- Amazon.co.jp ・本 (401ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003314470
作品紹介・あらすじ
日本の諸種の「文化産物」を通してそこに表現されている「それぞれの時代の日本人の『生』を把握」しようと試みる。この観点から十七条憲法や大宝令、推古・白鳳天平の仏像、『万葉集』『源氏物語』といった古典あるいは道元の著作と生涯などを論ずる。
感想・レビュー・書評
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岩波文庫 和辻哲郎 「 日本精神史研究 」
仏の理念に 日本の文化や思想、文学の特殊性を見出した日本論。
政治の理想、仏教国家、仏教美術、もののあはれ、道元などを中国の影響というより、日本の内から形成されたものとして論じている
道元と親鸞の慈悲の違い、源氏物語の作者複数説、「もののあはれ」の意味など 示唆に富む内容
**飛鳥奈良時代の精神的理想
「大法令」を制定した政治家は社会主義的な理想を抱いていた。それは富の分配の公平を要求したのでなく〜純粋に道徳的な理想としての「和」を説き仏教を説き聖賢の政治を説く十七条憲法の精神により、民衆の不和や困苦を根絶せんと欲した
**推古時代における仏教受容の仕方について
彼らの信仰の動機は〜その生の悲哀ゆえにひたすら母なる「仏」にすがり寄る
死後にこそ真実の生活がある。それを人の姿をした仏が保証する。この信仰によって死の悲哀を慰められることができる
**仏像の相好についての一考察
仏像の相好は、人体の写実でなく〜「仏」という理念の人体化を意味する
仏菩薩像の作家は、宇宙の根源的原理である法の姿、その神聖さ、清浄さ、威厳など「仏」の理念を表現
**推古天平美術の様式
推古様式は六朝様式の純粋化あるいは完成であり〜推古様式から天平様式への展開は〜唐の影響を顧慮することなく展開されたもの
天平彫刻は、直観的な人体の美が出発点なのでなく、人体を手段として内より表現を迫る精神的内容が最奥の製作動機なのである〜天平様式の根底には「仏」の理念が存在している
**白鳳天平の彫刻と万葉の短歌
推古時代から天平時代の仏教美術の様式の変化は、日本人の心生活の変遷と平行する〜仏像は国民の信仰や趣味の表現である
仏教美術と万葉の歌がともに同一の精神生活の表現であり、当時の仏教美術が随唐文化の模造品でないことは明らかである
白鳳の仏像と初期万葉の「同じ気品、緊張、感情のうねり」
天平の仏像と後期万葉の「技巧が堅実に関わらず、生命の空虚が感じられる」
**万葉集の歌と古今集の歌との相違について
万葉の歌が嘆美すべき叙情詩であるに対して、古今の歌は叙情詩として価値少ない
万葉集の歌は常に直観的な自然の姿
を詠嘆し、その詠嘆に終始するが、古今集の歌はその詠嘆を知識的な遊戯の枠にはめ込もうとする
**お伽噺としての竹取物語
欲するのは、現世の永続でなくして、現世のかなたの永遠の美である
夫婦、親子があった海神の国が、地上的な不完全さを払い落とし、煩悩なき浄光の土の観念を取り入れて、海底の国から天上の世界に発展した
**枕草紙について
清少納言の時代と心とによって屈曲させられた、人生そのものの姿を浮かび上がらせる芸術的形式
この時代の唯美主義の心が、この時代の風俗や宮廷の私事の間に、いかに動いていたかを見ることができる
**源氏物語について
一人の作者でなくして、一人の作者に導かれた一つの流派による作品であれば、源氏物語の構図の弱さが何に基づくか明らかとなり、紫式部を作者とする「原源氏物語」を捉えることもできる
**もののあはれについて
「もののあはれ」は、永遠の根源への思慕であり、歓びも悲しみもすべての感情を含む
「物のあはれ」は、限りなく鈍化され浄化される傾向を持った無限性の感情であり、我々のうちにあって我々を根源に帰らせようとする根源自身の働きである
**沙門道元
道元は飢えに苦しむ人に対して〜無常を観ぜよ(世間的価値の破壊せよ)と説いた
世間の無常は思索の問題でなく、現前の事実であり、朝に生まれたものが夕に死ぬかもしれない〜この生命が我々の有する唯一の価値ならば、我々の存在は価値なきに等しい
矮小なる物質的福利や名利の念を内容とする生活の否定
道元の慈悲
・真理を目的とする〜人間の没我の愛を説く
・人間の慈悲を説く
・慈悲の心情に重きを置く
・鍛錬によって得られる求道者の愛
親鸞の慈悲
・慈悲を目的とする〜専心に仏を念ずる
・仏の慈悲を説く
・慈悲の力に重きを置く
・無限に高められた慈母の愛
親鸞「人は業によって善にも悪にも導かれる〜念仏を唱えるかぎり、業によって悪業を行なっても、彼は真実の責任者でないので救われる」
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古美術の力を享受して、心を洗い、心を富ませる。▼西洋の風呂は事務的、日本の風呂は享楽的。和辻哲郎『古寺巡礼』1919
大宝令(飛鳥時代)。富の分配の公平、社会主義的な理想を目指した。▼聖徳太子の三経義疏さんぎょうぎしょ。大乗仏教の深い哲理。▼当時、仏教とは現世利益、老病死の悲哀を慰めてくれるもの。仏像・仏教建築は悲哀を慰めてくれる仏への憧憬を投影したもの。▼美術の様式と思想・宗教は関係しており、両者の根底には時代精神がある。和辻哲郎『日本精神史』1926
「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。無限に新しいものを見いだして行くこと。観ることは直ちに創造に連なる。純粋に観る立場に立て。▼我々は花を散らす風において歓びあるいは傷むところの我々自身を見いだすごとく、ひでりのころに樹木を直射する日光において心萎える我々自身を了解する。我々は「風土」において我々自身を、間柄としての我々自身を見いだす。和辻哲郎『風土』1929
能面。一定の表情の類型化。不必要なものが全て抜き去られている。筋肉の生動が注意深く洗い去られている。しかし、生きた人間が顔につけて動作すると、豊富きわまりない表情を示し始める。手が涙を拭うように動けば、能面はすでに泣いている。面が肢体(したい)を獲得したのだ。和辻哲郎『面とペルソナ』1935 -
【目次】
改訂版序 (昭和十五年二月 著者) [005]
序言 (大正十五年九月 於洛東若王子 著者) [007-009]
目次 [011-013]
挿画目次 (撮影 入江泰吉 他) [014]
飛鳥寧楽時代の政治的理想(大正十一年、五月) 015
推古時代に於ける仏教受容の仕方について(大正十一年、六月) 045
仏像の相好についての一考察(大正十一年、四月) 055
推古天平美術の様式 087
白鳳天平の彫刻と『万葉』の短歌 107
『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について(大正十一年、八月) 125
お伽噺としての『竹取物語』(大正十一年、十一月) 145
『枕草紙』について(大正十一年、八月) 161
一 『枕草紙』の原典批評についての提案 161
二 『枕草紙』について 186
『源氏物語』について(大正十一年、十一月) 203
「もののあはれ」について(大正十一年、九月) 221
沙門道元(大正九年~十二年) 237
一 序言 237
二 道元の修業時代 251
三 説法開始 264
四 修行の方法と目的 273
五 親鸞の慈悲と道元の慈悲 285
六 道徳への関心 300
七 社会問題との関係 307
八 芸術への非難 311
九 道元の真理 314
(イ)礼拝得随 315
(ロ)仏性 324
(ハ)道得 339
(ニ)葛藤 350
歌舞伎劇についての一考察(大正十一年、三月) 357
解説 作品・方法・感受性および時代(加藤周一) [391-401]
編集付記 [402] -
和辻哲郎最初の論文集の改訂版(1940)である。初出はいずれも1920年代。
日本精神史を知るというよりは、これが書かれた戦前の知識人の精神構造を知るに適した一冊ではないだろうか。加藤周一や内田義彦はこれを先駆的な手法と切り口で研究された社会科学的作品として高く評価しているようだが、それだけにはとどまるまい。むしろ、今日からみるとつまらぬところの多いこの論文集から、近代日本の基盤となった思想的エッセンスが多く抽出できるという点、ここに着目するべきであろうと思う。