極光のかげに シベリア俘虜記 (岩波文庫)

  • 岩波書店 (1991年5月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (362ページ) / ISBN・EAN: 9784003318317

感想・レビュー・書評

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  • “シベリア俘虜記”というサブタイトルから、凍てつくシベリアでの過酷な強制労働を想像していましたが、中盤までは収容所隣接の事務所で働いている同僚との心温まる体験記。博学な著者の文章も上手で、まるで上質なエッセイでも読んでいるかのようです。しかし、そんな著者の境遇も、中盤の”密林のはてに”という章で懲罰大隊送りが決まって話しが暗転。俘虜としての外での労役に従事させられます。

    そこで出会ったペーチャとの会話がとても好きです。一部だけ抜き出すと、
    「俺の考えでは、世界で何人かの男がとんでもない大間違いをしでかした。……この何人かの阿呆の他には、世界中誰ひとりこんな馬鹿げた結果を望みはしなかったんだよ」

    ただ、このあとにペーチャが著者に墓地を見せた意図を、その当時も帰国後も何故なのか理解できていなかったのが不思議。強制的に捕えられたあげく、理由はさまざまでしょうが、銃弾で屠られて帰国も叶わず、そして異国の地に眠ることがどういうことか、そういう事を感じ取って欲しかったと思うんですが、どうなんでしょう?

    この後は、共産主義を刷り込む民主運動が、どのように収容所内で展開されていたかについて多くのページが割かれています。とかくシベリア抑留は過酷な強制労働に注視しがちですが、帰国して共産主義思想を持ち帰らせる一面もあったことを気づかされて、読んで良かったと思いました。

    追記:
    作中、著者が「この密林のなかに囚人の多いことは、驚くばかりである。いったい、ソビエト・ロシア全土ではどれだけの囚人がいるのだろうか?」と疑問を呈していますが、以下が参考になるかと。この数字は、著者が驚くのも当然ですね。

    小松茂朗著『シベリア強制労働収容所黙示録』(光人社NF文庫)「……少なくみても三千五百万人だ。……日本の場合、法律に抵触したことが証明された場合のみ罰せられるが、彼の国では国の必要とする労働人口に見合うだけの囚人をつくる、といわれている。」

    女性に関しても、
    小柳ちひろ著『女たちのシベリア抑留』(文春文庫)「当時、ソ連の全収容所には50万3000人の女性がいたという。その中には、ソ連人だけでなく外国人の女性も多くいた。」

  • ソビエトでの民主化という日本兵の茶番劇
    ーーー
    この茶番に、悲劇の観客のように深刻な顔をして参加しなければ、自分自身がもっと大がかりな茶番の道化にさせられるおそれのある世界を、読者よ、想像してもらいたい。

  • 醒めているが温かい目で社会を見るというのは,こういうことなのだろうと考えさせられ教えられる,シベリア抑留記録.制度で割り切って社会を了解しようとするのでもなく,人間的側面だけを見て制度を等閑視するような見方でもなく,その交差点に視点を置こうとすることで精神の平衡を保ったあり方からは,ずるずるべったりではない自立性に気付かされる.

  • シベリア抑留と聞いて極寒の中の重労働しか想像せずに読み始めた。今ではよく知られている中国文化大革命時代の非道とそっくりなことが「民主教育」の名の下で俘虜たちの間で起こっていた。また限られた情報の中で希望をもっては打ち砕かれるストレス。

    著者がエスペランティストであるという点も本書を手に取るきっかけとなったが、ナチスからもスターリンからも弾圧されていてエスぺランティストと出会うことは一度もない。ただ興味深かったのは、ザメンホフのホマラニスモは、ロシア領で生まれ育ったゆえのロシア的ヒューマニズム(庶民の異常な人懐っこさか?)の影響かもと言っているところ。ロシア語ができる高杉は、なぜそんなに?高杉はよっぽど魅力的だったのか?と思いたくなるような扱いを受けることもあって、そういうものに慣れていない現代の日本人は理解しにくい。一方そんな民族的魅力が融通の利かないソヴィエト的人間に変わってしまう怖さを感じた。

  • 4.31/108
    『敗戦後,著者は俘虜としてシベリアで強制労働についた.その四年間の記録である.常に冷静さと人間への信頼とを失わなかった著者の強靭な精神が,苦しみ喘ぐ同胞の姿と共に,ソ連の実像を捉え得た.初版(一九五〇)の序に,渡辺一夫氏は,「制度は人間の賢愚によって生きもし死にもする.それを証明されたように思った」と書いている.』
    (「岩波書店」サイトより▽)
    https://www.iwanami.co.jp/book/b246216.html


    冒頭
    『私が毎日働きに通っていた事務所は、日本人俘虜収容所の衛門から一〇〇メートルとは離れていない小高い丘の上に立っていた。』

    『 小序  渡辺一夫
    何年何月何日に、誰が、鉄のカーテンを垂れてしまったのか、僕は知らない。また、このカーテンは、羞恥の為なのか、恐怖の為なのか、それとも何の為なのか、それも知らない。ただ、同じ人間である以上、同じ小さな地球に住む弱い生物である以上、苦しみも悲しみも喜びも、お互いに語り合い、慰め合い、祝い合い、有無相通じ合うのが本当なのに、と思うだけである。』


    『極光のかげに: シベリヤ俘虜記』
    著者:高杉 一郎
    出版社 ‏: ‎岩波書店
    文庫 ‏: ‎362ページ

    メモ:
    『私は、四カ年の抑留生活のなかで、いい意味にせよわるい意味にせよ、忘れがたく心にのこったソヴィエトの人々の人間性を描くことによって、この国についてのひとつの真実を伝えたいと思った。ここで私が努力したのは、できるだけ正直に書くことと、すべてのものが政治的な時代にあるにしても、望むらくは、せまい党派的なものにかたづけてしまうことができないものの意味をできるだけあきらかにすること、であった。(「あとがき」より)』355p

    『日本の将兵六十万が一九四五年から一九五〇年まで、ひどい場合は一九五六年まで十一年間もソ連に抑留されていた事実は、「バビロンの捕囚」にも比すべき日本民族あげての歴史的な体験であった。西独のアデナウアー首相はみずからモスクワに乗りこんでドイツ人将兵の釈放を要求し、連邦議会には「戦争犠牲者の扶助にかんする法律」を上程し、帰還者を英雄として迎え、その記録を国として公的に編んだと聞いている。日本政府も、せめてその公的な記録を残すぐらいのことはしたらいいと思うのに、これまでのところ抑留を終えて帰還した日本兵たち自身が身銭を切ってやっているもののほかに、政府のそのような努力は見られないからである。
    私の『シベリア俘虜記』は、ごく限られた個人的体験を綴ったものにすぎないし、その体験についての解釈も片寄ったものであるかもしれないが、日本がかつて経験したことのなかった民族流亡の歴史の片りんを後代に伝えるひとつのよすがにはなるだろうと思う。(「岩波文庫版あとがき」より)』359-360p

  • まだ学生だった時分に先生に薦められて読んだ本。

    4年間シベリア抑留に遭った著者の文章はその過酷な体験にも関わらず、冷静で、ある種の温もりをたたえていて、一読の価値あり。ロシア人との心温まる交流も魅力。舌足らずで表現する言葉が見つからないのですが、人間って凄いなと感じる、そんな本。これ本当。

    彼にはこの本の内容に帰国後の彼の周りの出来事を加えた「往きて還りし兵の記憶」という本もあります。かつてのロシアや日本の社会主義の状況に興味のある人には面白いと思います。

  • ノンフィクション

  • [ 内容 ]
    敗戦後、著者は俘虜としてシベリアで強制労働についた。
    その四年間の記録である。
    常に冷静さと人間への信頼とを失わなかった著者の強靱な精神が、苦しみ喘ぐ同胞の姿とともに、ソ連の実像を捉え得た。

    [ 目次 ]
    アンガラ河
    「どん底」の歌
    マルーシャ
    「緑の隅」
    極光
    学校

    密林の旅
    河岸通り
    別れ
    密林のはてに
    懲罰大隊
    晩夏
    イルクーツク
    炭鉱町で
    ソヴィエト的人間
    ホルスト・ヴェッセルの歌
    帰還

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • シベリアの捕虜ってもっと厳しく管理されていたのかと思ったら、意外に自由時間があったりしたのだと知ってビックリ。囚人とは扱いが違うんですね。捕虜はただただ労働力として働かされていたというイメージでしたが、実は日本人を共産主義に染めようという意味合いも持っていたんだと初めて知りました。漠然としか知らなかった戦後のシベリア捕虜たちの話が、現実に起こったこととして肌身に感じられる内容でした。

  • シベリア抑留という事柄が具体的にどのようなことであったのか興味があって読み始めた。著者は当事者であるにもかかわらず本書について感情移入して書かれた様子がなく、常にメタ的な視点で抑留生活が描写される。
    もしかしたら、抑留中にはそのような客観的な視点で自分を見つめつづけていないと、自分を見失って精神的に追い詰められてしまったのかもしれない。ゆえに本書執筆時にも冷静な視点で振り返ることができるのかもしれない。
    そう思うと、この冷静な抑留生活の描写がより過酷なものとして捉えられるようになった。

  • 戦後にシベリア抑留された経験を持つ著者のルポルタージュ。
    究極の社会形態であるはずの共産主義の裏に潜む悲惨な現実を炙り出す。
    ロシア語と日本語をごっちゃ混ぜにした文体が物凄い好み。
    "同志"スターリンに疑問を抱きつつも最終的に肯定してしまう筆者が切ない。

  • シベリア抑留記。でも、他の抑留記とはちょっと違う。

  • 昨日から、なんとはなしに手にとりつつ、結局しっかり読んでしまった。
    かつて、自分を夢中にさせた本というものは、どんなに重要なことが書いてあっても情報を得るためだけに読んだ本とは違う、読むこと自体に喜びを感じさせてくれる。

    この本も、たしかに素晴らしいフレーズも多いが、それ以上に、全体を読むこと自体を楽しめる本である。情報を得るために、赤ペンを持ちながら、時間に急かされながら読む本ではない。

    本を読んでいるその瞬間は、著者の目を借りながら、1947,8年のスターリン政権下のシベリアを見ているのである。
    読書の喜びを感じさせてくれる本である。

  • (2005.08.29読了)(2000.11.05購入)
    副題「シベリア俘虜記」
    【日本の戦争・その⑤】
    単行本「極光のかげに シベリア俘虜記」目黒書店、1950年12月20日刊
    ●あとがき
    私は1944年8月8日に中部二部隊(名古屋)へ召集され、そこから満州2603部隊(ハルビン)へ送られた。それまで私が働いていた改造社は、戦争遂行に協力的でないという理由で、7月10日、東条内閣に解散させられたばかりであったから、私は全く収入の当てのない妻と小さな子供三人を後に残していかなければならなかった。濱江省木蘭県で一カ年間の軍事訓練を終えた1945年8月、私たちは敗戦にあい、ソ連軍による武装解除を受けたのち、10月末、集結地海林から夏服のまま、貨車でイルクーツク州へ送られた。私たちが労働力としてシベリアに送られる軍事俘虜であることに気がついたのは、沿海州を北上している貨車の中であった。シベリアでは6万数千の日本人将兵が死んだというが、私はイルクーツク州で6つの俘虜収容所を経巡った後、1949年9月末、ナホトカを経て窮乏のどん底で苦しんでいる妻子のもとへ帰った。
    初版本が、入ソ翌年の1946年から2年間を過ごした2番目の俘虜収容所―アンガラ河畔の田舎町ブラーツクから書き始められているのは、そこが私がソ連について始めて多くのことを知り、心温かい多くのロシア人に接して、忘れがたい思い出のある場所だったからである。

    スターリンによって人生を狂わされた人たちがどれだけいるのでしょうか? 東の人たちが西へ連れて行かれ、西の人たちが東に動かされ、今になって戻りたくてもどうにもならない。多くの日本人も、シベリアに連れて行かれ、長期間にわたり、働かされ、共産主義を学ばされた。そのソ連は今はない。
    ●帰還したら・・・
    ある者が、「僕は日本に帰ったらまず家の近くの温泉にでも行って夕方までの時間を過し、夜になって家の裏口からこっそり入ってゆくよ」と言うと、
    他の者は、「おれたちは何も好き好んで俘虜になったわけじゃない。大詔に従って堪えがたきを堪えているんだ。僕は白昼表口から大手を振って入ってゆくよ」と反駁した。
    第三の者は、もう我慢がならないというように、「いい加減に眼を覚まさなきゃ駄目だぜ、いやだという俺たちを、無理矢理に戦争に引っ張ってきた挙句の果てに、俘虜にまで追い込んだのはいったい誰なんだ。みんな天皇とブルジョワじゃないか。裏口や表口などの話じゃない。帰ったらみんな団結して、米をよこせ!職をよこせ!って政府に要求するんだよ」といった。
    ●労働
    「私はロシア語の勉強のために、「資本主義における労働と社会主義における労働」というパンフレットを読んだことがあるが、そこには、資本主義における労働は歓びのない強制労働であり、社会主義的労働はこれに反して歓びと創造の労働である、社会主義には強制労働は存在しない、と書かれてあった。」
    ●国際法
    横田喜三郎の「国際法」の中に「捕虜は身体と名誉を尊重される権利を有し、私法上の身分を完全に維持する。捕虜の一身に属するものは、依然としてその所有に属する」とあった。(収容所の所長の中には、そんなことなど気にせず、捕虜の所持品を調べ、目ぼしいものは取り上げ、どんどん私物化するものもいた。)

    著者 高杉 一郎
    1908年 静岡県生まれ。
    東京文理科大学英文科卒。
    改造社編集部を経て、1944年応召、ハルビンで敗戦を迎え、四年間シベリアに抑留。

    ☆関連図書(既読)
    「五十年目の日章旗」中野孝次著、文春文庫、1999.08.10
    「戦場から届いた遺書」辺見じゅん著、NHK人間講座、2002.12.01
    「パール判事の日本無罪論」田中正明著、小学館文庫、2001.11.01
    「命こそ宝」阿波根昌鴻著、岩波新書、1992.10.20

    (「BOOK」データベースより)amazon
    敗戦後、著者は俘虜としてシベリアで強制労働についた。その四年間の記録である。常に冷静さと人間への信頼とを失わなかった著者の強靭な精神が、苦しみ喘ぐ同胞の姿とともに、ソ連の実像を捉え得た。

  • この本の感想はいずれしっかりと書いてみたいものと思う。今まで読んでいなかったことが本当に残念に感じられる。
    シベリア虜囚について、政治体制とかかわりをもち影響を受けながらも、つながろうとする民衆の知と経験への信頼を失うまいとする気持ちが、俘虜としての日本人、ソヴィエトロシアの人々の当時の動きを生々しく伝えさせた。時に苛責ない記述は、今後も読み継がれ読者自身の経験の礎とされるべきものと考える。21世紀になってわたしたちはこの本で書かれていることがらの範囲外へどれだけ出れたことだろうか?文学としても、情緒に流されない描写がかえって筆者の人間的な暖かさ感じさせ、ある意味気楽に手に取れる。

  • シベリア抑留ってのは完全に国際法を無視した行為なわけですが、著者はあえてそこには一切触れない。んで、当時のソ連の体制の中で、人々がどう考えどう生きているかに凄く興味を持っていて、その視点で抑留生活を描いてる。簡単に言ってしまうと、恨み言一切無しで冷静に描いてる。で、この本は、抑留そのものが題材なわけじゃくて、20世紀に行われた社会主義っていう壮大な社会実験に対する観察記だと言えると思った。面白かった。

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著者プロフィール

(1908年7月17日-2008年1月9日)
翻訳家・作家。静岡県生まれ。東京文理科大学英文科卒業。著書に、第24回芥川賞候補作となり、ベストセラーになった『極光のかげに』(1950)ほか多数。『トムは真夜中の庭で』をはじめフィリパ・ピアスなどの一連の児童書の翻訳でも知られる。


「2022年 『不思議の国のアリス 鏡の国のアリス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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