特命全権大使米欧回覧実記 (2) (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (435ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003314128

感想・レビュー・書評

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  • 1978年刊行(底本1880年)。読了に時間がかかった。というのも、難読語、地名等固有名詞に関する当て字、難意語等現代の語彙との差異の外、があったため、少しずつしか読み進められなかったから。内容は、維新期岩倉遣欧使節の一般向け報告書の2巻。英国編。実に詳細。

  • 第二編はイギリス、巻末の解説によると「米欧」の順で回ったのには意味があり、東洋対西洋の比較において「自由」を求めて独立したアメリカとその開拓の歴史はインパクトが大きかっただろう。しかしイギリス編を読んでいるとアメリカ編以上に明治の日本に取り入れるべき物を漏らさず記録しようと言う意思が垣間見える。既にアメリカでは肥沃な土地を生かした大規模な農業が始まっていたが、日本がまねをしたのはイギリス式の輸出作業の強化だったのではないか。ちなみに全権大使といいながらアメリカ到着後すぐに委任状がないという形式的な手落ちがあり条約改正の下交渉はそうそうにストップし目的はほぼ視察に置き換わってしまった様だ。

    当時のイギリスはGDPはアメリカに追いつかれかけていたが一人当たりではダントツの世界一、そのイギリス人が日本のことを東洋のイギリスと呼んでいた。海外にカナダ、インド、オーストラリア、ニュージーランドという広大な土地をもち、香港、シンガポール、ジブラルタル、マルタ、パナマ、南アフリカなど交通の要所を押さえている。当時のイギリスの競争力の源泉は当時世界一の生産量を誇った鉄と石炭にあり、機械を利用して海外植民地から輸入した綿や生糸を負って輸出している。輸入総額3億3千万ポンド(16.6億$)で綿花、穀物、蔗糖、羊毛、絹、茶の6品でほぼ半分を占める。輸出は2億2千万ポンド(11億$強)綿布、毛布、銑鉄、麻布、石炭、機械。鉄は317万t、1.3億$、機械は3千万$などだ。

    「英国の富は、石炭と鉄とをもって、機械を動かし、綿毛麻を紡織するのが眼目である」そして「英国の富強を世界に鳴らすは、その民の性、自力に逞しく、篤く法を守り、勉強するによる」1日6時間仕事をさせればアメリカ人は4時間で終わって遊びにいき、フランス人は同じく飲んで踊る。イギリス人は5時間で終わって残りの1時間別の仕事をする、そしてドイツ人は6時間では足らず夜までかかりさらに余った時間に勉強する。

    ロンドンでは貿易を支えるしくみすなわち会社、銀行、交易所、集会所や上院、下院からなる議会制度と裁判所を見学しまた物流についても鉄道、駅、市場に加え滑車を利用したクレーンなどどうやって機械を利用するかを見ている。細かいところでは日本では米を俵につめて人力で運んでいるのにイギリスでは小麦はサイロにバラ積みでこれまた機械をうまく使ってまとめて運んでいることや、雨が多いイギリスでさえ小麦をきちんと感想させてるのに日本ではそれがわかってないだとか、イギリスの穀物価格は小麦、米、トウモロコシの順で日本では雑穀扱いの小麦を欧州に輸出すれば儲かるに違いないとか、生糸の輸出の際に日本からの荷の中に鉛で重さを増してるのを見てこれではダメだと思ったりとか、西洋に売るために必要なやりかたを学び始めている。

    「東洋人は実験巧者で西洋人は術理に長けている。東洋の巧みなるは手技にあり、西洋の巧みは機械にある」東洋の方が手先が器用で実験的なのに対し、西洋はもっとロジカルで手先の技ではなく物理、化学を基礎として機械にやらせ、しかも分業が進み自分の専門外はよく知らない人が多いと産業構造の違いに着目している。そして、その英仏でもこういう産業構造に変わったのはわずか50年ほどのことなのだと。この産業を取り込んで追いつこうと考えたのも当然で、鉄道や富岡製糸場などはここから始まったのだ。

    実際に見て回ったのはリバプール、マンチェスターなどの中部の工業地帯に時間を割いて製鉄、銅などの精錬、ドライドックを備えた造船、板ガラスと鏡、天然ゴム、紡績と染色、製糖、アームストロング砲(開発者本人が案内!)、ばね、ビール(醸造なら日本も得意だ!)、炭鉱、陶磁器(ただしこれは日本や中国の物の方が質がいい)、岩塩を利用したソーダや塩素の製造、他に小さな物ではビスケット工場やら、万年筆のペン先やらまで中には全て理解できなくてもとにかく記録を続けている。南米のアルパカの毛は上手く毛織物にすることが出来ず海に捨てるのも燃やすのも断わられ、倉庫代だけがかさむ厄介者だったがある人が周囲に笑われながらも利用することに成功し、厄介者は財産に生まれ変わった話なども面白い。案内者が言いたがらないことも見学の間に色々聞き出して書いておけば、日本で産業化するときにここにヒントを残すかどうかで開発速度は大きく変わるかも知れないからだろう。これを旧仮名遣いで全て読むのはかなり大変。エジンバラがエデンボルグになってたりと単語もかなり違う。スコットランドが蘇格蘭とかは中国語で慣れたのでまだなんとかなる。

  • 『ぼくらの頭脳の鍛え方』
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    日本近現代史
    日本の近代は明治の指導者たちのこの一大見学旅行からはじまった。

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著者プロフィール

1839年(天保10)、肥前国、佐賀藩士の家に生まれる。藩校弘道館、昌平坂学問書に学んだ後、明治新政府に出仕。岩倉使節団に記録編纂係りとして随行し『特命全権大使 米欧回覧実記』5冊を編纂。後、歴史学者として帝國大学等で教鞭をとり、近代的実証史学、古文書学の領域を確立した。1931年(昭和6)没。

「2018年 『現代語縮訳 特命全権大使 米欧回覧実記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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