- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003314616
感想・レビュー・書評
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およそ「いき」の現象の把握に関して方法論的考察をする場合に,…(中略)…「いき」を単に種概念として取扱って,それを包括する類概念の抽象的普遍を向観する「本質直感」を索(もと)めてはならない。意味体験としての「いき」の理解は,具体的な,事実的な,特殊な「存在会得」でなくてはならない。
(『「いき」の構造』九鬼周造)
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18ページ目でいきなり刺激的だぜ,九鬼せんせー。
つか,あのドイツ人が言ってたことと似てる気が・・
(本棚ガサガサ)
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…本書において分析し且つ歴史的に究明すべき対象をあらかじめ確定しておくべきであるとするならば,その場合問題となりうることは,概念的な定義ではなくて,さしあたりここで資本主義の「精神」とよんでいるものに対する最小限度の暫定的な例示に止まらねばならない。
(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』M.ウェーバー)
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ビンゴ!!
会ったこともないはずのふたりが,ここまで正確に全く同一のことを言うという奇跡が起こるのはなぜか。それは,(語義矛盾を許してもらえるなら)それが奇跡ではないからです。
時代的にも空間的にも断絶した場所に生きた九鬼とウェーバーの言葉に,口裏あわせしたとしか思えない符号が可能になるという事態を必然にするのは,「愚かさのあり様は無数にあるが,賢さのあり方はひとつかない」という命題だ。
それ以前に論じられたことのない概念,もしくは論じられたことがあっても議論が錯綜している概念(「いき」@九鬼だったり「資本主義の精神」@ウェーバーだったり,「超人」@ニーチェ)を扱う場合,
その概念の定義を,立論に先立って事前に確立し,それを現象にあてがっていくというスキームをとることはできない。(だって,概念がなんであるか,まだ誰も分かってないんだから)
世界史的に頭がいいと言われるためには,そのような取り扱い注意の概念を扱う際に,軽率に定義を確立するという誘惑に禁欲を貫くタフさを備えていなければならない。
「おおまか」なアウトラインを使って,現象の例示をもって,ひとつづつアプライし,事後的に定義に跳ね返ってくるという方法論。具体と抽象を浮遊する肺活量。
要は,「○○がなんであるか分からないけど,○○について論じる」というとてつもない知的な負荷に耐えられる人だけが,賢者の系譜につらなることを許されるのだ。
因みに,『「いき」の構造』が提供してくれる読書の妙は,最終的に「いき」が何であるか余計分からなくなる点です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
心の中で「へぇ〜」を連発しどおし。
江戸の気っぷの良さを感じられました。(関西は「いき」ではなくて「すい」の文化)
私の着物の趣味は全然「いき」じゃないわ……。
「いき」は媚態、意気地、諦めの三徴表。
そして二元的可能性。
姿勢を軽く崩すことが「いき」、抜き衣紋が「いき」(西洋のデコルテとは大違い)、うすものを身に纏うことが「いき」、緊張と弛緩が混ざった表情が「いき」、素足が「いき」。
二元性模様である縞、それも縦縞が「いき」。
色合いは第一に鼠色、第二に褐色系統の気柄茶と媚茶、第三に青系統の紺と御納戸。
その他、「風流に関する一考察」、「情緒の系図」。
情緒の系図のほうは新万葉集の歌から見る、感情の考察。
松岡正剛の千夜千冊での解説
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0689.html -
開始: 2024/2/18
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「いき」がわかれば明日から君もモテモテだ。
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2022/12/27五木寛之
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『「いき」の構造』の底本には昭和五年刊の単行本を、また併収の二論文の底本には『文芸論』(昭和十六年刊)を用いた。
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流し読みして自分で勝手に翻訳すれば大筋は割と理解しやすい。逆にくそまじめに書いてあることを逐一理解しようとすると眠くなって読むのが苦痛でしかなくなる。って感じでした
そのうえで、粋に関する具体的な体験の羅列・分析→抽象的な定義づけ→フレームワークの構築っていう九鬼さんの進行に素直に乗っからないと、文章がむずいから途中で迷子になってわからなくなるという印象。
あと個人的にはa○emaの某番組の、ちょうどいい匂わせ選手権っていう企画が、読み進める上で手助けになった気がする。
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使ってる単語が難しい。
なんとなくわかったような気はする。 -
頭に内容がなかなか入らなくて難しかった、、
でも読み終わるとなんとなく理解したような気がする。けど、本当になんとなく笑 -
言い回しが難しくて、私には理解できなかった。