忘れられた日本人 (岩波文庫 青 164-1)

著者 :
  • 岩波書店
3.98
  • (267)
  • (250)
  • (217)
  • (21)
  • (7)
本棚登録 : 3841
感想 : 284
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003316412

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 1960年(昭和35年)。
    民俗学者・宮本常一の代表作。柳田国男が言及を避けてきた性風俗や被差別民について積極的な研究を行ったことで知られる。フィールドワークに裏打ちされたエピソードはとても興味深い。

    特に印象に残ったのは「女の世間」と「土佐源氏」だ。「女の世間」は農村の女の話を採録したもの。いわゆる「エロ話」なのだが、実に開放的な話が多い。例えば、夜這いは日常的な習慣で、結婚前に処女喪失するのは珍しくもなかったという。また、自分の村しか知らない娘は「世間知らず」とバカにされて嫁の貰い手がない(!)から、若い娘達だけで見聞旅行に行く習慣があり、旅先で出会った男と夫婦になって戻ってくることもあったという。現代人も顔負けの奔放さだ。

    「土佐源氏」は、乞食として最底辺の生活をおくる老人の生涯を綴ったもので、小説として成立しうるほど文学的完成度が高い。この翁は親に望まれぬ子として生まれ、ヤクザ稼業をしながら放蕩を重ねた挙句、乞食に身を落とした駄目男である。だが、その女性遍歴の原動力は母性に対する憧憬であり、自身も弱者であるがゆえに弱者たる女の哀しみを知り抜いたこの男に、満たされない心を抱える女達が次々と身を任せてゆく。この乞食男に「源氏」の名を与えた著者のまなざしに、深く頭を下げるばかりだ。

    なお、本書で取り上げられているのは主に西日本の村落である。これは、当時の民俗学の研究対象がほとんど東日本に限られていたことや、東京を中心にモノを見たがる学会のありように対する、著者の異議申し立てでもあったらしい。

    <一つの時代にあっても、地域によっていろいろの差があり、それをまた先進と後進という形で簡単に割り切ってはいけないのではないだろうか。またわれわれは、ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい。それで一種の非痛感を持ちたがるものだが、御本人たちの立場や考え方に立って見ることも必要ではないかと思う。>(p306)

    この意見は、1960年代に西洋思想史を刷新した文化人類学者レヴィ=ストロースが展開した西欧中心主義批判と符合する。本書の執筆時点において、宮本氏が西欧の新思想についてどれほどの知識を得ていたのかは不明だが、「無字社会の生活と文化」という共通テーマを研究対象とした両者の辿り着いた結論が同じだというのは、とても興味深いことだと思った。

  • ・面白い!
    ・西日本が記述の中心であることが、なんとも嬉しい。
    ・もとは「年寄たち」という総題が想定されていたのだとか……「忘れられた日本人」は同じ意味だが、より大上段に構えた表現であって、もとの素朴な想定のほうが内容にフィットしている。
    ・寄合とか地域会とかめんどくせぇと肌で嫌悪するシティボーイなので、興味を持ったのは多くの人と同じく「土佐源氏」が、結構作者による創作なのだという事情を聴いてから。
    ・が、むしろ冒頭の「対馬にて」「村の寄りあい」あたりで、記述内容と、地の文の文体と、差し挟まれる聞き取り引用会話文の面白さが、「女の世間」を経て「土佐源氏」で大爆発する、という構成の妙に強烈に引き込まれた。
    ・その頂点が、148p「(略)つい手がふれて、わしが手をにぎったらふりはなしもしなかった。/秋じゃったのう。/わしはどうしてもその嫁さんとねてみとうなって、(略)」。
    ・「人のぬくみ」を思い出す「私の祖父」や、「非農民の粋」を語る「世間師」、そして貴重な取材源を疎かにしない「文字をもつ伝承者」が後半にくる、やはり構成の妙味。
    ・隙のない連作短編集の構成だ。
    ・奥さんをないがしろにして「助手」を伴って取材旅行に出ていた自身の「いろざんげ」を、「土佐源氏」に代弁させたのだ、という読み解きも、実に文学的でぐっとくる。
    ・ちくま日本文学022の文庫解説では石牟礼道子が解説を寄せているのだとか。確かに、石牟礼道子、森崎和江、上野英信、谷川雁らサークル村の活動と、近接する研究だ、とは思う。が、敢えて露悪的に言えば、根本に左翼思想を置いて、日本の原郷を目的として探る、という活動と、宮本常一の活動は、因果が逆なのだと感じた。宮本の左右政治思想は知らない、が、この本を読むと、思想より人への興味が先行しているように思えるのだ。
    ・また、被差別部落に生まれ落ちたことを根拠に文筆活動を組み立てんとする中上健次に対して、「中上健次の同和理解は暗くて浅い、私の理解ではもっと明るくて深いものだ」と言ったという。勝手な推測だが、路地出身とはいえボンボンのインテリに過ぎなかった中上の近代性を、むしろ前近代性から批判し得る見聞をたくさん仕入れている、ということなのだろう。「山に生きる人々」にて、ある種の作家(三角寛とか?)のサンカ幻想を意に介さない記述があるらしいが、うーんたとえば吉本隆明に「どういうことですか」と質問を繰り返した岸田秀のごとき、カラッとした鷹揚さが感じられるのだ。
    ・左翼ー日本探求という点では、宮崎駿も同じ文脈に入れるべき。文芸や表現が、左翼的心情を出発点にしたりモチベーションの源にしたりするのはありうべきことだが、主張の道具に、作品や研究が使われてしまう可能性もあるのだな、とここ数年の石牟礼ー森崎読書で知った。いやむしろ石牟礼ー森崎は、谷川ー上野のその傾向に抗しているのかもしれない……今のところは想像するばかり。そこに思春期に熱中した中上や大江も加わってきたり、いずれ読みたい柳田国男や折口信夫や南方熊楠もきっと関わってくるんだろうと想像されるが、何かしらのストッパーとして、宮本常一を憶えておきたい。



    柳田国男・渋沢敬三の指導下に,生涯旅する人として,日本各地の民間伝承を克明に調査した著者(一九〇七―八一)が,文字を持つ人々の作る歴史から忘れ去られた日本人の暮しを掘り起し,「民話」を生み出し伝承する共同体の有様を愛情深く描きだす.「土佐源氏」「女の世間」等十三篇からなる宮本民俗学の代表作. (解説 網野善彦)

    目次

    凡例

    対馬にて
    村の寄りあい
    名倉談義
    子供をさがす
    女の世間
    土佐源氏
    土佐寺川夜話
    梶田富五郎翁
    私の祖父
    世間師(一)
    世間師(二)
    文字をもつ伝承者(一)
    文字をもつ伝承者(二)

    あとがき

    解説(網野善彦)
    注(田村善次郎)

  • 日本のこと、それもそんなに昔のことではないのに、異なる世界のことを聞いているようだ。今の私はなんなのか。どこからきたのか?連続性が全く見いだせない。振り返るとどの話も魅力的だが、読み通すのは骨が折れた。現代の文脈で推し量れないからだろう。しかし、前例のない、離れたきら星のような本だった。あとがきを読んで、その評価が一段と高まる希有な学術書でもあった。

    ・論理ずくめでは収拾がつかない。自分たちの体験にこと寄せるのが聞き手、話し手双方にとってよかった。
    ・女たちのエロばなしの明るい世界は女たちが幸福であることを意味している。
    ・落書きは庶民のレジスタンスとしてさかんに利用された。
    ・文字を知らない世界では人を疑っては生きてはいけない。
    ・文字を知るものは時計を見る。時間に縛られる。
    ・親と何十年も一緒に暮らしても、その全てを伝承できるものではない。
    ・嫁の姑いじめ。

  • 「この人たちの生活に秩序をあたえているものは、村の中の、また家の中の人と人との結びつきを大切にすることであり、目に見えぬ神を裏切らぬことであった」
    “忘れられた日本人”、彼らこそ、彼らの日々の営みこそ、まさしく“忘れてはならない日本人”と思う。

    無字社会の生活と文化が、古老たちの実際の語りによって、筆者の力によって、今まさにその場に生きて在るかのように鮮やかに映し出される。
    辺境で暮らす日本人たちが皆、いかに働きものであったか。そして、皆何というおおらかさだろう。例えば男女のことについてもいかに解放的であり自由であったか、その陽気な誠実さには驚き以上に感動さえ覚える。

    無字社会にあっては、自分達の必要性に乏しいものは伝承の淘汰に遭うという事実は、当然とはいえ興味深い。次第に有字社会に移行する過程で、必要性がなくなったものも記録として残されるようになり、それにつれ他地域との比較が可能になり、古来からの自分達の生活を良くも悪くも変えていったという現象もまた興味深いものがある。
    古老たちが語る思いや暮らし、それらが持つ意味は、現代人にとって非常に大きなものがある。
    いずれにしても、伝承ということの重みと意義が、一種の新鮮さをもって胸深く残った。

    親世代が語る話もすべて伝承となり得る出来事と思うと、もっと真剣に聞きもしそのままを伝えてゆかねばという思いがする。さらには今の我が生活もいずれは伝承足りうる事実と思うと、少しく背筋が伸びるのである。
    ただし、今の日本人の多くは我が身も含め“忘れられたい日本人”になり下がっているかもしれないが。

  • 東京中心・今の時代を最善と考える傾向のある私にとって、民俗学はその意義がよくわからない学問であった。しかし、この本を読むと、各地方特有の生活の合理性、世間的には有名でない人がそれぞれの立場で懸命に生きてきたことが追体験でき、民俗学の意義を少し理解できたと思う。
    また、西洋の法を継受し作り上げられた現代の法体系ではうまく解決できない事象について、紛争解決のためのヒントが得られそうな本でもある。

  • 民俗学の本はいろいろあるんだろうけど、農民の生活を記述したものはそう多くないそう。この本は、紀伊、四国のあたりの漁村農村を歩いて、村の人々とじかに話をして歩いた民俗学者の記録です。
    関西より西は、関東や東北とはまた違う文化があるそうで、家父長制的なシステムは、むしろ関東のほうが色濃かったようです。村での議論のやり方、男女関係の持ち方など、祭事などに関する文化人類学的な研究よりも、より人々の暮らしがわかる、とても貴重な文献だと思う。

    この本、日本人はいったいどういう人々だったのか?いまのような贅沢のない時代、経済大国になる前の日本はどんなところだったのか、知りたくなって読んでみた。
    昔はみんな質素だったんだね。食事も一日3回は無理で、中身もちょっとの炭水化物と野菜のみ、みたいな、これで長時間働いてたんだから、すごい馬力だ・・・
    楽しみだって、村で一年に一度ある祭りや、セックスくらいしかない時代。それも、所帯持ちは夫や妻と(貧乏なら一夫一妻が普通だった)、若い男女は夜這い。けっこう好き勝手にセックスしてたらしい。今の時代の性欲処理みたいなサービス産業に取り込まれてない分、楽しみとしての性生活があって健康だったのだなあ・・・
    もらい子なども多く、通りすがりの人が子供を預けて行ったり、けっこうあったらしい。すごいよなあ・・・誰の子供でも、大事にしてたのかもしれないわ。

    短いお話がたくさんある構成になっているのだけど、その中に、牛の売買をして生計を立てていた爺さんの話があって、これは感動した。牛飼いは、当時は外道(やくざではなく、どこにも所属しない放浪の民みたいなかんじ)の仕事で、どこにも属さすに半分ぺてんみたいなことをやりながらのその日暮らしの男の独白である。最後の30年は梅毒かなにかにやられて失明、こじきになって橋の下で生活するこの翁が語る、愛についての物語。ほんとに泣けた。生涯、誰かを愛することができると、どんな人生でも、意味のあるものになるんだなと。民族誌を読んで、こんな気持ちになるとは正直思っても居なかったので、この作者の腕が良かったんだろうなと思う。

    全体的に読んでの印象は、日本人の美しさというのは謙虚なことなのかなと。多くを求めず、強欲にならずに、他人との調和を重んじて生きる。学のある人間は、村の人間のためにそれを役立てる。別に日本人に限らず、普通の人間はこういうふううに生きてきたのだろう。こういう素朴な生き方を否定することなく、過去に学んでいくて行くのは、いま本当に大切なことだと思う。

    • tsutomu1958さん
      素晴らしいコメントです。特に、日本人の美しさというのは謙虚なことなのかなという考えには、全くもって同感です。
      素晴らしいコメントです。特に、日本人の美しさというのは謙虚なことなのかなという考えには、全くもって同感です。
      2012/10/22
  • いまでは通信技術などが発達し、電話ひとつあれば離島を含む日本の隅々まで容易につながることができる。地方の誰かに話を聞きたければ、自分のいる場所から電話の一本入れたらすむ。だが本書の時代は電話などない。筆者はそのような環境のなかでこの物語を自らの足でかき集めたのだ。当時は道路網も十分ではなかっただろう。彼の行くような地方では尚更だ。まずその点に感銘をうける。
     本作のいえば「土佐源氏」である。面白さはいうまでもない。筆者が取り上げなければこの物語は世界のどこかの砂粒のように一生誰かの心に留まることのなかっただろうと思う。しかしながら、土佐源氏の物語には少し引っかかる点がいくつかある。内容そのものを批判する訳では全くないが、まずここまでのことをこれほど詳細に覚えておくことがはたして可能なのかという点。録音技術は当然ないし、筆者がメモの達人だったとしても土佐源氏の話を一言一句記録できるものだろうかということは疑問に思う。また雰囲気がとても小説のようで、創作のように見えないこともなかった。このような点で本作が現実にあったのかという点を疑問に思う瞬間があった。
     といっても、本書に対して言えることは完全に一読の価値がある本だということしかない。この本の価値に比べれば、土佐源氏の物語が本当か本当でないかは全く問題ではない。本書に登場する人々とその暮らしぶりは、いまとなっては失われた日本の景色を私たちに教えてくれる。このタイトルの通り私たちは彼らを「忘れていたこと」を教えられるのだ。
    これからもたまに読み返して自分が生まれる前の日本に想いを馳せたいと思った。
     

  • 書店で手に取るまで、恥ずかしながらこの本のことを知りませんでした。不朽の名著!岩波文庫70刷です! 司馬遼太郎や近代日本史の本を読んで、戦前の日本がわっかたように思っていたことが恥ずかしい。
    古老のひとつ一つの話が、短編小説のようでもあります。著者の宮本常一氏が只者ではないことがすぐにわかります。

  • 何年かに一度
    読み返す 一冊
    ポール・ゴーギャンのあの作品名
    「我々はどこから来たのか
    我々は何者か
     我々はどこへ行くのか」
    になぞらえば
    「日本人は 何を考えて来たのか
     日本人とは 何者か
     日本人とは どこに向かっていくのか」
    を いつも 考えさせてもらえる
    一冊である

    地位、名誉、権威になど
    頼らずに
    自分の言葉で語り
    自分の考えで判断し
    自分の思いを生きた
    正真正銘の 日本人が
    ここに おられる

    自分の中の「日本人」が
    ここに ある

  • 不勉強で、民俗学の世界に「宮本民俗学」があることを知らずに今に至ってしまいました。各地の老人たちの語りを通じて、忘れられた日本人の生きようをあぶり出す傑作。分けても、「私の祖父」が深く深く心に残る。

著者プロフィール

1907年(明治40)~1981年(昭和56)。山口県周防大島に生まれる。柳田國男の「旅と伝説」を手にしたことがきっかけとなり、柳田國男、澁澤敬三という生涯の師に出会い、民俗学者への道を歩み始める。1939年(昭和14)、澁澤の主宰するアチック・ミューゼアムの所員となり、五七歳で武蔵野美術大学に奉職するまで、在野の民俗学者として日本の津々浦々を歩き、離島や地方の農山漁村の生活を記録に残すと共に村々の生活向上に尽力した。1953年(昭和28)、全国離島振興協議会結成とともに無給事務局長に就任して以降、1981年1月に73歳で没するまで、全国の離島振興運動の指導者として運動の先頭に立ちつづけた。また、1966年(昭和41)に日本観光文化研究所を設立、後進の育成にも努めた。「忘れられた日本人」(岩波文庫)、「宮本常一著作集」(未來社)、「宮本常一離島論集」(みずのわ出版)他、多数の著作を遺した。宮本の遺品、著作・蔵書、写真類は遺族から山口県東和町(現周防大島町)に寄贈され、宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)が所蔵している。

「2022年 『ふるさとを憶う 宮本常一ふるさと選書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

宮本常一の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
三島由紀夫
安部公房
ヴィクトール・E...
レイチェル カー...
ヘルマン ヘッセ
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×