特命全権大使 米欧回覧実記 (3) (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (417ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003314135

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  • 岩倉遣欧使節団の報告書。5巻中の3巻で、フランス、ベルギー、オランダ、プロイセン(ドイツ)の模様が叙述される。中でもビスマルク演説が印象的。1979年刊行(底本1880年)。PS.漢字で当てられる固有名詞、19世紀後半期に特異な熟語、関係各国の地誌的理解不足などのため、個々の意味内容の読み取りの難しさとは違う点で、難読書ではあるし、かつ、文字のフォントが小さいのも閉口。

  • 第3編はフランスはパリから始まり、ベルギー、オランダを経由してプロイセンへ。1872年12月から3月末まで。

    フランス革命の後ナポレオンが皇帝に即位したのが1804年で一番勢力を拡大したのが1811年なので60年ほど前で1814−15のウイーン会議で現在のヨーロッパの国家の枠組みの元が作られた。1848年の2月革命でフランスの王制は廃止され第二共和制からナポレオン三世が1852年に即位し、1870年に普仏戦争が始まりナポレオン3世は9月にプロイセンに降伏、第三共和制が戦争を継続したが71年1月にはパリが包囲されフランスは敗れた。アルザス・ロレーヌはプロイセンに割譲され50億フランの賠償金が支払われた。ただこの実記に何度も出てくるがパリの被害そのものはその後3月末から2ヶ月続いたパリ・コミューンの内戦の被害の方が大きかった。フランス人が言うには敗戦いよっても貿易の利は失わず「国の貧富は政府の蓄財ではなく、人民の貧富によって定まる」プロイセンは賠償金を得たが人民は貧困のままだ。賠償金は貿易によってフランス人民の元に還流してくる。

    フランスの特徴はやはりイギリスとの対比で描かれている。イギリスの機械工業による堅牢な製品に対し、フランスは手工業による繊細で華麗な製品、職人の世界だ。またパリは永らく大陸文化の中心地であり、欧米の製品は一度フランスに集まり加工される。イギリスの製造業が原料から素材なのに対し、フランスでは最終製品をつく手いると行ってもいいのかも知れない。

    フランス人は声高らかで体は大きくないが活発で精力的、イギリス人やドイツ人と違って忍耐には乏しく「剽悍軽装」(すばしこく、荒々しく、身軽)で機敏さで勝負する。「ほぼ我が日本人の気性に似たり」とあるので日本人の伝統が質実剛健だと言うのは明治以降に作られた物だということが分かる。この米欧回覧で日本が目指したのはプロイセン。英仏に対しては遅れてると見なされていたがわずか数十年で追いつき、戦争ではフランスを破るまでになったからだ。フランスでは資本主義の制度がナポレオン三世時代に進んでおり商業には規律がある。回覧も製造業というよりは壮麗なシャンゼリゼだったり、司法制度だったりの記実の方が印象深い。

    ベルギーとオランダは好対照、武のベルギーに対し文のオランダなのだがこれはベルギーが地理的にパリとケルンの間に位置し戦場になりやすい位置に属しているからだという。例えばナポレオンの敗戦で有名なワーテルローはブリュッセルの近郊にある。一方のオランダは本土は小さいが一時期は海外に多くの領土を持ち、本土においては天然資源はなくとも人々の努力で富裕国の一つとなっている。「オランダ人の心を持って、中国に住めばオランダの様な富裕国が数百もできる。日本もオランダの様な努力をすべきだ」と。ベルギーの項でも鉄の話ではヨーロッパを離れ日本の話になる。日本刀は当時の技術レベルでは世界最高クラスにあり、この技術を用いれば色々な機械に波及効果がある。「これを中国と比べると、機械の便は数倍を超えている」。ベルギーやオランダという小国がヨーロッパでどう生き残るのかを見て日中の関係に見立てているのだろう。

    そしてプロイセン。鉄血宰相ビスマルクよりも普仏戦争の参謀総長大モルトケの演説に紙面を割いている。「現在のヨーロッパ情勢では政府はただ倹約をして国債を減らし、税金を下げることだけを考えるべきではない。歳入は急務である国境を守る兵力に当てるべきである。法律、正義、自由の理は国内を保護することは出来るが、国境を守れるのは兵力だけである。兵備を縮小し平和の事に宛てれば一旦戦争が起きてしまえばすぐになくなってしまう。ナポレオンはプロイセンの兵の少ないところをつき1億ドルを奪っていった。防衛費を節約してその十倍を他国の防衛費に差し出した様な物だ」と。第一巻では軍備費の負担の懸念の話もでていたので必ずしも軍国主義というわけではなく、それが当時の現実ととらえているのだろう。

    欧州大陸の戦勝の証は敵から分捕った記念に銅像を建てたりする事で、フランスはかつてベルリンから奪った銅像を王宮の門に置き、ナポレオンが破れたときに持ち帰り、普仏戦争に勝って新たな銅像を持ち帰って飾った。戦争が当たり前の時代だったのだ。

    プロイセンは農業と放牧の国であるが、英仏の通商政策は必ずしも国を富ませるのが目的ではない。むしろプロイセンの方が日本のためには参考になると見ていた。農業人口が多いことは重要ではなく、むしろ工業との割合が重要でプロイセンも工業人口は農業人口の半数以下だが増えてきており、シーメンスの工場では電灯を見ている。農産物の輸出の利益で工業を発展させるというのをこれからの日本のモデルとなりうると見たのだ。

    それにしてもだんだん読むのがきつくなってきた。事実の描写は面白い事ばかりじゃないしやはり旧仮名遣いは疲れる。時々現代の中国語がそのまま使われているのも面白い。安排(あんぱい)と言うのが普通に文中に出てくるがこれは便利な中国語でよく使う。手配とかだんどりとかそう言う意味だが当時は教養人の文語では今より中国語が身近だったのかも知れない。地名や人名も中国語表記そのまんまだ。

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著者プロフィール

1839年(天保10)、肥前国、佐賀藩士の家に生まれる。藩校弘道館、昌平坂学問書に学んだ後、明治新政府に出仕。岩倉使節団に記録編纂係りとして随行し『特命全権大使 米欧回覧実記』5冊を編纂。後、歴史学者として帝國大学等で教鞭をとり、近代的実証史学、古文書学の領域を確立した。1931年(昭和6)没。

「2018年 『現代語縮訳 特命全権大使 米欧回覧実記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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