論語 (岩波文庫)

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  • 本 ・本 (430ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003320211

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  • 論語は古典中の古典である。

    江戸時代の総ての知識人は論語から学びを始めて、読書百遍意自ずから通ず、そこから自分の立ち位置を考え、生活設計をした。

    荻生徂徠は、朱子学から始めてそれを政治に活かして江戸封建思想の基礎を確立したが、それも論語を批判的に読んだものだ。

    その政治を批判した大塩平八郎は陽明学を基礎としたが、それも論語を批判的に読んだものだ。

    更にそこから派生して佐久間象山は技術は海外から学んだが、頭は儒学から抜け出していない。その「和魂洋才」が明治維新を成立せしめた。

    一方で町人には「仁義礼智忠信孝悌」の「八犬伝」の様に、なんとなく「仁=愛」が最高哲学との理解がされた。

    また、本来は徳川封建制度の理論的支柱だった身分制度を保証する「名分」論が、幕末には、尊王思想の支柱に転換するなどの変化が起きた。

    だから、それら本となる「言葉」を知るのは大変意義があるだろう。

    そもそも、日本の思想はアガペーとか、エロスとか、そういう思想ではない。玉ねぎを剥いでいけば、跡形もなくなる様な雑種文化だ。しかし、どういう皮を、どのように纏ってきたのか、日本人の思想をスケッチしようとすれば、その過程を記録するに如(し)くはない。

    と、言うわけで(←前置きが長い!)初めて全面的に論語を読むことにした。昔人は人生を懸けて読んだので、曖昧には読めない。ずっと棚晒しにしてきたけど、オーディブルならば12時間で聴き取れる。と思った。もう完全に初心者なので、気がついたことしか、メモしない。しかし、聞き始めて直ぐに気がついた。これはテキストを傍らに置いて聞かないとさっぱりわからない(^^;)。而して、時に併読、時に黙読せり。

    これは私の「独習」ノートである。
    読み下し文の後には〈〉や()で、編者による現代文を付している場合がある。
    ←は、私の解釈、並びに気がついた事を書いた。
    約6千文字になるので、当然無視したり、飛ばし読みOKです。が、元より論語は物語ではないので、拾い読みでも充分OKです。古典中の古典なので、コメント頂ければ、議論が深まって嬉しい。


    巻第一
    ・「君子」とは徳の習得に励む人、又は出来上がった人、らしい。
    ・「孝」父母に支えること「悌」兄弟に仕える「仁」は最高の徳目
    ←君子は一種理想の人であり、君子政治家は果たして孔子の時代に存在していたのだろうか。
    ・子曰く、学びて時にこれを習う(適当な時期におさらいする)、亦た説(よろこ)ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずして(人がわかってくれなくても)うらみず。亦君子ならずや。
    ・巧言令色すくなし仁 
    〈言葉巧みの美男には殆ど無いものだよ、仁の徳は〉
    ・子曰く、われ十有五にして学を志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳したがう。七十にして心の欲するところに従って、のりをこえず〈道を外れないようになった〉。
    ・子曰く、古きを温めて新しきを知る。以て師となるべし。
    ・子曰く、学んで思わされば則ちくらし(ものごとはハッキリしない)。思うて学ばざれば則ちあやうし(独断に陥って危険である)。
    ・子曰く、その鬼に非ずしてこれを祭るは、諂(へつら)いなり。義を見てせざるは、勇なきなり。(ためらって決心がつかないのだから、臆病ものである)
    ←巻第一は、有名な言葉がとても多い。蓋し、最初の頃だけ十分に学んで熟読した者が多かった、「学びて時に習わ」ざる学究が多かったということだろう。

    巻第ニ
    「成二は説かず、遂事は諌めず、既往は咎めず」
    ←いたずらに物事を刺激してはならぬ、という意味らしい。

    木鐸 振り子でできた小さい鐘で文教に使う。文化的な指導者の例え。
    ←「新聞は社会の木鐸」などと使われている。論語に出ていたのか!そうなっているのか?最近では、新聞人自身が「そんなの知らねー」という態度のような気がする。

    子の曰く、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
    〈私心がないから、人を愛することも出来、人を憎むことも出来る。〉
    ←「好み」を編者は「愛する」と訳している。

    子の曰く、朝に道を聞きては、夕べに死すとも可なり。
    ←覚えておきたい。

    子の曰く、君子は徳を懷い、小人は土を懷う。君子は刑を懷い、小人は惠を懷う。
    〈荻生徂徠「治者が徳を思えば被治者は土地に安住し、治者が刑罰を思えば被治者はお情けを思う」〉
    ←徂徠の解釈は、どれも突飛。

    曾子の曰く、夫子の道は忠恕のみ
    ←注 忠は内なるまごころに背かぬこと、恕はまごころによる他人への思いやり。

    子の曰く、3年、父の道を改むること無きを、孝というべし。
    〈(死亡から)3年、父の方針を変えてはならない〉
    ←かなり厳しい掟。喪の期間は3年。北朝鮮将軍様でさえ、3年間喪にふくした。しかしながら、孔子は「喪を一年で終わらせてもいいですか」との問いに「お前がそうしたいならすればいい」と答えている(巻第9)。唯だ「父親が死んだら、3年間何食べても美味しくないのが自然ではないかね」と釘も刺している。

    子の曰く、徳は孤ならず、必ず隣あり
    〈道徳ある者は孤立しない。必ず仲間があるものだ。〉
    ←「徳」を「道徳ある者」と訳するのは疑問あり。

    第三
    子貢を評して 器という
    〈「器物として限界はあるが、有用な人材としてどこにでも推薦出来る」〉
    ←そういう弟子っているよね。

    子、子産をのたまわく、君子の道四つあり。その己れを行うや恭、その上につかうるや敬、その民を養うや恵、その民を使うや義。
    〈恭しく、慎み深く、情け深く、正しいやり方。〉

    李文子、三度思いてしかるのちに行う。子、これを聞いて曰く、再びせばこれ可なり。
    ←(考えすぎは良くないよ)

    子曰く、「賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷にあり」
    〈「えらいものだね、回は。竹のわりご一杯の飯と瓢のお椀一杯の飲み物で、狭い路地の暮らしだ。」〉
    ←「陋巷にあり」という本は顔回についての小説だったのか!

    子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。
    ←楽しむ>好む>知る
    「知識だけではダメなんだよ」という事らしい。

    子曰く。知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。
    ←知者は流動的な世界を好んで、動き過ぎ、楽しみすぎて短命である、といっているようだ。でも、仁者が長生きするというのはどうだろう。顔回は短命だったのである。

    第四
    子、怪力乱神を語らず。
    〈先生は、怪異と力わざと不倫と神秘は、口にされなかった。〉
    ←不倫!!

    子曰く、我3人行えば必ず我が師を得。
    〈3人で行動すれば、きっとそこに自分の師を見つける。〉

    子曰く。奢れば則ち不遜、倹なれば則ちいやし、その不遜ならんよりは寧ろいやし勿れ。
    〈贅沢していると尊大になり、倹約していると頑固になるが、尊大であるよりはむしろ頑固の方が良い〉
    ←贅沢の方がケチより害が大きい。夫婦間でいろいろ使えそうではある。

    子の曰く、君子はたいらかに蕩々たり。小人は長(とこし)えに戚戚(せきせき)たり。
    〈君子は平安でのびのびしているが、小人はいつでもくよくよしている〉

    泰伯第八
    泰伯‥‥周の文王の父の李歴の兄で、かれらの父の大王が孫の文王の優秀さによってその父の方に位を伝えたいと思っているのを見てとり、国を棄てて南方の呉の国に亡命した。

    子曰く、詩に興り、礼に立ち、楽に成る
    〈人間の教養は詩によって奮い立ち、礼によって安定し、音楽によって完成する〉

    子曰く、民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず。
    〈人民は従わせることはできるが、その理由を知らせることはできない〉
    ←現代の理解と違う。日本国語大辞典には「人民というものは、指導して従わせることはできるが、その道理を説いて理解させることはむずかしい。また、人民というものは命令によって従わせればよいので、原理・方針を説明する必要はないの意でも用いる(←初出「町民嚢」1691)。」とある。つまり、江戸時代に歪んで解釈されたのである。確かに、現代でもファスト読書が流行るように、人民は難しいことを避けて単純な理解に陥りやすい。だからと言って、政治を司る立場の人間は「原理・方針の説明」を決して怠ってはならないと思う。それは、孔子の言っていることでもないのである。現代のエライ人が論語の此処を引用するときは、たいてい後者の意味だから「それって、江戸時代以降の解釈ですよ」とたしなめてあげましょう。

    巻第五
    子、四を絶つ。意なく、必なく、個なく、我なし。
    〈勝手な心を持たず、無理おしをせず、執着をせず、我を張らない〉
    ←と、弟子は先生を評価しているが、本当だろうか。

    子曰く、後生畏るべし。いずくんぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞ゆること無くんば、斯れ亦畏るるに足らざるのみ。
    〈青年は恐るべきだ。これからの人が今(の自分)に及ばないなどと、どうしてわかるものか。ただ四十五十の年になっても評判がたたないとすれば、それはもう恐れるまでもないものだよ〉
    ←「後生おそるべし」は青年のことを言ったのか!

    子曰く、忠信を主とし、己れに如かざる者を友とすることなかれ。過てば則ち改むるに憚ること勿れ。
    〈忠と信とを第一にして、自分より劣ったものを友だちにはするな。あやまちがあれば、ぐずぐずせずに改めよ〉
    ←友を選べ、という。まぁ確かにそうなんだけど、言われたくないよねー。

    子曰く、三軍も師を奪うべきなり。匹夫も志しを奪うべからず。
    〈大軍でも総大将を奪い取ることはできるが、1人の男でも、その志を奪いとることはできない〉
    ←江戸時代、浪人者のドラマに使えそうなセリフ。

    巻第六
    曾子曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く。
    〈曾子が言われた「君子は文事(詩書礼楽)によって友だちを集め、友だちによって仁の徳(の成長)を助ける〉
    ←結局、良き「友だち」を集めよ、という。類は友を呼ぶ、は果たして出典は何処か知らないが、論語からは遠くないだろう。

    齊の景公政を孔子に問ふ。孔子對へて曰く、君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たり。公曰く、善きかな、信に如し君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たら、吾得て諸を。
    ←論語において、「名分」論が書かれているのはここのみと言われている。後に「名分」を明確に論じたのは「荘子」なのだから、仕方ない。しかし、この言葉が後に封建社会の身分制度をかなりきつく縛ったのだから、ちゃんと見る必要がある。

    巻第七
    子路曰く、衛君、子を待って政を為す。子将に奚をか先にせんとす。子曰く、必ずや名を正さんか。子路曰く、是れ有るかな子の迂なる、奚ぞ其れ正さん。子曰く、野なるかな由や。君子は其の知らざる所に於て、蓋し欠如するなり。名正しからざれば、則ち言順ならず。言順ならざれば、則ち事成らず。事成らざれば、則ち礼楽興らず。礼楽興らざれば、則ち刑罰中らず。刑罰中らざれば、則ち民手足を措く所無し。故に君子之を名づくれば必ず言ふ可くす。之を言へば必ず行ふ可くす。君子は其言に於て、苟もする所無きのみ。
    ←いわゆる、「正名」論である。
    優先順位の1番上に「名を正す」ことを置く、孔子の思想の根幹だと言えよう、ここから「名分」論が派生し、「大義名分」思想に移り、果ては幕末の尊王思想に移ることを考えれば、何度でも吟味すべき言葉だと言える。
    また、韓国では「論語読み」が近代まで続き、果ては国民全員に広がった。結果的に「白黒をハッキリさせる」という事が、国民的体質にまでなった。大統領罷免運動などは、その最たるもの。従軍慰安婦問題なども、そこから来ているだろう。

    小人なるかな、燓須や。上礼を好めば、民は敢えて敬せざること莫し。上義(正義)を好めば、則ち民は敢えて服せざること莫し。上信(誠実)を好めば、則ち民は敢えて情を用いざること莫し(真心を働かせる)。それかくの如くんば、則ち四方の民はその子を襁負して(おぶって)至らん。焉(いずく)んぞ稼(か=穀物つくり)を用いん。
    ←論語の本質は、民の心構えではなく、あくまでも支配者の心構えであったに違いない。

    子曰く。如し(天命を受けた)王者あらば、(今の乱世では)必ず世にして後に(一代30年経って)仁ならん。
    ←「十二国世界」で王者出現30年後に政治が安定したのは、これを言うか。

    子の曰く、速やかならん(早く成果をあげる)と欲する勿れ。小利を見ること勿れ。
    ←孔子は、魯の町の取り締まりになって政治のことを聴いてこたえているので。もしかしたらかなり具体的な答えだったのかもしれないが、使い勝手のいい言葉で広がっている。

    子曰く、君子は上達す。小人は下達す。
    〈君子は高尚なことに通じるが、小人は下賎なことに通じる〉
    ←まぁ現代でも同じ。わたしも下賎に通じている。

    子曰く、古の学者は己れの為にし、今の学者は人の為に(人に知られたい為に)する。
    ←普通に読めば勘違いするような箴言。

    子曰く、人の己れを、知らざることをうれえず、己れの能なきをうれう。
    ←古今東西、多くの努力の人が、ここを読んで自らを慰めたに違いない。

    巻第八
    子曰く、君子は能なきことを病(うれ)う。人の己を知らざることを病えず。
    ←巻7の32と同じ事を言っている。論語にはこういう繰り返しが多い。つまり、承認欲求を捨てよ。とのお言葉である。しかし、一方で、

    子曰く、君子は世を没えて名の称せられざることを疾(にく)む。
    ←今の名声のために気を配るのは良くないが、いつかは真価が認められるようにと自分を磨くべきだ。という。

    子貢問うて曰く、一言にして以て終身これを行うべき者有りや。子曰く、それ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿れ。
    ←この場合、「者」は「こと」と解している。「恕」とは「思いやり」である。蓋し、この2500年間、いったい何億何千万人が、この言葉を胸に人生を過ごして来たことか。但し、原典で孔子は「まぁ恕だね」と、珍しく断定口調で言っていないことは、発見である。

    子曰く、人能く道を弘む。道、人を弘むるに非ず。
    〈先生が言われた「人間こそが道を広める事ができるのだ。道が人間を広めるのではない」〉
    ←なんと、これはAI時代における、人間とAIとの関係の如し。

    子曰く、過(あやま)ちて改めざる。これを過ちと謂う。
    ←「過ちをしても改めない、これを本当の過ちと言うのだ」又はこうも言っている。「「小人の過つや、必ず文(かざ)る」…必ずとな!誤魔化すとな!自らを省みて我小人也か。

    李氏第16は、突然の長文で、ここで書き写せない。しかし、内容は重要。何となれば、平和外交論であるから。
    「遠人、服せざれば則ち文徳を修めて以てこれを来たし、既にこれを来たせば則ちこれを安んず」〈遠方の人が従わない場合には、武力に頼らないで文の徳を修めてそれをなつけ、なつけてからそれを安定させるのだ〉それを発展させて、〈国内について、公平と和合と安定を努めるのでなければ、内乱が起こるぞ〉とも助言している。子路とせん有という弟子が小国の家臣になっていたのでの助言なので、かなり具体的。
    ←孔子は戦争を否定していない。けれども決して勧めない。

    孔子曰く、天下道あれば、則ち礼楽征伐、天子より出ず。天下道なければ、則ち礼楽征伐、諸侯より出ず。(以下略)
    ←礼楽と戦争が、同列に論じられているのが、論語なのである。

    巻第九
    子曰く、性、相近し。習えば遠し。
    〈生まれつきは似通っているが、しつけ(習慣や教養)で隔たる〉
    子曰く、唯だ上知と下愚とは移らず。
    〈誰でも習いによって善くも悪くもなるものだが、唯だとびきりの賢い者とどんじりの愚か者とは変わらない〉
    ←思えば、此処からエリート教育主義がおそらく数千年間行われたと思われる。

  • 孔子は、至極最もな当たり前のことを話す。
    愚か者と突き放すこともある。しかし、全体を読むと、愚か者・学のない者=過ちを改めない者・学ばない者のことを指していることに気づく。
    気に入った言葉トップ3
    『冉求が「先生の道を[学ぶことを]うれしく思わないわけではありませんが、力が足りないのです。」といったので、先生はいわれた「力の足りない者は[進めるだけ進んで]中途でやめることになるが、今お前は自分から見切りをつけている。」』-p.113-
    『先生がいわれた、「教育[による違い]はあるが、[生まれつきの]類別はない。[誰でも教育によって立派になる。]」』-p.323-
    『季文子は三度考えてからはじめて実行した。先生はそれを聞かれると「二度考えたらそれでよろしいよ。[考えすぎはよくない]」といわれた。-p.98-
    当たり前のことを見直させてくれる良い本だった。

  • #3191ー14

  • 湯川秀樹は「祖父から訳もわからず論語を暗誦させられたおかげで、後年『中間子』の発想が閃いた」と言ったそうです。
    司馬遼太郎は「少年に朗誦させるなら、やっぱり論語だろう」という。
    数学者の藤原正彦は「子供たちに英語を教えるぐらいなら、論語を学ばせた方がよほど有意義だ」といっている。

    偉大な先人が、絶賛するこの本を大学生のうちに一度は読み返してほしいと思います。

  • #論語 #金谷治 #読了
    2,500年前の孔子の言葉を弟子たちがまとめた“論語“。
    今読んでも共感できることが多くあります。
    人を気にせず、周りの人を大切にし、謙虚に学び、実践し、また学んで、成長していく。
    それが孔子の言う“仁“かなと思います。

  •  短く、端的に人の道理が書かれてある。そこには、人が成長したり、正しく生きたりするために大切な言葉が多くあり、納得できるものばかりである。どうして、こんなにも心に刺さるのだろうか。

    「吾れ日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交じりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。」
     反省しているか。自分の頭で考えて、受け売りで発言していないか。甘えている自分の心に刺さる。

  • 古来、子罕篇の冒頭にある「子罕言利与命与仁」について、「子罕(まれ)に利と命と仁を言ふ」と訓ずるか、「子罕に利を言ふ、命と与(とも)にし仁と与にす」と訓ずるか解釈が定まらなかった。私としては、「与」は通常二者の並列を表すこと、孔子は利と命はともかく仁については多く語っていることから、むしろ「利については必ず命と仁とともに語った」という後者に分があると考えていた。しかし最近、「子罕言利与命倶仁」ではないかと思うようになった。すなわち、「子罕に利は命とともに仁とすと言ふ」と訓じ、利も命に従うならば仁であると稀に語ることがあったと解するのである。「与=倶」と看做してよいのかどうか課題はあるが、私案として提示しておきたい。いつまでも興味が尽きない書である。

  • 世の中に論語を扱う書物は溢れているが,元々論語は普通に読むにはそんなに難解ではないと思うので,できるだけ原典に近いものを読んで自分なりの解釈を持つのがよいと考える。
    その意味で本書は,貴重だと思う。原文と書き下し文の配置もいい。

  •  

  • 図書館で借りて、一回貸し出し延長したのにそれでも読み終わらず、返却してからまた借りてきて、やっと現代語訳だけ読み終えた。
    難しかった。謙虚でありたいと思えた。

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著者プロフィール

1920年、三重県生まれ。東北帝国大学法文学部支那哲学科卒業。文学博士。東北大学名誉教授、追手門学院大学名誉教授、日本学士院会員。2003年、勲二等瑞宝章受章。著書に、『秦漢思想史研究』(平楽寺書店)、『管子の研究』(岩波書店)、『淮南子の思想』(講談社学術文庫)などがあるほか、訳書に、『論語』『荀子』『荘子』『韓非子』『孫子』『大学・中庸』(いずれも岩波文庫)など多数。2006年、逝去。

「2022年 『死と運命 中国古代の思索』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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