イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003318515

感想・レビュー・書評

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  • イスラム教がキリスト教やユダヤ教と同じ神を崇拝していることすら知らなかった私のような無知者でも一通りの知識は得られた(ような気がする)イスラム教の入門書。キリスト教ひとつとってもカトリック、プロテスタント、東方教会、西方教会、ルター派、カルヴァン派など様々な宗派が存在するのと同様に、イスラム教もまた同じ聖典「コーラン」からさまざまな宗派が派生し今日に至るまで闘争し続けている理由がよくわかった。おそらくこの先も統一されることはないだろうということも。

    相関図を書かなきゃ分からなくなるくらい複雑ではあるけれども、キーワードが明示されているので整理すれば非常にわかりやすい説明になっている。


    文化というものは個人の思考を消し去り、集団を闘争に導くほど強い影響力をもっている。自分の知らない文化を生きる人たちがどういう価値観で行動しているのか。グローバル化が進む中で避けては通れない知識になると思う。

  • イスラム教の根本背景を知ることが出来た。かなりの良書だと思う。

  • ◯イスラーム文化を理解するための入門書。
    ◯大学受験で世界史を選択した者であれば、おおよそ知っている話が多いが、その文化や精神世界を改めて論理的に説明されると、なるほど、理解が深まり、面白い。
    ◯歴史的なイランとイラクの相克や、トルコやエジプトに関するイスラーム世界での立ち位置なんかも知ることができる。
    ◯現代の中近東における国際政治の動向を知る上でも、導入書としてオススメの一冊。

  • 井筒俊彦氏(1914~1993年)は、日本で最初の『コーラン』の原典訳を刊行した、イスラーム学者、言語学者、東洋思想研究者。アラビア語、ペルシャ語、サンスクリット語、ギリシャ語等30以上の言語を流暢に操る語学の天才と言われ、多くの著作が英文で書かれていることから、欧米での評価も高い。
    本書は、1981年に著者が行った講演を基に同年に出版された作品を、1991年に岩波文庫から再刊したものである。
    本書は、副題に「その根柢にあるもの」と付けられているが、その意図について著者は、「「根柢にあるもの」と申しますのは、教科書風、あるいは概説書風に、イスラーム文化の全体を万遍なくひととおりご説明するのでなしに、ひとつの文化構造体としてのイスラームの最も特徴的と考えられるところ、つまりイスラーム文化を他の文化から区別して、それを真にイスラーム的たらしめているものをいくつか選びまして、それを少し掘り下げて考えてみたいということでございます」と言い、①イスラーム文化の宗教的基底、②イスラームの法と倫理、③イスラームの内面への道、という3つの側面についての考察を語っている。
    そして、講演を基にした滑らかな文章を読み進めるうちに、コーランとは? ユダヤ教・キリスト教・イスラームの関係は? イスラームの神アッラーとは? ムハンマドとは? イスラーム法とは? メッカ期とメディナ期(の違い)とは? 共同体(ウンマ)とは? ハディースとは? ウラマーとウラファーとは? シャリーアとハキーカとは? スンニ―派とシーア派(の違い)とは? イマームとは? イスラーム神秘主義(スーフィズム)とは?。。。等の、イスラームのポイントが次々に明らかにされ、まさに「イスラームとは?」が浮かび上がってくるような気がするのである。
    近時、イスラームに関する書籍は数多出版されているが、イスラームの根柢にあるものをこれほどわかりやすく、かつ簡潔に語ったものは少ないのではないだろうか。
    30年以上前の著作であるが、イスラームを理解する上で比類ない良書と思う。
    (2018年4月了)

  • これまでに10冊ぐらい読んできた様々なイスラム教/ムスリム文化の解説書の中では一番読みやすかった。文庫サイズでここまで理路整然と論を展開する本に出合えるとは思っていなくて、嬉しい喜び。

    アラブのスンニ派とイラン人(ペルシア人)のシーア派は対照的な信仰体系を持ち、内的矛盾を抱えているものの、その矛盾も包括して全てを統一しているのが「コーラン」であること。

    コーランは神の言葉であるがそれを解釈するのは人間的な営みであり、どう読むかは個人の自由に任されていること。それによりイスラムの多様性、多層性が生まれていること。

    コーランにおいては聖俗の区別はなく、すべての営みがイスラームの範囲に入るため、生活のすべてが宗教になること。そのため、協会と世俗とを切り離すキリスト教とは、ルーツを共有するにも拘らず決して相いれない対立が生じること。

    イスラーム発祥の時期のアラビア世界において常識だった「血の共同体」を破壊することによって、単なる「アラブの宗教」だったイスラム教が一般性・普遍性を獲得できたということ。

    外面にある共同体を探求する道と内面にある密教的な要素とが混在する中で、外面を探求する側が体制派となり内面的イスラームであるシーア派が迫害に晒され、それが現在も続く禍根となっていること。
    こうした、外面を辿る顕教的要素と内面を突き詰める密教的要素とが緊張感をもって混ざり合うことで、多層的な文化を織り成すのが即ちイスラームであること。

    ほかにも、書ききれないほど多くの「イスラム教の基礎知識」が解説されています。これまで、いろいろと呼んでみてもイマイチしっくり理解できなかったシーア派とスンニ派の対立の軸や原因が、この本でだいぶ腑に落ちました。
    イスラム入門書にもなりえるし、自分のようにいくつか読んでみたら余計わからなくなったという人の論点整理にも使える本だと思います。

  • 図書館で借りた。
    イスラム学者が書く、イスラーム文化とはを文庫で短くまとめた本。イスラム教と簡単に言うが、それはどんな世界観なのかを学べる。講演を聞く感覚で通勤時に読み終えた。
    私にとってはある程度他の本などでイスラムに関する知識の下積みは得ていたつもり、その上で深掘り・深みを得るには丁度良かった感触。満足。

    「予言者」と「預言者」の違いはハッとさせられた。
    イスラムとムスリムは同じ語源で、語形変化であるというのは知らなかったので驚き。

  • 非常に読みやすい

  • 第14回アワヒニビブリオバトル「根」で紹介された本です。
    2016.06.07

  • “言い換えますと、イスラーム法とは、神の意志に基づいて、人間が現世で生きていく上での行動の仕方、人間生活の正しいあり方を残りなく規定する一般規範の体系でありまして、それに正しく従って生きることがすなわち神の地上経綸に人間が参与することであり、それがまた同時に神に対する人間の信仰の具体的表現となるのでありまして、その意味でイスラーム法がすなわち宗教だといわれるのであります。“

    例えば日本文化について3つのテーマから述べよ、と言われたら、仏教や神道などの宗教をテーマの一つに選ぶことはあるだろう。
    しかし、法について、というのはどうだろう。
    ちょっと思いつかない。
    漠然とした「文化」なるものをどう切り分けるか、そこに各文化の特色が表れているとしたら、私たちの文化とどう異なっているのか、というのが本書を手に取った動機だった。
    テーマは別れているが、副題の「その根底にあるもの」についての切り口が異なるだけで、常にイスラーム文化の核を見定めようとする姿勢は一貫しているのだと読み始めて気がついた。
    期待以上の内容。


    読書メモ
    ① 宗教
    001 イスラーム文化の国際的性格と複雑な内部構造
    002 「砂漠的人間の宗教」という誤解
    003 商業専門用語に満ちた聖典
    004 商業取引における契約との類似
    005 アラブ(スンニー派的イスラーム)とイラン人(シーア派的イスラーム)
    006 すべてのイスラーム的なものを集約する聖典『コーラン』
    007 イスラーム文化は究極的には『コーラン』の自己展開である
    008 『コーラン』と『ハディース』、第一の啓示と第二の啓示
    009 『ハディース』というプリズムを介した『コーラン』の解釈の多様化
    010 『コーラン』の解釈学的展開こそイスラーム文化の形成史
    011 『コーラン』の特徴①神の言葉のみを綴った単一構成の書物
    012 その②聖俗不分、「神のものは神のもの、カエサルのものも神のもの」
    013 坊主のいない宗教
    014 神と人の垂直関係と「預言者」という中間項
    015 「イスラーム」=「絶対依嘱」
    016 「子もなく親もなく、これとならぶもの絶えてなし」
    017 非連続的存在観と原子論的存在論、因果律の存在しない世界

    ②法と倫理
    018 「コーランの歴史」20年、前期メッカ期と後期メディナ期
    019 「神の倫理学」
    020 メッカ期の不義不正を罰する復讐の神
    021 「怖れ」=「信仰」
    022 メディナ期の慈悲と恵みの神
    023 「感謝」=「信仰」
    024 イスラーム教徒、嘘つかない
    025 実存的宗教から社会的宗教、個人から共同体へ
    026 砂漠的人間の精神(血の連帯感)の廃棄
    027 「物を盗んではいけない」は神がそれを悪いことと決定したから
    028 「最後の預言者」の死と「ハディース」による補完
    029 神の言葉という非合理的な啓示を合理的思惟によって解釈する
    030 神の言葉そのものではなく、それを理性によって合理的に解釈したものこそがイスラーム法である
    031 我々の法律は普段法の網の中にいることを意識せず、法が出張る事態となって初めてその存在に気がつく
    032 イスラーム法は規範として常に意識される
    033 自由解釈の禁止
    034そしてイジュティハードの門は閉じる

    ③内面への道
    035 二つの「知者」、ウラマーとウラファー
    036 ザーヒリー的イスラーム、バーティニー的イスラーム、顕教と密教
    037 シャリーアとハキーカ、イスラーム法と内面的実在性
    038 二つの「内面への道」
    039 シーア派的イスラームと神秘主義的イスラーム(スーフィズム)
    040 シーア派のイマーム=内面的預言
    041 外的啓示は終わったが、内的啓示は続いている
    042 十二代目イマームの蒸発
    043 「小さなお隠れ」と「大きなお隠れ」
    044 不可視の次元、精神の王国の支配者

  • ドゥテルテがほんとに大統領になったら、フィリピンのイスラムとの関係はどう変わるんだろうねえ、なんていう仕事での絡みは少し薄くなった今日この頃。でも不勉強はいかんと「世界的権威がやさしく語った、知っておくべきキホン」と帯にあったこの本を。とはいえ、「第一にシャリーア、宗教法に全面的に依拠するスンニー派の共同体的イスラーム、第二に、イマームによって解釈され、イマームによって体現された形でのハキーカに基づくシーア的イスラーム、そして第三に、ハキーカそのものから発出する光の照射のうちに成立するスーフィズム、この三つのうちどれが一体、真のイスラーム、真のイスラーム的一神教なのか。それぞれが自分こそ真のイスラーム的一神教を代表するものだと主張して、一歩も譲りません。イスラーム文化の歴史は、ある意味ではこれら三つの潮流の闘争の歴史なのです。」という感じなのでまだまだ「理解」には程遠いです。

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著者プロフィール

1914年、東京都生まれ。1949年、慶應義塾大学文学部で講義「言語学概論」を開始、他にもギリシャ語、ギリシャ哲学、ロシア文学などの授業を担当した。『アラビア思想史』『神秘哲学』や『コーラン』の翻訳、英文処女著作Language and Magic などを発表。
 1959年から海外に拠点を移しマギル大学やイラン王立哲学アカデミーで研究に従事、エラノス会議などで精力的に講演活動も行った。この時期は英文で研究書の執筆に専念し、God and Man in the Koran, The Concept of Belief in Islamic Theology, Sufism and Taoism などを刊行。
 1979年、日本に帰国してからは、日本語による著作や論文の執筆に勤しみ、『イスラーム文化』『意識と本質』などの代表作を発表した。93年、死去。『井筒俊彦全集』(全12巻、別巻1、2013年-2016年)。

「2019年 『スーフィズムと老荘思想 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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