狂気について―渡辺一夫評論選 (岩波文庫)

著者 :
制作 : 大江 健三郎  清水 徹 
  • 岩波書店
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レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003318829

感想・レビュー・書評

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  • フランス・ルネサンス研究やラブレーの翻訳で知られる仏文学者 渡辺一夫の随筆集。暴力・狂気(非理性)・不寛容を静かに峻拒し続けたユマニスト(人文主義者、ヒューマニスト)。僕だったら理性や合理主義に或る種の抑圧や頽落を見出して己の疎外の源泉としてしまうところであるが、渡辺は理性的であることの良質な部分を決して手放そうとはしなかった。彼は、宗教戦争が酸鼻を極めた16世紀フランスに於いて穏当な理性と健全な懐疑主義と寛容とを保持したラブレー、エラスムス、モンテーニュを評価する。

    モンテーニュ『エセー』からの次のような引用は、現代日本に於ける排他的愛国心の跳梁を思うにつけ、実に印象的である。"私は一切の人間を同胞と考え、・・・民族的な関係をば、全世界的な一般的な関係の後に置く。・・・我々の獲得したこの純粋な友情は、共通な風土や血液によって結合された友愛に普通立ち勝っている。自然は、我々を自由に、また束縛せずに、この世に置いてくれた。しかるに我々はペルシヤの王たちのように、我々自身をある狭い地域に跼蹐せしめているのだ。このペルシヤ王たちはコアスペス河の水より他に水を飲まないという誓いを立てて、愚かにも他の一切の水を用いる権利を自ら抛棄し、従って彼らから見れば、他の世界はすべて涸渇しているわけであった。"

    「文法学者も戦争を呪詛し得ることについて」
    平和時の人間に物質主義的堕落を見て戦争を精神主義的に賛美しようとする議論に対して、モーパッサンを引きながら、戦争を起こして利益を得ようとすることこそが物質主義であるとする箇所は、極めて痛快であり、昨今の幼稚な反平和的言辞に対する鋭い批判である。物質主義が戦争を求め、不寛容が戦争を支持する。

    「人間が機械になることは避けられないものであろうか?」
    政治・経済・法律・社会・宗教・学問 etc. の諸制度が物象化して官僚制に堕するとき、人間は制度の手段として巨大機構の歯車と化してしまう。諸制度を常にヒューマナイズし続けることが必要だ。つまり、人間性の観点から批判し続けること。

    「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」
    異物排除の欲望に覆われた社会は、次の文章を読んで寛容について再考すべきではないか。"秩序は守られねばならず、秩序を紊す人々に対しては、社会的な制裁を当然加えてしかるべきであろう。しかし、その制裁は、あくまでも人間的でなければならぬし、秩序の必要を納得させるような結果を持つ制裁でなければならない。更にまた、これは忘れられ易い重大なことだと思うが、既成秩序の維持に当る人々、現存秩序から安寧と福祉とを与えられている人々は、その秩序を紊す人々に制裁を加える権利を持つとともに、自らが恩恵を受けている秩序が果して永劫に正しいものか、動脈硬化に陥ることはないものかどうかということを深く考え、秩序を紊す人々の中には、既成秩序の欠陥を人一倍深く感じたり、その欠陥の犠牲になって苦しんでいる人々がいることを、十分に弁える義務を持つべきだろう。"

    不寛容が溢れる現代に於いてこそ貴重な、懐の深い理性に包まれた評論集である。

  • カトリーヌ・ド・メディシスの遺骸が辿った歴史が興味深かった。ミイラ化した脚は本当に彼女のものなのか・・・、本物が見たいような見たくないような。

  • 「ユマニストのいやしさ」をはじめ、フランスルネッサンス人たちに対する論考は、そのまま自身の戦争体験の批判と同時に弁明になっているのだが、「俺は馬鹿だから反省しない」と居直ったほぼ同年代の小林秀雄と比較したときに深く考えさせられるものがある。

  • 全部は読んでいないが、気になる章をいくつか読み終わった。「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」は必見。

  • 「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容であるべきか」
    これだけはお読みください。

  • 文学者の本を読んだことがなかったので、2,3章は内容が頭に入ってこなかった。文章自体が難解な上、書いてあることもよくわからない。自分のアホさを思い知った。
    他の章はエッセイ的で分かりやすく書いてあり、楽しく読めた。高名な文学者でも自分と同じような事で悩んだりしているのだなぁ、と、少し安心したりも。

  • 読んだのは「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容であるべきか」。実は、先輩教員に「この評論は中3あたりに読ませるといい」と薦められて読みました。1951年のエッセイです。

    ただ、僕の感想はいまいち。問いのたて方は確かに面白いし、扱い方によってはすごくアクチュアルな問題なんだと思うのだけど、この人の議論自体には全然説得力を感じなかった。この人の答えは「不寛容であるべきではない」のだけど、近代主義的なヒューマニズムを無条件に信頼しすぎていて、その根拠を説明しないまま、「寛容はいつか不寛容に勝つ」と話を進めてるんだよね。もしかして「進歩的知識人」ってこんなに能天気なのかしら、とちょっと失礼なことも思ってしまった次第。

    あと、すごく気になるのは、普遍的ヒューマニズムが持つ抑圧的側面や、「相手が普通の人であればいつか寛容が勝つ」の「普通の人」を誰がどう認定するのかという問題について、何も語られていないところ。それから寛容が不寛容に立ち向かう過程で(ガンジーみたいに)犠牲を出すのもやむを得ないとしているんだけど、この人絶対自分が死ぬとは想定してないよなという気もした。こういう疑問は今や当たり前のものだと思うのだが、それに言及されていないのは時代的制約なのかな(もちろん、同じ意味で僕自身も今という時代的制約の中にいるわけだが)。

    あくまでこの評論一つ読んだ感想だし、渡辺一夫さんの思想や当時の時代状況やらについてはまったく無知なので、★2つはあくまで暫定的評価ということでお願いします。名高い評論だそうなので、ひどい読み方をしてるやもしれん。

    しかし先輩、これを中3に読ませるのはさすがに難しいのではないでしょうか・・・?

  • 何故か「我らが狂気を生き延びる道を教えよ」がリストに無い

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プロフィール

1941年、東京生まれ。青山学院大学卒業。出版社勤務後、79年からフリーランスの編集・ライター。川で釣りをしている最中に石ころに興味を持ち、それから日本のみならず海外を含めた川原や海辺へ行っては石ころを捜し求めている。自称、「石ころ探し人」。著書に『日本の石ころ標本箱』『石ころ採集ウォーキングガイド』『集めて調べる川原の石ころ』(誠文堂新光社)、『川原の石ころ図鑑』『海辺の石ころ図鑑』(ポプラ社)など多数。

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