不幸なる芸術・笑の本願 (岩波文庫 青 138-5)

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  • Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003313855

感想・レビュー・書評

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  • とりあえず、「笑の本願」のみ読み終わった。

    「笑い」とは、なにか。
    これこれ、こーいうのが知りたかった。
    世の中はバカバカしいもので、ほんと、笑っちまう様な事だらけだけど、その「笑い」とは何なのか。そこをちゃんと考えさせてくれる。考えなくちゃあ、仕方がない。

    柳田の文体として、「はいこれ、はい、知ってるっしょ?」っていう感じが否めなく、ときに置いてきぼりになりそうになるが、そこを乗り越えるとよく分かる。
    実によく分かる話。

    「笑の本願」は
    自序
    笑の文学の起源
    笑の本願
    戯作者の伝統
    吉右会記事
    笑の教育
    女の咲顔
    からなる。

    特に「女の咲顔」は、泣ける。
    男だろうと泣ける。

    「願っていなかったとは言うことができない。」
    「言うことができない」て。

  • 柳田國男の、大正15年から昭和22年にかけて書かれたエッセイを集めたふたつの著書を1冊にまとめたもの。
    これはなかなか面白かった。
    「笑い」の文化史という観点で室町時代ころにさかのぼると、大名の家々には必ず一人以上の「咄の者」(=笑わせ屋)がいたという。これはシェイクスピア劇に見られる道化と同じものだろう。つまりトリックスターである。
    また、あくどい「偽り」とは対照される「ウソ」の文化史を追えば、これまた「以前はウソつきは一つの職であった。」ということになる。「たくらた」=「馬鹿」もまた、民俗学上はそれ自体価値あるものとしてかつては存在していた。
    「不幸なる芸術」では驚くことに、「悪の技術」が称揚されるが、柳田の言うこれはちょっとした悪巧みのようなものであって、戦国時代や近年に見られるような、残虐な悪とは異なっている。
    要するにこの本にえがかれているのは、民俗上のトリックスターである。
    柳田國男はこうした「悪」「ウソ」「馬鹿」「笑い」の伝統がすたれつつあることを憂慮していたようだ。しかし現在考えてみると、「笑い」「馬鹿」は「芸人」としてテレビの中で存続しているように思う。
    ただ、ちょっとした子どもの「ウソ」に対しやかましく大人が叱責するという風潮は、柳田が指摘した当時と変わらない。現代はどんどん堅苦しく、がんじがらめになっていく傾向があるのは確かだ。
    柳田は「こういう点にかけては、近代人はかえって自由でない。」と嘆いている。

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