君たちはどう生きるか (岩波文庫)

著者 :
  • 岩波書店
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本棚登録 : 8248
感想 : 893
  • Amazon.co.jp ・本 (339ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003315811

作品紹介・あらすじ

著者がコペル君の精神的成長に託して語り伝えようとしたものは何か。それは、人生いかに生くべきかと問うとき、常にその問いが社会科学的認識とは何かという問題と切り離すことなく問われねばならぬ、というメッセージであった。著者の没後追悼の意をこめて書かれた「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」(丸山真男)を付載。

感想・レビュー・書評

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  • 「君たちはどう生きるか」
    「おじさんのノート」
    ①子供は自分中心の考え方
     〜自分に都合のいいように物事をとらえる。
     大人(一部)は広い世間を先にしてその上で物事
     を考える。
     〜自分を離れて正しく判断。
    ②いつでも自分が本当に大切だと感じたことや、
     事実心を動かされたことから出発して、その意味  
     を考えることが大切。
             ↓
     世間の目よも人間の立派さがどこにあるか知る。
    ③いろいろな物は全く見ず知らずの人ばかりが作っている。
             ↑
        人間らしい関係ではない
         〜人間同士がお互いに好意を尽くしそれ
          を喜びとしている。
    ④❶人間の本当の値打は立派な心や見識によって決
      まる。
     ❷妨げもなく勉強でき、自分の能力を伸ばしてい
      けることはありがたいこと。
     ❸消費専門家よりも消費しているが生産している人の方が偉いので消費者は生産者を敬うべきだ。
    ⑤英雄や偉人などと呼ばれている人で本当に尊敬で
     きるのは、人類の進歩に役立った人だけである。
    ⑦人間だけが感じる人間らしい苦痛
     ↓
     自分が取り返しのつかない過ちを犯したこと。
     〜大抵の人は言い訳を考えて認めまいとする。
      しかし、認めることが大切である。

    物語の要約
    ①銀座のあるデパートメントストアの屋上でコペル
     君は人間は分子のようなものだなと感じた。
    ②山口君が浦川君のことをからかったことに対し、北見君は怒り北見君と山口君は喧嘩した。(油揚げ事件)
    ③叔父さんは小さい頃なぜニュートンは林檎から万
     有引力を思いついたのかが分からなかったが、林
     檎を落とす高さを増して考えると分かるようにな
     った。
    ④浦川君が学校に来ないので、コペル君は浦川君の
     家に行った。浦川君の家に行くと、浦川君は仕事
     で学校を休んでいた。
    ⑤北見君、コペル君、浦川君は水谷君の家に行っ 
     た。水谷君の姉はナポレオンが好きで、ナポレオ
     ンのことについてみんなに話した。そして、コペ
     ル君もその影響で、ナポレオンが好きになった。
    ⑥上級生に殴られそうになったら、北見君を守ると
     みんなで、約束したが、コペル君だけ上級生の怖
     さに守ることができず後悔した。
    ⑦コペル君の母もおばあさんが重い荷物を持って石
     段を登っている時母はにもつをもってあげようと
     したが、ためらっている間にのぼりおわってしま
     ったという嫌な思い出がある。
    ⑧北見君水谷君浦川君はコペル君の手紙を見てコペ
     ル君のことを許した。そして再び仲良くなった。
    ⑨コペル君は叔父と仏像の話をしていくうちに自分
     の胸がふくらんだ。また、昼間庭の伸びてゆかず  
     にはいられないものは、何千年の中にも伸びてい
     た。
    ⑩コペル君がおじさんのノートの感想を書きなさい
     お母さんに言われ、おじいさんのノートに対して
     の感想を書く。

    • moshiri0826さん
      とても丁寧な、緻密な紹介の姿勢。納得しながら読ませていただきました。お運びありがとうございます。
      とても丁寧な、緻密な紹介の姿勢。納得しながら読ませていただきました。お運びありがとうございます。
      2021/01/14
    • よろしくお願いしますさん
      こちらこそ長い文章を丁寧に読んでくださりありがとうございます!
      こちらこそ長い文章を丁寧に読んでくださりありがとうございます!
      2021/01/22
  • 思うところがあり、書き直しました。<(_ _)>

    初めて読んだのは小学校高学年。
    4年生だったか、5年生だったろうか。
    人間ってなんだろう? 生きるってなんだろう? と純粋に思い始めた頃だ。

    それから今まで何度読み直したか分からない。

    「コペル君」と「おじさん」の会話が淡々と進む。
    コペル君が学校で出会う様々な事件。
    それに対してコペル君が感じたことに、おじさんがノートに返答を書く。

    人を差別してはいけない。
    人間なんてデパートの屋上から眺めたらちっぽけなものだ。
    その一分子として、主観的ではない客観的な視点を持たねばならない。
    立派な人間とはどういう人間のことをさすのか。

    ニュートン、ナポレオンなどの偉人を引き合いに出したり“生産関係”などの社会科学的な言葉で、人間のつながりを教えたり。

    おじさんのノートは、常に豊富な示唆に富んでいる。

    子ども心に、「そうか、人間はこう考えて生きていかなければならないんだ」と感銘した記憶がよみがえる。

    戦時中の子供たちに“人間の生き方”を真正面から問うた吉野源三郎の不朽の名作。
    それ故に太平洋戦争が始まってからは刊行も許されなくなった。

    読んだ後、それからの私の人生の指針となった珠玉の一冊。まさに、私の人生を決めた生涯の一冊。
    ※ちなみに、池上彰氏も自分の人生に影響を与えた一冊だと言っています。

    大人になった今読んでも、深く考えさせられる名著であるのは間違いない。

    子どもたちのみならず、多くの大人たちにも読んでもらいたい。宝物のような作品。

    今の子供たちに真正面から問いたい。考えてもらいたい。
    君たちはどう生きるか?

    そして、自ら、或いはまわりの大人たちにも問うべきだろう。
    これから、私は、あなたたちはどう生きるか? と。

    • kaze229さん
      今ちょうど
      梨木香歩さんの「僕は、そして僕たちはどう生きるか」を読んでいるところです。

      この一冊「君たちはどういきるか」を 
      まっ...
      今ちょうど
      梨木香歩さんの「僕は、そして僕たちはどう生きるか」を読んでいるところです。

      この一冊「君たちはどういきるか」を 
      まっとうな暮らしをしていくときの指標にしている人は結構いると思います。
      そんな人たちがいる限り、日本はまだ大丈夫だと思いたい!
      2016/07/13
    • 放浪金魚さん
      koshoujiさんコメント及びリフォローありがとうございます。
      突然フォローさせていただいた立場にも関わらずコメントまで頂き嬉しかった...
      koshoujiさんコメント及びリフォローありがとうございます。
      突然フォローさせていただいた立場にも関わらずコメントまで頂き嬉しかったです。

      「佐渡」編の貴重なエピソード、とても楽しく読ませて頂きました。
      お馴染みのお店がテレビで紹介されるだけでなく、実際にタモリさんにお会いされ、しかもお話までされたなんて羨ましい限りです。
      大手町で片桐はいりさんを見かけた、くらいでは話題にはできませんね…(個人的にはとても好きな女優さんです!)

      『君たちはどう生きるか』は実は私も最近読み直した本です。
      小・中学生向け?の本ほど、思いがけないかたちで大人の心に突き刺さる言葉を残すことありますよね。
      レビューで書かれている通り「宝物のよう」とは最もだと思います。
      学生さんから大人まで、広く手に取ってほしい作品です。

      幅広い読書をされているご様子なのでとても刺激を受けます。
      こちらこそ今後とも良き読書仲間として、よろしくお願いします♪
      長文失礼しましたm(_ _)m
      2017/01/11
    • 工藤恭悟さん
      始めまして、koshoujiさん。工藤恭悟と申します。コメントそしてフォローありがとうございます。

      コメントへの返信の仕方が分からない...
      始めまして、koshoujiさん。工藤恭悟と申します。コメントそしてフォローありがとうございます。

      コメントへの返信の仕方が分からないので、こちらから失礼いたします。

      「君たちはどう生きるか」を小学生の時に読まれたとのこと、羨ましく思います。
      一番吸収する時期に、この本に出会えたというのは素晴らしいことだと思います。

      こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
      2018/03/22
  • 吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩波文庫。

    最近、様々なメディアでも取り上げられ、漫画化もされた話題の作品。また、岩波文庫を手にするのは20年ぶりというのにも自分自身も驚いた。本を開けば懐かしい岩波の独特の活字とルビ、イラストや写真…

    評判に違わず、素晴らしい良書である。現代の日本人が喪いつつある道徳心と人生の歩み方について、主人公のコペル君と叔父さんとの会話や書簡を通して明らかにしていく過程が良い。

    著者の没後追悼の意をこめて書かれた「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」(丸山真男)を付載。

  • プレゼントされなければ、おそらく手に取ることは無かっただろう一冊。
    読めてよかった。この本を贈ってくれた相方に、感謝。

    戦前(1937年初版)の少年少女向け文学。
    少年コペルの日常と、その叔父が彼へ語りかけるノートとが交互に描かれる物語には大きな起伏はなく、どちらかと言えば平板なお話なのだが…。

    70年以上前という時代背景と関係なく、読中ずうっと、我々人間はどう在るべきかを押し付けがましくなく示唆され続けた。

    決してエンタメではない。
    少年少女にはきっと、難解に過ぎる向きも強い。
    けれども確かに、未来の日本を背負っていく達少年少女にこそ読んでもらいたい一冊。

    「王位を奪われた国王以外、誰が、国王でないことを不幸に感じる者があろう」

    痛みを感じる者以外、誰が、痛みのない状態を幸福に感じる者があろう

    「人間同士調和して生きてゆくべきものでないあらば、どうして人間は自分たちの不調和を苦しいものと感じることができよう」

    と進んでいく、“叔父さん(著者)”の主張に心を強く打たれた。

    ★4つ、8ポイント。
    2018.01.16.新.贈。

    ※当時(1937年)は、「いじめ」という単語はなかったのね…。

    ※旧制の中学一年生(現代の中2?、中3?)の、思慮の深さ(笑)。

    ※「叔父さん」の、超人的な博識ぶり(笑)。

  • 名作。読む前に気合いを入れてみたのだけど、拍子抜けするほど読みやすかった。

    コペル君の成長には、コペル君自身の知的好奇心と、出会いと経験、それから彼の好奇心を支える周りの人々が欠かせないのだと思う。
    結局、人は一人で生きるより、皆で生きることの方がより複雑な経験を得るのだな。
    そうして、芽生えた苦しみや悲しみを、糧にしようとするアドバイスは、私の心にもぴったりはまって、心地良いものだった。

    マイナスの感情に囚われることは、なにも不幸なのではない。
    そんな風に感じ、落ち込み、迷う自分を知ることの大切さを思い知らされた。

    コペル君を育てることは、簡単なことではない。
    必要なときに、必要な言葉をかけてあげることのできる、大人にも余裕がないといけないからだ。
    けれど、学ぶことの楽しさを、生きることの美しさを感じ、伝えてゆける余裕の持った大人が増えるのならば、きっとワクワクするような社会になるんだろうな……とも思ってしまう。

    貧しさと、生産する者の尊さ。
    立場と、立場では覆せない、人の在り方。
    裏切りと、それを受け止めることの勇気。

    丸山眞男の解説も、すごくいい。

  • コペルくんが周りの人たちを通して感じ学ぶ一つ一つの出来事が大人になるうえで大切なことだなと思う。改めて気づかせてもらえた大切なことも多かったです。
    読んで良かった!

    たくさん心にとまる箇所はあったけれど、
    「ありがたい」という言葉がもつ本来の意味が一番心に残った気がします。

  • ◯まさに道徳の本。たしかに名著。
    ◯ただ、時代背景を考えても、やたら上流階級の人間が出てきて鼻持ちならない。卑屈な気持ちが浮かぶ。
    ◯一億総中流の時代〜現代という時代が追いついて、ようやく馴染みの本となる、社会での一般性を得たのではと思う。
    ◯それにしても何故この本が流行したのかが不明。漫画化によるのだろうか。

  • 編集者で、後に岩波書店の雑誌『世界』の初代編集長を務め、また『岩波少年文庫』を創刊することになる吉野源三郎(1899-1981)が、山本有三編纂の『日本少国民文庫』(1935年)の一冊として当時の青少年に向けて執筆した読み物、1937年。

    「人は如何に生きるべきか」という生の根本問題を、認識論や社会科学の問題と不可分なものとして結びつけながら、展開していく。初版当時の1930年代は、ヨーロッパではファシズムが台頭し、日本では軍国主義が支配的になり始めた頃である。そうした危機的な時代状況にあって、次代を担う青少年を悪しき時勢から守らねばならぬという思いから、吉野は、人間の知性と個人の誠実とそれによって駆動される歴史の進歩への信頼に基礎を置くヒューマニズムの理想を説いていく。

    現代の読者にとって印象深いのは、吉野の語りが決して現代的な(ポストモダン的な?)アイロニーで磨り減った果ての価値相対主義や冷笑主義(或いはその反動としての独断的な即物主義)の調子を帯びることなく、生の理想を率直に積極的=肯定的な仕方で説いている、という点ではないだろうか。「古典」ゆえの歴史的制約というものなのだろうが、それが却って現代における本書の価値を高めているように思う。

    しかし、吉野が掲げる理想には、独特の「峻厳さ」があるように思う。そこには「無限の自己陶冶」という当時の教養主義の(あるいはその母体であるドイツ観念論の)理念が見え隠れする。教養主義が掲げる理想が高邁であると同時にどこか自己陶酔的で息苦しく感じられるのも、このロマン的かつマゾヒスティックな理念のせいではないかと思う。現代(日本)人の感性にもこうした傾向と親和的な部分も少なからずあるがゆえに、本書が近年改めて注目されるようになったのだろうが、現代の青年層にはいったいどの程度受け容れられているのだろうか。

    なお本書の巻末には、吉野源三郎「作品について」と、丸山真男「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想――吉野さんの霊にささげる――」の二編が収められている。丸山の文章は、もとは『世界』編集部からの依頼で吉野への追悼文として書かれたものだが、丸山の個人史の回想として興味深いだけでなく、本書の「解説」としても有用である。



    認識論の問題について(一)。「自己中心性から、自己相対化を経て、世界の中における自分の位置付けという客観的な自己認識へ」という視点の転換の重要性が、「天動説」から「地動説」へのコペルニクス的転回に準えて説かれる。丸山はここで吉野が述べようとしている真意を以下のように敷衍する。

    「もしこの転換が、たんに対象認識の正確さの増大とか、客観性の獲得とかいうだけの意味しか持たないならば、その過程には自分は――つまり主体はなんら関与していないことになります。[略]。「おじさん」の、いや、吉野さんのアプローチはそうではありません。地動説への転換は、もうすんでしまって当り前になった事実ではなくて、私達ひとりひとりが、不断にこれから努力して行かねばならないきわめて困難な課題なのです。そうでなかったら、どうして自分や、自分が同一化している集団や「くに」を中心に世の中がまわっているような認識から、文明国民でさえ今日も容易に脱却できないでいるのでしょうか。つまり、世界の「客観的」認識というのは、どこまで行っても私達の「主体」の側のあり方の問題であり、主体の利害、主体の責任とわかちがたく結びあわされている、ということ――その意味でまさしくわたしたちが「どう生きるか」が問われているのだ、ということを、著者はコペルニクスの「学説」に託して説こうとしたわけです」(p316-317、丸山)。

    ここでは、認識論の問題(世界を如何に認識するか)が倫理の問題(生を如何に生きるべきか)と分かちがたく結びついていることが指摘されており、なるほどと思わせる。



    社会科学の問題について(三、四、五、九)。生産関係、階級(生産手段を所有する者と、自分の労働力以外になにも所有しない者)、歴史の進歩における個人の役割、文化の越境性など。『資本論』に出てくる「生産関係」の概念が、コペル君の「人間分子の関係、網目の法則」のおかげで、いきいきとイメージできるようになった。



    倫理の問題について(六、七、八)。この個所は本書のなかで最も深い印象を与える。北見君たちへの暴行事件におけるコペル君の振舞いは、多くの読者に幼少期の苦い思い出を想起させるのではないか。「けれども、『君たちは……』の叙述は、過去の自分の魂の傷口をあらためてなまなましく開いて見せるだけでなく、そうした心の傷つき自体が人間の尊厳の楯の反面をなしている、という、いってみれば精神の弁証法を説くことによって、なんとも頼りなく弱々しい自我にも限りない慰めと励ましを与えてくれます」(p321、丸山)。ここで言う「精神の弁証法」とは、「人間の苦悩は、その存在自体が、同時に当の苦悩を乗り越える力の存在をも証し立てている」というもの。

    「人間が、元来、何が正しいかを知り、それに基いて自分の行動を自分で決定する力を持っているのでなかったら、自分のしてしまったことについて反省し、その誤りを悔いるということは、およそ無意味なことではないか。/僕たちが、悔恨の思いに打たれるというのは、自分はそうでなく行動することも出来たのに――、と考えるからだ。それだけの能力が自分にあったのに――、と考えるからだ。正しい理性の声に従って行動するだけの力が、もし僕たちにないのだったら、何で悔恨の苦しみなんか味わうことがあろう。/自分の過ちを認めることはつらい。しかし過ちをつらく感じるということの中に、人間の立派さもあるんだ。[略]。正しい道義に従って行動する能力を備えたものでなければ、自分の過ちを思って、つらい涙を流しはしないのだ。/人間である限り、過ちは誰にだってある。そして、良心がしびれてしまわない以上、過ちを犯したという意識は、僕たちに苦しい思いをなめさせずにはいない。しかし、コペル君、お互いに、この苦しい思いの中から、いつも新たな自信を汲み出してゆこうではないか、――正しい道に従って歩いてゆく力があるから、こんな苦しみもなめるのだと」(p255-256)。

    以下の、叔父さんとお母さんの言葉は、読んでいてはっとさせられる。

    「北見君たちに仲直りしてもらいたいッて気持ちは、叔父さんだってわかるよ。でもね、コペル君、いま君はそんなことを考えていちゃいけないんだ。いま君がしなければならないことは、何よりも先に、まず北見君たちに男らしくあやまることだ。済まないと思っている君の気持を、そのまま正直に北見君たちに伝えることだ。その結果がどうなるか、それは、いま考えちゃあいけない。君が素直に自分の過ちを認めれば、北見君たちは機嫌を直して、元通り君と友だちになってくれるかも知れない。あるいは、やっぱり憤慨したまま、君と絶交しつづけるかもしれない。それは、ここでいくら考えて見たってわかりゃしないんだ。しかし、たとえ絶交されたって、君としては文句はいえないんだろう。だから――、だからね、コペル君、ここは勇気を出さなけりゃいけないんだよ」(p224-225)。

    「あの石段の思い出がなかったら、お母さんは、自分の心の中のよいものやきれいなものを、今ほども生かしてくることが出来なかったでしょう。人間の一生のうちに出会う一つ一つの出来事が、みんな一回限りのもので、二度と繰りかえすことはないのだということも、――だから、その時、その時に、自分の中のきれいな心をしっかりと生かしてゆかなければいけないのだということも、あの思い出がなかったら、ずっとあとまで、気がつかないでしまったかも知れないんです。/だから、お母さんは、あの石段のことでは、損をしていないと思うの。後悔はしたけれど、生きてゆく上で肝心なことを一つおぼえたんですもの。ひとの親切というものが、しみじみと感じられるようになったのも、やっぱり、それからでした」(p246-247)。



    真の経験について(二)。「しかし、それにしても最後の鍵は――コペル君、やっぱり君なのだ。君自身のほかにはないのだ。君自身が生きて見て、そこで感じたさまざまな思いをもとにして、はじめて、そういう偉い人たちの言葉の真実も理解することが出来るのだ。数学や科学を学ぶように、ただ書物を読んで、それだけで知るというわけには、決していかない」(p53)。



    吉野が説くヒューマニズムの理想には、その理想を生きるに値するだけの「強い」主体性が前提とされているように思う。こうした主体の「強さ」を強調するために本書でもしばしば用いられているのが、「男らしく」という修辞だ。吉野は自分が語る理想を女子が生きるという可能性をどこまで想定していたのだろうか。もっとも、吉野は当時の知的階層に属する旧制中学の男子生徒に向けて筆を執ったのであれば、本書はそもそものはじめからジェンダーバイアスの中にあったとも言える。

    これこそ歴史的制約というもので、一定の時期より過去に書かれた文章を読むと、たとえその書き手が進歩的な思想の持ち主であっても、かなりの頻度でこうしたジェンダーバイアスに基づく表現に遭遇し、強い違和感を覚えることになる。フェミニズムは、保守反動だけでなく、こうしたリベラル派をも批判の対象としなければならなかったわけで、その歴史的苦闘(現在なお進行中である苦闘)を思うと、フェミニズム運動が切り拓いてきたものの大きさに胸を打たれる。

  • 良書。
    マンガで有名になったので本を読んでみようと購入。
    相当昔の本だが今でも色あせない。
    道徳本だけど全く説教臭くなく読みやすい。

  • 今再び話題になって読まれているのはうれしい。

    わたしは前にもアップしたような気がしていたが、
    それは2004年のお正月に読みたくなるという、ただ書名をあげただけの内容だった。
    それでこの小説にまつわる思い出を書いてみる。

    この小説を知ったのは中学二年(1956年)の国語の教科書。
    コペル君がお豆腐屋の同級生が兄弟の子守で学校を休むことに疑問を感じることや、
    豆腐屋の手伝いで手が真っ赤だったことで、いじめなどを見聞きしたり、
    そんな悩みを抱えるコペル君が、おじさんに(お父さん代わりの)
    デーパートの屋上で人間の営みについて教えてもらう場面が印象的だった。

    ちょうど、わたしは東京に転居・転校して、
    当時でも都会の人の多さに驚いていた時期でもあった。
    特に、
    デパートの屋上から見る人間の小ささと動きに哀愁のようなものを感じたのであった。

    なぜか、これからだ!という希望も幼いながら感じた。
    それから急に大人になったのだけれども・・・。
    教科書の一文も生徒におおきな影響を与えるものだと、後に思う。

    原作をすっかり読んだのはもう中年(1980年代)になってからだが。
    その時も何か話題になったような、
    貸してほしいという友人が何人かいたのを覚えている。
    たびたびブームになるらしい。

    そして今回。
    どうやらマンガになって知られたらしいが。

    なぜ思い出したかというと、
    新しく始まったTV朝日のひるおびドラマ「越路吹雪物語」を見ていて、
    転校したためにいじめられたり、
    家のために手伝いをしなければならない同級生の友達が学校を休んだりするのに同情したりと
    世間を幼くも経験する、そのドラマを子役がうまく演じていたので、思わずほろりとして。

    まあ、世の中そんなに甘くないんだけれども。
    そんなことは後になって(大人になって)知ればいいい。

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著者プロフィール

編集者・児童文学者。1899(明治32)年〜1981(昭和56)年。
雑誌『世界』初代編集長。岩波少年文庫の創設にも尽力。


「2017年 『漫画 君たちはどう生きるか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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