民藝四十年 (岩波文庫 青 169-1)

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  • / ISBN・EAN: 9784003316917

感想・レビュー・書評

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  • 【091018】門前の小僧習わぬ経を読む


    :::::::::::::::::::::::


    日本民藝館を訪れた後、
    東大駒場のレストランでランチを採る。
    話題は、柳宗悦に及ぶ。

    柳宗悦、曰く。
    「真の美の表現には、怪異即ちグロテスクの要素が常に内在している」

    本堂の梁にあった龍の彫刻を飽きずに眺めた幼い記憶や、
    欧州の古城でみたガーゴイルの姿が浮かぶ。
    それと・・・

    怪異とは何か。

    ここに、再び柳宗悦、曰く。
    「真実なものの強調された相(すがた)」

    次のようにも述べる。
    「美が切迫してくる時、あるいは、美が迫力を以て躍動する時、それは自から怪異の相を示してくる」

    それと、
    不自然に縛められた女の姿だ。

    切迫してくる美。
    迫力を以て躍動する美。

    薄い暗がりに浮かぶ肌の白と闇に溶け込む髪の黒。
    身動きも間々ならぬ筈なのに伝わる動。
    眼から通じて聞こえる息遣い。
    美の不自然な強調。
    女の相。

    学生達の笑いで我に返る。
    美の夢から覚めた。

  • 「民藝」に関心を持ったのは、『手仕事の日本』を読んだことがきっかけだった。それから日本民藝館に展示品を見に行ったり、柳の著作を何冊か読んだりしてきたが、その活動の展開の跡を追って年代順に収録した『民藝四十年』、やっと入手して読むことができた。
     「四十年の回想」の中で自身語っているように、彼の物との縁は、朝鮮工藝(明治末から大正にかけ)―木喰仏(大正末から昭和初めにかけ)―諸国民藝品(昭和初め頃から今日に及ぶ)―美術館の建設―沖縄訪問―茶の湯の問題―美の問題、このような順序で進んできたが、それぞれの事項について、代表的な論考が収められている。

     朝鮮の文化、特に当時評価のされていなかった李朝の器物に魅了された柳が、朝鮮における日本統治の在りように憤りを抱いて書いた「朝鮮の友に贈る書」、「失われんとする一朝鮮建築のために」。政治的な意図を持った論ではないものの、この時代にこれだけの意見を開陳したということに先ずは心打たれる。
     「雑器の美」、「工藝の美」、「民藝の趣旨」と読み進めていくと、柳がどうして無名の工人・職人の手になる日常雑器を美しいと捉え、また民藝運動を起こしたかが理解できる。

     そして、そうした考え方を裏打ちするものとして行き当たった「大無量寿経」の大願。「仏の国においては美と醜との二がない」と説かれる「美の法門」。ここまで柳の考え方を各論考を通じて読んできたので、ある程度理解できたような気はするのだが、分かったような分からないようなというのが正直なところ。

     先入観や知識に囚われて物を見ることを何よりも柳は退ける。実際のところそれはなかなか難しい。でも曇りのない眼で見ることから始めたい。
     

  • いたずらに器を美のために作るなら、用にも堪えず、美にも堪えない。『民藝四十年』柳宗悦やなぎ・むねよし

    実に多くの職人たちは、その名を留めずにこの世を去っていく。しかし彼らが親切に拵(こしら)えた品物の中に、彼らがこの世にいきていた意味が宿る。『手仕事の日本』柳宗悦

    ※日本民藝館。東大駒場駅。

  • 天然の従順なるものは、天然の愛を享ける。自然からの賜物。自然との共存。生き方にも通ずる。
    物との関わり方を考えさせられる。物を大切にしたいと思う。共に一家の中で朝な夕なを送る。吾々の労を助け、用を悦び、生活を温めてくれる。
    何者にもならなくてもいい。何者ではないなりの美しさがある。民藝の本かと思いきや哲学の本でした。

  • 機械と人間を対置する思考。

    コルビュジエは『建築へ』で「機械」を称揚した。それは時代精神でもあっただろう。

    いま風に言えば「ハイテク」に棹さす態度ということになるか。

    一方、柳宗悦は「手」や「自然」を称揚した。「機械には心が無い」のだという。

    我々は「機械」と「自然」の対立を超えた身体性を考えることができる。それが「サイボーグ」ということだ。

    そして「物質」と「情報」の対立を超えた身体性を考えることができる。それが「インフォーグ」ということだ。

    息子の柳宗理は「機械生産における手仕事的な美徳」を追求したわけだが、父である柳宗悦は「機械はダメだ」という人だったようだ。面白い。

    『工藝の協団に関する一提案』はギルドの話だ。興味深い。

    > 少し言葉は変だが、私が物を買うのは、一生に「今この一個」をのみ買っているという行為の連続に過ぎないのである。(p.301 『蒐集の弁』)

    なんか断捨離とか片付けが出来ない人の典型的な言い訳のようで微笑ましい。

    『美の法門』は美醜の二元論を批判し、「拙いままで美しいよう」ような在り方を説く。美醜は人間が作り出した観念。

    > 凡夫だとて凡夫のままに、見事なものが出来るはずである。(p.276)

  • 難しいことをここまで平易に表現できる人を、他に知らない。
    文は簡潔。
    日常使われる雑器に美を見出すなんて、すごいと思った。

  • 柳は矢内原忠雄同様、朝鮮への深きまなざしを持ち得た稀有な存在だった。その精神の軌跡も「キリスト教と仏教」を考えさせる点で興味深い。柳への入門書としても薦めたい。 (2010: 村松晋先生推薦)

  • 美しいものは、
    結果そうなったというだけであって、
    とくに日本に見られる美しさの多くは、
    自然との調和、日常の中での機能の追求、無心の生産によって生まれたものが多いということに気付く。

  • 427夜

  • 朝鮮の美の話とか、よくこの時代に、と思う。また民藝館行きたいなー

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著者プロフィール

柳宗悦(やなぎ・むねよし):1889-1961年。学習院高等科在学中に雑誌「白樺」創刊に参加。主に美術の分野を担当した。東京帝国大学哲学科を卒業後は宗教哲学者として活躍。濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチ、富本憲吉らと出会い、「民藝」という新しい美の概念を打ちたてた。眼の人として知られるが、柳のまなざしは、物の美しさだけではなく、物を生み出した人や社会にたえず注がれていた。

「2023年 『新編 民藝四十年』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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