三民主義(上) (岩波文庫 青 230-1)

著者 : 孫文
制作 : 安藤 彦太郎 
  • 岩波書店 (1957年3月15日発売)
3.50
  • (0)
  • (2)
  • (2)
  • (0)
  • (0)
  • 本棚登録 :14
  • レビュー :1
  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003323014

三民主義(上) (岩波文庫 青 230-1)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 孫文の「三民主義」講演(1924)のうち、民族・民権4講までを含む。孫文の「民族」思想は、とにかく中国人をまとめようという意図をもっている。はじめに中国人には家族および宗族しかなく、国を単位とする思想がないことを論ずる。中国人は(固まらない)砂なのである。そして、中国が直面している危機が語られる。孫文によれば中国は「半殖民地」ではなく、殖民地にすらなれない「次殖民地」である。ほかの殖民地が一人の主人しか持たないのに対して、中国には複数の主人があるからである。そして、中国の搾取の様子が、関税権が外国人の手にあること、外国銀行の為替などの活動、海運の立ち後れ、租界の借地料、外国商人の特権的活動などから多面的に分析される。民族主義に対して世界主義を唱える若者に対しては当選くじを竹の中にしまった苦力の例を用いて批判している。民族思想は生活に必要なもので、それを捨ててしまっては、世界主義の道も絶たれるのである。また、清朝の圧迫下で失われた民族思想が明朝の遺臣によって任侠の世界に残されていることを指摘する。左宗棠と哥老会の関係など大変興味深いものである。どうやって民族思想を回復するのかという問題については、中国の政治哲学、とくに儒教の仁愛、『大学』の思想にその糸口を求めている。また、民国成立以来、「忠孝」の「忠」が削られてしまっていることにも苦言を呈し、民に対して忠であるべきであるとする。「民権」については、西洋の革命思想、とくにフランス革命の旗印「自由・平等・博愛」が、その本質は「民権」を追求するものであることを指摘している。「自由」については、中国の封建制が西洋と比較して苛烈でなかったことを指摘し、砂の様に個々が自在に動くことができる中国人には、空気のように「自由」があったので、「自由」という概念を中国人は理解できなかったと指摘している。「平等」については根本的な平等は存在せず、天が生み出した人間はそれぞれ独自の存在であり、才能を一律にすることなどできぬと指摘し、到達点の平等ではなく、出発点の平等を提唱する。革命は「皇帝になりたい」者とつねに戦う必要があり、「連邦制」についても、中国にはむかしから統一があり、この点で、外国の猿まねをすると、軍閥の割拠に根拠を与えると指摘している。全編を通じて、本末・先後などの中国哲学の方法で思索されており、身近な例をつかい、分かりやすい議論である。「自由・平等」を中国で唱えても、大衆が皮膚で必要性を感じていない理念では、彼等を導くことはできないとするのはたいへん現実的であり、中国人は「発財」(金儲け)のためには動くが、「自由・平等」のためには戦わないとするのはドラスティックである。代議政体についても、「ブタ議員」などの例をひき、その限界を指摘し、自由が放肆となり、平等が偽平等となる点を指摘しているが、この点は現代でも解決されていない深刻な問題である。人口問題については、中国の人口がへりつづけ、列強の人口がふえつづけ、亡国滅種の憂き目にあうだろうと指摘していが、この予言は歴史上はずれてしまい、中国は現在世界一の人口をかかえている。外れたわけはやはり孫文をついだ毛沢東の「人手」論による所が大きいが、毛沢東が人口より人手を重視した背景には、孫文のもっていた危機感が影響していることは否めないであろう。すくなくとも、富強になるために人口を増やすというのは、一つの方策ではあるだろう。

全1件中 1 - 1件を表示

孫文の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

ツイートする