ」(第四編第二章)なんてのは、これ『易』の「太極」だよなーと思う。『易』はいちおう儒家がおもんずる古典なんである(道家も『易』は好きだけど)。方以智は『易』が中国最初の以心伝心であるといっている。

     西田さんも『善の研究』で終わったわけじゃないから、つづきをよまないといかんなーと思う。ということで、つぎは『西田幾多郎哲学論集Ⅰ』なのである。「場所」は一回読んだけど、もちろん忘れている。なんともこまったもんである。

  • 「日本人に哲学はできない」とときに言われるが、世界に誇れる純粋な日本人哲学者として格別の存在として挙げられる西田幾多郎。難解と言われるその思想にチャレンジすることにした。

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