懐旧九十年 (岩波文庫 青 161-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (421ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003316115

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  • 再読。石黒忠悳(ただのり)は、弘化2年(1845年)生まれ、昭和16年(1941年)没。弘化2年というと会津藩の山川浩と同い年。幕末の時点では幕臣でありながらいわゆる尊皇攘夷思想に目覚めて「志士」的活動もしていたけれど、最終的には医者となり、明治、大正にわたって陸軍軍医として活躍、前述山川浩が佐賀の乱で負傷した際の手当てをしたのも彼、森林太郎こと後の森鴎外の上司としても名前を知られているかも。

    この手の自伝で楽しいのは、少年時代については当時の人々の暮らしぶりや物価など詳細に語られていることと、あとはやっぱり幕末の有名人との思い出話。

    まずは佐久間象山。尊皇攘夷活動をしていた頃に象山に会い色々話をしたことが、忠悳の人生の転機となる。当時の志士は基本的に尊王と攘夷がワンセットゆえ、忠悳も象山に横文字の本を見せられただけで目が汚れると手で覆い隠すような頑なさだったにも関わらず、象山先生は、

    「一体攘夷をするというて、よく人々は騒ぐが、どういう方法を以てそれを実行するのであるか。(中略)米国や仏国・英国・蘭国等の兵力は、およそどのくらいあるものか知っているか。」

    「西洋の学問の進歩は恐るべきものである。足下ぐらいの若者は十分我が国の学問をした上、更に西洋の学問をなし、そしてそれぞれ一科の専門を究めることにせねばならぬ。また、そのうちからしっかりした者を西洋に遣し修業せしめることが肝要である。」

    「徒らに悲歌慷概したり、軽躁に騒擾憤死するようなことでは君国のために何の役にも立たぬ。」

    と真の攘夷について忠悳に説き、

    「早晩必ず横文字を読まねばならぬ場合になる。その時にになって始めて横文字は物好きで読むのではない、読まねばならぬ必要があるのだということを自覚するであろう。」と予言。これがのちに的中して、忠悳は医者の勉強をすることに。象山先生が偉大すぎて泣ける。

    そして医学所に通うようになるわけですが、当時の医学所の頭取は松本良順。良順は幕府側の軍医として会津まで転戦、終戦後は収監されたが、出所してから新政府に起用されて兵部省に出仕、陸軍軍医制度の確立を依頼された際に忠悳を呼び寄せる。当時の兵部省トップは山県有朋。忠悳は上司としての松本と山県のことはべた褒めしていて、良順先生はともかく山県有朋については意外(失敬)

    西郷さんについては外見に関しての興味深い記述が。

    「一体、大西郷は全身肥満して疾歩することが出来なかったのです。明治五年の頃と思いますが、明治天皇がそれを御覧遊ばされて、西郷はただの肥りとは違い、病的であろうと御案じあそばされ、時の大学医学部の内科教師独逸人ドクトル・ホフマン氏に診療させよと仰せられました。」

    天皇陛下に心配されるほどの肥満とはこれいかに。このホフマン医師に同行して薩摩屋敷に西郷さんを訪ねたのが忠悳と「語学の天才司馬盈之氏」。司馬盈之(司馬凌海)といえば良順先生とともに司馬遼太郎『胡蝶の夢』の主人公。ここまで読んで初読の際の自分の動機がこのあたりだったと思い出す(遅い)

    西郷さんについては、良順先生に新政府出仕勧誘に行く際にも、「長途の歩行も乗馬も苦しいので駕篭で往かれた」とあり、やはり相当深刻な肥満体型であったことが伺えます。

    その他、幕末明治の人物では、「人はよほど注意をせぬと地位が上がるにつれて才能が減ずる」ものだが、「それがそうでなかったのは、私の知っている限り児玉源太郎・陸奥宗光の二人です」と、児玉、陸奥のことは絶賛。他にも大山巌とは一緒に旅行に出かけるほど仲良しだったらしい。

    さて最後に森林太郎。明治20年にドイツで開かれた第4回万国赤十字国際会議に日本代表として参加した石黒忠悳は、すでにドイツ留学して語学堪能だった森林太郎を通訳として起用したのが最初。その後、同じ陸軍軍医のことゆえちょいちょい部下として名前が出てきます。とはいえ、解説読む限りでは鴎外側ではこの上司を煙たがっていたらしい(苦笑)

    それにしてもこの手の自伝を読むと、ゼロから色んな制度や設備を作っていったあの時代の人たちの偉さがしみじみ沁みます。現代の我々が当たり前に享受していることがまだ当たり前ではなかった時代のことを思うと、なにもかもありがたい。

  • 請求記号:289.1イ
    資料番号:010765048

  • 奥州伊達郡梁川に生まれた石黒忠悳は、医学を志し江戸の
    医学所に学ぶが維新に際し帰郷。後に山県有朋らの知遇を
    得、陸軍衛生部軍医制度の確立に尽力した。「近代医学事
    始」ともいうべき草創期の描写は生彩を放ち、大山巖、大
    倉喜八郎、大橋佐平、三遊亭円朝、中江兆民などとの多彩
    な交渉も語られ興味はつきない。(解説 原もと子)
     第一期 出生より万延元年帰郷まで
     第二期 石黒家継承より越後巡回まで
     第三期 医学志望より明治維新まで
     第四期 明治二年東上より文部省を罷めるまで
     第五期 兵部省出仕より日清役まで
     第六期 日清役より日露役まで
     第七期 日露戦役以後

    幕末から昭和までを生きた著者の回顧録は、江戸下級武士
    の暮らし、幕末から明治にかけての転換期の様子。近代の
    体制が整備される様子など多岐に渡り興味深く面白い。
    また、著名人との交流にも触れられている。著者は日清戦
    争の帰還兵消毒事業において、相馬事件により不遇をかこ
    っていた後藤新平を推薦し再起を助けたが「人はよほど注
    意をせぬと地位が上がるにつれて才能が減ずる。(中略)
    後藤新平君でさえ私の見るところでは、大臣になってから
    十分の三ぐらいは確かに鈍ったと思います。それがそうで
    なかったのは、私の知っている限り児玉源太郎・陸奥宗光
    の二人です」という見方は面白い。
    石黒を論じる上で脚気問題を避けるわけにはいかないが、
    単に医学上の問題というだけでなく、当時の社会的な背景
    (原因が特定出来なかった点、糧食の供給の問題、日本人
    の白米志向)を考慮する必要があると思う。我々、後世の
    人間は答えを知ってから歴史にふれるが、当時の人々が限
    定合理的な判断により答えを選択していることを忘れては
    いけまい。伝記を読んだ限りではなかなかの好人物だと思
    われたため贔屓目な感想ではあるが、本書には一読の価値
    がある。

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