遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

著者 :
  • 岩波書店
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本棚登録 : 755
レビュー : 74
  • Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003313817

作品紹介・あらすじ

数千年来の常民の習慣・俗信・伝説には必ずや深い人間的意味があるはずである。それが記録・攻究されて来なかったのは不当ではないか。柳田の学問的出発点はここにあった。陸中遠野郷に伝わる口碑を簡古かつ気品ある文章で書きとめた「遠野物語」、併収の「山の人生」は、そうした柳田学の展開を画する記念碑的労作である。

感想・レビュー・書評

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  • 遠野物語:1910年(明治43年)。
    日本民俗学の開拓者・柳田国男の代表作。陸中遠野郷(岩手県の遠野盆地近辺)に口承で伝わる民話を柳田が編纂したもので、本邦民俗学の発展に多大な貢献をしたとされる名著である。民間伝承を、その原型を尊重し余計な装飾を排して聞いたままに記したとされるが、簡素ながらも気品のある美しい文語体で綴られており、日本民俗学の記念碑としてのみならず、その文学性も高く評価されている。

    土の匂いのする物語だ、と思った。混沌が、混沌のまま残されている。のどかな民話集かと思って読むと、結構な衝撃を受けるだろう。座敷童、天狗、マヨイガなどノスタルジックな怪異譚も多いが、神隠しの話などは超常現象ではなく何者かによる拉致監禁ではないかと疑われる節もあるし、息子による母殺しという明らかな刑事事件も混在しているし、お伽話として片付けるにはあまりに生々しく泥臭い。閉鎖された寒村の心の闇をのぞいてしまった気がして、ちょっと背筋が寒くなった。「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」という序文の言葉は、あながち誇張でもないようである。

    しかし、慣れてしまうと妙に心惹かれるものがある。お酒に例えるならば、泉鏡花などに代表される純文学としての怪異譚は大吟醸で、こちらは地元の民家で作られるドブロクという感じだろうか。最初は飲みにくいが、いったん慣れると癖になる。これが民俗学という学問の「味」なのかもしれない。好き嫌いが分かれると思うが、私はこの味が嫌いではない。それを発見できたのが本書を読んでのささやかな収穫だった。折をみて、この分野のほかの本も読んでみたいと思う。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「地元の民家で作られるドブロク」
      上手い表現ですね。
      学生の時、「宮澤賢治」「奥の細道」「遠野物語」を巡る旅を考えたのですが、纏まらずに断念...
      「地元の民家で作られるドブロク」
      上手い表現ですね。
      学生の時、「宮澤賢治」「奥の細道」「遠野物語」を巡る旅を考えたのですが、纏まらずに断念。今思えば欲張り過ぎずに、どれか一つにしておけば良かった。。。
      2012/04/12
    • 佐藤史緒さん
      文学を巡る旅は面白そうですね。確かに、学生で独身のうちしかできない贅沢な旅ですね。
      柳田国男の他の著作も読みたいですが、柳田とくれば折口信...
      文学を巡る旅は面白そうですね。確かに、学生で独身のうちしかできない贅沢な旅ですね。
      柳田国男の他の著作も読みたいですが、柳田とくれば折口信夫も読みたくなります。また、宮本常市の「忘れられた日本人]という名著もあるようなので、そちらも読んでみたいです。
      2012/04/21
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「柳田とくれば折口信夫も読みたくなります」
      折口(チョッと難しい)、柳田、宮本は、文字に残されるような偉いコトをした訳じゃない私達庶民を書...
      「柳田とくれば折口信夫も読みたくなります」
      折口(チョッと難しい)、柳田、宮本は、文字に残されるような偉いコトをした訳じゃない私達庶民を書いていて素晴しいですよね。。。
      久々に「死者の書」読みたくなっている。。。
      2014/04/07
  • 前々から読んでみようと思っていて、長らく手を付けてなかった。
    民俗学はキライではないけれど。
    今回読了に至ったのは、
    此度、父親の故郷である岩手県釜石市に父母が墓参りついでに観光で遠野迄足を伸ばすとのことで、急遽読んでみた次第である。
    遠野物語を読んでいて、佐々木姓がふんだんに登場したとき、岩手って、本当に佐々木姓が多いんだなと今更ながら思った。父は婿養子だが、婿養子になる前は佐々木姓である。
    繋がりがもしあるのであれば、辿るのも面白そうだと思うが、父の実家は既にない。おそらく家系図などもないだろう。歴史的背景を調べられないのは非常に残念だ。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「おそらく家系図などもないだろう。」
      戸籍(除籍)謄本を取り寄せて、調べると言う方法がありますが、、、役所って協力的かどうかは判りません。。...
      「おそらく家系図などもないだろう。」
      戸籍(除籍)謄本を取り寄せて、調べると言う方法がありますが、、、役所って協力的かどうかは判りません。。。
      2013/05/07
  • 伝承文学の原石そのままの魅力を抜き出したような(しかし実際には意図的に漂白された)遠野物語も素晴らしいが、柳田自身の考察が前面に出ている山の人生が抜群に面白かった。日本各地の地方に伝わる神隠しの口頭伝承、それと同時に山の人(つまり、仙人だ)について語られた説話を結び付け、山の人とは日本民族が定住する前からこの地に住んでいた先住民の末裔ではないかと推測するその論はとても刺激的だ。「我々が空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遥かに物深い」という一言は、物語の起源に向き合い続けた者が持つ説得力がある。

  • 日本に先住民がいたという前提で論を進めることで日本の民俗を分析していこうという書籍だと思う。
    非常に興味深く読むことが出来た。

  • 一度読もうとして挫折した本。今回めでたく読了です。
    以前から、遠野物語には興味を持ってましたが、文語体の文章はスラスラとは読めません。勉強不足の自分の場合、理解するのに通常の1.5倍はかかりました。それと比較して「山の人生」は読みやすいうえに様々な伝承から理論的に推察し最終的に「山人」の存在を浮かび上がらせていくなど、非常に興味深く、面白かったです。
    個人的に印象に残ったのは2つ。一つは現在と近代化以前の庶民の感覚が全く違うこと。特に人の「死」に対する考え方がやはりというか、違うものだと改めて感じました。冒頭にある名文「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」。まさに戦慄を覚えた部分も多くありました。
    もう一つは終盤にある「これを下品だとして顧みないような学者は、いつまでも高天原だけを説いているがよい。」の文。今では、この高天原すら論ぜられなくなった現代。進みはしていいるものの、まだまだ埋もれたままの歴史を地道に掘り起こすことが大事なのかな、なんて思いました。

  • 岩手県の沢内村といえば、太田祖電と深沢晟雄であるが、気になったのが「佐々木」という名前の人が何かにつけて目につくということだ。気のせいかも知れないが、深沢を助けたのは佐々木吉男だし、対滝閣の経営者も佐々木、そして遠野物語の語り手も佐々木鏡石だ。
    理由は、宇多天皇の玄孫である源成頼が近江国に住み、佐々木姓を名乗り、その佐々木一族が源頼朝に従って奥州征伐に向かい、その後そこで暮したことから……らしい。

    閑話休題。遠野物語は一つの文学作品である。芥川が今昔物語に注目していて、その逸話と同じようなものがここにも感じられ、中世のあの混沌とした感覚が、リアルでつい最近までの山にもあるじゃん、それはとっても嬉しいなと絶賛したとか。

    私達の知らない日本人の姿の探求の書である。それは昔からあったであろうけれど、忘れられた。本来の日本人性の復権のようなものが、この本に潜んでいる。復権というよりは、外国に在る人に示す……外国とは、もちろんそのままの意味でもあるだろうけれど、近代化した日本人に示すという意味合いもあるだろう。「ガガはとても生かしては置かれぬ、今日はきっと殺すべし」というのを、三島が絶賛し、楢山節考とかもこの遠野物語にあってもおかしくないが、それよりもこういった、柳田という一人の役人が、報告書のようにたんたんと一つ一つ現代に蘇らせていく「報告書」感覚が、妙な臨場感を覚えさせる、そこがいいのだ。佐々木鏡石著、であれば、たぶん創作入っているだろうとかで、よくありそうな怪奇譚扱いだったろうが、柳田がやっていることによって、「よくありそうで、すませるな。ここには何かある……」となっているように思う。

    山の入り口に立つだけで、この山の中に何人いるのかとかがわかる人がすっかり少なくなったり、「日本人と山」というものが、いつからかよそよそしい関係になってしまっている、昔の人間にとって山とはなんだったのか、山人……彼らはもし真の人間であったとしたらあまりにも我々と遠く、もしまた神か魔物かだったというならば、あまりにも人間に近かったと評する柳田は、山に何を求めていたのか。

    村で子どもが行方不明になれば、奪還の儀式として「かやせー」と練り歩くこと。そこに何を見るのか。合理的でないその様を面白おかしく関心するのか。日本の先住民。その先住民は人権を求めたりなんかはしない。もう消えてしまったもので、それは何か野蛮なものや、アフリカの原住民とはまた違う、どちらかといえば、森の中の賢者であるフクロウや、ファンタジー世界のエルフのような、偶然性に依存した、ボーイミーツガールみたいな風に、山を見てしまう。
    そういった「見てしまう山」という、通常の感覚と異なる現在進行形を考えることが、日本人を考えることだ。自己は、非自己になってこそ生まれるものであり、日本国民は、非日本国民(外国人ではない)でもって、浮かび上がってくる。山の人は定まった場所に家がない。それでいて生きていけること。それは、毎日家にかえってマンションで団らんをしている私達の想像を超える。
    聞きたるまま書かれた、ではなく、感じるまま書かれたという、「感じ」に注目するが、そういった感性頼りが、小林秀雄のような文学の、学問ではないという批判として扱われるが、信ずること、考えることにある、ヒヨが鳴かなかったら発狂していたということや、何を信じ、何を考えるのか、そのスタイル、姿勢を見るというのは大事なことだと私は思う。
    一番気になるのは遠野物語の96、芳公馬鹿という白痴が石を拾い上げて家に投げつけて火事だ火事だと叫ぶと、ことごとく火事になる逸話だ。だって、こういう人、都会にもいそうでしょ。でもいない。でも、出会いそう。山の話が現代にもつながりそう。そんな「そう」の感覚から、どのように一歩踏み出すのか。それをフィールドワークとともに想像力と直感で補って神話的なものを生み出すのか、とにかく文献を持ち出して実証的に築きあげてレポートとしてまとめあげるのか、その境界線上で静かに決断すること、信じてやってみること、その始まりがこの本にあると思う。

  • 柳田国男の代表作の一つ、東北の遠野地方に伝わっていた伝説や民話などを集めたもの。その地方出身の知人から聞いて書いたということで、内容は(当時からみて)割と最近に起きたらしいことも含まれている。今から見ると全て遠い過去の話だが…。

    かつて読んだケルトの妖精物語などに近い印象。読んでいて、向こうのものと似たようなエピソードもあり、日本ではこういう解釈、アイルランドではああいう物語になるのか、などと想像して面白かった。

    同時収録の「山の人生」について。こちらのサイトで「山の人生」が面白いという意見を多く見かけたので、この岩波版を読むことにしたのだが、確かに面白かった。こちらは、神隠し、天狗、山姥などの日本全国の山にまつわる伝説や物語、地方に伝わる習慣や祭などから、山に住んでいた(とされる)人々についての全体的な考察をエッセイとして纏めたものとなっている。

  • この『山の人生』という本も、改めて読み返してみるとつくづく不思議な本です。論文とも、エッセイとも、ルポともつかぬ捉え所のなさを感じます。

    昔の人は発狂して山に姿を消すことがあった、そしてその人は何年も後に一度だけ人里に姿を現して、後はそのまま完全に行方不明になってしまうのであった…これは遠野物語の「サムトの婆」を思い出させる物語ですが、こういう物語が全国に共通してある。

    ではそうした物語に込められた、人々の精神構造とは一体どんなものなのか――。少々単純化して言えば、この本はそういう問題意識から出発して書かれたもののようです。

    では作者の柳田國男はどういうスタンスでその問題に解答をあたえようとするのか。

    最初、その視点は、いわば現象学的です。そういう物語が現実に有り得たのかどうか、という科学的な視点でもなく、単なる物語の歴史的系譜の分析に留まるでもないのです。

    柳田の視点は、その物語が生まれた世界、あるいはその時代に生きていた人々にとってその物語はどういうものであったのか…を探ろうとする視点に他なりませんでした。

    ところが読んでいくうちに、だんだんその視点もおかしくなっていきます。古の人々の心情がどうとかいう以前に、柳田自身が物語世界に首まで漬かってしまっているのです。

    本の中で紹介されている「山に消えた人々」に関する昔話や伝承が、いつしか全て実際にあった出来事のように語られ出しているのです。

    だからと言ってこの本は論旨や趣旨が破綻しているかというとそうではなく、むしろこのような奇妙な歪みやブレが、この本を魅惑的なものにしています。

    そこに、かつて「山人」の存在を証明することを夢見てそれに挫折してしまった柳田國男という学者の姿を透視することは簡単です。しかしそれは、この本の魅力を理解するためには補足的な要素でしかありません。

    『山の人生』は、かつて「山」という異世界に惹かれ、呑み込まれていった人々が存在していた(らしい)という伝承を通して、一人の詩人が自らの中にある詩情を吐露している。そんな印象を受ける本であります。

  • 新書文庫

  • 久々に再読。「遠野物語」のほか「山の人生」「山人考」 収録。「遠野物語」自体はシンプル(聞き書きそのまま)で、「山の人生」のほうが考察などが入り、長編。

    おなじみ河童やオシラサマから、神隠しや山人、山姥まで。ここではまだ山窩という言葉は使われていない。

    余談だけどつい最近(2016年6月)親が車で子供を山中に置き去りしたら行方不明になっちゃった事件があって、数日後に子供は無事発見されたのだけど、こういうの、昔だったら神隠しとか、天狗にさらわれたとか言ったんだろうなとつい考えてしまった。

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著者プロフィール

1875年兵庫県生まれ。農商務省勤務、貴族院書記官長を経て、1930年代以降は民俗学の著作に専念し、研究会や雑誌を主宰した。おもな著書に、『遠野物語』『木綿以前の事』『海上の道』など。1962年没。

「2018年 『祭祀習俗事典』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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