パスカルにおける人間の研究 (岩波文庫 青 149-1)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (233ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003314913

作品紹介・あらすじ

三木哲学の基礎を築いた書。主体的真実性、パトス等、のちの著者の諸根本概念はもとより、全く異質な世界を問題にする唯物史観研究も独自な弁証法も、また『構想力の論理』や『親鸞』も、その萌芽はこの処女作にすべて含まれる。

感想・レビュー・書評

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  • 本書は三木清の処女作であり我が国におけるパスカル研究の嚆矢である。書名からの連想もあるだろうが、本書は『 パンセ (中公文庫) 』を哲学的或いは人間学的に解釈したという理解も少なくない。確かに三木が直接師事したハイデガーの実存哲学の影響が随所に見られはする。だがそれ以上に本書には三木の宗教的パトスが一貫して流れているように思う。その意味では極めて正統的なパスカル理解と言える。三木の遺作は『親鸞』だが、執筆活動の始めと終わりに東西の類稀なる宗教者を取り上げた三木の本質、というより体質は、やはり宗教をダシに哲学を論じることよりも、哲学をダシに宗教を語ることにあったのではないか。

    パスカルと親鸞に共通するのが人間の悲惨の自覚を経由した「絶対他力」であるとすれば、「理性」という「自力」にこだわる哲学は究極において重要性を持たない。勿論『パンセ』も本書も単なる護教論ではないし、哲学や理性を否定するものではない。ただ、点を無限回足し合わせても線にならず、線を何本重ねても面にならないように、哲学をいくら精緻に積み上げても神の弁証には無益だ。両者は全く次元を異にする秩序なのだ。したがってヘーゲル的な正ー反ー合の「アウフヘーベン」はあり得ず、「あれかこれか」の「飛躍」、即ちキルケゴールの言う質的弁証法があるのみだ。

    「人間は考える葦」であるという有名なセリフも、あくまで神との関わりにおいて理解すべきものである。パスカルは人間は自らの悲惨を自覚できるから偉大だと言ってるのだが、これを近代主義的に人間理性への賛歌ととらえては全く頓珍漢だ。悲惨の自覚が自覚にとどまるのなら、哲学を一歩も踏み出すものではなく、悲惨な状況を何ら変えることはできない。悲惨の自覚が信仰への飛躍に架橋されてはじめてそれは治癒されるのだ。三木も書いている。「ひとり宗教のみが人間的存在における偉大と悲惨とのあいだの矛盾に解決を与えることの出来る理解の仕方を教えるのである」

  • 30年以上前に読んだこちがあるが三木清が学者として
    出発したはじめてだした本であるが難解で
    あった

  • 三木清は、113年前の1897年1月5日兵庫県生まれの哲学者。敗戦の年の9月26日にまだ釈放されず、かの悪法=治安維持法による不当逮捕で、収容された豊多摩刑務所の独房で獄死させられる。享年48歳。

    はからずも三木清だけでなく、私たちは戸坂潤をもこの年の8月9日に亡くすという悲劇を味わい、あたら哲学の逸材を2人も失ってしまうという大打撃、痛手をこうむることになるのです。

    考えてみればわずか65年前に実際にあったあの戦争で、およそ6,000万人の命が犠牲になったのですが、その中には野球好きの詩人・サトウハチローが惜しんで「戦争は、あなたを失くしたことだけでも罪悪である」と言わしめた、伝説の剛速球投手で3度も徴兵され、ついには1944年12月2日乗っていた輸送船が潜水艦に撃沈されて27歳で戦死せざるを得なかった沢村栄治がいますし、映画の世界では、全26本撮影したはずの映画が戦時物資の困窮のせいで、国策映画を撮るため消されて使用されたため3本しか現存しないという、自身は南京攻略戦で中国各地を転々とさせられ1938年9月17日河南省の病院で戦病死した28歳の山中貞雄がいますが、先程の2人の哲学者もそうですが、戦争は人そのものの命を奪うと同時に、人間が作り出した文化・芸術・娯楽をも根こそぎ奪ってしまうものなのです。

    そういう意味でも、西田幾太郎はともかく、せっかく形成された日本独自の哲学の道の可能性を知るためにも、戸坂潤の『日本イデオロギー論』とか『思想と風俗』などとともに、本書をはじめ三木清の『哲学ノート』や『哲学入門』や『唯物史観と現代の意識』などは、多少手に追えなくても読んでおくべきですよ、などということを高校の時の落研(オチケン、落語研究会)の先輩に言われて真に受けて、春団治の『いかけ屋』を聞いて覚えるのと同時に、それらの本も悪戦苦闘しながら読んでいくのでした。

    でも、もともと私は、例のあの、「人間は一本の葦にすぎない。自然のうちで最もひ弱い葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。」という『パンセ』の中の有名な一節に小学生の頃に出会ってから、この17世紀のわずか39際で亡くなった天才にぞっこんで、パスカルと名のついた本は必ず手にする習性が身についていましたから、そのパスカルについて書いている三木清に興味のないはずはないじゃないですか、先輩。

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著者プロフィール

明治三十(一八九七)年兵庫県生まれ。京都帝国大学で西田幾多郎、波多野精一、ハイデルベルク大学でリッケルト、マールブルク大学でハイデガーの教えを受ける。大正十五(一九二六)年三高講師を経て、昭和二(一九二七)年法政大学教授。翌年、羽仁五郎と「新興科学の旗のもとに」を発刊、同年の「唯物史観と現代の意識」は社会主義と哲学の結合について知識人に大きな影響を与えた。昭和五(一九三〇)年共産党に資金を提供した容疑で治安維持法違反で検挙、入獄中に教職を失い著作活動に入る。以後マルクス主義から一定の距離を保ち、実在主義と西田哲学への関心を示す。昭和十三(一九三八)年には近衛文麿のブレーンとして結成された昭和研究会に参加、体制内抵抗の道を摸索したが挫折。昭和二〇(一九四五)年三月、再度、治安維持法違反容疑で投獄、九月獄死。未完の遺稿に「親鸞」がある。主著に「パスカルに於ける人間の研究」「歴史哲学」「構想力の論理」(全二巻)「人生論ノート」のほか、「三木清全集」(全二〇巻、岩波書店)がある

「2022年 『三木清 戦間期時事論集 希望と相克』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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