忘れられた日本人 (岩波文庫)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003316412

感想・レビュー・書評

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  • 日本のこと、それもそんなに昔のことではないのに、異なる世界のことを聞いているようだ。今の私はなんなのか。どこからきたのか?連続性が全く見いだせない。振り返るとどの話も魅力的だが、読み通すのは骨が折れた。現代の文脈で推し量れないからだろう。しかし、前例のない、離れたきら星のような本だった。あとがきを読んで、その評価が一段と高まる希有な学術書でもあった。

    ・論理ずくめでは収拾がつかない。自分たちの体験にこと寄せるのが聞き手、話し手双方にとってよかった。
    ・女たちのエロばなしの明るい世界は女たちが幸福であることを意味している。
    ・落書きは庶民のレジスタンスとしてさかんに利用された。
    ・文字を知らない世界では人を疑っては生きてはいけない。
    ・文字を知るものは時計を見る。時間に縛られる。
    ・親と何十年も一緒に暮らしても、その全てを伝承できるものではない。
    ・嫁の姑いじめ。

  • 1960年(昭和35年)。
    民俗学者・宮本常一の代表作。柳田国男が言及を避けてきた性風俗や被差別民について積極的な研究を行ったことで知られる。フィールドワークに裏打ちされたエピソードはとても興味深い。

    特に印象に残ったのは「女の世間」と「土佐源氏」だ。「女の世間」は農村の女の話を採録したもの。いわゆる「エロ話」なのだが、実に開放的な話が多い。例えば、夜這いは日常的な習慣で、結婚前に処女喪失するのは珍しくもなかったという。また、自分の村しか知らない娘は「世間知らず」とバカにされて嫁の貰い手がない(!)から、若い娘達だけで見聞旅行に行く習慣があり、旅先で出会った男と夫婦になって戻ってくることもあったという。現代人も顔負けの奔放さだ。

    「土佐源氏」は、乞食として最底辺の生活をおくる老人の生涯を綴ったもので、小説として成立しうるほど文学的完成度が高い。この翁は親に望まれぬ子として生まれ、ヤクザ稼業をしながら放蕩を重ねた挙句、乞食に身を落とした駄目男である。だが、その女性遍歴の原動力は母性に対する憧憬であり、自身も弱者であるがゆえに弱者たる女の哀しみを知り抜いたこの男に、満たされない心を抱える女達が次々と身を任せてゆく。この乞食男に「源氏」の名を与えた著者のまなざしに、深く頭を下げるばかりだ。

    なお、本書で取り上げられているのは主に西日本の村落である。これは、当時の民俗学の研究対象がほとんど東日本に限られていたことや、東京を中心にモノを見たがる学会のありように対する、著者の異議申し立てでもあったらしい。

    <一つの時代にあっても、地域によっていろいろの差があり、それをまた先進と後進という形で簡単に割り切ってはいけないのではないだろうか。またわれわれは、ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい。それで一種の非痛感を持ちたがるものだが、御本人たちの立場や考え方に立って見ることも必要ではないかと思う。>(p306)

    この意見は、1960年代に西洋思想史を刷新した文化人類学者レヴィ=ストロースが展開した西欧中心主義批判と符合する。本書の執筆時点において、宮本氏が西欧の新思想についてどれほどの知識を得ていたのかは不明だが、「無字社会の生活と文化」という共通テーマを研究対象とした両者の辿り着いた結論が同じだというのは、とても興味深いことだと思った。

  • 「この人たちの生活に秩序をあたえているものは、村の中の、また家の中の人と人との結びつきを大切にすることであり、目に見えぬ神を裏切らぬことであった」
    “忘れられた日本人”、彼らこそ、彼らの日々の営みこそ、まさしく“忘れてはならない日本人”と思う。

    無字社会の生活と文化が、古老たちの実際の語りによって、筆者の力によって、今まさにその場に生きて在るかのように鮮やかに映し出される。
    辺境で暮らす日本人たちが皆、いかに働きものであったか。そして、皆何というおおらかさだろう。例えば男女のことについてもいかに解放的であり自由であったか、その陽気な誠実さには驚き以上に感動さえ覚える。

    無字社会にあっては、自分達の必要性に乏しいものは伝承の淘汰に遭うという事実は、当然とはいえ興味深い。次第に有字社会に移行する過程で、必要性がなくなったものも記録として残されるようになり、それにつれ他地域との比較が可能になり、古来からの自分達の生活を良くも悪くも変えていったという現象もまた興味深いものがある。
    古老たちが語る思いや暮らし、それらが持つ意味は、現代人にとって非常に大きなものがある。
    いずれにしても、伝承ということの重みと意義が、一種の新鮮さをもって胸深く残った。

    親世代が語る話もすべて伝承となり得る出来事と思うと、もっと真剣に聞きもしそのままを伝えてゆかねばという思いがする。さらには今の我が生活もいずれは伝承足りうる事実と思うと、少しく背筋が伸びるのである。
    ただし、今の日本人の多くは我が身も含め“忘れられたい日本人”になり下がっているかもしれないが。

  • 不勉強で、民俗学の世界に「宮本民俗学」があることを知らずに今に至ってしまいました。各地の老人たちの語りを通じて、忘れられた日本人の生きようをあぶり出す傑作。分けても、「私の祖父」が深く深く心に残る。

  • 民俗学の本はいろいろあるんだろうけど、農民の生活を記述したものはそう多くないそう。この本は、紀伊、四国のあたりの漁村農村を歩いて、村の人々とじかに話をして歩いた民俗学者の記録です。
    関西より西は、関東や東北とはまた違う文化があるそうで、家父長制的なシステムは、むしろ関東のほうが色濃かったようです。村での議論のやり方、男女関係の持ち方など、祭事などに関する文化人類学的な研究よりも、より人々の暮らしがわかる、とても貴重な文献だと思う。

    この本、日本人はいったいどういう人々だったのか?いまのような贅沢のない時代、経済大国になる前の日本はどんなところだったのか、知りたくなって読んでみた。
    昔はみんな質素だったんだね。食事も一日3回は無理で、中身もちょっとの炭水化物と野菜のみ、みたいな、これで長時間働いてたんだから、すごい馬力だ・・・
    楽しみだって、村で一年に一度ある祭りや、セックスくらいしかない時代。それも、所帯持ちは夫や妻と(貧乏なら一夫一妻が普通だった)、若い男女は夜這い。けっこう好き勝手にセックスしてたらしい。今の時代の性欲処理みたいなサービス産業に取り込まれてない分、楽しみとしての性生活があって健康だったのだなあ・・・
    もらい子なども多く、通りすがりの人が子供を預けて行ったり、けっこうあったらしい。すごいよなあ・・・誰の子供でも、大事にしてたのかもしれないわ。

    短いお話がたくさんある構成になっているのだけど、その中に、牛の売買をして生計を立てていた爺さんの話があって、これは感動した。牛飼いは、当時は外道(やくざではなく、どこにも所属しない放浪の民みたいなかんじ)の仕事で、どこにも属さすに半分ぺてんみたいなことをやりながらのその日暮らしの男の独白である。最後の30年は梅毒かなにかにやられて失明、こじきになって橋の下で生活するこの翁が語る、愛についての物語。ほんとに泣けた。生涯、誰かを愛することができると、どんな人生でも、意味のあるものになるんだなと。民族誌を読んで、こんな気持ちになるとは正直思っても居なかったので、この作者の腕が良かったんだろうなと思う。

    全体的に読んでの印象は、日本人の美しさというのは謙虚なことなのかなと。多くを求めず、強欲にならずに、他人との調和を重んじて生きる。学のある人間は、村の人間のためにそれを役立てる。別に日本人に限らず、普通の人間はこういうふううに生きてきたのだろう。こういう素朴な生き方を否定することなく、過去に学んでいくて行くのは、いま本当に大切なことだと思う。

    • tsutomu1958さん
      素晴らしいコメントです。特に、日本人の美しさというのは謙虚なことなのかなという考えには、全くもって同感です。
      素晴らしいコメントです。特に、日本人の美しさというのは謙虚なことなのかなという考えには、全くもって同感です。
      2012/10/22
  • 幕末から明治にかけての古老のお話し。貨幣経済が浸透したなかにも、村落共同体のしきたりや明らかな身分差など中世的、封建的な匂いを感じる話しが多い。文明開化を中心とした教科書的な歴史との同時代に、パラレルに存在した民俗学的な景色である。
    近代の価値観では会議は結論が大事であり、性は秘匿し慎むものと相場が決まっている。しかし、対馬の会議はプロセスに重きを置くため結論がでるまで何日も続き、土佐における性の交わりは単調な暮らしにおける最も身近な娯楽である。
    私が手にとったのは61刷である。岩波文庫のなかでも人気の一冊であることがわかるが、その理由は近現代に欠けたものに想いをはせるノスタルジックな感覚だけでないだろう。冷静になって自省したとき、曽祖父母の時代にまであった感性がどこか自分のなかにも息づいている直感を残すからであろう。

  • やっと注目していたこの本を読みました。生きるということ、いや、生きてきたということの重みが誇張のない淡々とした語りからかえってずっしりと感じられる語り。登場する人たちは大変な辛苦を経てきたはずなのに、現代のほうが進んでいると単純に言い切れなくなってしまう切なさ。実際に読んだのは「未来社」1975版:ISBN不明

  • 当時の生活や雰囲気がよくわかる。文字がない世界に生きてた伝承者は、信じる力をもつ人だけだった。文字を使える人の役割、という見方は感心した。

  • 「維新以降の日本のリアル」を知りたい欲求が止まらない今日この頃。大河ドラマの「史実との違いを探せばキリがない」という謎の開き直りや、「君たちはどう生きるか」のコぺル君周辺のSF的とも言える豪奢な生活ぶりを鑑み、一度ストレートに民俗学に立ち戻っては如何だろう?と名著の呼び声高い本書を。大当たりです。
    民俗学と言えば夜這い、夜這いと言えば民俗学ですが、やはり性の話題を避けてはリアルが見えない近代日本。この本の白眉は、橋の下で30年起居する盲目の乞食の性遍歴を30ページにわたって綴る「土佐源氏」。人生って凄い。これからも既成の価値観をグラつかせてくれる書籍を読んでいこう。

  • わずか百年たらずのうちに、日本人の生活はこうも変わってしまったのか…。
    数十年前までは、日本全国にありふれていた風景と生活ぶり、しかし今ではイメージすることさえ難しい。
    そしてここで描かれている人々のなんと情緒豊かなこと…。ワタシたちの暮らしのなんと殺伐としていること…。

    色んな感慨を深くして再読したい本です。

著者プロフィール

民俗学者

「2019年 『宮本常一 伝書鳩のように』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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