大学・中庸 (岩波文庫 青222-1)

  • 岩波書店 (1998年4月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (270ページ) / ISBN・EAN: 9784003322215

みんなの感想まとめ

儒教の基礎と極意が学べる本書は、特に『大学』と『中庸』の内容を通じて、自己修養や理想的な人物像を探求しています。『大学』では、修己治人の教えが簡潔に解説されており、儒教を学ぶ者にとっての指針が示されて...

感想・レビュー・書評

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  • 儒教の基礎と極意がセットになったお得な本。

    儒教の有名どころは一通り読んでので再読。
    大学は儒教を学ぶ者がすべきことが簡潔に書いてあり、
    中庸には最終的に目指すべき人物像が書いてある。

    大学は分かりやすく、中庸は分かりづらい。
    大学は修己治人の教えが一貫して説かれるが、
    中庸は最初のうちこそタイトルの通りの内容だけど、
    話があっちこっちに飛び、突然孔子と弟子達の問答になり、
    著者による誠に関する説明が始まったりする。

    誠というのはつまり意識しなくても善き行動が取れる事であり、
    それが出来るような人は聖人と呼ばれるようになり、
    意識して善き行動を取れる者は君子であり、
    聖人である誠に至る事が最終目標だということだと思う。

    人間である以上、そんな奴は居ないんだろうけど、
    それを目指して頑張る事が重要なんだろうなあ。

  • 249P

    ★儒教の本

    正直、中国古典よりインド古典の方が好き。中国古典は堅苦しくて説教臭い。インド古典は世界観が混沌としててファニーだから好き。

    四書(学庸論孟)

    『大学』
    『中庸』
    『論語』
    『孟子』

    金谷 治
    (かなや おさむ、1920年2月20日 - 2006年5月5日[3])は、日本の東洋学者。専門は、中国哲学、特に中国古代思想史)。2003年勲二等瑞宝章受章。1920年、三重県阿山郡上野町(現・伊賀市)生まれ。早くに両親を亡くし、兄弟の庇護の下、関西大学第二商業学校、関西大学専門部国漢文専攻科で学んだ[4]。在学中、石濱純太郎に師事。石濱の勧めにより武内義雄が在任していた東北帝国大学法文学部文科に進学し師事した[1]。しかし太平洋戦争の戦況悪化を受け、1944年9月に学徒出陣で東北帝国大学を繰り上げ卒業[5][2]し入隊、大陸に出征した。復員後、大学院に復学、旧制弘前高等学校嘱託講師となった。1948年、東北大学法文学部講師となり、武内義雄が退官し、しばらく空席になっていた支那学第一講座を引き継いだ。京都大学人文科学研究所で1年間の研修後、1950年に東北大学法文学部助教授。1961年に学位論文『秦漢思想史研究』により京都大学文学部で文学博士号を取得。1962年、東北大学文学部教授(中国哲学講座)に就いた[1]。1983年に東北大学を定年退官、名誉教授。その後は追手門学院大学教授となり、文学部長を務めた。1990年に追手門学院大学を退任、名誉教授となった。2002年、日本学士院会員に選ばれた[6]。学外では、日本中国学会理事長、日本道教学会会長を務めた。2006年5月5日、腎不全により死去。

    この本『大学・中庸』の作者は、厳密には少し複雑です。

    * 『大学』…もともとは古代中国の儒教経典『礼記』の一篇で、伝統的には 曾子 の作とされることがあります。
    * 『中庸』…同じく『礼記』の一篇で、伝統的には 子思 の作とされています。

    ただし、現代の研究では、どちらも特定の一人が書いたというより、戦国時代から前漢にかけて複数の儒学者によって成立した文献と考えられています。

    分類すると、

    * 『論語』『大学』『中庸』『孟子』 → 儒教思想
    * 老子、荘子 → 道家思想
    * 韓非子 → 法家思想

    「要するに、『大学』の成立は、武帝の時の大学設置に関連して、儒学的な国家有為の人材(君主をも含めて)の育成を目標として作られたということであろう。作者は不明で、著作の時代も限定することはできないが、はばを持たせて考えれば漢初から武帝末年ごろまでの大学問題の議論のなかでのこと、しぼって考えれば武帝の治世(前一四一─前八八年)ということになるであろうか。『論語』から『孟子』『荀子』など、儒学思想の核心を受け収めてそれを当代の大学教育のなかに生かすべく整備した傑作であった。」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著

    「  大学で学問の総しあげとして学ぶべきことは、輝かしい徳を身につけてそれを〔世界にむけてさらに〕輝かせることであり、〔そうした実践を通して〕民衆が親しみ睦みあうようにすることであり、こうしていつも最高善の境地にふみ止まることである。  ふみ止まるべきところがはっきりわかってこそしっかり落ちつくということになり、しっかり落ちついてこそ〔ものごとに動揺しないで〕平静であることができ、平静であってこそ安らかになることができ、安らかであってこそものごとを正しく考えることができ、正しく考えてこそ〔最高善に止まるという〕目標も達成できるのだ。  ものごとには根本と末端とがあり、また初めと終りとがある。〔そのことをわきまえて〕何を先にして何を後にすべきかということがわかるなら、それでほぼ正しい道を得たことになるのである。」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著

    儒教を体系化した朱子。

    大学や中庸などが評価されるようになったのも彼の活躍によるところが大きいです。

    そして、大学を入門書とし、朱子学が花開いていくのです。


    この本は朱子学で重要とされる「四書」のうち、大学、中庸が一緒になっていて、特に大学は儒学入門の書とされています!白文、書き下し、現代語訳の順と、とっても読みやすくなってます!

    「上文でのべた「その国をよく治めるには、必ずまずその家を和合させることだ」というのは、〔よく身を修めて〕その家族を教化することもできないくせに、国民に対してはりっぱな教化ができるということは、ありえないからである。そこで、君子ともなると、自分の家から外に出なくても、ひろく国じゅうにりっぱな教化を及ぼすのだ。つまり〔家のなかの〕親への孝行は〔そのまま〕主君に仕える道徳となり、兄への従順は〔そのまま〕先輩に仕える道徳となり、子への慈愛は〔そのまま〕民衆を使役するばあいの道徳となるのである。」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著

    「聖天子の尭や舜は、自分で仁愛の徳を修めてそれで天下を統率したから、民衆もそれに従って仁愛を行ない、暴君の桀や紂は、自分で暴逆を行なってそれで天下を統率したから、民衆もそれに従って暴逆を行なった。しかし、君主の命令が君主のほんとうの好みとはうらはらだというときは、そんな命令には民衆は従わない。そこで、君子はまずわが身に徳を積んでからはじめて他人にもその徳を求め、まずわが身に不徳を無くしてからはじめて他人にもその不徳を非難する。わが身の内にあるものによって他人を思いやるということをしないで〔、一方的に相手を責めるだけで〕いて、それで他人をうまく納得させたという人は、あったためしがない。だからこそ、国を治めるにはまずその家を和合させることになるのである。」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著

    「 『詩経』では「切りたったあの南山、岩がごつごつ。〔その山のように、権勢を集めて〕光り輝く太師の尹氏よ、民はみなあなたを仰ぎ見ている」とうたわれている。国を治めるものは慎重でなければならない。〔挈矩の道によらないで〕自分の好みや憎しみで偏ったことをしていたら、やがて〔国を滅ぼし身は殺されて〕天下の大恥辱をこうむることになるだろう。」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著


    「 秦誓 ではまた次のように言われる、「ここに一人の臣下がいたとしよう、まじめひと筋で格別の技能も持たないが、その心は寛容で他人をよく受け容れる。だれかに特技があると認めると、〔嫉妬もせずに〕まるで自分の特技のように〔してそれを推薦〕し、聡明で優秀な人物がいると、心からその人物を愛好する。ただ口でほめそやすだけでなく、ほんとうにその人物をよく受け容れて、そうしてわが子孫による統治を末永く安泰にできるというのであれば、もろもろの民草もまた利益を受けることになるだろう。〔ところがこれに反して、〕だれかに特技があると認めると、ねたみうとんじて憎悪し、聡明で優秀な人物がいたとなると、それに逆らってその才能が君主に知られないように画策する。ほんとうにその人物を受け容れることができず、そうしてわが子孫による統治を末永く安泰にすることもできないというのであれば、もろもろの民草もまた危険なことになるだろう」」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著

    「   仲尼(孔子)はいわれた、「君子は中庸の徳を守るが、つまらない小人は中庸〔の価値がわからないでそれ〕にそむくものである。君子が中庸を守るというのは、いかにも君子らしいりっぱなふるまいでいて、そのうえどんな時でもその場に応じて中でおれるからだが、小人が中庸にそむくというのは、いかにも小人らしいつまらない行動をとって、しかも〔慎しみを知らない過激さで〕何でもあたりかまわずやってのけるからだ」  先生(孔子)はいわれた、「中庸こそは最高の徳だなあ。だが、民衆のあいだでうまく行なえる者がとぼしくなってから、もう久しいことだ」  先生はいわれた、「人としての正しい道〔は本来やさしいはずなのに、それ〕がなかなか世間で実行されないのは、私にはその理由がわかっている。聡明な人は〔知恵にまかせて〕出過ぎたことをし、愚かな者は〔よくわからないで〕そこまで実行が及ばないからだ。人としての正しい道が世間ではっきり認識されないのは、私にはその理由がわかっている。すぐれた人は〔才能にまかせて〕出過ぎた理解をし、劣った者はそこまで理解が及ばないからだ。人はだれでも飲食しないものはない。だが、本当に味のわかるものはとぼしい。〔日常、いつも離れることのない道というものも、これと同じことだ。〕」  先生は〔嘆いて〕いわれた、「人としての正しい道はなんとまあ世間で実行されないことよ」」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著

    「  わがまごころで他人を思いやる忠恕は、〔それこそ身近な人の道によって人を治めることで、〕道の実践そのものと離れていない。もしわが身に起こったとして望ましくないことであれば、やはり他人にもそんなことを仕向けてはいけないのだ。君子のふみ行なうべき道は四つあるが、この丘には、その一つでさえうまく行なえていない。〔第一には〕自分の子供にこうあってほしいと望むことを、自ら行なってそれで自分の父親にお仕えするということが、まだよくできていない。〔第二には〕自分の家臣にこうあってほしいと望むことを、自ら行なってそれで自分の君主にお仕えするということも、まだよくできていない。〔第三には〕自分の弟にこうあってほしいと望むことを、自ら行なってそれで自分の兄にお仕えするということも、まだよくできていない。〔第四には〕自分の友だちにこうあってほしいと望むことを、まず自分の方から先に行なうということも、まだよくできていない。  平凡で恒常的な日常の徳を実行し、平凡で恒常的な日常のことばを慎重にして、足りないところがあればあくまで行きつこうと努力し、過ぎたところがあれば、慎重に抑えて自制する。そしてものを言うときにはことばが実行より過ぎないようにと注意し、事を行なうときには実行がことばに及ばぬことがないようにと注意〔して、言と行との一致に努力〕する。君子はいつも緊張して勉めないではおれないのだ」」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著

    「君子のふみ行なうべき道は、たとえば遠方の土地に行くのも必ず近くから始めるようなものであり、たとえば高い所へ登るのも必ず低い所から始めるようなものである。〔まず身近なところから始まるのだ。〕  『詩経』には、「妻や子たちの温かい和やかさ、まるで琴と大琴を合奏するようだ。兄弟もすっかりむつみあい、やわらぎのなかで楽しんでいる。なんじの家庭をうまくととのえ、なんじの妻子を楽しませている」とうたわれている。  先生はいわれた、「父も母も満足しておられるだろうね」と。〔君子の道は、家族の和合から。とくに親への孝行の実践から始まる。〕」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著

    「 〔では、仁とは何か。それは仁・義・礼の三つに分けて説くことができる。〕仁とは人で〔あって、人と人と親しみあうことで〕ある。親しい肉親を親愛することが最も大切である。義とは宜で〔あって、ものごとに応じた適宜のあり方を得させることで〕ある。〔肉親の情をこえて〕賢人を賢人として尊重することが最も大切である。肉親を親愛することにも〔親疎による〕差別があり、賢人を尊重することにも〔才能による〕区別があって、そうした区別こそ礼の起こる根拠である。〔つまりは、礼とは仁と義とを節度づけて飾るものである。〕  従って、〔政治の中心となる〕君子はわが身を正しく修めなければならないが、わが身を正しく修めたいと思えば、親によくお仕えし〔て肉親を親愛し〕なければならないし、親によくお仕えしたいと思えば、人のことをよくわきまえ〔て賢人を尊重し〕なければならない。そして、人のことがよくわかりたいと思えば、窮極の天を知らなければならない。」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著

    「世界じゅういつでもどこでも通用する道として五つのことがあり、それを実践するための手段として三つのことがある。君と臣との間の道、父と子との間の道、夫と妻との間の道、兄と弟との間の道、そして友だちどうしの交際の道、この五つが、世界じゅうにあまねく通用する道である。また、知と仁と勇との三つが、世界じゅうにあまねく通用する徳(身についた才能)であって、五つの道を実践するための手段となるものである。  〔この道と徳については、〕生まれつきにそれをわきまえている人もあれば、学習してわきまえる人もあり、刻苦精励してはじめてわきまえる人もある。しかし、わきまえてしまった段階では、〔人びとの認識に〕なんの変りもない。また、自然にらくらくとそれを実行する人もあれば、良いことだからと意識して行なう人もあり、努力を重ねて行なう人もある。しかし、実行の成果があがった段階では、〔人びとの実践に〕なんの変りもない。  先生はいわれた、〔学習好きなのは知の徳を育てることになり、実践につとめるのは仁の徳を育てることになり、わが身の恥を知るのは勇の徳を育てることになる」と。この〔学習を好むのと実践につとめるのと恥を知るのとの〕三つのことをわきまえたなら、わが身を修めるその修め方もわかるだろう。わが身の修め方がわかれば、人を治めるその治め方もわかるだろう。人の治め方がわかれば、天下や国や家を治める治め方もわかるであろう。」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著

    「  すべてものごとは、あらかじめ事前によく考えておくとりっぱに成功するが、事前によく考えもしないで始めると失敗するものである。〔たとえば、〕何か意見をいうにも、それが前もってしっかり固まっているなら、途中でつまずくようなことはない。何か事業を起こすにも、それが前もってしっかり確定しているなら、途中で苦しむようなことはない。何か行動するときも、前もって計画が定まっているなら、途中でくよくよと迷うことはない。進もうとする道も、前もってよく考えて確定しているなら、ゆきづまって進めなくなるということはない。」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著

    「   〔もし一般の官吏に例をとるなら、〕下級の位にいて上級者の信任が得られないようでは、とても人民を治めることはできない。〔そこで、人民を治めるための事前の準備として〕上級者の信任を得る〔必要があるが、その〕ためには、その方法がある。友だちから信用されないようでは、とても上級者の信任は得られない。〔そこで事前の準備として〕友だちから信用されるためには、またその方法がある。親に満足されないようでは、とても友だちから信用されない。〔そこで事前の準備として〕親に満足されるためには、またその方法がある。わが身を反省して誠実でないところがあるようなら、とても親に満足されない。〔そこでさらに事前の準備として〕わが身を誠実にするためには、またその方法がある。〔現実の事態について〕正しい善をはっきりと認識できるのでなければ、わが身を誠実にすることはできない。」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著

    「   誠とは天の働きとしての窮極の道である。その誠を地上に実現しようとつとめるのが、人としてなすべき道である。誠が身についた人は、努力をしなくともおのずから的中し、思慮をめぐらさなくともおのずから達成し、自由にのびのびとしていてそれでぴったりと道にかなっている、これこそ聖人である。誠を実現しようとつとめる人は、努力をしてほんとうの善を選び出し、そのうえでそれをしっかりと守ってゆく人である。」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著

    「   何事でもひろく学んで知識をひろめ、くわしく綿密に質問し、慎重にわが身について考え、明確に分析して判断し、ていねいにゆきとどいた実行をする。〔それが誠を実現しようとつとめる人のすることだ。〕まだ学んでいないことがあれば、それを学んでじゅうぶんになるまで決してやめない。まだ質問していないことがあれば、それを問いただしてよく理解するまで決してやめない。まだよく考えていないことがあれば、それを思索してなっとくするまで決してやめない。まだ分析していないことがあれば、それを分析して明確になるまで決してやめない。まだ実行していないことがあれば、それを実行してじゅうぶんにゆきとどくまで決してやめない。他人が一の力でできるとしたら、自分はそれに百倍の力をそそぎ、他人が十の力でできるとしたら、自分は千の力を出す。もしほんとうにそうしたやり方ができたなら、たとい愚かな者でも必ず賢明になり、たとい軟弱な者でも必ずしっかりした強者になるであろう。」

    —『大学・中庸 (岩波文庫)』金谷 治著

  • 『大学』も『中庸』も学説やそれが拠るところの哲学体系によって、解釈や構成に異同があるとのこと。

    『中庸』に関してはその論理的構成がかなり難解で消化できなかった。
    中庸の徳を補完する「誠」は天命の性、天地の道であり、人倫の道の規範である。して、誠が備わった至誠が他人や物の本性を発揮させるとどうなるか。天地の化育を賛くというのである。
    天地は人が倣うべきものか、あるいは人が化育すべきものか、このあたりの関係が果たしてどのように整合しているのか理解しかねた。

    訳文と解説はわかりやすく、かつ知的誠実性を備えている。
    これら経典を四書として位置づけさえした朱子学の扱いであるが、朱子学的解釈にはその体系的統一性ゆえの強引さがあるものの、儒教史的に重要な点もあるとして部分的に掲示されている。

  • 『大学』『中庸』の本3冊目にして、ようやく全章収録の本に辿り着いた。さすが安心の岩波文庫。
    『大学』部分では、全体解説と旧本の漢文・読み下し文、注釈と現代語訳、朱子『大学章句』の旧本と重複しない要素の記載がある。
    『中庸』部分では、全体解説と漢文・読み下し文、注釈と現代語訳、朱子『中庸章句』序の訳註の記載がある。
    全章載っているのがありがたい面を重々感じつつ、とはいえ解説・注釈が分かりやすいかというと個人的にはそうでもなかった。かといって全くわからないというほどでもない。
    訳註の位置が章末ではなく、読み下し文と現代語訳の間にあるのが始め慣れなかったが、それで読む場所の迷子になりにくかったかも。

  • 「大学・中庸」金谷治 訳注

    儒教は一般に「修己治人」の教えだといわれる。「己れ自身を修める」道徳説と「人を治める」民衆統治の政治説とを兼ねた教説が、儒教だというわけである。確かに『論語』を読んでも『孟子』を読んでも、儒学思想というものは現実の社会的人間を第一の問題としていて、要するに道徳と政治を中心とする思想である。


    『大学』の内容は、まず「大学の道は」という言葉で始まる。「大学教育の理想的なあり方とはどうあるべきか」というのが、巻頭で提示された問題である。そして、『大学』はその回答を最初の第一章で総括的に示しており、第二章以下はその第一章の項目を受けた解説となっている。そこで、『大学』の要点はその第一章を読むことによってほぼ明らかになるが、それは、己れ一身の修養を基盤として天下国家の統治を目ざすという「修己」と「治人」との組織的な連繋統一であって、それこそが大学教育の目的だというのである。
    <連繋(れんけい)物事と物事、あるいは人と人との間のつながり。また、つながりをつけること。つながっていること。>


    大学で学問の総しあげとして学ぶべきことは、輝かしい徳を身につけてそれを[世界にむけてさらに]輝かせることであり、[そうした実践を通して]民衆が親しみ睦みあうようにすることであり、こうしていつも最高善の境地にふみ止まることである。
    <睦ぶ(むつぶ)仲よくする。>

    ふみ止まるべきところがはっきりわかってこそものごとを正しく考えることができ、正しく考えてこそ[最高善に止まるという]目標も達成できるのだ。

    ものごとには根本と末端があり、また初めと終りとがある。[そのことをわきまえて]何を先にして何を後にすべきかということがわかるなら、それでほぼ正しい道を得たことになるのである。


    ものごと[の善悪]が確かめられてこそ、はじめて知能(道徳的判断)がおしきわめられ[て明確にな]る。知能がおしきわめられて[明晰になって]こそ、はじめて意念が誠実になる。意念が誠実になってこそ、はじめて心が正しくなる。心が正しくなってこそ、はじめて一身がよく修まる。一身はよく修まってこそ、はじめて家が和合する。家が和合してこそ、はじめて国がよく治まる。国がよく治まってこそ、はじめて世界じゅうが平安になる。


    仲尼(孔子)はいわれた、「君子は中庸の徳を守るが、つまらない小人は中庸[の価値あgわからないでそれ]にそむくものである。君子が中庸を守るというのは、いかにも君子らしいりっぱなふるまいでいて、そのうえどんな時でもその場に応じて中でおれるからだが、小人が中庸にそむくというのは、いかにも小人らしいつまらない行動をとって、しかも[慎しみを知らない過激さで]何でもあたりかまわずやってのけるからだ」


    先生はいわれた、「わかりにくいはっきりしないことをむりにさぐり出したり、風変りな奇怪なことを行なったりすると、[人の注意を集めて、]後の世にそれを誉めて受け継ぐものも出るだろう。だが、わたしはそういうことはしない。君子は道を規準として行動するものだ。たとえ[力及ばず]途中で挫折することがあるとしても、わたしには[道を守るのを]やめることはできない。君子は中庸に依りそってゆくのである。世間に背をむけて隠遁し、だれにも知られずに終っても悔いることがないというのは、これはただ特別の聖者だけにだきることだ。[それもわたしの望むことではない。]」


    先生はいわれた、「学習好きなのは知の徳を育てることになり、実践につとめるのは仁の徳を育てることになり、わが身の恥を知るのは勇の徳を育てることになる」と。この[学習を好むと実践につとめるのと恥を知るのとの]三つのことをわきまえたなら、わが身を修めるその修め方もわかるだろう。わが身の修め方がわかれば、人を治めるその治め方もわかるだろう。人の治め方がわかれば、天下や国や家を治める治め方もわかるであろう。


    すべてのものごとは、あらかじめ事前によく考えておくとりっぱに成功するが、事前によく考えもしないで始めると失敗するものである。[たとえば、]何か意見をいうにも、それが前もってしっかり固まっているなら、途中でつまずくようなことはない。何が事業を起こすにも、それが前もってしっかり確定しているなら、途中で苦しむようなことはない。何か行動するときも、前もって計画が定まっているなら、途中でくよくよと迷うことはない。進もうとする道も、前もってよく考えて確定しているなら、ゆきづまって進めなくなるということはない。

  • 大学に入ったら、一応一般教養として目ぐらい通そうかな、と思って買ったのですがいまでもなんとなく手放せない。大きさ、分量がちょうどいいからかもしれません。

  • 難しかったけど、陽明学と朱子学の違いがわかった

  • 四書の二つである大学と中庸。論語が書かれた後の前漢時代に編纂された礼記の中に書かれているものでこれが四書として日の目を見ることになったのは朱熹によるものであるという、この書物の変遷自体も学ぶことができる。
    貞観政要などの他の中国の書物を読んでも、このような過去の書物が考え方の根源とされているように思え、ここで大切とされている教え、人の上に立つものは徳を備えていること、何よりも謙虚な姿勢であること、欲の元となる行いや振る舞いは一切見せず飾らない身であること、がいかに大事なのかということが繰り返し述べられている。
    また、中庸という言葉の意味もよくわかっていなかった、優れたものはつい行き過ぎてしまう、そうでないものはそもそもやらないでいる、そういった状態が心を歪ませている/歪ませることにもなり、ちょうど良い具合が望ましいのである、物事の両極端を捉えた上でその間を取るということが大事であることがある、という解釈をした。

  • 物に本末あり…が最も印象に残る。今こそ、それが大切なことだろう。

  • 大学は、個人の修練が国家安寧にもつながることを説いている。中庸は、バランス感覚の重要性を中心に、勉学の仕方等について説いている。後者は自分の価値観の核にもなった。

  • 第84回アワヒニビブリオバトル「おすすめの1冊」で紹介された本です。
    2022.03.21

  • 開始:2022/10/3
    終了:2022/10/6

    感想
    儒教の中心教理までの道のりは果てしない。たとえ頭で理解しても実践に移せなければ意味はない。まずは親を敬い、友達を大事にするところから。

  • 歴史で習った「四書」は『大学』→『論語』→『孟子』→『中庸』の順で学ぶべきという。本書はそのうち最初と最後を学べる。

    大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善(大学第1章)
    大学は、最高学府と大人の学びの意味を兼ね、まずは一身の修養が大事。

    中庸は、その意味だけならさほど難しくもないが、
    誠者、天之道也、誠之者、人之道也(中庸第11章)
    という窮極の道が示されている。最後に学ぶわけだ。

    今、露国の大統領に送りたい言葉があった。
    一人貪戻、一国乱作乱(大学第5章)
    「君主一人の身が貪欲(不譲)ででたらめ(不仁)であれば、国じゅうが争乱を起こすことになる(60p)」

  • 大学は本当に参考になる

  • 2022.2.6 読了
    四書五経のうち、大学と中庸について総花的に原著アプローチができる。細かい概念などは読み込んでいく必要あり。

  • 私が人生で初めて啓蒙を体感した書。これからも慎独の道を守り通して行きたいと思っている。
    しかし、中庸の方は難解で奥深く、これを理解するにはまだまだ経験が浅いので、読むのは気が向いた時に軽く、という風にしている

  • ”「格物致知」について知るため、『大学』を目的に読んだ。『大学』の第一章には、3つの実践項目(「明徳を明らかにする」「民を親しましむる」「至善に止まる(とどまる)」)が提示されていて、これらは「三綱領」と呼ばれている。この三綱領の教えを具体的にどう実践するかを説いたのが「八条目」で、格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下の8つを指す。

    ★八条目について(口語訳)
    ---
    古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の國を治む。其の國を治めんと欲する者は、先ず其の家を齊(ととの)う。その家を齊えんと欲する者は、先ず其の身を修む。其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正しうす。其の心を正しうせんと欲する者は、先ず其の意(こころばせ)を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は、先ず其の知を致す。知を致すは物を格(ただ)すに在り

    物を格して后(のち)知至る。知至りて后意誠なり。意誠なりて后心正し。心正して后身修まる。身修まりて后家齊う。家齊いて后國治まる。國治まりて后天下平らかなり
    ---

    <読書メモ>
    ・『大学』と『中庸』とは、『論語』と『孟子』に合わせて「四書」とされ、儒教の代表的な経典としてひろく読まれてきた。(中略)
     『大学』は「初学入徳の門(いりぐち)」として第一に学ぶべきもの、『中庸』は最も深遠なものとして「四書」の最後に学ぶべきものであった。(p.3)
    ・『大学』と『中庸』は、もともと『論語』や『孟子』と並ぶ単行本ではなかった。「五経」のなかの一つとして伝わってきた『礼記』四十九篇のなかに編集された二篇であって、その作者や時代も明確ではない。朱子が大学篇を曾子に関係づけたのは、なんの根拠もない武断であった。そして中庸篇の方は、『礼記』のなかでそれにつづく三篇とともに『子思子』から採用されたという記録が伝わるが、その内容には孔子の孫の子思の時代のものとはとても思えないものがある。(p.4)
    ・『大学』の要点は(略)己れ一身の修養を基盤として天下国家の統治を目ざすという「修己」と「治人」との組織的な連繋統一であって、それこそが大学教育の目標だというのである。(p.12)
    ★『大学』の内容が目ざすところは、天子や諸侯といった特別な統治者というものではない。また特別な貴族の子弟というのでもない。天下の政治に対する関心が強いのはもちろんであるが、「君子」という言葉で象徴されるように、その対象は開かれている。為政者としての君主を含むとともにひろく天下の賢士を求めているのである。そして、何よりも重要なことは、為政者たるべきものは、その身分にかかわりなく、わが身の徳を修めよと強調していることである。(p.23)
    ★大学で学問の総しあげとして学ぶべきことは、輝かしい徳を身につけてそれを[世界にむけてさらに]輝かせることであり、[そうした実践を通して]民衆が親しみ睦みあうようにすることであり、こうしていつも最高善の境地にふみ止まる(とどまる)ことである。(p.33)
     #三綱領(明徳、親民、止於至善)
    ・切るが如く瑳(みが)くが如く、琢(う)つが如く磨(す)るが如し。(pp.42-43)
     #「切磋琢磨」という語の出典。
    ・大学章句 本文
     「四書」の学習は大学→論語→孟子→中庸の順序で学ぶべきものとされた。(p.95:注より)
    ・そして「至善に止まる」は八条目各条をつらぬき、最初の「格物致知」は至善の境地をまず知る(止まるを知る)ことだと考えられている。(p.98:注より)


    #『中庸』は未読だが、今回はここで終了。”

  • 四書(『論語』『孟子』『大学』『中庸』)のうち『大学』『中庸』を収録。ただ、朱子の『章句』(いわゆる新注)でなく、『礼記』四十九篇から原本、古義を求める古注である。ただし、朱子の『大学章句』も読み下し文、口語訳も併収されている。

  • 正しい心とは何か考えさせられます。
    自分の中と外の中庸が必要です。

    1.この本を一言で表すと?
    ・自己みがきを考え直す本

    2.よかった点を3〜5つ
    ・国をよくおさめようとしたひとはまず家をおさめた(p35)
      →論語にも通じる考え。日本人に受け入れられやすい考え方。
    ・自分の子供にこうあってほしいと望むことを自ら行って自分の父親にお仕えすることができてない(p164)
      →子供の教育に役立ちそう。父親としての自覚を再認識。
    ・偉大な徳を備えた人は必ず天命を受ける(p175)
      →結果を求めるのではなく、プロセスが重要ということ。
    ・誠の道
      →うちの会社の企業理念なので気になった。

    2.参考にならなかった所(つっこみ所)
    ・喜怒哀楽の偏りがなく、調和がとれている状態の「中」、「和」(p145)は続けばつまらない世界にならないか?
    ・同じ内容の繰り返しが多い
    ・中庸の君子の話と誠の話はなぜ一緒の書になっているのか解説を読んでも理解できなかった
    ・国の財政について(p80)重税を取ることはいけないが、財政に力を注ぐことは悪いことではないと思う。

    3.実践してみようとおもうこと
    ・自分の天命とは何か考えてみる
    ・1、2回読んだだけでは理解が足りないので時間をおいて読み返す

  • <目次>
    はしがき
    大学
     『大学』解説
     大学(旧本)本文
     大学章句(朱熹)序・本文
    中庸
     『中庸』解説
     中庸本文
     中庸章句(朱熹)序

    2015.03.15 読了せずに返却

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著者プロフィール

1920年、三重県生まれ。東北帝国大学法文学部支那哲学科卒業。文学博士。東北大学名誉教授、追手門学院大学名誉教授、日本学士院会員。2003年、勲二等瑞宝章受章。著書に、『秦漢思想史研究』(平楽寺書店)、『管子の研究』(岩波書店)、『淮南子の思想』(講談社学術文庫)などがあるほか、訳書に、『論語』『荀子』『荘子』『韓非子』『孫子』『大学・中庸』(いずれも岩波文庫)など多数。2006年、逝去。

「2022年 『死と運命 中国古代の思索』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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