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Amazon.co.jp ・本 (420ページ) / ISBN・EAN: 9784003314494
みんなの感想まとめ
倫理の本質を「間柄」に求める視点が新鮮で、個々の存在がその関係性に基づいて成り立つことを鮮明に示しています。著者は、個人主義が強調されがちな西洋哲学に対抗し、他者との関係性を重視することで、倫理の新た...
感想・レビュー・書評
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和辻において、倫理は超越的なものに基礎づけられた個人個人が、それに従って行うもの、といった形ではない。むしろ解釈学を援用しつつ、「間柄」が実現されていることが倫理であるとする。どのように「間柄」が実現されるかは空間的・時間的に異なってくるものの、個々人はその実現のために「間柄」に続いて出てくるものにすぎない。全体としての「間柄」が先行するのである。この全体的なるものは色々な社会組織が当てはまりうるが、ではそれが国家だったとき、ただ国家に従うのが倫理なのか。逆に言えば国家の統治はことごとく倫理的なのか。暴力的な国家に立ち向かう根拠となる倫理の存在論的根拠はないのか。和辻倫理学はこうした疑問を読者にもたらすものである。
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体系学的な倫理学。
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この大部の主著の前に刊行された『人間の学としての倫理学』で既に示された基本概念・手法に沿って、著述は開始される。
和辻が「人間」というとき、「個」としての人と、「世間」「人と人の間柄」といった共同態のありようと、常にダブル・ミーニングが語に込められていることに、気をつけなくてはいけない。
デカルトのコギトがヨーロッパ的な「知」の、独我論的傾向を如実に予告していたのに対し、徹底的に「人と人のあいだ」を前提として、そこから開始する和辻哲郎の思想に、私は全面的に賛成である。
こうした考え方を私は木村敏氏の著作で習得したのだが、和辻がこの時代に、いきなりこのようなパラダイムを呈示し西洋と堂々と対決したことは、驚くべき事実である。
はじめから「他者」が存在し、自己を生み出す前提として「関係性」がある、という考え方は、西洋的独我論、強調されすぎた個人主義を排して、我々の日常的な感覚にもよく合致する。
ただし危険なのは、「共同体」(あるいは「国家」)と「個人」とが対立する場面で、あまりにも「共同体」を優先してしまうならば、それは結局全体主義に陥ってしまうし、最近の右傾化した論調に見られる「公と私の区別」などというくだらない議論に収束してしまうおそれもあることだ。
そのへん、和辻哲学は大丈夫なのか。3巻あたりに本格的に国家論に踏み込むようなので、ちょっと不安を感じてもいる。
「全体は部分(個人)の集合を超えたものである」というゲシュタルト心理学の知見がこういった危険を乗り越えるヒントになるはずだが、たぶん和辻はゲシュタルト心理学もメルロ=ポンティも知らないはずだ。
とりあえずこの第1巻は「個」に拘泥しすぎるヨーロッパ哲学をうまく乗り越えていて爽快であり、興味は尽きない。
ただし途中で、いきなり「絶対者」という観念が登場したときにはとまどったが、この観念は巻でもっと詳しく論述されるのだろうか? -
ワークショップ「つながりをたどる」:ゲストのおすすめ本
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和辻の「倫理学」下巻精読。下巻は人間存在の歴史的具体的考察が進められる。
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2010/12/20 借りる。
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