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Amazon.co.jp ・本 (448ページ) / ISBN・EAN: 9784003347911
みんなの感想まとめ
日本の鎖国末期を背景に、異文化交流の視点から描かれた物語が魅力的です。江戸時代のロシア人の目を通して、日本の風景や人々の姿が生き生きと描写されており、翻訳の質も高く評価されています。特に、役人たちの対...
感想・レビュー・書評
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漂流記関連の副読本として、興味深く読めました。翻訳がいいのか江戸時代の雰囲気が当時のロシア人の目を通していきいきと伝わってきます。もちろん役人もろもろの対応もおもしろいです。日本人って当時からはっきりしないというかこういう所が日本人を形成しているというか。
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http://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/AMLMD0ABGK8WK/ref=cm_cr_pr_pdpこはさんのレビューで見つける。(2011.6.25)
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150110 中央図書館
鎖国末期、国境の現場で調整に苦闘する人々の姿が見える。レザーノフは、帰途、シベリアで亡くなったと。 -
吉村昭『間宮林蔵』(講談社文庫)の冒頭で、林蔵はロシア軍艦による択捉島襲撃事件に巻き込まれる。この事件を含め1806年9月から1807年6月にかけて樺太、択捉島など北方各地でロシア軍艦による襲撃事件が頻発するが、これら一連の事件は実はロシア全権大使たるレザーノフの命令に基づくものであった。
レザーノフは、通商を求めるロシア皇帝の国書を携えて1804年9月に長崎に来航。12月になってようやく上陸を許されたが、竹矢来に囲まれた屋敷で事実上の軟禁状態に置かれた。その後も幕府ののらりくらりとした対応に翻弄され、挙句の果てに翌年3月には通商拒否を通告されて長崎を追い出されている。
こんな仕打ちを受ければレザーノフならずとも何らかの腹いせをしたくなるもの。実際に日本側は襲撃事件をレザーノフによる報復行為と受け取って北辺の警備を強化、襲撃事件を知ったロシア側も狼狽して日本からの報復行為を恐れ、日露間は一触即発の緊張状態に陥った。
しかし本書を読むと、彼の冷静で忍耐強い性格がよくわかる。彼は、決して幕府の非礼を怒り激情に駆られて樺太・択捉襲撃を命じたわけではない。長崎を離れて北太平洋ロシア領(アラスカ)を視察した彼は、そこで深刻な食糧不足に苦しむロシア人たちを目の当たりにする。これが対日通商の必要性を改めて痛感させたらしい。
かくして1806年8月、レザーノフは樺太・択捉襲撃命令を発する。襲撃の目的は、ロシアとの貿易を望む日本民衆の不満をバネとし、日本政府にショックを与えて日露貿易を実現することだとされた。彼は翌月にはその命令書を撤回したが、彼の部下たちはこれを無視して各地で襲撃事件を起こす。レザーノフはその事実を知ることなく、1807年3月にシベリアで病没している。
ところで、なぜ彼は日本民衆が対露貿易を望んでいると判断したのか。驚くべきことだが、彼は半年間の軟禁生活の間に日本語を話せるようになっていた。そして通訳だけでなく警固兵や下級役人たちとの交流を通じて、彼らがロシア人に好意を抱き幕府の政策に不満を抱いていると感得したのだ。
本書には、通詞本木庄左衛門の次のような言葉が記録されている。
「あなたが、自由を束縛されているのは、一時的なことだけですが、私たちは永遠にそれに堪えていかなくてはならないのです。私たちの父や祖父たちは、米を食べるだけを楽しみに生活を送っていたのです。そして私たちや私たちの子どもたちも同じようにこんな生活を送っていかねばならないのです」 -
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4003347919
── レザーノフ/大島 幹雄・訳《日本滞在日記 1804-1805 20000817 岩波文庫》
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当時の日本よりもはるかに進んだ文明を獲得していたロシア人との関係が、数週間前に読み直した『失われた宇宙の旅2001』に登場した異星人と人間の関係に似たものに感じた。
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