ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫 青302-1)

  • 岩波書店 (1978年1月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (384ページ) / ISBN・EAN: 9784003330210

みんなの感想まとめ

深い教えを持つ仏典が、現代においても心の支えとなることを実感させてくれます。邦訳された『ダンマパダ』や『ウダーナヴァルガ』は、読みやすさと詳細な註解が特徴で、筆者の広範な文献研究が感じられます。日々の...

感想・レビュー・書評

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  • 「ダンマパダ」「ウダーナヴァルガ」を邦訳したもの。1987年に初版が出ているが、現代的に見ても非常に読みやすい。詳細な註解がついており、筆者が広く文献を渉猟したことがわかる

  • 1701P

    正直、中国古典よりインド古典の方が好き。中国古典は堅苦しくて説教臭い。インド古典は世界観が混沌としててファニーだから好き。

    タイが素晴らしいのは仏教が素晴らしいからだよ。東南アジアでも宗教の存在感が薄い国は運転が荒かったり汚い事が多い。

    今月凄い良い本がKindleUnlimitedに来てる。マハーバーラタ、ラーマーヤナ、アーユルヴェーダ、ブッダ、インドの文化が好き。

    真理のことばは100P、真理のことば良かった。

    中村 元
    (なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者、比較思想学者[1]。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章[2]。1912年 (大正元年) 11月28日、島根県松江市殿町にて生まれる[2][3]。元年生まれだったことから、元と名付けられた[3]。1925年 (大正14年)、東京市立誠之小学校(現・文京区立誠之小学校)を卒業。1930年 (昭和5年)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を腎臓病により1年間休学後[3]、4年で修了。1933年 (昭和8年)旧制第一高等学校を卒業。在学中、須藤新吉と亀井高孝から学問の基本を学び、ブルーノ・ペツォルトから仏教の話を聞く[3]。1936年 (昭和11年)、東京帝国大学文学部印度哲学梵文(ぼんぶん)学科を卒業[2]。1941年 (昭和16年) 、同大学大学院博士課程を修了。宇井伯壽に文献学としての仏教学を学ぶほか、倫理学の和辻哲郎の知遇も得る。1942年、博士論文「初期ヴエーダーンタ哲学史」を提出[4]。1943年 (昭和18年) 東京帝国大学助教授に就任[3][4]。同年5月6日、東京帝国大学から文学博士の学位を授与される[4]。博士論文の題は「初期ヴエーダーンタ哲学史」[5]。1954年 (昭和29年)、東京大学(1947年 (昭和22年) に東京帝国大学から改称)教授に就任(~1973年)[2][4]。1957年 (昭和32年)『初期ヴェーダーンタ哲学史』(岩波書店)で、日本学士院恩賜賞を受賞[4]。1964年 (昭和39年) 東京大学文学部長に就任(~1966年)[4]。この時期に春秋社で最初の『中村元選集』が刊行開始。1970年 (昭和45年) 財団法人東方研究会(没後に中村元東方研究所へ改称)を設立、初代理事長に就任[4]。1973年 (昭和48年)東京大学を定年退官、同大学名誉教授[4]。最終講義『インド思想文化への視角』と『インド思想と仏教 中村元博士還暦記念論集』(春秋社)が刊行される。定年後は、東方研究会の活動の一環として東方学院を開設し、学院長に就任した(1999年の没時まで)[4]。同年、デリー大学名誉文学博士、ベトナム・バンハン大学名誉文学博士[4]。1974年 (昭和49年) 比較思想学の先駆者として比較思想学会も創設し、初代会長に就任(~1983年)[4][6]。同年、紫綬褒章受章[4]。1975年 (昭和50年)『佛教語大辞典』が刊行(東京書籍 全3巻、1981年に縮刷版全1巻)され[3]、毎日出版文化賞特別賞と仏教伝道文化賞を受賞[4]。1977年(昭和52年) 文化勲章受章[4]。文化功労者。1984年 (昭和59年)勲一等瑞宝章受章、日本学士院会員になる[4]。1988年 (昭和63年)12月、『決定版 中村元選集』(春秋社)が刊行開始。1989年 (昭和64年) 1月7日、昭和天皇の崩御に伴い、有識者委員の一人として「元号に関する懇談会」に出席し、新元号となる「平成」の選定に関わる[7][8]。同年(平成元年)、松江市より名誉市民の称号と市民章が贈られる[3]。1992年 (平成4年)『ジャータカ全集』で 日本翻訳文化賞を受賞。1994年 (平成6年) 第24代足利学校庠主(初代史跡足利学校庠主)に就任(1999年の没時まで)[4]。1995年 (平成7年) 『東方学』第九十号で、門下生の奈良康明・前田専學らと、座談会での回想「學問の思い出」を行う[9]。1999年 (平成11年)NHK放送文化賞受賞[4]。同年7月、『中村元選集』全40巻(32巻+別巻8巻)が完結[4]。同年、10月10日午前10時45分、急性腎不全のため東京都杉並区久我山の自宅にて死去(満86歳)[4]。墓所は多磨霊園。戒名は自身が付けた「自誓院向学創元居士」[4]。没後、2001年 (平成13年) 6月に『広説 佛教語大辞典』が刊行(全4巻、東京書籍、縮刷版全2巻が2010年7月に刊行)された。2012年 (平成24年) 10月10日、生誕100年を記念して、松江市八束町に中村元記念館が開設される[3]。同年10月、『中村元博士著作論文目録』が刊行された(ハーベスト出版、公益財団法人中村元東方研究所編集)。博士論文は7年がかりで完成させた[3]。その原稿はリヤカーで弟に手伝ってもらって運び込んだ。指導教授の宇井伯壽も「読むのが大変だ」と悲鳴をあげたという[3][10]、サンスクリット語・パーリ語に精通し、初期仏教の仏典などの解説や翻訳に代表される著作は多数にのぼる。「人々の役に立つ、生きた学問でなければならない」が持論で、訳書に極力やさしい言葉を使うことを企図していた[4]。その最も端的な例として、サンスクリットのニルヴァーナ(Nirvāṇa)およびパーリ語のニッバーナ(Nibbāna)を「涅槃」と訳さず「安らぎ」と訳したことがあげられる。訳注において「ここでいうニルヴァーナは後代の教義学者たちの言うようなうるさいものではなくて、心の安らぎ、心の平和によって得られる楽しい境地というほどの意味であろう。」としている。中村はこの理論の根底として「釈迦は教えを説いた哲学者のような人物で宗教家ではなかったが、死後に神格化されて上座部仏教と大乗仏教が成立した」と捉えていた[11]。この見解に関して、古代インドの宗教観、聖者信仰を踏まえれば、釈迦は何らかの宗教行為(輪廻からの解脱及び涅槃)を目指しており、在世中から既に神格化されていたと考える方が適当だという見方もある(詳しくは大乗非仏説参照)[11]。中村が20年かけ1人で執筆していた『佛教語大辞典』が完成間近になった時、ある出版社が原稿を紛失してしまった[3][4]。中村は「怒ったら原稿が見付かるわけでもないでしょう」と怒りもせず、翌日から再び最初から書き直して8年かけて完結させ、別の出版社(東京書籍)から全3巻で刊行した[3][4][12]。完成版は4万5000項目の大辞典であり、改訂版である『広説佛教語大辞典』では更に8000項目が追加され、没後に全4巻が刊行がされた。日本以外にも、国際的な仏教学者の権威としてアメリカ・ヨーロッパなど各地で講義・講演した[4]。音声録音が多数残されている。NHK『こころの時代』など放送番組にも度々出演した。




    「一一  まことではないものを、まこと*であると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実*に達しない。一二  まことであるものを、まことであると知り、まことではないものを、まことではないと見なす人は、正しき思いにしたがって、ついに真実に達する。一三  屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入る*ように*、心*を修養してないならば、情欲*が心に侵入する。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「一六  善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。かれは、自分の行為が浄らかなのを見て、喜び、楽しむ。一七  悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦難のところ( =地獄など)におもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「一八  善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、幸あるところ( =天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。一九  たとえ*ためになること*を数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。 牛飼いが他人の牛を数えているように。かれは修行者の部類には入らない*。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「四五  学びにつとめる人*こそ、この大地を征服し、閻魔の世界と神々とともなるこの世界とを征服するであろう。わざに巧みな人が花を摘むように、学びにつとめる人々こそ善く説かれた真理のことばを摘み集めるであろう。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「五〇  他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。五一  うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実りがない。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「五四  花の香りは風に逆らっては進んで行かない。栴檀*もタガラ*の花もジャスミン*もみなそうである。しかし徳のある人々*の香りは、風に逆らっても進んで行く。徳のある人はすべての方向に薫る。五五  栴檀、タガラ、青 華、ヴァッシキー* これら香りのあるものどものうちでも、徳行の香りこそ最上である。五六  タガラ、栴檀の香りは微かであって、大したことはない。しかし徳行ある人々の香りは最上であって、天の神々にもとどく。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「六〇  眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里*の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者どもには、生死の道のりは長い。六一  旅に出て、もしも自分よりもすぐれた者か、または自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴れにしてはならぬ。六二  「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。六三  もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「七一  悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まる*ことはない。(徐々に固まって熟する*。)その業は、灰に覆われた火*のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「七六(おのが)罪過を指摘し過ちを告げてくれる聡明な人に会ったならば、その賢い人につき従え。 隠してある財宝のありかを告げてくれる人につき従うように。そのような人につき従うならば、善いことがあり、悪いことは無い。七七(他人を)訓戒せよ、教えをさとせ。宜しくないこと*から(他人を)遠ざけよ。そうすれば、その人は善人に愛せられ、悪人からは疎まれる。七八  悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな。善い友と交われ。尊い人と交われ。七九  真理を喜ぶ*人は、心きよらかに澄んで、安らかに臥す。聖者の説きたまうた真理を、賢者はつねに楽しむ。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「八四  自分のためにも、他人のためにも、子を望んではならぬ。財をも国をも望んではならぬ。邪なしかたによって自己の繁栄を願うてはならぬ。(道にかなった)行ないあり、明らかな知慧あり*、真理にしたがっておれ。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「八一  一つの岩の塊りが風に揺がないように、賢者は非難と賞讃とに動じない。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「九六  正しい知慧によって解脱して、やすらいに帰した人 そのような人*の心は静かである。ことばも静かである。行ないも静かである。九七  何ものかを信ずることなく*、作られざるもの*( =ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を断ち、(善悪をなすに)よしなく、欲求を捨て去った人*、 かれこそ実に最上の人である。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「一〇〇*  無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている。一〇一  無益な語句よりなる詩*が千もあっても、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。一〇二  無益な語句よりなる詩を百もとなえるよりも、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。一〇三  戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。一〇四、一〇五  自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人、 このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天*もなすことができない。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「一五九  他人に教えるとおりに、自分でも行なえ 。自分をよくととのえた人こそ、他人をととのえるであろう。自己は実に*制し難い。一六〇  自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?  自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「一六八  奮起てよ。怠けてはならぬ。善い行ないのことわりを実行せよ。ことわりに従って行なう人は、この世でも、あの世でも、安楽に臥す。一六九  善い行ないのことわりを実行せよ。悪い行ないのことわりを実行するな。ことわりに従って行なう人は、この世でも、あの世でも、安楽に臥す。一七〇  世の中は 沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ*。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。一七一  さあ、この世の中を見よ。王者の車のように美麗である。愚者はそこに耽 するが、心ある人はそれに執著しない。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    人を見る上で一番重要なのは人間性。そのためには「論語」と「ブッダの真理のことば・感興のことば」を読んでおくと良くて、これを読むと最も人間性が優れた人がどういう人か分かるので、そこからの差分で目の前の人の人間性も分かるという理屈。

    「三一七  恐れなくてよいことに恐れをいだき、恐れねばならぬことに恐れをいだかない人々は、邪な見解をいだいて、悪いところ( =地獄)におもむく。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「三三一  事がおこったときに、友だちのあるのは楽しい*。(大きかろうとも、小さかろうとも)、どんなことにでも満足するのは楽しい。善いことをしておけば、命の終るときに楽しい。(悪いことをしなかったので)、あらゆる苦しみ(の報い)を除くことは楽しい。三三二  世に母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい。世に修行者を敬うことは楽しい。世にバラモンを敬うことは楽しい*。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著


    「八  「わたしは若い」と思っていても、死すべきはずの人間は、誰が(自分の)生命をあてにしていてよいだろうか?  若い人々でも死んで行くのだ。 男でも女でも、次から次へと 。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「一一  熟した果実がいつも落ちるおそれがあるように、生れた人はいつでも死ぬおそれがある。一二  陶工のつくった土器のように、人の命もすべて終には壊れてしまう。一三*  糸を繰ってひろげて、いかなる織物を織りなそうとも、織る材料(糸巻き)が残り かになってしまうように、人の命も同様である。一四*  死刑囚が一歩一歩と歩んで行って、刑場におもむくように、人の命も同様である。一五  山から発する川(の水)が流れ去って還らないように、人間の寿命も過ぎ去って、還らない。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「二〇*  「わたしには子がいる。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかし、すでに自分が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。二一  男も女も幾百万人と数多くいるが、財産を貯えたあげくには、死の力に屈服する。二二  いくら財産を貯えても、最後には尽きてなくなってしまう。高い地位身分*も終には落ちてしまう。結びついたものは終には離れてしまう。生命は終には死に至る。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「二五*  大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところに入っても、およそ世界のどこにいても、死の脅威のない場所*は無い。二六  この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれる者どもでも、一切の生き者は身体を捨てて くであろう。智ある人*は、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな行ないをなすべきである。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「一七*  たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。賢者は、「欲望は快楽の味が短い」と知って、一八*  たとい天上の快楽にもこころが喜ばない。正しく覚った人( =仏)の弟子はつねに妄執の消滅を喜ぶ。一九  たといヒマーラヤ山にひとしい黄金の山があったとしても、その富も一人の人を満足させるのに足りない。このことを知って、平らかな心で*行なうべきである。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「一八  どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとってもそれぞれの自己がいとしいのである。それ故に、自分のために他人を害してはならない。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「一六*  花の香りは風に逆らっては薫らない。 昼間に咲く*タガラの花からも、栴檀からも 。しかし徳のある人々の香りは、風に逆らっても薫る。徳のある人は、すべての方向に薫るのである。一七*  タガラ、栴檀、ヴァールシカー*、青 華 、これら香りのあるものどものうちでも、徳行の香りこそ最上である。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「一四  信仰の無い人とつき合うな。水の乾からびた池のようなものである。もしもそこを掘るならば、泥くさい臭いのする水が出て来るだろう。一五  しかし、信仰心あり明らかな知慧ある人とつき合え。 水をもとめている人が湖に近づくように。そこには、透明で清く澄み、冷やかで、濁りの無い水がある。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「八*(托鉢によって)自分の得たものを軽んじてはならない。他人の得たものを羨むな。他人を羨む修行僧は、心の統一安定を得ることができない。九*  もしも楽しく生きようと欲するならば、修行者のつとめに注視して、蛇が鼠の隠れている穴に近づくように、臥処をさがして実践せよ。一〇*  もしも楽しく生きようと欲するならば、修行者のつとめに注視して、互いに満足せよ。唯一つの真理( =ブッダの教え)を念じて修行せよ。一一*  もしも楽しく生きようと欲するならば、修行者のつとめに注視して、教団の所有である衣や飲食物を軽んじてはならない。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「一四*  花を摘むのに夢中になっている人を、死がさらって行くように、 眠っている村を、洪水が押し流して行くように 一五*  花を摘むのに夢中になっている人が、未だ望みを果さないうちに、死神がかれを征服する。一六  花を摘むのに夢中になっている人が、まだ財産が集まらないうちに、死神がかれを征服する。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「八*  自分が他人に教えるとおりに自分でも行なえ。わたしは常にわが身をよくととのえている。自分というものは、まことに制し難いものである。九  自分が他人に教えるとおりに自分でも行なえ。わたしはつねにわが身をよくととのえている。賢者は自分の身をととのえているからである。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「二一(友となって)同情してくれる愚者よりも、敵である賢者のほうがすぐれている。同情してくれる愚者は、(悪いことを教えて)ひとを地獄にひきずり下す。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「二七*  尊い生れの人( =ブッダ)は得がたい。かれはどこにでも生れるのではない。この英雄( =ブッダ)の生れる家は、幸福に栄える。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「一一*  屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養してないならば、情欲が心に侵入する。一二  屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養してないならば、憎しみが心に侵入する。一三  屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養してないならば、迷妄が心に侵入する。一四  屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養してないならば、高慢が心に侵入する。一五  屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養してないならば、貪ぼりが心に侵入する。一六  屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養してないならば、愛執が心に侵入する。一七*  屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、情欲の侵入することが無い。一八  屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、憎しみが心に侵入することが無い。一九  屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、迷妄が心に侵入することが無い。二〇  屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、高慢が心に侵入することが無い。二一  屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、貪ぼりが心に侵入することが無い。二二  屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、愛執が心に侵入することが無い。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

    「六八  大きな激流が極めて弱い葦の堤を壊すように、情欲をすっかり断ち切ってしまった修行僧は、こなたの岸を捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。六九  大きな激流が極めて弱い葦の堤を壊すように、憎しみをすっかり断ち切ってしまった修行僧は、こなたの岸を捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。七〇  大きな激流が極めて弱い葦の堤を壊すように、迷妄をすっかり断ち切ってしまった修行僧は、こなたの岸を捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。七一  大きな激流が極めて弱い葦の堤を壊すように、慢心をすっかり断ち切ってしまった修行僧は、こなたの岸を捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。七二  大きな激流が極めて弱い葦の堤を壊すように、貪ぼりをすっかり断ち切ってしまった修行僧は、こなたの岸を捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」

    —『ブッダの 真理のことば 感興のことば (岩波文庫)』中村 元著

  • ブッダの語る言葉は美しい。

  • 虚空には足跡が無く、外面的なことを気にかけるならば、<道の人>ではない。造り出された現象が常住であることは有り得ない(255)。「一切の形成されたものは無常である」と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である(277)。

    情欲にひとしい火は存在しない。不利な骰(さい)の目を投げたとしても、怒りにひとしい不運は存在しない。迷妄にひとしい網は存在しない。妄執(もうしゅう)にひとしい河は存在しない(251)。恐れなくてよいことに恐れをいだき、恐れねばならぬことに恐れをいだかない人々は、邪(よこしま)な見解をいだいて、悪いところ(=地獄)におもむく(317)。「一切の形成されたものは苦しみである」と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である(278)。

    見よ、粉飾された形体を! それは傷だらけの身体であって、いろいろのものが集まっただけである。病いに悩み、意欲ばかり多くて、堅固でなく、安住していない(147)。骨で城がつくられ、それに肉と血とが塗ってあり、老いと死と高ぶりとごまかしとがおさめられている(150)。この容色は衰えはてた。病いの巣であり、脆くも滅びる。腐敗のかたまりで、やぶれてしまう。生命は死に帰着する(148)。「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか(62)。子どもや家畜のことに気を奪われて心がそれに執著している人を、死はさらって行く。眠っている村を大洪水が押し流すように(287)。人の快楽ははびこるもので、また愛執で潤おされる。実に人々は歓楽にふけり、楽しみをもとめて、生れと老衰を受ける(341)。「一切の事物は我ならざるものである」と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である(279)。

    ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ(305)。愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる、愛するものを離れたならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか?(212)。この身は泡沫うたかたのごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであると、さとったならば、悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへ行くであろう(46)。

    『ダンマパダ』BC4世紀 ※パーリ語。
    ※ダンマ(真理)。パダ(言葉)。

    *****************

    舟から水を汲みだせば、舟は軽やかになる。情欲を断てば、安らぎにおもむく(26-12)。屋根を良く葺いてある家に雨が洩れ入ることがないように、心を修養してあるなら情欲が心に侵入することがない(31-11)。

    『ウダーナ・ヴァルガ』
    ※ウダーナ(感興のことば)。ヴァルガ(集まり)。

    無明によって生活作用があり、生活作用によって識別作用があり、識別作用によって名称と形態があり、名称と形態によって六つの感受機能があり、六つの感受機能によって対象との接触があり、対象との接触によって感受作用があり、感受作用によって妄執があり、妄執によって執著があり、執著によって生存があり、生存によって出生があり、出生によって老いと死・憂い・悲しみ・苦しみ・愁い・悩みが生ずる。

    『ウダーナ』 ※パーリ語

    ******************************

    自己の所有したものは常住ではない。この世のものはただ変滅する(805)。

    感受されたものはすべて苦しみである(思い通りにならない)(739)。いろいろと考えてみても、結果は意図とは異なり、壊れて消え去る(588)。精神と身体(名称と形態)に縁って接触が起こり、接触に縁って快・不快が起こり、快・不快に縁って欲望が起こり、欲望に縁って愛し好むものが起こる(872)。苦しみは識に縁って起こる。識が止滅されるなら、苦が生起することはない(735)。

    自分のものであると考える物は、その人の死によって失われる(806)。目覚めた人が夢の中で会った人をもはや見ることがないように(807)。世人は非我なるものを我と思いなし、精神と身体(名称と形態)に執著している(756)。世人は好ましく愛すべく意に適うものが安楽であり、それらが滅びることが苦悩であると考えているが、自己の身体を断滅することが安楽である(761)。神霊に供物や犠牲をささげている者は、生や老衰をのり超えていない(1046)。何ものにも動揺せず、望むことのない者は、生や老衰をのり超えている(1048)。喜びと執著と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな(1055)。

    いかなる所有もなく、執著して取ることがない、これが島(避難所)であり、老衰と死の消滅であり、安らぎ(ニルヴァーナ)である(1094)。所有欲を離れるだけでは安らぎに到らない。想うのでもなく想わないでもない境地(有無の差別を超えた境地)だけでは安らぎには到らない(874)。愛執の消滅を昼夜に観ぜよ(1070)。精神と身体(名称と形態)に対する貪りを全く離れた人には、死に支配されるおそれがない(1100)。子も、家畜も、田畑も、宅地も存在しない。すでに得たものもなく、未だ得られないものもない(858)。

    『スッタニパータ』 ※パーリ語
    ※スッタ(経)。ニパータ(集まり)。

    *********************

    物質的なものや肉体と精神の働き(感受・表象・形成・識別作用)は、常住不変の主体・自分の本性(アートマン)ではない。清らかな行いを実践し、道を修めた者に死の恐怖はない。病気が癒えた時、死の恐怖がないように。『テーラ・ガーター』

    『テーリー・ガーター』
    『ジャータカ』

    **************************
    ブッダが亡くなられたとき執着を離れていない修行僧は両腕をつき出して泣き、砕かれた岩のように打ち倒れ、のたうち廻り、ころがった。愛執を離れた修行僧らは正しく念い、よく気をつけて耐えていた。およそつくられたものは無常である。どうして滅びないことがあり得ようか(24-10)。

    『マハーパリニッバーナ・スッタ』BC4世紀 ※パーリ語。
    ※マハーパリニッバーナ(大いなる死)。スッタ(経)。

    **************************

    冷たさ・暖かさ・飢え・渇き・大便・小便・怠惰と睡眠・老いること・病気・死は、身体に付随して生じる。執着を断ち生死を離れた者の心は身体に依存して作用するが、身体に対して命令を発し、主宰することはない。生きとし生けるものはすべて、地に依存して歩き、生活し、行動するが、かれらが地に対して命令を発し、主宰することがないように(2-6-7)▼執着を断ち生死を離れた者は、身体の苦しみを感受するが、心は動かない。大樹が風の力に打たれたとき、枝は動いても、幹は動かないように(2-6-7)。解脱した人でも肉体的な苦しみが生ずる因縁は休止しないので肉体的な苦しみは感受する。しかし解脱した人は心的な苦しみが生ずる因縁が休止しているので心的な苦しみを感受しない(1-2-4)。出家者は身体に執着しないが、清浄なる修行を成すために身体を保護する(倫理的な行為の主体としての自己は肯定)(1-6-1)。

    身体に縁って、脳に縁って、感受作用によって、表象作用に縁って、識別作用によって、(例えば)「ナーガセーナ」という名称が起こる。人格的な個体は存在しない(1-1-1)。部分の集まりによって"車"という言葉があるように、五つの構成要素が存在するとき、"生けるもの"という呼称がある(1-1-1)。(例えば)眼と色と形(縁えん)によって眼の識別作用が生じるのであり(1-3-6)、個我(霊魂)は存在しない(1-7-14)▼現在の名称と形態(精神と身体)(人格的固体)が次の世に生まれるのではなく、現在の名称と形態(精神と身体)の行為(業)によって、他の名称と形態が次の世に生まれる(1-2-6)。名称と形態に業は随伴している(1-5-8)。輪廻の主体が1つの身体から別の身体に転移するのではない。例えば、ある灯火(ともしび)から火を点ずる場合、火が1つの灯火から他の灯火へ転移したわけではない(1-1-5)。個人存在は現に存在しつつ生起する(1-3-5)。無我は輪廻の観念と矛盾しない(1-2-1)▼輪廻の流れに入り、生存を繰り返すことは苦しみである(2-4-5)。執著ある者は次の世に生まれる。執著のない者は次の世に生まれない(1-1-7)。

    現象世界は輪廻する。輪廻とは魂(実体的な核)が器(身体)を変えながら受け継がれることではなく、現象世界(無常・苦・無我)が業(後に結果をもたらすはたらき)によって繰り返し起こること。

    『ミリンダ王の問い』BC1世紀
    ※ギリシア人ミリンダ王(メナンドロス1世)と仏教僧ナーガセーナの問答。
    ※パーリ語

    ********************************
    (悪魔)子ある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の喜びは、執著するよりどころによって起こる。執著するよりどころのない人は、実に、喜ぶことがない。(ブッダ)子ある者は子について憂い、また牛ある者は牛について憂う。人間の憂いは執著するよりどころによって起こる。実に、執著するよりどころのない人は、憂うることがない。

    欲楽に耽(ふけ)るな。また自らを苦しめるな。真理の体現者はこの両極端に近づかないで中道を選ぶ。

    現象世界は、条件付けられている(有為・縁起)ため、常に移り変わり続ける(無常)。常に移り変わり続けるのであるから、自分の心と肉体は思い通りにはならない(苦)。思い通りにならないのであるから、自分の心と肉体は「私のもの」ではなく、常住不変の主体・自分の本性(アートマン)ではない(無我)。自己そのものを否定しているのではなく、自己の所有を否定している。常住不変の実体を否定している。常住不変の自己の本質を否定している。

    『サンユッタ・ニカーヤ』 ※パーリ語

  • 私は嫌なことがあって、友達に愚痴ってもなお、気が晴れないときに、ぐっとこらえてこの本を読みます。やり場のない怒りも、お釈迦様にかかればポジティブに受け取れる。

  • 半分くらいは注釈。結構内容が極端だとは思うので、気になるとこをパラパラ見るくらいがちょうどいい気がする

  • ブッダが言った尊い一言をまとめた一冊。
    真理・感興どちらも長いわけではないんだけど、淡々と書いてあるので以前読んだ「ブッダのことば」の方が頭に入ってきやすかったかも。

    四諦八正道を極めるとなるとやはり難しくハードルが高いなぁと思うが、それすらも「楽しむ」という考え方が好きだなと思った。
    今回も胸に刺さった言葉が多く、今後何度も思い出すと思う。

    これも評価はスキップする。

    P179 (18)
    どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとってもそれぞれの自己がいとおしいのである。それ故に、自分のために他人を害してはならない。

  • 内容わかりやすく、何度も手に取って読みたい本。悩み克服のバイブル。心にスッと入ってきて、身も心も引き締まります。仕事でやる気が出ない人、恋愛の執着に悩まされている人など、あらゆる悩みを抱えている人に勧めたい本。仏教の教えを学ぶことで悩みを克服しやすくなると思います。

  • T図書館+youtubeアバタロー氏
    1978年出版
    現代語訳の本
    訳注は巻末にまとめてある

    ゴータマ・シッダールタ 
    5~6世紀生まれインド北部のシャカ族国家の王子
    宗教的関心が強く出家しようと思っていた少年、29才で出家
    6年費やした後、菩提樹で7日目にして悟りを開き、会得してブッダになった

    《感想》
    身近な仏教だから読めば納得できる内容
    合理的なことが書かれているので性格にあっていた
    あとがきを見ると、学術的に様々な訳があり苦労した点がうかがえた

    《内容》
    真理の言葉
    訳注
    感興の言葉
    訳注
    あとがき

    〇苦しみがついてくる人の特徴
    あらゆるものは一定ではなく絶えず変化しているという心理を理解すれば苦しみが遠ざかり、心が安らいでいくというわけだ=諸行無常
    思い通りにいかないと執着が生まれ、生きるのが苦しくなってしまう
    子どもも自分の所有ではない

    〇賢い人と愚かな人の違い
    努力している人は些末なことにとらわれず本当に大切なことに集中して生きている
    誰とでも仲良くするのではなく、賢者と交流し、愚かな人とは距離を置くべき

    四法印
    一切皆苦:この世の一切は苦しみだ
    諸行無常:この世は移り変わる
    諸法無我:すべての物事は関係の中で成り立っている
    涅槃寂静:煩悩が消滅した心安らかな境地

    〇心を整える合理的な方法
    他人に注目するな
    自分がしたことしなかったことを見る
    無駄を1000回やるより目的に叶ったことを1つしよう
    勝ち負けにこだわらない
    恨み嫉妬怒り悲しみがついてくる
    客観的で合理的な見方を身に付けよう

  • ◯他のお経と比べると、文章の一つ一つが単独で成り立っているため、文章の意味がこぼれ落ちてしまう。やはりストーリーや、ある種の流れ、論理性によって説得的になるのも、こういった経典においても同様なのだと実感した。(単純に自分の集中力の不足もあると思うが…)
    ◯感興のことば後段に出てくる、対比と類似の文章の流れは、是非原文の音読によって音として体感することも必要だと感じた。ただ、文字だけでは伝わらない部分があるとしても、文字の並びは壮観であった。
    ◯この辺は般若心経でも重要視されている音自体に意味があることにつながってくるのかと思うと、また面白い。

  • スキャンしました、、

  • 原始仏教の教えがまとまっている詩集。

    本書はパーリ語とサンスクリット語の同じ経典を
    セットにした内容らしいので、内容は被っているが、
    後の時代に書かれたからか、感興のことばの方が
    分かりやすくまとまっているように思う。

    この世界は基本的に、
    諸行無常で一切皆苦で諸法非我であり、
    苦しみから逃れるには執着や欲望を
    捨てて善を為す事を繰り返し説いている。

    何でもかんでも救ってくださる
    優しい仏様だと思って近づくと、
    私のような欲望にまみれた凡夫にとっては、
    ブッダの説くところはなかなか厳しい。

  • 仏陀の教えを集めた「ダンマパダ」法句経という名でも知られている。同じく収録されている「ウダーナヴァルガ」も仏陀の教えを集めたものとされているが、編纂されたものの中にはだいぶ後期のものも混ざっているらしい。それらを現代にも通用する言葉で翻訳された本である。


    オーディブルで聞いた。もとは詩なので、何度も同じフレーズが出てくる。壊れたテープかな?ってくらい同じフレーズが出てくる。これを本で読むのは結構辛そう。オーディブルでよかった。あとがきで翻訳者も「音で聞いて理解できる言葉で書くよう努めた」とあるように、ある程度の言葉は理解できる。ときおりわからない単語も出てくるが、大体わかれば問題ない。

    基本的にあらゆる欲を捨てることで安らぎ(ニルヴァーナ)に至ることができると書かれている。

    アニメ「イノセンス」にも出てきたセリフ
    「孤独に歩め。悪をなさず、求める所は少なく、林の中の象の様に。」の元になった文章も出てくる。

  • 中村 元

  • 言霊原理に照らし合わせて古き世から現代にさえ通用する箴言の数々。あなたを望ましい結論に導く知恵であふれている宝石箱と言えよう。これらの類は1回読んで簡単に身に付くものではなく、人生を通じて繰り返し味読しつづけるべき古典のひとつである。

  • 仏教は男女の交わりを禁じてますがこの本でも仏陀は子孫を望むなと説いてる。理由は子供を持つことで執着に縛られるからだという。でもみんな出家して戒律を守ったら人類は滅亡してしまうなぁと思うのだがこの辺はいくら考えても回答が出ない。なぜ人としての生活を禁じるか。仏陀に聞いてみたい。

  • どう生きるべきかは『ブッダのことば(スッタニパータ)』と似ているが、より教義味を帯びてはいる様に感じる。後半の『感興のことば』の方が馴染みやすい。

  • 構成が変わっているのとページが多いのとで読むにはかなりの時間と体力が必要になります。余裕のあるときのみ読むのをおすすめします。

    内容ですが、今に通ずるものもあればこれは今の価値観からすれば少しおかしいのではといったものもあります。ただ、全体的に内容はよく、ギクッとさせられるものが多かったです。

  • 関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB00133521

  • ブッダが直接語ったとされる阿含経である「ダンマパダ(法句経)」と感興を覚えた時に口にしたという句「ウダーナヴァルガ」を収めている。

    本書の半分くらいは注釈なので、案外ボリュームは少なく、読みやすい。

    仏教の根本的な思想が、教典のような格式ばった感じでなくすぐ横にいる人がつぶやくように発せられているので、親しみやすいと感じた。

    特に、生きる事に正面から向き合っているような本なので忙しくて自分を見失いそうなときにまた読み返したいと思う。

    悪い事をするな。
    自分を大事に生きよ。
    良き友が得られなければ一人で往け。
    怨みは怨みのないことにより止む
    花を摘むことに夢中になっている人を死がさらう
    謗りを忍ぶひとにこそ勝利がある
    我がものはなし

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