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Amazon.co.jp ・本 (366ページ) / ISBN・EAN: 9784003332375
作品紹介・あらすじ
大拙本人が、自身の代表作とした著作。戦時下の緊迫した状況下に書かれた。禅を「思想」、「行為」、「問答」の三テーマに分けて、禅の古典籍を引用しながら、言葉を超えた禅思想の在り処を言葉によって縦横に説き示す。今回初めて、通読を容易にすべく引用漢文に訓読文を大幅に追加注記した(解説=横田南嶺・解題=小川隆)
みんなの感想まとめ
テーマは、禅思想の深淵な理解とその体験を通じた自己探求です。本書は、禅を「思想」「行為」「問答」の三つの側面から探求し、古典的な禅の教えを引用しながら、難解さと向き合う重要性を説いています。読者は、初...
感想・レビュー・書評
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家庭のしつけや義務教育、信仰は、人間のOS(オペレーティングシステム)を形成する上で重要だが、それが肉体の内受容知覚と結びついて身体化されぬなら、思想もただのファッションである。内受容知覚と結びついた外部世界は、肉体を反応せしめる。しかしこれが表層的なファッションとして身に着けるものならば、そのデザインにワクワクと高揚する気持ちはあっても、痛みを伴うほどの正負の感情がない。つまり、その思想は、洋服同様ファッションそのものである。そして、私にとって禅というものへの偏見は、これをファッションとして見ていた事にある。禅問答なんか、ただのレトリックとして認識していた。
本書は仏教用語が多用されるので、難解。だが、その難解な本と向き合う意味も含めて、頭の中に思考が巡る。禅とは、頭で考えるものではなく、体験するものだというのだ。そして、他者と比較せず、自己の内面と向き合う事だという。逆らうつもりはないが、益々、この思想と真正面からぶつかってみたくなる。
で、理解できぬまま、何とか糸口を探そうとしている読書の旅の途中で、何度も行き詰まり、その都度、考えを修正させられる。自己の内面と向き合う事で悟りを得るのが目的ならば、悟りは主観的な自己宣言でしかないし、それを他者に顕示する事は禅の精神に反するだろう。まして努めて難解な言葉遣いをするならば、それは格式高く高尚を装って、ますますファッション然としているではないか。坐禅や衣装、禅問答も含めてパッケージ商品ではないかと皮肉の一つも言いたくなるのである。
読み進める。すると、今度はその難解さに意味があるのではと感じ始める。つまり哲学同様、日常慣れた言葉で一意に内意を吸い寄せられぬよう、慣れぬ言葉を敢えて用いるのだと。難解であるからこそ、自己の主観的体験を投影して咀嚼するバッファが担保されるのだろう。つまり、この「難解なスタイル」こそ、禅の精神を体現したものかもしれないという境地に辿り着く。
こうして「難解な禅」を理解するために、また新たな禅問答に挑むことになる。まるで、永遠に解けないパズルを楽しむかのように。だが、パズルならば、まだファッションの領域なのであった。禅を身体化させるなんて生半可ではない。意識しなくなって初めてそれと気付くから思想なのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
世界的な禅学者である鈴木大拙が禅について記した代表作。
それがこの『禅の思想』である。
外に向けた本でなく、日本人向けの学術的な本ではあり、内容は禅思想、禅行為、禅問答の3章に分かれている。
基本的には過去の禅僧たちが残した問答や著作を紐解いて、それを大拙が解説するという形を取っている。
元々、日本の諺でも禅問答と言えばわけの分からん問答として描かれる事が多いが、この本も例に漏れず。
私の読解力、知識の問題も多分にあると思うが、一応読んだとはいえ半分くらいはマジで何が書いてあるのかわからなかった。。
とは言え、今の自分でもわかって、いいなと思う考えもあった。
禅は思想の面では「無分別の分別」、行為の面では「無効用の用」が肝要ということである。
それにしてもこの本は大戦の真最中に書かれたものであり、大拙はまさに遺作になりかねんとして書いたようだ。
禅という叡智と慈悲の宗教を研究するものにとって愚かで残虐な戦争を見るのは、いかばかりの気持ちだったのだろうかと想像する。 -
禅の源流、真髄を知るには身体知が必要か。
要再読。
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