こども風土記・母の手鞠歌 (岩波文庫 青 138-4)

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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003313848

感想・レビュー・書評

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  • 実は、オーディブルで「こども風土記」を聴いた。文庫本ではこれしかないので、岩波文庫で登録させてもらう。

    「児童文化は、孤立した別個の文化ではない。児童は私がなく多感であるが故に、むかしの麗しい言葉が、子供の中に未だ残ってる。」という認識のもと、平和な平地の人々の暮らしが、柳田国男の「文学的表現」で、つらつらつらつら書かれている。

    勿論、後世の学者はこれらの「柳田国男の仮説」を、どう評価するかで頭を悩ませる。「彼の文は全て文学だ」と一刀両断できたらいいのであるが、彼の断定する言葉の意味が、結局物凄く鋭いことが、幾つも幾つもあるのだから、かなり困るのである。

    例えば、
    ・「かごめ・かごめ」も、「当て物遊び」のひとつとして、様々なバージョンのひとつなのである。そして「これが昔の世に広く行われた神の口寄せというものの方式だった」と推察を述べる。子供がその真似を繰り返して最近まで持ち伝えたというのである。
    ←小説やドラマでは、時々ホラーの導入部として「うしろの正面だぁれ」を使うけれども、別にホラーでなくても、「輪になって何かひとつの文句を繰り返し繰り返し唱えていると、催眠状態になって、自分でなくなっていろいろの受け返事をする」というような解説をされると、「あゝそういう事もあったのかなあ」という気になる。けれども、これは柳田国男の推察の域を出ていないのである。

    ・ママゴトは「昔の生活様式を我々のために保存している」つまり、ことの本来の意味は仕業、行いであり、儀礼だった。という。

    ・しか遊び。たいてい馬乗り。問答の文句とふしが少しずつ違う。
    伊予は胴乗り。しかしか何本、と問う遊び。石蹴りとう。
    九州と四国の北半分に偏っていて、他にも飛び飛びに伝播している。
    ←わたしは「しか、しか、何本」の遊びは全く知らなかったが、馬乗りの遊びはかなりした。新聞連載だったという事もあって、かなりの民俗事例の葉書が柳田のもとにとどいたという。これらの連載が昭和16年の単行本だったというところに、「美しいものを残そう」という柳田の願いがあったのだと思う。

  • かつて朝日新聞で連載されており、当初は小さな子どもとその母親たちへ向けて書かれていた。内容としては当時やそれ以前の世代の人々が子供時代に遊んでいた「遊び」に焦点を当て、全国から寄せられた情報や柳田自身の知識を踏まえ、遊びの起源や歴史、遊びの担い手だった子どもたちの地域社会における性質や立ち位置などを解釈していく。「こども」によって今日までに伝えられた民俗研究のアプローチ方法を切り開き、これからもお手本になるであろう作品。

  • 岩波文庫版。私が次なる論文で取り上げようと思っているのは,田沼武能の写真集『子どもたちの歳時記』(筑摩書房,1985)。この写真集は彼の作品のなかでもかなり好きなもの。私は修士論文で田沼武能のほとんどの作品を扱ったが,実はこの作品については掲載写真情報をまとめた表は作ったものの,作品そのものについての考察はほとんど本文にない。もし,この作品についての論文を書くのであればほとんど一からのスタートだ。久し振りに写真集を開いて,田沼氏による「あとがき」を読んでみると,冒頭に柳田国男の「こども風土記」からの引用がある。そう,この写真集は田沼氏が,「こども組」と呼ばれる,主に祭りのための子どもたちによる自治組織を探して日本全国を駆け巡った記録になっている。なので,それについて考察するということは,もっぱら民俗学の議論を参照することになりそうなのだ。
    ということで,とりあえずはその柳田国男の文章を読むしかない,ということで柳田の文章を初めて読むことになった。社会学や哲学,批評,言語学など様々な分野の本を読みながらも,なぜか苦手意識があるのが人類学と民俗学。基本的に入門書の類は好きでない私だが,苦手な分野についてはそれらに頼りたくなる。ということで,柳田自身の文章を読む前に,福田アジオ『柳田国男の民俗学』(吉川弘文館,1992)を読んだことはあった。いや,きちんと読んだかどうかの記憶すら曖昧です。ともかく手元にはある。
    「こども風土記」は1941年に『朝日新聞』に連載されたものであり,単行本としても朝日新聞社から1942年に刊行されている。一方,「母の手毬歌」は当初『村と学童』というタイトルで1945年9月,つまり敗戦すぐに刊行され,ほぼ同じ内容で『母の手毬歌』として刊行されたのが1949年。最終的に同時期に同じ目的で書かれた文章が10編あると本文にも書かれているが,そのうち8編を収録している。
    「こども風土記」は「子どもとそのお母さんたちとに,ともどもに読めるものを」ということで依頼された新聞連載。「かごめ・かごめ」など,日本全国にある子どもの遊びについて,徒然する文章。1回の文章は短く限られているので,1つの話が一度で終わる場合もあれば,何度かにわたって続けられるものもある。柳田本人も書いているように,とても子どもが読んで面白いようなものではなく,かつて子どもだった人が,田舎での子ども時代を懐かしく思い出す,そんな記事になったようだ。やはり著者の興味は民俗学的なものにいっていて,全国各地にある似たような遊びの伝播や関連性,その起源などを素朴に追求するような文章です。そのなかに,「こども組」についての記述もある。言葉の起源に関する彼の関心はやはり興味深い。
    「母の手毬歌」は「こども風土記」と比較して,1つの文章はながくまとまりがある。この岩波文庫版のタイトルにもなっている「母の手毬歌」は柳田自身の母親の思い出からはじまる。『村の学童』は結局,戦後の出版となったが,そもそもはそのタイトルにも現れているように,疎開先の学童に向けて教科書代わりになるものを与えたいという想いから書かれたものである。これもはやり「こども風土記」と同様に,子どもの遊びに限定しないが,日本のいろんな地方に伝わる民話や風習の類を集めてきて,その時間・空間的な推移を辿るというもの。
    やはり全般的に,子どもに向けて書かれたということもあり,記録されている事実は非常に興味深いのだが,私自身はとても読みにくい。こういう文章は集中力が続かないのだ。でも,もちろん柳田氏の文章だからそのクオリティは高く,イラストも多数掲載されていて,非常に興味深い作品であることは間違いない。

  • 描かれている旧い子供の遊びが素敵なのはもちろんのこと、遊ぶ子供たちをとてもほほえましく見る視線が感じられて心温まります。

    ――と思ったら表紙に「柳田の優しいまなざしが行間からほのぼのと感取される」って書いてありました。

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著者プロフィール

1875年生。民俗学者。『遠野物語』『海上の道』などの著作により民俗学の確立に尽力した。1962年没。

「2022年 『沖縄文化論集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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