- 岩波書店 (1985年5月16日発売)
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感想 : 47件
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Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784003316924
みんなの感想まとめ
日本の手仕事や民芸の魅力を伝えるこの書籍は、若年者を対象にした平易な解説が特徴です。柳宗悦の思想に基づき、染物や陶器、家具など、日常生活に密着した美しい作品が紹介されています。商業主義から距離を置くこ...
感想・レビュー・書評
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1946年(昭和21年)?
民芸運動の提唱者・柳宗悦による、若年者のための民芸解説書。日本各地の手仕事(染物、陶器、文具、家具、衣服、郷土玩具など民衆の生活に密着したもの)が紹介されている。写真が添えられていないため文章から実物を思い描くのが難しいのが難点だが、芹沢銈介による小間絵がその欠点を補っている。また、柳の持論である「職人の功績」「用の美」「健康の美」等の概念も簡潔に説明されていて興味深い。「モノづくりの国・日本」の原点に回帰させてくれるような書物である。若年者向けということで極めて平易な文章で書かれているので、民芸入門として適していると思われる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
昭和17〜18年ごろに書かれた本。
民藝の美しさ、クオリティを手仕事に求め、商業主義との距離感がある方がいい伝統が守られるというスタンスに貫かれているように見える。
これを読むと、人の仕事というのは結局機械との競争を続けている産業革命以降の歴史ということが分かる。今の時代、AIやロボットに置き換わることで、果たして仕事の「美しさ」は失われるのだろうか? 我らサラリーマンに仕事上の「美しさ」は求められていないのかもしれないけど。
それでも、シンプルな生き方、歴史を受け継ぎ発展させようという姿勢、健康であること、など著者のメッセージは今の時代でも刺さると思う。 -
昭和15年ごろの日本列島の手仕事を紀行する。現在で言えば地域特産品である。日本の民芸品が紹介されることで、当時の手仕事の結実がわかる。機械は世界のものを共通にしてしまう。それは、粗末なものになりがちだという。手仕事にこそ個性が宿る。ドキュメンタリーのような手法で、日本の手仕事を紹介する。手によって生まれた日本人の暮らしに欠かせなかった生活道具の紹介。その見る目が民藝運動の創始者の視点が浮かび上がる。日本にこれだけの民芸品ができていることに、感動さえ覚える。日本は、素晴らしい手仕事の国つまり手の国という。
上手、下手、手堅い、手並みがよい、手柄を立てる、手本にする、手腕、読み手、書き手、聞き手、と手に関する言葉が多い。手がものを作らせたり、働きに悦びを与えたり、道徳を守らせたりする。日本にさまざまな品物ができるのは、自然、紀行風土であり、人間が開発した努力の跡としての歴史であり、自然と人間との交わりから生み出されてきた。品物を作ることは、自然の恵みを記録しているようなものである。伝統とは長い時代を通し、祖先たちが、さまざまな経験によって積み重ねてきたもの。そこには思想もあり、風習もあり、知恵もあり、技術もあり、言語もある。
手仕事の世界は人間の自由が保たれ、責任の道徳がよく働いている。柳宗悦は、正直な品物を褒める。
著者は、美しいとは、健康でなければならないという。美しいの中に、健康という概念を持ち込むことが素晴らしい。今まで、そのような健康と病気という視点で見たことはなかった。
柳宗悦はいう。「私たちは健康な文化を築かねばなりません。日本を健康な国にせねばなりません。それには国民の生活を健全にさせるような器物を産み育て、かかるものを日々用いるようにせねばなりません」表現は、戦争時代を迎えて、検閲に注意したとしても、いい言葉である。
その美しく健康な地域固有な品物が、手によって作られることで、心でつくり、心で受け入れられるのだという。
焼物、染物、織物、金物、塗り物、木や竹や皮や紙の細工、玩具をめぐる。
関東から始まり、江戸文化、そして江戸風な気質を見出そうとする。上野近くの田村屋のキセル、十三屋の櫛、道明の組紐。襟円の半襟。阿波屋の下駄。さるやの楊枝。榛原の和紙。永徳斎の人形。なごやの金物。平安堂の筆墨。と上げていく。ふーむ。まさに文化が手仕事で結実している。この中で残っているのは、どれくらいあるのだろうか。昭和15年頃なので、80年前のことだ。
こうやって、日本列島を北海道を除いて、東北、関東、中部、北陸、近畿、中国、四国、九州を駆け巡る。美への基準としたたかな目で探り当てていく。
機械で盛んに作られている品物に対して、惜しいかな、どこまでも営利の目的を外れないので、だんだん粗末になり、どう手を省くかについて知恵を働かしていることに嘆く。一方で、手でつむぎ、染めも正藍を用い、昔風の手機で織っている。このやり方が織物のよさをよく知り、道を守って仕事を崩さないという。そして、装飾めいたものに対しては、批判をする。もっとシンプルに生活に合うものを求める。その姿勢が、なんとも言えないなぁ。
ここで、上げていったらきりがないのでやめるが、その評価については、なるほどと思わせるものがある。柳宗悦が、今の時代に生きていたら、絶望を感じるかもしれない。時代は大きく変わり、職人は、どんどんと消え去り、長年の修行によって達成される手業が生み出されない日本が生まれているような気がする。日本の原風景が見えて、楽しい。しかし、語り口が実に爽やかなのに驚く。 -
私は日本を知らない。
この本を読んで、心からそう思う。
「吾々は日本から生まれたものをもっと愛そう」
そう柳さんは語る。
今世の中を見渡すと、有形無形に関わらず、海外のものに溢れている。
海外のものが悪いのではない。
ただ、自分たちの生まれ住む国にある素晴らしいものを知らず、海外のものばかりを「安いから」「どこでも手に入るから」と使い続けて、日本固有のものが衰えていくのは悲しいことだ。
自分たちが住むこの日本の足元をもっと見つめて、掘り下げていけば、豊かに生きていけると思う。
「便利さを買い、美しいものを売ってしまった。それは幸福か?」
と柳さんは語る。
この本の初版が出たのは、昭和23年らしい。
その頃から更に失われてしまった民藝は全国各地にあるだろう。
でも、各地で復興を目指している人たちもいる。
そんな熱い志を持った人たちを応援し、日本固有のものを尊び、守っていくことは、日本のためになると言える。
改めて、日本のことを好きになれる一冊だった。
日本民藝館に行きたい。 -
只々全国各地の伝統の手仕事を淡々と述べていて、その土地土地の気候とか環境もふくめて、人間性も知ることができた。
昔の日本人の事、日本人の器用さ性格も含めて、独特なのかな?と思いました。 -
大切な点として最後までに挙がった三つ、職人の功績、実用と美、健康の美、は手仕事に限らない。
実用と美、健康の美、ふたつの表現の違いを噛みしめる。
地図や索引もありがたい。 -
・なんで読んだか?
「民藝とは」を読んだあと、ぶるーにおすすめいただいたから。
・つぎはどうする?
とくになし
・めも
手仕事の優れた点は、多くの場合民族的な特色が濃く現れてくることと、品物が手堅く親切に作られていること。そこには自由と責任とが保たれます。
自然と歴史をもとに、固有の伝統が、特に地方に色濃く残っている。
手仕事は、いち早く外来の文化を取り入れた都市やその附近には少なく、離れた遠い地方に多いということがよくわかります。それは田舎のほうがずっとよく昔を守って習慣を崩さないからであります。それに消費者の多い都会は、機械による商品の集まるところですが、これに引きかえ生産する田舎は自ら作って暮らす風習が残ります。しかも自家使い(うちづかい)のものや、特別の注文による品は念入りに作られています。これに対し儲けるために粗悪濫造(らんぞう)した商品の方には、誤魔化しものが多くなります。手仕事の方には悪い品を作っては恥だという気風がまだ衰えてはおりません。このことは日本にとって、地方の存在がどんなに大切なものであるかを告げつでありましょう。もし日本の凡てが新しい都風なものになびいたとするなら、日本はついに日本的な着実な品物を持たなくなるに至るでありましょう。
真庭郡中和の背中当(せなあて)「胴丸」のごとき立派なものもあります。 -
民芸運動の創始者として知られる柳宗悦が、日本全国を歩いて見いだした民芸品を紹介している。
柳の民芸論は、彼の民芸運動と一体のものだった。本書の「解説」でも触れられているが、1940年におこなわれた柳田国男との対談の中で、事実を正確に報告することが民俗学の責務だという柳田の主張に対して、あるべき民芸の姿を積極的に提示し、それを推し進めてゆかなければならないと柳は主張した。こうした彼の姿勢は本書の中でもはっきりと示されている。彼は各地の民芸品が俗に流れてしまったことを嘆くとともに、確かな手仕事だけに現われる「健康の美」を取り戻すべきだという主張をくり返している。
本書の中心は各地の民芸品を紹介した第2章だが、第3章には柳の思想がコンパクトにまとめられており、柳の民芸論へのかっこうの手引きとなっている。職人たちが作った民芸品は、いわゆる「美術作品」とは違い、作者個人の名が記されていない。それらの品物は、作者の名を知らしめるために作られたのではなく、実用を旨として作られたのである。柳の功績は、こうした民芸品がもつ「美」を見いだしたことだと言ってよいだろう。
実用品は美術作品と比べて価値の低いものとみなされがちだ。ところが、それらの品物がもつ健康美が私たちの生活の中から失われてゆくにつれて、私たちの心はしだいにすさみ、日々の生活は潤いのないものに陥ってしまう。柳は、美術作品にそなわっているような「鑑賞」される「美」とは異なる、私たちの日々の暮らしを深いものにする「美」を見いだし、その価値を称揚したのである。
芹沢銈介の手になる挿絵も味わい深い。 -
214P
柳宗悦によると、日本の個性は北海道を抜いた最北と最南に出るって言ってて本当にそう思う。沖縄と東北旅行かなり楽しいもん。岡本太郎も東北の工芸にかなり注目してた印象ある。私も日本の価値って基本地方にあると思ってるから、過剰な東京賛美は意味分からない。
柳宗悦気になってたけどずっとちゃんと読んでなかったから読めてよかった。白洲正子の本が好きなんだけど、そういう空気感があって、白洲正子もかなり影響受けてそうに感じた。日本各地の工芸の解説をしてる本なんだけど、日本旅行する際に、こういう知識あったら、楽しめ方がだいぶ違うと思う。何回も再読して、日本の工芸美とか骨董に対する審美眼を鍛えたい。
柳宗悦(やなぎ むねよし)
1889年に現在の東京都港区で生まれる。1910年、学習院高等科卒業の頃に文芸雑誌『白樺』の創刊に参加。宗教哲学や西洋近代美術などに深い関心を持っていた柳は、1913年に東京帝国大学哲学科を卒業する。その後、朝鮮陶磁器の美しさに魅了された柳は、朝鮮の人々に敬愛の心を寄せる一方、無名の職人が作る民衆の日常品の美に眼を開かれた。そして、日本各地の手仕事を調査・蒐集する中で、1925年に民衆的工芸品の美を称揚するために「民藝」の新語を作り、民藝運動を本格的に始動させていく。1936年、日本民藝館が開設されると初代館長に就任。以後1961年に72年の生涯を閉じるまで、ここを拠点に、数々の展覧会や各地への工芸調査や蒐集の旅、旺盛な執筆活動などを展開していった。晩年には、仏教の他力本願の思想に基づく独創的な仏教美学を提唱し、1957年には文化功労者に選ばれた。
「皆さんも知っておられるように、日本は南北にとても細長い国であります。北は北海道という冠を頂き、大きな本州はその体であり、四国や九州の島々はいわば手足に当るような部分であります。千島の果から沖縄の先まで見ますと氷りついている寒い土地から、雪を知らない暑い国にまで及びます。寒帯、温帯、亜熱帯、その凡てを備えているのが我が国であります。面積の小さな一国でこんな様々な風土を有っている国も珍しいでありましょう。 日本は島国であります。支那のような大陸でもなければ、朝鮮のような半島でもありません。亜細亜の東に全く海に囲まれながら、長い帯でも引くように連っている島国であります。西には日本海を湛えて大陸に対し、東や南には、果しもない太平洋の海原を控えます。中央には富嶽の麗わしい姿を中心に山脈が相連り、幾多の河川や湖沼がその間を縫い、下には模様のように平野の裳裾が広がります。南は常夏の国とて、緑の色に濃く被われ、目も鮮かな花が咲き乱れ、岸辺には紫や青や黄色の魚が游ぐのを見られるでしょう。北は冬にでもなれば、満目凡て雪に被われ、山も河も野も家も、凡て白一色に変ります。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「中でも自然こそは凡てのものの基礎であるといわねばなりません。その力は限りなく大きく終りなく深いものなのを感じます。昔から自然を崇拝する宗教が絶えないのは無理もありません。日輪を仰ぐ信仰や、山岳を敬う信心は人間の抱く必然な感情でありました。我が国の日の丸の旗も、万物を照らし育てる太陽の大を讃える心の現れだと見てよいでありましょう。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「日本は美しい自然に恵まれた国として世界でも名があります。四季の美を歌った詩人や、花鳥の美を描いた画家が、どんなに多いことでしょう。前にも述べました通り、寒暖の二つを共に有つこの国は、風土に従って多種多様な資材に恵まれています。例を植物に取ると致しましょう。柔かい桐や杉を始めとし、松や桜や、さては堅い欅、栗、楢。黄色い桑や黒い黒柿、斑のある楓や柾目の檜。それぞれに異った性質を示して吾々の用途を待っています。この恵まれた事情が日本人の木材に対する好みを発達させました。柾目だとか木〔板〕目だとか、好みは細かく分れます。こんなにも木の味に心を寄せる国民は他にないでありましょう。しかしそれは凡て日本の地理から来る恩恵なのであります。自然からの驚くべき贈物でないものはありません。美しい材を用いるということは、やがて自然の美しさを讃えているに外なりません。平らに削ったりあるいはそれを磨いたりすることは、要するに自然の有つ美しさを、いやが上にも冴えさすためであります。自然を離れては、また自然に叛いては、どんなものも美しくはなり難いでしょう。一つの品物を作るということは、自然の恵みを記録しているようなものであります。そうして如何に日本が、そういう自然に恵まれた国であるかを反省することは、日本を正しく見直す所以になるでありましょう。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「それはこの地上における人間の生活の出来事であります。それが積み重なって今日の生活を成しているのであります。ですからどんな現在も、過去を背負うているといわねばなりません。吾々は突然にこの地上に現れたのではなく、それは長い時の流れと、多くの人々の力とによって徐々に今日を得たのであります。日本はもう二千余年という齢を重ね、その間に多くの祖先たちの力が合さって、今日の日本を築き上げてくれました。どんなものも歴史のお蔭を受けぬものはありません。天が与えてくれた自然と、人間が育てた歴史と、この二つの大きな力に支えられて、吾々の生活があるのであります。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「ここで私たちは、歴史を大切にすることがどんなに必要だかが分ります。大切にするというのは、歴史が積み重ねてくれたよい点を更に育てて、歴史を更になおよい歴史に進めてゆくことであります。私たちの為すべき務めは、ただ歴史を繰り返すことではありません。まして歴史に叛いたり歴史を粗末に扱ったりすることではありません。歴史の中で最も特色がありまた優れている面をよく理解して、それを更に進歩させ発展させてゆくことであります。こういう進み方が一番理に適ったものでありましょう。またそれが祖先たちの功績に報いる所以だと思われます。のみならず歴史の上に立つということは、丁度確りした大きな礎の上に家を建てることと同じでありまして、これほど安全なまた至当なことはないでありましょう。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「それ故私たちは現在の日本が伝統に基いてどんな仕事を続けているか。またかかるものにどんな価値を見出し得るかを、まず訊しておかねばなりません。それによって始めて未来の方針を正しく樹てることが出来るでありましょう。どこにどんな品があり、どんな材料があり、どんな技術があり、そうしてどんな工人たちがいるか、まずこれらのことを知っておかねばなりません。伝統の上に立つ日本を活かすためには、これらの理解がどんなに役立つことでありましょう。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「私はこれから日本国中を旅行致そうとするのであります。しかし景色を見たり、お寺に詣でたり、名所を訪ねたりするのではありません。その土地で生れた郷土の品物を探しに行くのであります。日本の姿を有ったもの、少くとも日本でよくこなされたものを見て廻ろうとするのであります。それもただ日本のものというのではなく、日本のものとして誇ってよい品物、即ち正しくて美しいものを訪ねたく思います。そういうものが何処にあり、またどれだけあるのでしょうか。どんな風に作られているのでしょうか。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「これに対し儲けるために粗製濫造した商品の方には、誤魔化しものが多くなります。手仕事の方には悪い品を作っては恥じだという気風がまだ衰えてはおりません。このことは日本にとって、地方の存在がどんなに大切なものであるかを告げるでありましょう。もし日本の凡てが新しい都風なものに靡いたとするなら、日本はついに日本的な着実な品物を持たなくなるに至るでありましょう。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「それに正直な品物の多い地方を見ますと、概して風習に信心深いところが見受けられます。時折その信心が迷信に陥っている場合もあるでしょうが、信心は人間を真面目にさせます。このことが作る品物にも反映ってくるのだと思われます。良い品物の背後にはいつも道徳や宗教が控えているのは否むことが出来ません。このことは将来も変りなき道理であると考えられます。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「概して申しますと、日本の固有な暮しぶりや、日常用いる特色ある品物は、北の端と南の端に行くにつれ、著しくなってくることであります。ここで北といっても北海道は別でして、そこは歴史がごく新しいために、これとて固有な土着ものを見かけません。それ故暫くこの旅から除くことと致しましょう。しかしごく南のはずれの沖縄は大変大切な所なのであります。日本の古い固有の姿が非常によく保たれているからであります。 これで見ますと、近代風な大都市から遠く離れた地方に、日本独特なものが多く残っているのを見出します。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「歴史は丁度根のようなものであります。根を弱めて幹や葉や花を得ようとしても健かには育ちません。仮りに活き得ても浮草のような弱いものになるでありましょう。遠く深い歴史を持つ国こそ、倒れない力に樹つことが出来ます。吾々は伝統を大切にせねばなりません。それは単に昔に帰ることではなく、昔を今に活かす所以であります。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「関東 東京を中心にして関東の地図を見ますと、その中には相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野などが現れます。それらの名の読方が難かしいのは歴史が相当に古いことを語るのでありましょう。これを東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、茨城県、栃木県、群馬県の七つに分けます。遠い南の八丈島も今は東京都の中に加わります。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「銀座のような通りは、日本の生活の一番先の端を示すものでありましょうが、西洋人が見たらどこに日本があるのかと思い惑うでありましょう。何か活気を感じはしますが、いたずらに洋風に媚びたものの多いのは残念なことであります。これに比べますとむしろ下町の方に日本らしい品が多く見られます。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「高崎近くの豊岡は張子の達磨で有名で、今も盛なものであります。凡て木型を用いて作ります。日を定めて市日が立ちますが、農家や町家などでは年々購うことを忘れません。この国も紙漉場をあちらこちらに見ます。多野郡、山田郡、吾妻郡、いずれにも仕事場を見るでしょう。この県の織物については既に記しました。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「東北といえばいわゆる「東北六県」を指します。北から数えますと、青森県、岩手県、秋田県、宮城県、山形県、福島県となります。国の名で申しますと、陸奥、陸中、陸前、羽後、羽前、磐城、岩代の七ヵ国となります。昔の「みちのく」即ち道の奥と呼んだ国の果であります。それに出羽と名づけた地域を含め、「奥羽」の名でも呼ばれました。昔は夷即ち蝦夷が沢山住んでいた地方で、方々から出てくる石器や土器がその遠い歴史を物語ってくれます。地名にも「伊保内」とか「毛馬内」とか「沼宮内」とかのように、アイヌの言葉を残す所も少なくありません。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「しかしそれらの地方を旅して見ますと、たしかに貧しいとか遅れているとかいう一面はあるとしても、大きな自然の中に住んでいるその暮らしぶりや、信心深い気持ちや、行事をおろそかにしない風習や、重くねばりこい性質や、それらのことが純朴な実着な気風を醸していることを気付きます。しかもその生活に取り入れている品物は、多くは郷土のもので、祖先から受継いだ技で拵えられたものであります。こういう風習が濃く伝わることは、大きな強みと思えないでしょうか。何よりそれらのものは日本固有の性質を示すからであります。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「これに比べますと都の人たちが今用いている大概のものは、弱さや脆さが目立ちます。仮令暮らしに進んだ面があっても、半面にかえって遅れた所があるのを見出します。かく考えますと、東北人の暮しには非常に富んだ一面のあることを見逃すことが出来ません。そこでは日本のみで見られるものが豊に残っているのであります。従ってそこを手仕事の国と呼んでもよいでありましょう。なぜかくも手の技が忙しく働くのでありましょうか。思うに三つの原因があって、それを求めているのであります。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「これらのことを想うと、東北の国々になぜ固有の品が豊にあるかを解することが出来るでありましょう。今まで何かにつけ引目を感じていた東北人は、かえって誇りをこそ抱いてよいと思います。後れていると思う品物がむしろ新しい意味を以て活き返って来るでありましょう。旅をするなら一度は北の国を訪れねばなりません。そうしてそれは二度三度の旅を誘うでしょう。品物を探し求めると、雪国は魅力ある地域となってきます。東北は日本にとって実に大切な地方なのであります。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「若松から程遠くないところに喜多方の町がありますが、ここでは良い生漉の紙が出来ます。材料は凡て楮で強い張りのある紙であります。大体福島県は紙漉の村が多いのでありまして、岩代の国では伊達郡山舟生や安達郡の上および下の川崎村や耶麻郡熱塩村の日中。磐城の国では相馬郡の信田沢、石城郡の深山田の如き名を挙げねばならぬでありましょう。昔から「磐城紙」の名で知られます。 会津の山々は雪の多いところとて、藁で出来た雪踏や雪沓や、曲木の※(木へんに累)や形の面白いのを見かけますが、かかる品を求めるには一番山奥の檜枝岐を訪ねるに如くはありません。もう尾瀬沼に近い随分不便な村ですが、ここで色々面白い品に廻り会います。手彫の刳鉢や曲物の手桶や、風雅な趣きさえ感じます。特にここで出来る蓑は大変特色があって、背を総々とした葡萄皮で作り腰を山芝で編みます。裏側が美しい網になっていて見事な手仕事であります。纏っているのを背から眺めますと、活きた熊でも動いているように見えます。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「置賜郡には小国郷のような、めったに旅人も行かない部落もあって、従って百姓の持ち物にも色々変ったものがあります。「じんべい」と呼ぶ鼻緒入の藁沓や、「にぞ」と呼ぶ蒲製の帽子や、また「たす」といっている葡萄皮で網代編にした背負袋や、いずれも民具として出来もよく形もよく、忘れ難いものであります。これらのものは時折運ばれて米沢などの荒物屋の店先に掛ります。この地方の蓑も特色があって、襟の周囲をきっと白と紺との麻糸で模様を巾広く出します。藁沓で最も出来の美しいのは西置賜郡東根村浅立の産で、仕事が極めて入念であります。見る人は誰も感心するでありましょう。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「手仕事の日本」 #読了
工業化で廃れた伝統的な手作業で作成された工芸品を紹介する本で、地域毎に作られる品に個性があるのが面白く東北など積雪地帯は耐寒用具があれば、九州は急須のような品が多かったりと必要に応じて作られた品々は機能美だけでなく外観にもこだわりがあったのがわかる。
「南村山郡の高松には「麻布」と呼ぶごく薄手の紙を漉きます。上ノ山温泉には遠くありません。この紙は漆を濾すのになくてならない紙なのであります。 蓑といえば最上郡がまた素晴らしい産地であります。この地方の蓑の特徴は模様を入れる襟巾が広いことで、色々の材料で色々の紋様を出します。蒲、稈心、科、葡萄蔓、麻糸、木綿糸、馬の毛など様々なものが使われます。新庄の市日などに在からこれを着て出てくる風俗は、都のものには眼を見張らせます。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「新庄に近い舟形村の長沢では、今もまじりけのない生漉紙を生みます。悪く作ることを知らない漉場の一つであります。最上郡の金山には盆だとか木皿だとかを作るよい店を見かけました。 最上川に沿うて西に進みますと庄内の中心に出ます。この辺は日本で一、二を争う米の産地ともいえましょうか。鶴岡と酒田の二つの大きな町がありますので、手仕事も一段と栄えました。鶴岡は酒井氏の城下町であります。店々を覗くと色々見慣れないものが現れます。ここは黒柿の細工所で、この優れた自然の賜物を用い色々のものを作ります。小箱の類から大きなものでは鏡台や机の類まで見かけます。材料が貴いためか薄手に作るので時折冷たい感じを受けますが、もう少し豊な形を与えたら見違えるほどの品になりましょう。この細工は山形でも見ることが出来ます。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「この町の絵蝋燭も世に聞えました。もとより仏事に用いるものであります。色糸でかがる手毬も名があります。煙草の道具を売る店を時折見かけますが、旅の者の目を悦ばせます。胴乱〔腰にさげる方形の袋〕だとか煙管筒だとか、色々の種類を並べますが、中で注意すべきは紙縒細工で、黒塗のも朱塗のも見かけます。大体紙縒細工は朝鮮が優れた仕事を見せますが、我国では江戸で発達しました。残念にも今は衰えましたが、私の知る限りでは伝統は羽前の国に一番よく残されているように思われます。時折百姓たちが素晴らしい胴乱を腰に下げているのを見かけます。多くは自製の品であります。煙草具で更に面白い一種のものがあり、呼んで「じんぎり」といいますが語源は審でありません。糸編みの品で、煙管入や燧石袋や、これに煙草入や火口の粉炭入など一式揃っているものでありますが、面白いことにこれには必ず強く撚った糸の総を長く垂らします。土地の人にいわせると、この糸のよじれ方で、その日その日の天候を予め知ることが出来るそうであります。町の晴雨計とでも呼びましょうか。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
『山の本棚』池内紀amzn.to/3Nbted2
古今東西、山と人、自然から生まれた言葉の森を歩く−。「楢山節考」「高野聖」「山びとの記」「手仕事の日本」「山の声」「ファーブル記」など、『山と溪谷』で12年に渡り綴った書評エッセイ全153回分を収録。#本日発売 #お薦め本
手仕事の日本
柳宗悦
名もなき工人が作る民衆の日用品の美「民藝」
大正時代半ばから二十年近い歳月をかけて日本各地で手仕事の「用の美」を調査・収集した柳宗悦は、自然と歴史、そして伝統によって生み出される美を探求し続けた。今なお多くの示唆に富む日本民藝案内。
bokenbooks.com/items/59288798
1 手仕事の日本 #柳宗悦 #岩波文庫 #読了
AIが発展している今、読んで良かった一冊。本物に触れる旅に出たくなりました。
#読書好きな人と繋がりたい
柳宗悦『手仕事の日本』を読むにつけ、北海道から沖縄まで、まだ各地の固有性が色濃い日本の姿に憧れる。
文化資本が云々とうるさい件の連中には、各地の文化的な土壌を枯らした元凶にこそ噛み付いてもらいたいね。
「鳴子温泉の「こけし」も名が聞えます。「こけし」の語源は分りませんが、人形としては特色あるものであります。北の国には「こけし」を土産物に作る所は多いのでありますが、鳴子のは絵が上手なように見受けられます。好んで赤と緑との二色で花模様を胴に描きます。慣れきった筆の跡であります。もとより「こけし」のみならず挽物で独楽だとか針入だとか様々な玩具も作ります。仙台市の木下薬師で売る木下駒は忘れ難い郷土玩具の一つといえましょう。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「もう一つこの国が他国に誇るものがあります。これは充分に誇るに足りる品物といわねばなりません。それはいわゆる「樺細工」、即ち桜皮の細工であります。樺とは樺桜のことで、山桜の一種でありますが、その皮を用いて様々な細工ものをつくります。この仕事は他の国にも稀に見られますが、今は仙北郡の角館町に仕事のほとんど凡てが集りました。同じ国の大館町にもよい仕事が見られますが、仕事は角館ほど盛ではありません。この細工は元来は阿仁の山間に発したものといわれます。樺細工はいわゆる「型もの」と「板もの」の二つに分れますが、技術としては随分進んだものであります。最も沢山作るのは胴乱で、煙草入であります。その他茶筒、茶入などは型を用いて作られ、硯箱、角盆などは板を素地とします。大きなものでは机や棚の類に及びます。樺細工は全く外国には見られず、日本の材料と日本の手技とから生れた美しい仕事の一つであります。その色や艶やまた強さは、天与の賜物でありまして、この仕事の持つ大きな強みであります。ただ近頃はこれに模様を加えることがはやって、かえって自然を人工でこわすようなものが多く、残念に思います。よい模様ならまだしも、多くはなくもがなと思われます。もし正しい形と、新しい用途とに交るなら、この手仕事は角館の名をいや広めるでありましょう。ともかく羽後の国の特産として最も誇るに足りるものの一つであります。近頃桜皮で下駄を沢山作りますが勿体ない感じを受けます。既に皮は少く貴いのでありますから、永く使えるものを作って自然からの贈物を大切にすべきだと思います。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「漆器では他の国にもっと有名な所が沢山ありますし、技でも更に優れたものが少くないでしょうが、しかし昔の格をどこか保っている点で、仮令安ものでも二戸郡のものは見直さるべきだと思います。それに土地の漆を用いる割合が多いことも大きな強みでありましょう。近頃輸出ものを作らせて洋風の形など取り入れたものまで出来ますが、歴史を深める仕事ではありません。やはり昔の格を守った椀や「ひあげ」と呼ぶ片口の如きものの方に、遥かに正しい美しさが輝きます。「ひあげ」は酒器として用いられますが、外は黒、内は朱、口の根元を黄漆で模様風に飾ります。大きいのになると堂々たる趣きさえあります。「ひあげ」は提子の転訛であります。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「南部の名といつも結ばれるものに「南部紫」があります。紫とは紫根染のことで、この紫で今も絞を染めているのは、わずか盛岡と花輪だけのようであります。共に茜でも染めます。どんな紫もこの紫根の色より気高くはあり得ないでしょう。禁裡の色となっているのは自然なことのように感じます。惜しい哉、色を出しにくかったり、日光に弱かったりする恨みはあります。染めが難かしいために、技は古来秘伝となって残されます。しかしこういう風習を破って、染方を広く世に知らせる方が正しい道ではないでしょうか。紫根染は絞染に限られる傾きがありますが、糸染をして見事な織物を今も作るのは独り下閉伊の岩泉であります。何してもこんな気品のある紫色は少いのでありますから、もっと世に流布したいものであります。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「和賀郡の成島には古くから紙漉の業が伝わります。近くの土沢でも優れた染紙の仕事が興りました。江刺郡の田茂山は金物の土地として記憶されるところ。岩谷堂は箪笥の技の伝わる町、「四尺箪笥」と呼ぶものが昔の型であります。この国の唯一の窯場としては九戸郡の久慈があります。白釉や飴釉で片口だとか鉢だとかを焼きます。近頃花巻にも窯が開かれましたが、仕事はこれからであります。よき材料があるので、よき作手を待つのみであります。花巻はむしろ人形で知られております。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「美濃の都は岐阜であります。鵜飼で有名な長良川の辺りに在る町であります。この都の名に因んだものでは、誰も岐阜提灯のことが想い浮ぶでありましょう。夏の夜軒端などに吊して涼しさを添える品であります。細い骨の上に薄い紙を貼り好んで草花などを描きます。上と下との曲木には厚ぼったく白の胡粉で割菊の紋などをつけます。優しい品のよい提灯であります。大きさや強さの美はありませんが、平和を愛する心の現れであります。その他和紙を用いたものでは、傘や団扇などがその郷土をよく語ってくれます。後者はよく「岐阜団扇」の名で通りました。漆塗の紙を用います。今に流行りませんが油団〔夏の敷物〕も和紙のものとして忘れ難い品であります。何枚も紙を貼り合せ油または漆をひきます。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「尾張で出来るもので、まず誰でも挙げるのは焼物であります。瀬戸と呼ぶ古い町が中心で、煙の勢いは今も衰えません。歴史は甚だ遠く近在に多くの窯場を産みました。それというのも良い陶土を近くに得られるからであります。瀬戸の周囲には品野、赤津などの窯があり、この系統が引いて美濃の方にまで及びました。瀬戸の町に行きますと、何百年かの窯の煙が、町そのものを黒くしているくらいであります。ここの本業窯といわれるものは、大した大きさで、中に何万個という品物を積み上げ、これを焼き上げるには一週間も松薪を燃やし続け、半月以上も冷めるのを待たねばなりません。陶土もここのは骨があり肉があるとでも申しましょうか、どこか確かりした、質の優れた材料であります。自然がこの地で陶器を作れよとさながら命じているように思えます。日本では最も古いまた大きな窯の一つであります。瀬戸で出来る品物なので「瀬戸もの」といいましたが、東海道一帯では焼物といえば多く瀬戸のものを使うため、ついには焼物のことを「瀬戸物」というようになりました。それ故この言葉は九州あたりでは通用致しません。なぜなら九州では「唐津」と呼ぶからであります。ここでも地名が焼物の一般名にまで高まった例を示します。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「日常の雑器でおそらく今一番よい品を作るのは品野であります。行平などは今も大時代の形であります。蓋物で黒字に白の打刷毛を施したものがありますが、他の窯には見当らない特色を示します。大中小とあります。この品野の窯でもっとも誇ってよいのは、土地で「赤楽」と呼んでいる土で、これでよく縦に縞を入れます。いわゆる「麦藁手」といわれるものの一つで、品野の特産でありました。色は燻んだ赤黄色のもので、よい彩を与えます。この窯でかつて長方形の片口のような擂鉢を作りましたが、惜しいことに絶えました。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「この品野と並んで瀬戸の一翼をなすのは赤津であります。ここはいわゆる「織部焼」の本場と称するところで、今も盛に作ります。昔茶人であった織部正重然の好みの焼物だといい、鉄で簡素な紋様をあしらい、所々に緑の色を垂らしたものを指します。全く和風な好みの濃く現れている焼物であります。ただ近頃のは緑の色が悪くなりましたのと、形をわざわざ曲げたりするのとで、横道にそれた仕事に落ちました。もっと素直に作ったらさぞよくなるでありましょう。この織部といつも一緒に挙げられるのは「志野」と呼ばれるもので、半透明な厚い白釉の下に、鉄で花や草などを簡素に描いた焼物であります。これもいい伝えでは茶人志野宗信の好みに出たものといいます。支那や朝鮮にない大和風な焼物を代表します。ですがこれも近頃のはわざとらしく凝ったもの多く、感心致しません。今はなくなりましたが美濃の笠原あたりの窯址から出る雑器を見ると、「織部」も「志野」も趣味の犠牲ではなかった時代のあることを語ります。いつでも本筋の仕事を追うべきではないでしょうか。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「「知多木綿」はその半島の半田が中心地で、地面の上に広げて天日に晒す様は見ものであります。三河の国では岡崎地方で出る「三河木綿」が有名ですが、水車紡績で織ったものはもうほとんどなく、機械の仕事に任せましたので特色は薄らぎました。東加茂郡旭村の「足助紙」は今も続きます。宝飯郡の小坂井にある菟足神社で売る風車は甚だ味の富んだ郷土玩具の一つであります。三州の有名な花祭に用いる「ざぜち」と呼ぶ切紙も見事な出来栄を見せます。半紙に鳥居だとか馬だとか鹿だとかを巧みに活々と切り出します。この種のものは北の国々などにも祭の時に見られはしますが、三州のは特に鮮かな図柄を示します。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「静岡県は遠江と駿河と伊豆との三国を含みます。富士の国といってもよいでありましょう。四季をその眺めで暮します。遠江の都は浜松で、ここは誰も知る機業の地、激しいほど機の音を町々に聞きます。しかしこれとて目星しい手仕事の跡を見ることは出来ません。むしろよい仕事を希う人は、取り残された状態にあります。周囲は余りにも多くの量と早い時間と、少ない費用とを目がけて進むからであります。仕事は悦びで為されるよりも、儲けのために苦しみを忍ぶ方が多くなってしまいました。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「富山に次ぐ大きな町は高岡であります。漆器も色々と出来、「錆絵」で名を売りましたが仕事が最も盛なのは銅器であります。火鉢だとか花瓶だとか、置物だとか、全国に売り出します。銅のみならず真鍮や鉄も材料となって様々なものが拵えられます。工人の数を想えばこの仕事が盛なのを思わせます。しかし高岡の銅器には末期を思わせる飾りの多い風が残って、度を過ごしたものが多く、意匠に活々したものが欠ける恨みがあります。特に置物類にこの弊を多く見受けます。それ故かえって装飾を持たない無地のものや、台所で手荒く使われる湯釜だとか七厘だとかに見るべきものがあります。なぜこんなことになるのでしょうか。銅器は飾物が多いため、仕事がとかく遊びになるからと答え得るでありましょう。これに比べ実際に働く品は着飾ってはいられませんから、自然に丈夫な身形を得るのだと説いてよいでありましょう。簡素な健康なものにはいつも勝ちみがあります。 」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「私たちは北陸道の北の端の越後に達しました。また海を渡って佐渡が島を訪ねる時が来ました。越後は信濃川のような大きな河があって、平野が広く、農事に忙しい国であります。越後米は庄内米と覇を競うでありましょう。しかし手仕事の特色あるものは、むしろ山間に求めねばなりません。越後が第一に誇りとしてよいのは「小千谷縮」であります。縮では十日町の「明石縮」もありますが、小千谷の上布に如くはありません。江戸時代この方実に見事な仕事を見せました。塩沢が今はかえって中心であります。雪に埋もれたそれらの地方は、雪水を活かして天然の晒しを施します。これがこの麻布を美しくしまた丈夫なものになします。仕事を見ると一朝一夕で生れたものではないのを感じます。多くの祖先たちの多くの経験が積み重って、驚くべき今日の技を成しているのであります。麻を裂き、緒を績み、色に染め、経を綜、機に掛け、これを晒し、これを仕上げそうしてこれを売るまでに、どんな苦労や技が要るでありましょう。縞も絣も作りました。特に絣には念を入れた仕事を見ます。ここも社会の事情に押されて、漸次仕事がしにくくなり、心を込めた品が少くなって来たことは、誠に残念なことであります。しかし本当の品を手にすれば、どんな時代でもどんな人でも、小千谷の仕事に帽子を脱ぐでありましょう。その他越後の織物としては「五泉平」の如きを挙げねばなりません。主に袴地で名を得ました。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「嫌みでも言われると思っていたら、こちらが申し訳なく思うくらい、別れを惜しんでくれて、送別の宴を開いてくれたり、花束を贈ってくれたりしたこともあった。心のなかで、怖い存在だと思って恐れていた人から、心のこもった言葉をかけられて、自分がずいぶんと人間に対して悲観的な見方をしていたのだと、逆に驚かされたこともあった。 とはいえ、どんな送り出され方をしようと、辞めてそこをあとにするときは、とても爽快な気分だった。自分が縛られていたものから解放され、これから先、どんな運命が待っているかはわからないにしろ、ずっと我慢してきた欲望を遂げるような、ある種のエクスタシーと高揚感を味わったものだ。」
—『発達障害「グレーゾーン」生き方レッスン (SB新書)』岡田 尊司著
「近畿 ここで近畿地方というのは便宜上、京都や大阪を中心に、山城、大和、河内、摂津、和泉、淡路、紀井、伊賀、伊勢、志摩、近江の諸国を包むことと致しましょう。京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、三重県、滋賀県の二府、五県になります。以上のうち京都府の北の一部と兵庫県の西の一部とは中国の部に入れて述べることと致しました。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「この旧都はまた上質の漆器を産する所であります。特に蒔絵のような技は遠い歴史に根ざして見事な仕事を見せます。しかしここでも技のみ勝って美しさに破れる矛盾を見せられます。それに一般の民衆とは縁遠いものといわねばなりません。私たちはむしろそういう著名なものに、京都の仕事のよさを求めるより、もっと小さな規模の色々な細工ものに、それを見出すことが出来るように感じます。例えば京扇の如きを挙げましょう。何も皆よいというわけにゆきませんが、品位の高い品が今も作られます。有職ものから各派の舞扇、祝扇から不断遣い、男もの、女もの、いずれにも典雅なものが用意されます。形もよく色もよく、模様も大和風を崩しません。平和で美麗で、日本味の濃いものといえましょう。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「京都は織物と共に染物でも早くから名を高めました。とりわけ「京友禅」の評判を知らぬものはありません。友禅染はその優雅な婉麗な紋様と色調とにおいて、日本味の豊な染物であります。それ故その生命ともいうべき模様や色が、近頃俗に流れがちになったのは、惜しみても余りあることといわねばなりません。よい染の道でありますから、もう一度歴史を高めたいものと思います。 著名な京染の一つに「絞」があります。今も昔の店を守るものがあって、よい仕事を見せます。様々な絞染がある中に、特に「鹿子絞」の如きは、その美しさで永く持映されるものと思います。どこか女の身形に相応しい麗しさを持ちます。元は外来のものでも、日本で育てられた染の一つとして讃えられてよいでありましょう。ただ色味を落さぬようにすることが肝要だと思います。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「同じく京都の技で忘れ得ないものに表具があります。昔は※※(上の※は衣へんに表、下の※は衣へんに背)といいました。作る者を経師屋と呼ぶのは、経巻の仕立が表具の起りであったことを示します。表装の技は誠に日本において完成せられたといってもよく、微妙な腕前を示すのみならず、優に一つの創作にまで達します。寸法の割出しは既に法則をすら生みました。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「京都は名にし負うお寺の町であります。二千カ寺もあると聞きます。ほとんど凡ての大本山がここに集ります。浄土宗の知恩院や百万遍、真言宗の東寺や智積院、真宗の両本願寺、禅宗の南禅寺や妙心寺や大徳寺、時宗の歓喜光寺、天台宗の妙法院や延暦寺。加うるに由緒の深い寺刹がどれだけあるでありましょうか。従ってそれらのお寺や信心に篤い在家で用いる仏具の類や数は並々ならぬものでありましょう。概していいますと、江戸時代は仏教芸術の末期で、見るべきものが少く、仏具もその影響を受けて、いたずらに装飾を過ごしました。門徒宗〔浄土真宗の俗称〕のお厨子の如きは贅を尽したものが作られました。しかし数ある仏具の中には簡素で健実なものがないわけではありません。真鍮製の燭台だとか仏飯器などには雄大な感じさえするものを見かけます。あるいは漆器の経机や経箱、過去帳、または応量器だとか香炉台だとか、あるいはまた過去帳台とか位牌だとかに、しばしば優れた形や塗のものに廻り会います。いつも伝灯の深さが後に控えます。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「大和の国の吉野は、誰も知る「吉野桜」を思い起させますが、この地名に因んだ品物は少くありません。世に聞えたものでは「吉野織」「吉野紙、「吉野簾」「吉野雛」など、その他「吉野絵」とか「吉野漆」など色々あって、歴史にその仕事を止めます。しかしこれらのものは時の流れに押されて、あるものは既に絶え、あるものはいたく衰え、勢いあるものを見かけません。この国で特色のあるものは桜井に見られる経木織でありましょう。珍しくもごく薄い経木を経緯に用いて織物にしてあります。壁張や襖地には好個のものであります。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「岡山は備洲の都、池田氏の城下町で、黒い烏城の姿と、緑の後楽園とは、訪う者にとって忘れ得ない景色であります。我国の著名な刀工の大半は備前備中に住んだといいますから、刀作りの術がこの地方で進んだのは申すまでもありませんが、時遷って今は昔語りとなってしまいました。金物ではわずか「備中鍬」の名が残るだけでしょうか。しかし国の名と離れたことのない著名なものは、何といっても「備前焼」であります。世に「伊部焼」ともいいます。伊部はもとより備前にある町の名であります。上に釉薬を施さず焼締めたもので、色は茶褐色を呈します。これが渋い味いを示すので、早くから茶人の間に持映されました。今も煙の勢いは絶えません。岡山にはこれを売る沢山の店を見られるでしょう。しかしどの窯でもそうですが、余り茶趣味に縛られると、仕事が本道からそれて遊びごとになってしまいます。それに趣味の中に逃げるような嫌いがあって、活々したものを失います。茶器のみならず彫刻した置物の類も多いのでありますが、末期の形に沈むもの多く、これで日本を誇るわけにはゆきません。もっと平易な通常の雑器に帰ったら、見違えるほどの力を得るでありましょう。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「出雲は旅するとまだ色々のものが眼につきます。手帚で根元を綺麗に針金で編んだものがあります。八束郡竹矢村大門の産で、丁寧な可憐な品であります。山間の仁田郡亀嵩村は「出雲算盤」で名を成しました。織物では「広瀬絣」がありましたが、不幸にも跡を断ちました。今残っているのは絞染でありますが、手技のみによる正直な品を示します。安来節で名高い安来も、近年織物に金物に竹細工に努力を払いました。能義郡山佐村で織られる「裂織」も特色あるものであります。いつも白と紺と藍との三色を用い、経糸は必ず麻にして、ひとえに丈夫を心掛けます。野良や山での仕事着として申分ありません。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「市から三、四里ほど離れたところに「因久」と名のる窯場や「牛戸」と呼ぶ窯場があります。前者は茶人たちにも聞え書物にも記してあります。これに反し後者は今まで知る人がほとんどない雑窯の一つでありました。しかしこの十五年ほどの間に新しい道で熱心に日常の器物を焼き続けました。陶土の質がとても硬く、ほとんど磁器に近い強さがあります。そこの染分の皿や鉢などは幸にも広く流布されました。よく描く蘆雁の模様は古くから伝わるもので、おそらく仕事は石州の脈を引くものでありましょう。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「四国というのは、地図がよく示しますように四つの国から成立っている島であります。讃岐と阿波と土佐と伊予と、県にすれば香川、徳島、高知、愛媛の順になります。これらの国々は昔は南海道と呼ばれた地方の一部をなします。その文字がよく語りますように、南の海にある島との義であります。北は美しい瀬戸内海を隔てて中国に対し、南は果しもない大洋を控え、暖い明るい光を浴びる島国であります。四国といえば昔から八十八箇所巡礼の国で、桜や菜の花が咲き乱れる頃、諸国から集るお遍路の白い姿が道を伝って流れるように続きます。あらたかな御慈深い観世音菩薩をまつってある寺々に、お礼を打って巡るのであります。私もまた丁度その巡礼のように、四国の品々を追って歩きましょう。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「 誰も比べて見て、天然藍の方がずっと美しいのを感じます。それ故昔ながらの阿波藍を今も用いる紺屋は、忘れずに「正藍染」とか「本染」とかいう看板を掲げます。そうしてその店の染めは本当のものだということを誇ります。また買手の方も「正藍」とか「本染」とかいうことに信頼を置き、かかる品を用いることに悦びを抱きます。これは今では贅沢ということにもなりますが、本当の仕事を敬い本当の品物を愛するという心がなくなったら、世の中は軽薄なものになってしまうでありましょう。つい半世紀前までは日本の貧乏人までが、正藍染の着物を不断着にしていたことをよく顧みたいと思います。嘘もののなかった時代や、本ものが安かった時代があったことは、吾々に大きな問題を投げかけてきます。これに対しどういう答えを準備したらよいでしょうか。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「九州というのは、もとより九つの国から成立つのでその名があります。筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、日向、大隈、薩摩の九ヶ国。それに壱岐、対馬が加わります。昔は「筑紫の島」と呼びました。今はこれを七県に分ち、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県とします。昔はこの島を、東海道や南海道に対して、「西海道」とも呼びました。西方の海にある国だからであります。地図の位置はそれが熱い地方であることを示します。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「中でも日向の高千穂は天孫降臨の地として古い物語を有ち、日本の歴史にとって由緒の深い土地であります。名にし負う耶馬溪の奇観、霧島のあらたかな峰、阿蘇のものすごき噴火など、いずれも九州の大きな自然を語ります。今この島を仮りに右と左とに分けますと、東側に当る右の方より、西側に位する左の方に、早くから様々な文化が栄えました。思うにこれは西の面が亜細亜大陸と相対し、また外国との交通が港を通して早くから行われていたのに由るのでありましょう。博多、平戸、長崎、鹿児島のような港は、海外にもその名が知られていました。それらの港を指して四つの方向から文物が入りました。一つは朝鮮、一つは支那、一つは南洋、一つは西洋であります。かくして様々な新しい知識や技術が迎えられました。それに福岡の黒田、佐賀の鍋島、久留米の有馬、熊本の細川、鹿児島の島津など、最も大きな大名たちの居城がほとんど西側の国々に在りました。これに引きかえ裏九州には、中津、大分、臼杵、延岡、宮崎、都城の如き町々はありますが、表九州の都には比ぶべくもありませんでした。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「ですが筑前では何といっても西新町の窯を挙げねばなりません。古くから「高取」の名において歴史に知られた窯であります。福岡市の郊外に在ったのですが、今は市内に編入されました。この窯はいわゆる「遠州七窯」の一つで、茶人遠州の好みの品を焼かせた所として名が聞えます。しかし他の窯の例と同じように、茶器の類にはよいものがなく、活々しているのは大捏鉢とか、水甕とか、「うんすけ」と呼んでいる口付徳利だとか、そういう台所道具の類であります。形も釉薬もよく、強くて立派な感じを受けます。またここで作る焼物の厨子も忘れ難いものであります。近頃色々な事情で仕事がやや荒れて来ましたが、もし福岡の人たちがこの窯の雑器にもっと誇りを感じ出すなら、再び力を取戻すことは決してむずかしくはないと思います。今から十年ほど前までは、堂々たるものを無造作に焼いていたのですから。久留米近くに赤坂の窯があります。西新町の系統を引く品物を焼きます。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「しかし更になお鹿児島県のものとして特筆されてよいのは「大島紬」であります。奄美大島は今は大隈の国に属していますが、元来は沖縄の一部でありました。そのため凡てに沖縄の風が残り、この紬もその影響で出来たものであります。本来は手紡の糸を地機で織ったのでありますが、段々普通の絹糸を使うようになりました。染めに特色があって、「てえち木」と称する樹の皮を煎じて染め、更にそれを鉄分の多い泥土に漬けて染め上げます。それは黒ずんだ美しい茶褐色を呈します。模様は凡て絣で出します。仕事は盛で、島を訪うと筬の音をほとんど戸毎に聞くでありましょう。特色ある織物としてこの島にとっては大切な仕事であります。近頃非常に細かい柄に進み、織締というやり方でそれを織り出しますが、しばしば度を過ごしかえって活々したものを失いました。仕事が技の末に走ると、美しさはかえって逃げ去ります。大島紬はもっと単純さを取戻すべきでありましょう。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「もとより伝統を尊ぶということは、ただ昔を繰り返すということであってはなりません。それでは停滞を来したりまた退歩に陥ったりしてしまいます。伝統は活きたものであって、そこにも創造と発展とがなければなりません。樹木は育ち来り、また育ちゆく樹木であります。吾々が伝統を尊ぶのはむしろそれを更に育てて名木とさせるためであります。伝統の生長こそは国家を大きくしまた強くする所以であります。もとよりその生長は、いつでも正しさや深さや美しさを目標として進むべきなのは言うを俟ちません。私は品物の世界において、尊ばねばならぬどんな伝統が我国にあるかを探り求めたのであります。それが明になったからには、それを更に健かなものに育てる任務だけが吾々に残されているのであります。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「ただ一つここで注意したいのは、吾々が固有のものを尊ぶということは、他の国のものを謗るとか侮るとかいう意味が伴ってはなりません。もし桜が梅を謗ったら愚かだと誰からもいわれるでしょう。国々はお互に固有のものを尊び合わねばなりません。それに興味深いことには、真に国民的な郷土的な性質を持つものは、お互に形こそ違え、その内側には一つに触れ合うもののあるのを感じます、この意味で真に民族的なものは、お互に近い兄弟だともいえるでありましょう。世界は一つに結ばれているものだということを、かえって固有のものから学びます。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
「私はここにお報らせした品々を調べるために、ほぼ日本全土を旅し、ここに廿年近くの歳月を重ねました。記した品物のほとんど凡ては私が親しく眼で見たものでありますから、ただ文献による記述よりは、活きた実状を伝えているかと思います。もっともそのうちの幾許かは早くも絶えてしまったかも知れませぬ。移り変りの激しい昨今では、その憂いがなお深いのであります。今後これを守り育てまた高めるには、日本人が日本固有のものを敬うその情愛と叡智とに便るよりほか仕方ないのであります。私は多くの人々がかかる心を養うために、この本がよい案内書となることを望んでいます。不思議にもこの種の本は、今まで誰の手によっても書かれたことがありませんでした。それ故ほんの手引になる小冊子に過ぎませんが、相応の役目は果たすことが出来るかと思われます。」
—『手仕事の日本』柳宗悦著
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一緒に全国行脚して色んな工藝を巡ってる気分を味わえて、めちゃ楽しかった〜!烏山が美しい馬具を作るところだったなんて知らんかったぞ?今となっては検索しても出てこいものもけっこうあった一方、ちゃんと残ってるものが多数あって希望を感じた!
実用品の美しさとは何か。それは実際の生活での使用に耐えうる丈夫さや使いやすさをともなった「健康な美」。健康な美こそ一番美しい!なぜなら、背後に自然の法則が働いているから。法則に従順である、この「他力の美しさ」は人間の視点からすると「不自由」「束縛」という嘆きとも捉えられるが、自然の視点からすると一番当然な道を歩くということ。むしろ「他力に任せ切るとき、新たな自由の中に入る」。
芸術品と異なり、工藝品は作った人の名を記したものはない。職人たちは、名で残ろうとするのではなく品物で勝負している。たとえ作った人が学のない無名な人で、作るものが普通であったとしても、大きな伝統の力に支えられているということを忘れず、名もないものの美しさこそもっと評価すべきではないか。
伝統を尊ぶということは、ただ昔を繰り返すということではない。伝統は活きたものであって、そこに創造と発展がなければならない。伝統を尊ぶということはむしろ連なってきた樹木の根をを更に育てて名木にするためである。
もしも我々の生活が醜いもので囲まれているなら、その暮らしは程度の低いものに落ちてしまう。一国の文化はその国民の日々の暮らしに最もよく反映される。生活を深いものにするためには、どうしてもそれは美しさと結ばれねばならない。生活の中に交えることでかえって美が深まり、確実なものになる。それこそが実用の美、健康の美。
「我々は日本の固有のものをもっと尊ぶべきだが、それは他の国のものを謗るとか侮るとかいう意味を伴ってはならない。真に国民的な郷土的な性質を持つものは、お互いに形こそ違え、その内側には一つ触れ合うものがあり、お互いに近い兄弟ともいえる。世界は一つに結ばれているものだということを、かえって固有のものから学ぶ。」
柳さんも朝鮮の文化に触れて、かえって日本のさまざまな美、民衆が創造主体の美が見えてきたということで、外に触れて内を知るというのはどの時代にもあるんだな〜と感じた!いつか日本の手仕事令和ver.を刊行したいと思いました。 -
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紙上の日本民藝紀行。各地で伝統に忠実に民藝品を制作し、自らの名を遺すことを望まず静かにこの世を去っていった無数の職人達への、畏敬の念が込められています。
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20220206008
生活の中から生まれる美、生活を彩る美。
80年前の著述だが、現在残っているものがどれほどあるのか。無くしたものを取り戻す難しさも知ることができる。 -
無名の職人たちが作った民藝品は実用に耐えるからこそ健康的な美しさを持つ。そして柳宗悦が起こした民藝運動は、民藝という新しい美の標準を蒐集して展示し、その美の性質を理論化して啓蒙し、民藝の美に即した新しい器物を生産して世に普及させることだった。
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芹沢銈介が手がけた小さな絵が魅力的。
→https://ameblo.jp/sunnyday-tomorrow/entry-12151877178.html -
どうして彼らにそんな力があるのか、どうして実用品に美しさが約束されるのか、否、用途に交わってこそ現れてくる美しさがある、そしてどうして尊ぶべき美しさなのか
結局は健全な美しさなるが故だという事実、健康なものが一番本当の美であるという心理 -
日本の手仕事、民芸の日用品の持つ美を紹介した本。日本中(北海道を除く)の手仕事を20年もかけて実際に観て回り、紹介している。ちょうど「日本民藝館創設80周年記念 民藝の日本 ~柳宗悦と『手仕事の日本」を旅する~」が開催されていたため、本書で紹介されているモノをたくさん実際に見ることが出来た。
挿絵も素晴らしいのだが、それでも紹介されているモノらが多く馴染もないことから、イメージが文章からだけでは理解しにくい点は残念。今回は展示会を観に行けたため実物を見て初めて理解したりもした。逆に元々知っていたものは、とても共感して読めた。自分の想像力不足によるものだが、やはり実際に観られるかどうかの影響は大きいと思う。特に、ダメなもの、ダメになったものが多く挙げられているが、その点が文章からは理解できない。
しかし記録・紹介しておかなければ失われてしまい、伝えることのできなくなるものを記録して残そうとしている点は非常に評価できる。また芸術的でない実用品の美、用の美に気づき紹介している点も素晴らしいと思う。 -
民芸品のミシュランガイドですね。
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実用的なものは、なぜ美しいのか。それは、実用的なものは健康的であり、健康的であるということは一番自然で、素直で、正常な状態であり、そのようなものに人は美しさを感じるからである。
著者プロフィール
柳宗悦の作品
