意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)

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  • 岩波書店
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レビュー : 35
  • Amazon.co.jp ・本 (417ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003318522

作品紹介・あらすじ

東洋哲学の諸伝統の分析から得た根元的思想パターンを己れの身にひきうけて主体化し、その基盤の上に新しい哲学を生み出さなければならない。本書はこうした問題意識を独自の「共時的構造化」の方法によって展開した壮大な哲学的営為であるが、その出発点には自分の実存の「根」が東洋にあるという著者の痛切な自覚があった。

感想・レビュー・書評

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  • 帰省時に改めて読み直した。大学入って最初に読んだ本。半年かけて1/3くらいしか読めんくてそこで断念した。
    わかりやすいのに、1時間かけて数ページしか読み進められないっていう内容のその密度と伏線の張り具合に対して半年かけて戦ったおかげで、読書へのキャパシティが異常にあがった。そのおかげでそれ以降本読むこと自体のハードルが異様に下がった。
    無意識を通した文化、宗教、言語が人の捉え方にどう影響するかっていう内容自体、全て自明のもんだと思ってた自分にとって全て新しくて、それからの人の思考過程に対する興味はこの本が原体験になって派生した。
    東洋の思想が豊かだったっていう主張も、西洋が一番かっこいいし進化してるぐらいの知能やった自分にとって、目から鱗やったし、他の文化をもっと知りたいっていう志向性に繋がった。ひいては二元論的なものの見方を避けようと思うようになった。
    っていう色んな点で、自分の原体験の一つになってる。読んでよかった本ナンバーワン

  • この本に出逢って、どのくらいの時が過ぎただろう。

    ”写真を撮る”ということが自分の業で、それにはその対象の本質を掴むことが必要であるとの思いから、この本を読み始めた。

    井筒先生のことを司馬遼太郎は、「天才20人」が一人のひとに凝縮されたようなものだと語っている。

    この著作を読み進めるうえでは、少なくとも仏教、イスラム教、朱子学、言語学、現象学、西洋哲学といった思想・思考を知っておいたほうが良い。


    30カ国語ができた井筒先生は、そうした思想を原典で読んでいる。

    おそらく、メルロ=ポンティやハイデガーなどの著作はリアルタイムで読んでいる筈だ。

    基礎的な著作がひどいときには20年遅れで翻訳・出版されるこの国の文化程度を軽軽と越えていた人だ。

  • 極めて難解。降参。「本質」について、東西や古今の宗教・哲学・様々な文化の立場から、どう捉えられていたのか、どう位置付けられていたのかが解説されている。人間はそのものの本質に基づいて、物を認識し、評価しようとするとうことか???背景となる仏教や哲学を理解しないとこの本はわからない。

  • 以前読んだ『マホメット』『イスラーム文化』の著者であり、東洋哲学者。また、イスラム研究家でもある井筒俊彦さんを読む。
    他の方のレビューを拝見するととても評価が高くきっと素晴らしい本なんだろうと思い、つい手にとってしまったが、極めて難解である。
    どれ程の知識を持ってすればこの様な本が書けるのか、改めて著者の天才ぶりに脱帽す。
    本質は西洋哲学が有であるなら東洋哲学は無であり、それぞれは背景にある宗教的は排除出来ない。
    p233より、
    「ア」(a-)はサンスクリット語では否定を表わす接頭語である。「非×」、「不×」、「無×」、どんなものをもってきても、「あらず、あらず」とそれは言う。経験的事物、事象の一切をあますところなく否定する「ア」は、確かに無的、無化的性格をもつ。

  • 分厚い氷の上を滑るようだ。
    p41 我々が何故に本質を求めるのか。もの事に同一性を認めることによって、既知とする。これによって、再利用が可能となり、(ある程度の)予知が可能となる。
    p241 「神は世界を創造した」というのは、言語によって世界を表現したという理解でよいのか。世界を記述する表現の無限性、あらゆるものを内包しうる事を神性に喩えるということだろうか。
    前段に、「文字の組合わせ」を変えると世界が変る、とあった。
    「太始に」とは時間的始まりを意味しない。〜どの一点を取って見ても、そこに必ず太始がある、これは道元の世界にも通ずるか。

  • サブタイトルは精神的東洋を索めて。

    その精神的東洋について西洋という対象軸を明示しつつ論じている。今日的な通念=西洋的思考とは違う知の在り方が詳らかにされる。

    東洋を知ることで、私たち日本人がいかに言葉至上主義的なロゴス的な西洋的思考で世の中を見ているかを思い知ることができる。東洋に身を置きながら、東洋的な思考態度を削り取られていることに気づく。もちろん、そのエッセンスは私たちの内奥に伏在している。よくも悪くも借り物のモノサシを当てがわれている。
    イスラームがやはり自分としては興味深い。地球規模で考えるとおよそ4人に1人はムスリムという事実。これが何を意味するか。
    カッバーラーも面白い。

    西と東を縦横無尽に往来して知の舞台を賑やかに描き出してくれた著者に敬服。
    ★5つでは足りない。

  • 何かの雑誌でオススメとなっていたので興味をもち、図書館で借りてみたものの、難解過ぎて投げ出した。。

  • 圧巻。まさしくこの書物を読むことが、想像力の領域に蓄積されているものを呼びさましていく作業であって、イメージ言語そのものだと思った。神なき時代の信仰は他者としての「コトバ」によりて成立する。

    想像力というのは、イメージとしては「川」のようであって、それを個々の深層に潜む「無」の自己展開による奔流として捉えれば、想像力というのは、限りなく人間が呼吸することや、「いのち」の語によりて名づけられるものに接近していく。そして経験的世界、現実世界において、その「川」の営みを統合していくことが、漸次的に「神」を現出させ、また「神」を展開させていくこととなろう。そしてその際に、必要になることは、想像力の領域に漂い現出を願う「他者=神」を、「コトバ」によりて掬いだすことだ。そこに現れる『コトバ』こそ、「神的言語」であって、それは即ち、「存在」としての「言語」として定着する。おそらく「言語」とは、突き詰めていけば、神の自意識ということに話は収束するだろう。


    ●以下引用

    シンボルとは、神の内面が外面に現れるに際して取る根源的イマージュ形態を、人間が、人間の側から眺めたもの

    マンダラとは、「正覚」を得た人の深層意識に現れた一切存在者の形姿の図示

    神のコトバー神である言葉

    神秘の世界としての存在世界は、神のコトバの世界、紙の根源的創造力である神的言語の自己展開に他ならない

    どの一点をとってみても、そこに必ず『太始』がある。神の創造の業は、時々刻々に新しく、しかも同一の過程を通って、吾々の前面に、そして我々自身の内部に実現している。

  • 井筒俊彦氏の『意識と本質』読み終わり、その内容の素晴らしさに著者へのマジ・リスペクトをせざるを得ない。膨大な東洋思想を共時的にまとめたのである、私は帽子を脱がざるを得ない。本質否定論の代表である禅はもとより、本質肯定論を深層意識、または表層意識で成立するのかで3型に分類しており、大枠での把握を容易なものにしている。ますます人を雁字搦めにする物語・神話・常識が跋扈する今日、本質について考えることは不可欠であると感じる。

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プロフィール

井筒 俊彦
1914年、東京都生まれ。1949年、慶應義塾大学文学部で講義「言語学概論」を開始、他にもギリシャ語、ギリシャ哲学、ロシア文学などの授業を担当した。『アラビア思想史』『神秘哲学』や『コーラン』の翻訳、英文処女著作<i>Language and Magic</i> などを発表。
 1959年から海外に拠点を移し英文で研究書の執筆に専念し、<i>God and Man in the Koran</i>, <i>The Concept of Belief in Islamic Theology</i>, <i>Sufism and Taoism</i> などを刊行。
 1979年、日本に帰国してからは『イスラーム文化』『意識と本質』などの代表作を発表。93年、死去。『井筒俊彦全集』(全12巻、別巻1、2013年-2016年)。

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