忘れられた日本人 (岩波文庫)

著者 :
  • 岩波書店
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レビュー : 198
  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003316412

作品紹介・あらすじ

昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907‐81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作。

感想・レビュー・書評

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  • 人類学者宮本常一さんの一冊。読み終わって感じたのは、現在自分の頭の中にある"日本人"という言葉の持つ曖昧さ、残酷さ、虚しさです。そして様々なレイヤー(切り口、断面、側面、肩書き)で自身を認識することの必要性を認識しました。

    本で紹介されている"日本人"の多くは、現在一般的に持たれている日本人のイメージとは離れているように感じました。そう感じたのは以下の2点です。1.性に関する大らかさ、2.家庭で主導権を握る女性の在り方。

    まず性に関する大らかさです。男性が夜暇になり寂しくなったら隣町までも歩いて行き好みの女性に夜這いをかけることが当たり前となっている村社会。そしてそれを良しとし、黙認する女性とその両親の話。また田植えをしながら性に関する歌を歌ったり、女性が逆に男性に対して露出することにより男性が逃げるという、逆痴漢的な話。加えて一年に一回、村の誰とでもセックスをして良い日がある村の話など。よく今の若い世代は性に対してだらしなく、昔(イメージでは1930年~60年代に生まれた方々)は性に対してもっと厳格で、婿入り嫁入り前の男女が肉体関係を持つことに抵抗感があり、性に対してもっと誠実だった、という話をよく聞く気がしますが(映画『風立ちぬ』にもそういうシーンがありますが)、宮本常一さんがその時代(1940年から60年ぐらい?)に回った西日本の各地域では、性に対して所謂"今時の若者"のイメージよりもさらに解放されていた方々がいたんだという話に、とても衝撃を受けました。当たり前かもしれませんが、日本の地域や時代によってその生活スタイルや「当たり前の感覚」は全く異なるのだと、思いました。

    次に主導権を握る女性の在り方です。本のある場面で女性中心で作業が進み、男性がそれを手伝うシーンがあります。女性は男性をこき使い、男性が女性に作業中からかわれたりします。日本は家父長制が強く、男性が家のトップというイメージが強かったのですが、(もしかすると本で紹介されている村もその作業中のみの話かもしれませんが)、女性が男性に対して主導権を完全に握る人たちがいた(もしくは期間があった)という話は、元々頭の中にあった日本の家父長制のイメージを一部破壊してくれました。

    以上より感じたのは"日本人"という言葉の持つ限界でした。たしかに日本人という言葉で括り、日本人が自身のアイデンティティーを語ることは一部可能であり、時として強い力を持ちますが、それだけで自身を十分に説明し、個人のアイデンティティーの安定を保つことができるものではないと、改めて強く感じました。

    もう一点、日本人に対するイメージの話からは少し外れますが、本で紹介されていた村の「寄合」にはとても興味を持ちました。別に何を話してもよく、トピックも飛びまくり全く収集がつかない話し合い。しかしそれが定期的に実施されることにより村人が村の全体像をなんとなく把握しコミュニティを形成する、というのはとても面白かったです。現在はいかに論点を整理し、限られた時間のなかで議論をピンポイントで深く行うかが重要とされている気がしますが、そもそもそれはいい事なのか、というのは、とても考えさせられました。

    "日本人であること"について考える際の材料として、おすすめの一冊です。

  • 再読。

    柳田民俗学が風俗や風習に焦点をあてた横串の民俗学だとすれば、宮本民俗学はひと一人ひとりの個人史を追う縦串?の民俗学だ。でもそんなことはどうでもよい。

    宮本常一の聞き取る古老たちの、あるいは村の生活史は、一つ一つがおとぎ話みたい。村の名士も、橋の下の乞食(本人がそう名乗る)も、それぞれの時代を自分なりに精一杯に生きた。 楽しいばかりでも、哀しいばかりでもない。それらが縦横に入り組んで織りなす人生の物語は、どっしりとした重量感がある。

    後の世に伝わるのは王様や天才や豪傑の名前だけれど、本当に歴史を作るのは、大勢の名もないただの人たちだ。著者が残そうとしたのは、語らぬ人々の語る声。
    「無名にひとしい人たちへの紙碑の1つができるのはうれしい」

  • 日本のこと、それもそんなに昔のことではないのに、異なる世界のことを聞いているようだ。今の私はなんなのか。どこからきたのか?連続性が全く見いだせない。振り返るとどの話も魅力的だが、読み通すのは骨が折れた。現代の文脈で推し量れないからだろう。しかし、前例のない、離れたきら星のような本だった。あとがきを読んで、その評価が一段と高まる希有な学術書でもあった。

    ・論理ずくめでは収拾がつかない。自分たちの体験にこと寄せるのが聞き手、話し手双方にとってよかった。
    ・女たちのエロばなしの明るい世界は女たちが幸福であることを意味している。
    ・落書きは庶民のレジスタンスとしてさかんに利用された。
    ・文字を知らない世界では人を疑っては生きてはいけない。
    ・文字を知るものは時計を見る。時間に縛られる。
    ・親と何十年も一緒に暮らしても、その全てを伝承できるものではない。
    ・嫁の姑いじめ。

  •  記憶力が凄かったらしい。うらやましい限りだ。生きた民俗学というか。岩波文庫でもっとも人気の一冊(?)でもあるらしい。
     古文書を借りて読むまでの苦労や村人の寄り合いで相談する描写や下ネタいいまくって男をふりまわす暴れ回る女達は面白かったが、夜這いで生まれた子どもをみんなで育てるのはちょっと曖昧だった。この中では土佐源氏が最もメジャーだが、言いたいことは、おそらく農民の解釈を変えようとするところ……「農民」は米を作る存在ではなく、魚とったり山にいったり、綿をつくったり、獣を取り扱ったり、何でもして生きる存在が農民なのだという、「規格外なんだ」ということを明らかにしている。
     柳田国男の「雪国の春」をこの前読んだのだが、いやー柳田より100倍読みやすいし、真相はともかく、面白い。私達が世間一般に考えている「○○」ということは、伝統でもなんでもなく、この時代から作られたことでしたーというのを、手と足だけでなく泥や古文書や顔の皺から明らかにしていった感じと大変さが伝わる一書だった。網野善彦の解説本とあわせて読むと、もっと楽しい。農民を平気で怒鳴りつける、変わった人だったとか興味深いことが書かれている(実際に、あわせて読んだ)

  • 民俗学者、宮本常一(1907-1981)の代表作。

    本の存在は知ってはいたが、何となく取っ付きにくい印象で未読だった1冊。読んでみようと思ったのは、本書に収録されている「土佐源氏」を一人芝居として演じ続ける役者のドキュメンタリーを見たためである。

    土地土地を丹念に回り、古老らからじっくり聴き取った話をまとめた文章が13編収録される。雑誌『民話』に「年寄たち」と題して連載されたものを元に、加筆・修正したものである。

    なるほど、後世に名を残すことのなかった人々の日々の記録だが、想像をはるかに超えておもしろい。古老の語りに加えて、著者の考察が入り、往時の風景が生き生きと立ち上がる。
    貧しくはあっても、厳しい生活ぶりでも、深く豊かな庶民の暮らしを読み進めるうちに、何だか高揚感さえ覚えてしまう。
    一種、不思議な読書体験である。

    一編目の「対馬にて」は、九州北方の島、対馬を著者が訪れたときの話。
    村の記録文書を借りられないか聞いてみたところ、「寄りあい」で聞いてみなければと話し合いが始まった。この寄りあいが延々と終わらない。文書貸し出しに関係する細々したことがあれこれと話題になる。ほとんど世間話のような話も出る。そしてまた元の「議案」に戻る。遠くからやってくるものもいる。途中で自分のグループに持ち帰って聞いてみると帰るものもいる。ゆるりとした雰囲気の中、緩やかな話し合いが続き、そろそろよいだろうという頃合いで「ではこうしよう」とことが決まる。
    悠長なようではあるが、こうした過程で各々が了承することが大切であった。またこうした機会に、付随して、地区間の知識のやりとりも行われたことも見逃せない。「寄りあい」は地域の重要な決定機関だったのである。

    五編目の「女の世間」では、女たちの結びつきに着目する。
    女には女のつながりがあり、そのつてで遠くに出稼ぎに行ったり、奉公に出たりした。島に住む女たちにとっては、余所の土地を経験することが一種のステイタスであり、習い覚えた言葉を使うのがちょっとした自慢となった。
    田植えの際には愚痴を言い合ったり、男衆を構ってふざけたり。艶聞混じりの笑い話も賑やかに語られる。皆でわいわいやるイベントのようなもので、話のうまい人や仕事をてきぱきこなす人を中心に、大変ではあるが楽しいひと時だったという。

    冒頭で触れた「土佐源氏」は、盲いた元博労の一人語りである。今では橋の下の乞食小屋で人の情けを受けて生きているが、若い頃はあれこれと女遍歴もあり、それがつまりタイトルの「源氏」の由来である。
    博労というものは牛を売り買いして歩き、村で地道に定住する生活は送らない。語り手はどちらかというと、最初から自発的に定住生活からドロップアウトしてしまったような、いわば外れ者なのだが、不思議と女性には受けがよかったようだ。村組織に入っていないため、娘相手の夜這いの仲間にはなれなかったが、後家や良家の奥方とわりない仲になったりする。「どの女もみなやさしいええ女じゃった」と語り終える老乞食の傍らには、古女房の老婆がいまだについていてくれるというのも何だかすごい。

    著者の自伝的な話が混じる「私の祖父」もいい。
    著者が小さい頃、山の小さな井戸に住み着いている亀の子がいた。山に行くたびに見るのを楽しみにしていたが、狭いところに閉じ込められてかわいそうと、あるとき、祖父に頼んで井戸から引き揚げてもらい、家に連れ帰ることにした。縄にくくってぶら下げていくうち、なんだか知らないところに連れていかれる亀が気の毒になってきた。泣き泣き戻った著者に、祖父は「亀には亀の世間があるのだから、やっぱりここにおくのがよかろう」と言って、井戸に戻してくれたという。
    働いても働いても貧乏で、特に役職に就くこともなく、ただただ「納得のいかぬことはしない」生涯を貫いた祖父。やはりこれはひとかどの人物だったのだろう。

    本編に出てくる人々の生涯も興味深いが、にじみ出る著者の取材姿勢も味わい深い。本当に津々浦々、よく歩き、よく聴き、よく書き取ったのだと思う。
    単純な性善説というのではないが、この人は人間という存在が好きで、そのありようをどこか深いところで信頼していたのではないかという気がする。それが全編の底にある「朗らかさ」の一因であるのかもしれない。

    総じて、表面だけ見れば、現代の方がさまざまな選択肢があるようでいて、意外に生き方の多様性は失われているようにも見えてくる。
    ろくでなしでも、はぐれ者でも、意外に昔の方が鷹揚に受け止めていたようにも見えるのだ。もちろん、一概に昔はよかったとは言えないし、いずれにしろ「共同体」が崩壊してしまっていればありえない形なのかもしれない。
    加えて、本書では、中国・四国・九州北部の話が中心であるため、地域によって、風土や気質による違いは幾分かはあるだろう。
    とはいえ、ここに語られる「忘れられた」人々の姿は、単なる郷愁を越え、多くの示唆を孕んでいるように思える。

  • 1960年(昭和35年)。
    民俗学者・宮本常一の代表作。柳田国男が言及を避けてきた性風俗や被差別民について積極的な研究を行ったことで知られる。フィールドワークに裏打ちされたエピソードはとても興味深い。

    特に印象に残ったのは「女の世間」と「土佐源氏」だ。「女の世間」は農村の女の話を採録したもの。いわゆる「エロ話」なのだが、実に開放的な話が多い。例えば、夜這いは日常的な習慣で、結婚前に処女喪失するのは珍しくもなかったという。また、自分の村しか知らない娘は「世間知らず」とバカにされて嫁の貰い手がない(!)から、若い娘達だけで見聞旅行に行く習慣があり、旅先で出会った男と夫婦になって戻ってくることもあったという。現代人も顔負けの奔放さだ。

    「土佐源氏」は、乞食として最底辺の生活をおくる老人の生涯を綴ったもので、小説として成立しうるほど文学的完成度が高い。この翁は親に望まれぬ子として生まれ、ヤクザ稼業をしながら放蕩を重ねた挙句、乞食に身を落とした駄目男である。だが、その女性遍歴の原動力は母性に対する憧憬であり、自身も弱者であるがゆえに弱者たる女の哀しみを知り抜いたこの男に、満たされない心を抱える女達が次々と身を任せてゆく。この乞食男に「源氏」の名を与えた著者のまなざしに、深く頭を下げるばかりだ。

    なお、本書で取り上げられているのは主に西日本の村落である。これは、当時の民俗学の研究対象がほとんど東日本に限られていたことや、東京を中心にモノを見たがる学会のありように対する、著者の異議申し立てでもあったらしい。

    <一つの時代にあっても、地域によっていろいろの差があり、それをまた先進と後進という形で簡単に割り切ってはいけないのではないだろうか。またわれわれは、ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい。それで一種の非痛感を持ちたがるものだが、御本人たちの立場や考え方に立って見ることも必要ではないかと思う。>(p306)

    この意見は、1960年代に西洋思想史を刷新した文化人類学者レヴィ=ストロースが展開した西欧中心主義批判と符合する。本書の執筆時点において、宮本氏が西欧の新思想についてどれほどの知識を得ていたのかは不明だが、「無字社会の生活と文化」という共通テーマを研究対象とした両者の辿り着いた結論が同じだというのは、とても興味深いことだと思った。

  • 「この人たちの生活に秩序をあたえているものは、村の中の、また家の中の人と人との結びつきを大切にすることであり、目に見えぬ神を裏切らぬことであった」
    “忘れられた日本人”、彼らこそ、彼らの日々の営みこそ、まさしく“忘れてはならない日本人”と思う。

    無字社会の生活と文化が、古老たちの実際の語りによって、筆者の力によって、今まさにその場に生きて在るかのように鮮やかに映し出される。
    辺境で暮らす日本人たちが皆、いかに働きものであったか。そして、皆何というおおらかさだろう。例えば男女のことについてもいかに解放的であり自由であったか、その陽気な誠実さには驚き以上に感動さえ覚える。

    無字社会にあっては、自分達の必要性に乏しいものは伝承の淘汰に遭うという事実は、当然とはいえ興味深い。次第に有字社会に移行する過程で、必要性がなくなったものも記録として残されるようになり、それにつれ他地域との比較が可能になり、古来からの自分達の生活を良くも悪くも変えていったという現象もまた興味深いものがある。
    古老たちが語る思いや暮らし、それらが持つ意味は、現代人にとって非常に大きなものがある。
    いずれにしても、伝承ということの重みと意義が、一種の新鮮さをもって胸深く残った。

    親世代が語る話もすべて伝承となり得る出来事と思うと、もっと真剣に聞きもしそのままを伝えてゆかねばという思いがする。さらには今の我が生活もいずれは伝承足りうる事実と思うと、少しく背筋が伸びるのである。
    ただし、今の日本人の多くは我が身も含め“忘れられたい日本人”になり下がっているかもしれないが。

  • 不勉強で、民俗学の世界に「宮本民俗学」があることを知らずに今に至ってしまいました。各地の老人たちの語りを通じて、忘れられた日本人の生きようをあぶり出す傑作。分けても、「私の祖父」が深く深く心に残る。

  • 民俗学者・宮本常一の不朽の名作。フィールドワーカーとして全国をくまなく歩いた体験談を交えながら、各地で出会った老人達の語りを生き生きと写し取り、経済成長をむかえつつある戦後日本に、失われてゆく「日本人」の存在を問うた。「土佐寺川夜話」と題する一編に、山の道中でハンセン病の老婆と出会うシーンが描かれている。記述は多くないが、罹患者が人里を避けて通ったとされる「ケッタイ道」の存在が各地にあったことがうかがえる。

  • ○この本を一言で表すと?
     辺境に生きる人たちのありのままの姿を描いた本


    ○面白かったこと・考えたこと
    ・明治から昭和初期までの発展しつつある街ではなく、辺境の人たちが感じていた日常とその変化を書いた本で、歴史の表に出てきやすい街の日常とその変化を合わせてようやく日本全体が浮かび上がってくるような気がしました。

    ・辺境における高齢者の役割(智恵者、労働者等)がわかり、ジャレド・ダイヤモンド氏の「昨日までの世界」で書かれていた伝統的な民族の話と似ているところがあるなと思いました。

    ・寄合での相談の模様が時には何日もかけ、議題をころころと変え、気長ながら真剣で興味深いなと思いました。現代の日本において、ここまで真剣に語り合う機会、相手はなかなかいないのではと思いました。著者が対馬で自分の足で調査をしていくところは街にある文献だけではわからないことを研究することの大変さと調査対象に対する執念のようなものを感じました。(対馬にて)(村の寄りあい)

    ・狭い世界でずっと生きてきた名倉の古老たちの、村にいた人のこと、起こった出来事を記憶していることはすごいなと思いました。日本以外の伝統社会と同様に、古老たちが口伝えでこういったことを伝えていくことと、現代の文字で伝えていくことの違いが思い返されました。日清戦争、日露戦争などで、辺境の人たちがどう関わったのか、どういう思いを持っていたのかが万歳峠のエピソードで少し分かったような気がしました。(名倉談義)

    ・短い話でしたが、村において子供が大切なものと考えられていて、総出で探し回る様子が共同体の良さを感じさせました。(子供をさがす)

    ・明治の農村の女性が家出などで一度は外の世界に出て見聞を広めて戻ってくるという話は初めて知り、興味深いなと思いました。田植えでエロ話をしながら作業をしている女性たちの様子からは、仕事と日常の境目の曖昧さを感じました(女の世間)

    ・橋の下で乞食をして暮らす盲目の人の人生語りで、そういった人の一人一人にいろいろな人生があり、「人に歴史あり」という言葉を思い起こさせました。ばくろうの仕事をしながらいろいろな女性と関係を持ち、そんな中でも盲目になって三十年経っても妻が付き添い続けていてそれに感謝しているという話は、当人以外も含めて人生いろいろだなと思いました。若干作り話くさい話だなと思いましたが、この話を世に出した時にそう指摘されて著者が怒ったという話が解説に書かれていて面白かったです。(土佐源氏)

    ・「人が通るから道ができる」ということが土佐の寺川の獣道と伊予の飢饉で苦しんで助けを求めてきて交流が始まってできた道を通して再確認できました。(土佐寺川夜話)

    ・身寄りのない子供を「メシモライ」として船に乗せる習慣と、その環境で育った子供が成長して自分の生活を立てていくことが梶田富五郎翁の話を通して知ることができました。人一人生きていくだけでも大変な状態で、こういった習慣が存在したのは興味深いなと思いました。港を開こうとするときに、岩を少しずつ運んで何年もかけて行って、ついには完成するというのは気長だなと思いましたが、こういった長期的な工事を協力しながら完遂できたこと自体が興味深いなと思いました。(梶田富五郎翁)

    ・著者に大きな影響を与えたという著者の祖父の人生は、世に名を成したわけではない一個人でも誠実な人格者として存在していたのだということがわかってよかったです。剣術に強くてもそれを見せびらかさず、老いてもずっと働き続け、日常の中で大事なことはしっかり覚え、周りにも教えていったという姿に感動を覚えました。(私の祖父)

    ・「世間師」と呼ばれる奔放な人二人の人生が書かれていて、行き当たりばったりでひたすら旅してまわったり、その旅の中で得た経験や知識で何かをやってうまくやったり、形は違えど今でもこういった人たちはいるなと思いました。(世間師(一))(世間師(二))

    ・最後の話は、これまでの話と違って、著者が尊敬する同分野の先人の話でした。自分が得た知識や経験を自分の為だけでなく地域の人のために使い、それぞれの地域で過ごしながらも他の地域の研究者とも交流を持つ、知識人で実践人でもある人の話が書かれていてすごい人たちだなと思いました。(文字をもつ伝承者(一))(文字をもつ伝承者(二))


    ○つっこみどころ、わかりにくかったところ
    ・書き方や内容が統一されておらず、何を伝えたい本なのかが半分ほど読んでもなかなか分かりませんでした。後半に差し掛かってようやく感じ取れてきたような気がしました。

    ・いきなり本編が始まるので、どういった本なのかを掴みにくかった面があると思いました。まえがきを置いて全体像を示していればだいぶ違ったのではないかと思います。

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