般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784003330319

感想・レビュー・書評

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  • 囚われてはいけない。
    囚われてはいけないという事にも、囚われてはいけない。
    それがこの経の内容です。

    色とは物質世界です。
    でも、色にレベルがあるのなら、精神世界とはより薄い色かもしれません。

  • 2種のお経の本文と現代語訳が書いてあるだけなので、これだけで素人が正確に意味を理解するのは難しいのかもしれませんが、豊富な注釈があるので丹念に読めばそれなりに頭に入ってきます。
    般若心経の一部をつい忘れたときにすぐに参照するのにも便利です。

  • 中村元先生の講義と併せて原典を読む。般若心経は短く親しみがあるが、金剛般若経は難解。繰り返し何事にも囚われてはならない、執着がある時点で悟りには程遠いということが書かれているように朧げながら感じるが、一つ一つの言葉は理解できていない。

  • 【般若心経・金剛般若経】
    中村元・紀野一義訳、岩波書店、2013年

    「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい」

    仏典で一番有名なのが「般若心経(はんにゃしんぎょう)」ではないか。

    その300字ほどの言葉で仏教の真髄が書かれていると言われていて、その思想が「空(くう)」。

    人間の肉体や、感じること、表すこと、思うこと、知ること、には実体がなく、ゆえに苦しみも悲しみもない、とする。

    小説「西遊記」では孫悟空や猪八戒、沙悟浄を引き連れて天竺を目指したとされる玄奘三蔵法師が、インドから持ち帰って翻訳したのが、今に伝わる般若心経だそう。

    なお、浄土真宗では般若心経は唱えられない。般若心経は悟りを開いて「空」の境地にたどり着くことを薦めるが、浄土真宗の開祖親鸞上人は、悟りを開く努力ではなく、阿弥陀佛に一切を委ねることだけでよく、そのためには「南無阿弥陀仏」を唱えるだけでよいとする思想だからだそう。

    読んでも簡単にはわからない。
    でも、1500年以上継いできた言葉の重さがある。

    「般若心経」の最後の一文はマントラ(真言)で、悟りに至るための祈りなのだという。

    ーー
    羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
    (ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)
    ーー

    訳者の中村は
    「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ」
    と訳している。


    ーー
    仏説摩訶般若波羅蜜多心経
    (ぶっせつまか はんにゃはらみた しんぎょう)

    観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
    (かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう)

    度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
    (どいっさいくやく しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう)

    空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相
    (くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ しゃりし ぜしょほうくうそう)

    不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中
    (ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん ぜこくうちゅう)

    無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
    (むしき むじゅそうぎょうしき むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう)

    無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽
    (むげんかい ないしむいしきかい むむみょうやく むむみょうじん)

    乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
    (ないしむろうし やくむろうしじん むくしゅうめつどう むちやくむとく)

    以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
    (いむしょとくこ ぼだいさつたえ はんにゃはらみったこ)

    心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想
    (しんむけいげ むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう)

    究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故
    (くうぎょうねはん さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ)

    得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
    (とくあのくたらさんみゃくさんぼだい こちはんにゃはらみった)

    是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
    (ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ)

    能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪
    (のうじょいっさいく しんじつふこ こせつはんにゃはらみったしゅ)

    即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
    (そくせつしゅわっ ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)

    菩提薩婆訶 般若心経
    (ぼじそわか はんにゃしんぎょう)

    仏説摩訶般若波羅蜜多心経
    (ぶっせつまか はんにゃはらみた しんぎょう)

    観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
    (かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう)

    度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
    (どいっさいくやく しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう)

    空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相
    (くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ しゃりし ぜしょほうくうそう)

    不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中
    (ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん ぜこくうちゅう)

    無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
    (むしき むじゅそうぎょうしき むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう)

    無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽
    (むげんかい ないしむいしきかい むむみょうやく むむみょうじん)

    乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
    (ないしむろうし やくむろうしじん むくしゅうめつどう むちやくむとく)

    以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
    (いむしょとくこ ぼだいさつたえ はんにゃはらみったこ)

    心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想
    (しんむけいげ むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう)

    究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故
    (くうぎょうねはん さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ)

    得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
    (とくあのくたらさんみゃくさんぼだい こちはんにゃはらみった)

    是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
    (ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ)

    能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪
    (のうじょいっさいく しんじつふこ こせつはんにゃはらみったしゅ)

    即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
    (そくせつしゅわっ ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)

    菩提薩婆訶 般若心経
    (ぼじそわか はんにゃしんぎょう)

    #優読書

  • 言わずもがなの262文字。

  • なんとなしに¥108だったから…だれかれとなく、仏教というものに触れてみたい、そんな気がしたからだった気がする。
    お題目のように唱えられたり、写経されているこの般若心経。それを無駄とは言わないが、この般若心経は一種仏陀という男の境地であるから、実践以上のなにものからも、その境地は得られない。書いたり唱えたりすることだけで得られるのなら、誰も苦労しない。しかし、きわめて当たり前のこと。こんな当たり前のことをわざわざ書かなくても、存在するということそのものが、般若波羅蜜多なのだから。おそらく、哲学の境地というのは、一周まわってみたとき、当たり前が当たり前であると驚ける、そこにあるのだといつも思う。
    生きるとか死ぬとか、ただのことばであったのだ。ただのことばとは言っても、そういうことばを人間がどういうわけか持っている。人間というものはどういうわけか、存在しないというものを考えられない。ということは、人間の成すこと、人間そのものが存在していなかった、存在しない存在だった、そういうことになる。そのように気づけるとき、なんといまここにある、ご縁の不思議さの愛おしいことか。
    キリスト教は、神の偉大さを前にすることによって、人間存在を存在しないほどのところまで引き離す。理想と現実、善悪、彼岸と此岸、二元論となるのも納得できる。
    逆に仏教にとっては、天地開闢はありえないのである。分けること自体がもう弥陀の本願から遠く離れてしまうのだ。ところが、どうも後世になるにしたがって、このことが間違って伝わってしまったらしい。天界に序列などない。少なくとも、仏陀はそんなもの想定する必要なかった。仏陀が偉大な存在に命じられて悟ったというのは、明らかに後世のフィクションである。末法を憂えたのはこのためである。教えが廃れるのではなく、教えを教えと信仰するところを彼は憂えたのである。
    だが、仏陀のことばを伝えようとすることの方が価値があるとしたところは、仏陀の痛恨のミスであると思う。確かに、すべての人類が般若波羅蜜多に至るその時、これほど最高善に満ちた理想の世界はあるまい。そういう改革を目指したところは、イエス同様、情熱的な宗教家であると思う。般若波羅蜜多を掲げることで、理想を存在させたという点は極めて実践的である。だが、その状態をお題目にすることでそれが達成されるかはまた別の話で。仏陀自身が悠久の廻り道を経て辿り着いたその境地を唱えて達成できれば、はじめっからそうしている。総じて、宗教というものは形から入ることで、人間存在の変革を目指すところにあると思うが、どうにもそれだけでは足りないというか、不十分であるところに人間存在の不思議さがあるわけで。そこで、何はともあれ信じろ、と教義を持ち出すのである。宗教が詐欺に変わる瞬間である。
    仏陀もずいぶん教祖として持ち上げられて苦労した事だろう。そんな面倒なことしなくても、この自分という存在があれば、世界は無限に耕せる。天上天下唯我独尊とはそういうものであったはずだ。
    それにしてもこうやって、日本のことばで語り直そうという試みが今までになかったというところにも驚かされる。学問が寺の僧侶によって閉じ込められていたという点にも事情があると思う。だが、それ以外にも、そうした教えというものさえも、流れるものとして、信仰にできない、このお国の精神風土も関係あるんじゃないかと思っている。ある種、仏教さえも八百万のひとつであるかのように。

  • 奥深い。般若心経の世界に引き込まれる

  • 般若心経と金剛経の対訳と解題。解題が興味深い。般若心経のサンスクリット写本は日本の法隆寺にしか現存していないというのでまず驚いた。
    しかし、サンスクリットを漢語に訳してそれを更に日本語に訳してお経として読んでいるのだから何とも不思議な話だ。日本人の外国文化の吸収の仕方ってほんと不思議。

  • 大崎Lib

  • やはり、仏典を読むには正攻法しかないわけで、その最適の書ということだと思う。
    不親切と言えば不親切。
    しかし、そうでないと接近さえ認められない。

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著者プロフィール

新潟大学人文学部准教授
1977年、東京都八王子市生まれ。1999年、東京都立大学人文学部史学科卒業。2009年、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学、博士(史学)。
八王子市総合政策部市史編さん室専門員、獨協大学法学部特任助手を経て現職。
著書・論文に、『東京の制度地層』(公人社、2015年、共著)、『新八王子市史 通史編5近現代(上)』(八王子市、2016年、共著)、『新八王子市史 通史編5近現代(上)』(八王子市、2017年、共著)、「1930・40年代日本の露店商業界紙『関西俠商新聞』・『小商人』・『日本商人』について」(『資料学研究』12号、2015年)、「戦災の記憶の継承と歴史資料――長岡空襲の事例に即して」(『災害・復興と資料』8号、2016年)など。

「2018年 『近現代日本の都市形成と「デモクラシー」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

中村元の作品

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