日本アルプスの登山と探検 (岩波文庫)

著者 :
制作 : 青木 枝朗 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 45
レビュー : 7
  • Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003347416

感想・レビュー・書評

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  •  山仲間が面白かったとススメてくれた。この秋、槍お留守番の身として読んだ。

    「真東の空には三角形の常念岳がくっきりと浮かび上がり、はるか彼方には浅間山の噴煙も立ち昇っている。南方には、手前に脊梁山系の穂高山と乗鞍の巨峰、その背後に御岳が望まれ、東南には駒ヶ岳、さらにその先に甲州の山々が毅然として立ちはだかっている。しかし何といっても、威風四辺を払うのは均整のとれた富士の円錐形で、ここから直線距離でほぼ90マイル彼方の太平洋岸にすっくと聳え立っている。」

     こんな槍の山頂からの描写を読んで行った気になっておこう。

     明治の頃に来日していたイギリス人宣教師。 山開きの日のウェストン祭などで有名。日本には3度長期滞在し、日本各地の山に登っては日本の山の美しさや当時の日本の風習を世界中に紹介した。本書もそうした意図で記された著者1回目の日本滞在中の山行の記録だ。
     数度の来日が示すように日本に好意を抱いていたのだろう。日本の風土、自然、文明、そして日本人に向ける視線、接し方が暖かい。進んだ文明を押し付けよう、啓蒙してやろうという高飛車な様子もない。登山の楽しみを広めようという鼻息の荒さもなく、ただ自分の好きな登山を楽しみ、純粋に日本の自然の素晴らしさに感銘を受けたことを母国や西洋域の人に伝えようとする飾り気のない筆致がいい。おそらく当人は日本で翻訳されることは意識していなかっただろう。日本人に読まれると想定していなかった、それなのに悪く書いてない感じが実にいい。各地で催されるウェストン祭や、レリーフ、銅像の存在などから見ても、だれもが温かく彼を迎え入れているのが感じ取れる。

     なので、淡々と山行を記すだけなので波瀾万丈も冒険奇譚も期待できない。文章にも気負いがなく、山行の部分より、むしろ前後の道中、里山での日本人とのふれ合いや、あの頃の生活、風習の記述のほうが貴重で面白いかもしれない。

     明治の頃、東京大阪の都会はいざ知らずだが、地方のどこへ行っても礼節を重んじる日本人の姿がある。
    「こんな田舎の人でも、礼儀にかなった挨拶を知っているのである。彼らと話しあってみると、ほんとうの優雅さというものが、単に上流階級だけの独占物ではないことがすぐわかる。」
     日本人の風呂好きについても、とある村人の「今は夏場で忙しいものですから、一日に二度しか入浴するひまがなくて、汚い身体をしています」と詫びを言ったという話を面白く紹介している(冬は暇だから4,5回入るとか!)
     一方、まだ未開な部分も残っていたのか、旅の道連れの同僚が医者と勘違いされ(「まじない師」として知れると)、診察希望の行列ができ「みすぼらしい民家の縁側がにわか仕立ての病室になった」と記す。 登山そのものも、レジャーという感覚すらなかった当時、山に入ると聞いた地元の人は「銀鉱を探しに来たのですか?」 「銀でないとすると、それでは水晶ですね?」 と質問を浴びせたというのだから面白い。その他、宿屋では毎回のように隣室の宴会の騒ぎに悩まされ、蚤に眠りを妨げられたり、山の猟師の天気予報(鳩の鳴き声につれてこだまが聞こえたら晴れなど)、今は失われた知恵などが記されているのも貴重だ。

     日本のことを母国で紹介しようしたためか、ジンリキシャ、トコノマ、フスマ、インムスビ、キツネツキ etc.とそれらの言葉を異国人ならではの感性で捉えて解釈、表現しているところも面白い。訳者の表現も巧みで、カタカナで表記されたこれらの言葉は、きっと原書でも日本をそのままローマ字で記したものになっているのだろうと想像しながら読めた。
     山の本というより、明治の日本の姿を記したタイムマシーンのような一冊で、非常に楽しかった。

  • ウェストンの著書
    なんで鉱石でも水晶でもなく
    たのしみで山にのぼるのか?
    今はわかってもらえるかもしれないが
    とうじは難しかった。

  • イギリス人宣教師ウェストンの1891年から1894年にかけての日本アルプス登山の記録.山に登るのは山岳信仰の信者と猟師たちくらいという時代で,道なき道をぐいぐい進んでいく.そんな道中が楽なはずはないのだが,何かしらのんびりした楽天的な空気が文章から漂ってくる.そこはウィンパーの本とずいぶん違うところ.この本の中の幾葉かの写真を見ていると,この旅からたった百年しか経っていないのに,その間の日本の劇的な変わり具合に唖然とする.

    本文の14章までは章題がついていないので,後の便利のために書いておく.
    第1章 (1891) 浅間山 
    第2章 槍ヶ岳(登頂失敗)
    第3章 御嶽山 木曽駒ヶ岳 天竜峡下り
    第4章 (1892) 乗鞍岳
    第5章 槍ヶ岳
    第6章 赤石岳
    第7章 (1893) 針ノ木峠
    第8章  立山
    第9章 穂高岳
    第10章 恵那山 富士山
    第11章 (1894) 親不知・子不知 大蓮華岳 (白馬岳)
    第12章 笠ヶ岳 中尾峠 常念岳
    第13章 御嶽山
    第14章 山岳信仰のシャーマニズムについて

  • ぼくらは街にさまよい、今を見つめ、何を求めているのか。
    必然的に何かに頼ることに慣れたぼくらは、
    本質的な信仰を掲げるでもなく、真の苦悩を知らずに育った。
    困難を越える勇気も、戦う気概も、何もないまま・・
    そうやって、生きてきた。別に、それで、暮らせるんだから。

    『ウォルターウェストンは、こよなく日本アルプスを愛した。
    そして近代アルピニズムは、ここから始まったのだ。』

    山に対する畏れや信仰は、これ以前から存在する。
    ヤオヨロズとしての霊峰。山は、そこに意味があった。
    そして、冒険的要素を付加した活動の楽しみが伝わる。
    美しく、それでいて険しく困難な道を行くこと。
    自然との融合、異文化との接触、自ら臨むということ。

    ぼくは、ただ、超えるべきだ、と思った。超えるべきなんだ。
    今は言葉にできないもどかしさが喉をかすめるけれど、
    いつかきっと、求めずとも手に入れることができる価値が、
    もやもやして漠然とした不安感を払拭する何かが、
    ぼくにも分かるのかもしれないという・・。

    取り留めのない、駄文。申し訳ないくらい。
    そう大げさな読み物でもないのだけど、
    ぼくの妄想力をして、こういうことを考えてしまっただけ。

    なので、そんなに人には勧めません。まぁただの紀行文だから。

  • 【2006年7月】穂高岳・槍ヶ岳等々、日本アルプスの美しさの魅力だけではなく、良い物も悪い物も含めて日本の原風景を伺い知ることができる一冊。山行って緑に囲まれてゆっくりしたくなる。

  • 日本アルプスの名付け親とされるウィンストンの、日本山岳探検記、文明開化の届いていない山里に分け入り、江戸時代のままの宗教観、因習にとらわれてる田舎に近代登山を持ち込んだ男の苦労と感動が伝わってくる。

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