- Amazon.co.jp ・本 (406ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003316917
感想・レビュー・書評
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【091018】門前の小僧習わぬ経を読む
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日本民藝館を訪れた後、
東大駒場のレストランでランチを採る。
話題は、柳宗悦に及ぶ。
柳宗悦、曰く。
「真の美の表現には、怪異即ちグロテスクの要素が常に内在している」
本堂の梁にあった龍の彫刻を飽きずに眺めた幼い記憶や、
欧州の古城でみたガーゴイルの姿が浮かぶ。
それと・・・
怪異とは何か。
ここに、再び柳宗悦、曰く。
「真実なものの強調された相(すがた)」
次のようにも述べる。
「美が切迫してくる時、あるいは、美が迫力を以て躍動する時、それは自から怪異の相を示してくる」
それと、
不自然に縛められた女の姿だ。
切迫してくる美。
迫力を以て躍動する美。
薄い暗がりに浮かぶ肌の白と闇に溶け込む髪の黒。
身動きも間々ならぬ筈なのに伝わる動。
眼から通じて聞こえる息遣い。
美の不自然な強調。
女の相。
学生達の笑いで我に返る。
美の夢から覚めた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2021.12.7 読了
通算1894冊
*『朝鮮の友に贈る書』(23ページ) 2020.8.4 読了済
*『雑記の美』(17ページ) 2020.7.26 読了済 -
天然の従順なるものは、天然の愛を享ける。自然からの賜物。自然との共存。生き方にも通ずる。
物との関わり方を考えさせられる。物を大切にしたいと思う。共に一家の中で朝な夕なを送る。吾々の労を助け、用を悦び、生活を温めてくれる。
何者にもならなくてもいい。何者ではないなりの美しさがある。民藝の本かと思いきや哲学の本でした。 -
機械と人間を対置する思考。
コルビュジエは『建築へ』で「機械」を称揚した。それは時代精神でもあっただろう。
いま風に言えば「ハイテク」に棹さす態度ということになるか。
一方、柳宗悦は「手」や「自然」を称揚した。「機械には心が無い」のだという。
我々は「機械」と「自然」の対立を超えた身体性を考えることができる。それが「サイボーグ」ということだ。
そして「物質」と「情報」の対立を超えた身体性を考えることができる。それが「インフォーグ」ということだ。
息子の柳宗理は「機械生産における手仕事的な美徳」を追求したわけだが、父である柳宗悦は「機械はダメだ」という人だったようだ。面白い。
『工藝の協団に関する一提案』はギルドの話だ。興味深い。
> 少し言葉は変だが、私が物を買うのは、一生に「今この一個」をのみ買っているという行為の連続に過ぎないのである。(p.301 『蒐集の弁』)
なんか断捨離とか片付けが出来ない人の典型的な言い訳のようで微笑ましい。
『美の法門』は美醜の二元論を批判し、「拙いままで美しいよう」ような在り方を説く。美醜は人間が作り出した観念。
> 凡夫だとて凡夫のままに、見事なものが出来るはずである。(p.276) -
難しいことをここまで平易に表現できる人を、他に知らない。
文は簡潔。
日常使われる雑器に美を見出すなんて、すごいと思った。 -
柳は矢内原忠雄同様、朝鮮への深きまなざしを持ち得た稀有な存在だった。その精神の軌跡も「キリスト教と仏教」を考えさせる点で興味深い。柳への入門書としても薦めたい。 (2010: 村松晋先生推薦)
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美しいものは、
結果そうなったというだけであって、
とくに日本に見られる美しさの多くは、
自然との調和、日常の中での機能の追求、無心の生産によって生まれたものが多いということに気付く。 -
427夜
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朝鮮の美の話とか、よくこの時代に、と思う。また民藝館行きたいなー
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今年は日本民藝館の70周年ということで、宗悦さんを読んでます。
鈴木大拙、西田幾多郎をいきなり読むには壁が高かったんですけどね、
宗悦さんを入り口にしていくと,この先もすすめそうな気がしていました。日本の文化について、オリジナリティーを感じられた時代の最後なんじゃないでしょうか。
もちろん、大陸文化などの融合はあったにせよ、人々の生活の中で使われる事で改良されてきた生活の用具ですから。。日本ってなんだろう??という疑問から宗悦を今、通過中の自分には先人の思い
を辿る作業をしてみたりするわけです。
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